「脱藩」~まえがき(序)の続き

この物語を書くにあたり、わたしは高知市柴巻にある田中良助邸を訪ねた。

秋晴れの日曜日。遠く太平洋が光り、もちろん高知市内も手に取るように見えた。ここがこの物語の原点というわけではないが、屋敷の前の良く手の入った畑に青々と葉をつけた蕪が育てられているのを見て、時間の概念を失った。

「もうすぐ龍馬さんがこの坂道を登ってやって来る」

そう感じたのだ。
土佐に暮らす人たちは、いつもそのように感じているに違いあるまいと思った。ここからわたしも旅を始めた。
文久元年、西暦一八六一年十月から物語を書こうと思う。時は幕末の緒論がかまびすしい混乱期だ。論は命をもって贖(あがな)うのか。
明治維新まで七年。すなわち龍馬が凶刃に斃れるまで六年。このわずかな歳月を、かくも濃密に駆けさせたその動機はなにか。龍馬にそこまでの思いに至らせたのは、誰だったのか。どのような思想形成の日々を過ごしたのだろうか。

原作者の大城戸はこう記した。
「龍馬は、宇和島に行ったあと松山まで戻った。そして瀬戸内海を渡り長州 萩に久坂玄瑞を訪ねている。そののち土佐に帰り一ヶ月もたたず脱藩した。この旅が龍馬に脱藩を決意させたと考えている。土佐藩士から日本人に変わる龍馬の思想変容の旅の中で、誰に会い、何を考えていたのかに想いを馳せたい」
龍馬二十七歳、脱藩直前の文久元年十月十四日から文久二年二月末日までの間の、やむにやまれぬ「思い」に至る一二〇余日を共に旅をしたいと思う。

写真>物語は高知城からはじまります。そして高知市内の北にある柴巻の郷「田中良助邸」で蕪と鯨の煮付けを食べる話。いまも現存する田中良助邸、屋敷からは高知市内が一望でき、畑には蕪が青々とした葉をつけています。

 

 

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