『脱藩』のなかで龍馬が三輪田米山の書に出会うシーンがありますので少し紹介。
立ち上がり深く頭を下げ振り返ると、後ろの鴨居に架かる扁額が目に飛び込んできた。そこには『無為』とある。その力を抜いたが存在感のある書に心を鷲掴みにされた思いがした。
「これは」
立ちすくんだ龍馬がそう言うと、長宗我部宮司は
「無為であれば、成し遂げられますのじゃ。神道のわれわれが使うのも妙な按配じゃが、無為を為す、つまりは何もしないという事ではのうて、わしがやったんじゃ、みたいに仕業のあとを残さないように、無私、無欲で事に当たれという教えじゃな。禅寺にでも掛ければよいものをと、三輪田という宮司にはそう言うてやったが、この字は凄い。これこそが、まさに無為じゃな」
龍馬は三輪田米山の扁額が宇和島和霊神社にあるのを見た。
「三輪田先生は松山の方とか」
「そうじゃ。先生などと言うたら叱られるぞ。大洲の常磐井に学んだのじゃ」
「おお、そうやったがですか。わしも常磐井先生には世話になったがですき」
「それなら話も合おう。いまは久米村にある日尾八幡神社の宮司をされておるよ。会いに行ってみんかね。地図を書いてやろう」
「おお、是非に」
てな具合です。「無為」ですねえ。龍馬の「自忘他利」の心に通じています。
2021/12/22