コラム

一期一会の交わり

さあ、本格的にコロナも明けてRally TOHOKU2023夏の陣です。 Rally TOHOKUは2018年、東北の南の端私の住む福島から始まりました。開催2年目の2019年には私自身の福島に対する思いを思いっきり詰め込んだ福島LOVEな素晴らしい3日間のルートが完成していました。しかし台風によって、大会そのものの中止こそ免れましたが、あちこちで起こった災害に拒まれてスペシャルステージの中止や大幅なルート変更を余儀なくされました。自然には贖えません。自然と比べると、なんと人間の小さいことか。この素晴らしいルートを日本のラリーストに走ってほしいという思いは消えることはありませんでした。Rally TOHOKUはその後北上を続け、近年は岩手県での開催をメインとしています。そして今年、リベンジの機会を得ました。

今年のルートは、2019年のルートそのままだから楽勝・・・とはいきませんでした。あれから4年。福島のダートは、風力発電により進む開発、災害後に放置され通れなくなった道、だれも通らないのに進む舗装化、林業の作業によりクローズされた林道など、2019年のルートのコピーなど到底不可能な状況でした。時間が流れ、地域や人が変わり、地球環境も変化しています。その時に開催されるラリーはその時にしか楽しめない。毎年同じルートでも毎年違うラリーかもしれません。まさに一期一会。

一期一会とは「一生に一度だけの機会」という意味でつかわれています。茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことを言います。「一期」は仏教語で、人が生まれてから死ぬまでの間の意味です。ラテン語に似たような諺があります。 Carpediem、カルペ・ディエム「一日の花を摘め」、と訳されます。英語では「seize the day」(その日をつかめ/この日をつかめ)。「今この瞬間を楽しめ」「今という時を大切に使え」という意味でつかわれます。日本の一期一会とは少しニュアンスが違う感じですね。

東日本大震災、コロナウィルスの蔓延、戦争などによって私たちは価値観を揺さぶられてきました。自分にとって何が大切なのか?人生をどう生きるべきなのか?など。このラリーの準備では、スペシャルステージの開催にあたり周辺の集落の合意形成に多くの時間を費やしました。一般公道を通過するだけならなんの問題もなく、交通法規を遵守すれよいだけなのですが、林道を閉鎖して競技区間を設けるとなると、その周辺の住民の合意形成を求められます。特に、高齢化により過疎化が進んでいる山間の集落ではコロナの蔓延から他人と交わることについての抵抗や自分たちにとって不要なものにはできるだけ近づきたくないという意識が強くなっているのかもしれません。

SSERのラリーは一般公道を走るリエゾンとクローズされたスペシャルステージ(競技区間)で構成されます。リエゾンでは、ツーリズムとして刻一刻と変化する風景や風・匂いを感じ、その土地と交わることができます。スペシャルステージでは初見のダートを全身全霊で駆け抜ける個人のタイムトライアルで多くの時間をかけて準備してきたものをぶつける自分との闘いです。すべてが一期一会の連続。ラリーというイベントの性格上、観客を集めたり地域の方との交流の場を設けるということがなかなか難しいです。そんな中でも住民との合意形成の一環として事前にイベントを告知をしている場所があるので、その地域の方が待ち受けてくれるかもしれません。住民が沿道で手を振ってくれる・・・そんな機会があればその瞬間の非言語の交わりを楽しんでほしいと思っています。

茶会の進行では、炭火の強さと湯の煮え具合が相応し、自然な茶事の流れにより亭主と客の息遣いの調和が生まれることが重要視されます。茶会における交わりはその瞬間限りのものであって、同じことの再現は不可能です。たとえ同じ茶室で同じ茶器や茶道具が用いられても亭主と客、客同士の人格的な交わりはおよそ違ったものになるからです。

一期一会の根底には、仏教の無常観があるといわれます。「諸行無常」の「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは続かないということです。「現在有体、過未無体」という自覚的な時間意識です。現在とは、いまだ存在しない未来から不断に生成し、もはや存在しない過去への不断に消滅していく一瞬一瞬であるのです。一般的にいわれるような、人の出会いや、タイミングなどだけが一期一会ではありません。仏教の無常観からすれば、今の一瞬一瞬のあらゆるものが無常であり、すべての瞬間が一期一会なのです。

うつくしまふくしまで、ラリーという時間軸を通じた様々な一期一会の交わりを楽しんで頂ければと思っています。

ラリー東北3デイズ 実行委員長 佐藤 直美