ROUTE INFORMATION

DAY-1 4/30(土)「柴巻に行く」
TOTAL 268.46km DIRT 55.72km(20.76%)

『脱藩』の物語は高知の柴巻から始まる。そこで1日目はスタート会場をあとに高知へ向かう。そして、そこに描かれた龍馬の足跡をたどり思いに寄り添って旅をはじめよう。スタート後13.07kmの神社に寄ろうか。

『脱藩』P69【橋を渡りきると左手に鳥居が見えはじめる。神明の鳥居で伊勢鳥居と言う。そこが御鎮座1730年を数える伊曾乃神を祀る伊曾乃(いその)神社である。伊曾乃神とは天照大神の荒魂および第十二代景行天皇の皇子、武国凝別皇子の二柱を総称している。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の崇敬篤く、新羅遠征の祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願にたびたびの奉幣祈願がなされる、この地域を代表する神社である】

そのあとに、山の向こうのロングダートで、マシンと自身のコンディションを確かめるように走る。山深いダートを超え、若き龍馬が拠る柴巻の田中良助邸に行く。

『脱藩』P20【「おー。龍馬。どういたがぜ」良助は屋敷の前の畑で、青々と葉をつけた蕪を引いていた。それは土佐の赤蕪で初冬の食卓を飾る田村蕪という。屋敷の前には背の高い石積みの塀がある。この土地でよく採れる石灰岩の白い岩肌のようだが、よく見ると玄武岩のようで、屋敷のすぐ上にある八畳岩と同じような黒っぽい岩肌だ。家の敷地の庭にも露出していてこの辺りの地質も興味深い。石灰岩に見えるのは、白い苔のような地被類(ちひるい)が石を覆っているからだ。さらに石積みの目地(めじ)には苔が生し石斛(せっこく)が着いている。節くれた姿には似合わない可憐な花を年に二度ほどつける。龍馬はその花を見るのがたいそう好きだった。「おう。頼みがあって来た」】

ここからの高知の眺望は素晴らしい。ここの資料館にも寄り道してほしい。(138.22km)そして高知市内に下り、龍馬生誕地を通る(146.06km)。当時の天守と本丸御殿、追手門が現存している唯一の城(高知城)(147.05km)に行く。

『脱藩』P13【追手門の前で立ち止まった若い侍は、木造渡櫓に本瓦の葺かれた櫓門の鯱戈を見上げた。その侍は身の丈は五尺八寸ばかり、総髪にして目にはたおやかな人懐っこい光を湛えている。追手門の門衛がその男を不審そうに眺めていた。すると男は門衛に頭を下げ、すっと歩み寄って来た。「家老福岡さま預かり郷士坂本権平が弟、坂本龍馬と申します。家老の福岡宮内さまがお召しということで参上仕りました」門衛は、その郷士風情が何の用がご家老に、と不審に思い「しばし、待たれいよ」ぞんざいな口をきいて城内の詰門に居る上役にまで報告に行った。龍馬は追手門から城の威容を眺めた。青天に白い天守がすっと立ち、廻縁高欄がひときわ印象的で美しく潔い。天守の屋根に飾られる鯱戈は、追手門のそれが瓦で出来ているのに比して青銅製の細工物だ。見事な芸術品のように見える。鯱戈とは顔が龍で身体は棘(とげ)の生えた怪魚なのだ。】

市街地を無料高速で抜け、太平洋を眺めながら南下し、川沿いから林道へ入る。1本目のSSは、10kmを超える下り主体。おそらく日没後だ。慎重に。そして、川沿いのキャンプ地に着く。

 

DAY-2 5/1 (日)「しばし、ダートを堪能するTBIの1日」
TOTAL 411.68km DIRT 95.12km(23.11%)

この日は、ダートを堪能するTBI的な1日。龍馬の足跡から少し外れようと思う。朝イチのSSはキャンプ地近くのTBI34年の歴史を知る古い林道。峠を越える。そして長いダートを越えて再び太平洋に会う。海岸を眺めながら昨日通った道を戻り、山に。短いが楽しいダートや、歴史街道的なダートを超え、国道へ。燃料を満タンにして、剣山スーパー林道へ向かう。久々に西の入口から峠を越えることが出来る。スーパー林道の先で早めのSS。ガレの上りのハードSS。風車の丘から山を下る。途中でトリッキーなダートを愉しんだ後は、県道、国道を繋ぎキャンプ地へ。そこは天空の地にある宿泊施設。帰り着く直前には絶景が楽しめるだろう。

 

DAY-3 5/2(月)「ロングディスタンスで龍馬の足跡を追う」
TOTAL 379.52km DIRT 31.63km(8.33%)

龍馬の足跡を追う旅に戻ろう。朝のSSは無い。天空のキャンプ地から、四国三郎つまり吉野川まで一気に下る。立派な沈下橋で渡り、西へ西へと進む。大歩危小歩危の絶景を眺めた後、立川番所(104.82km)へ。

『脱藩』P29「龍馬はかずらの吊り橋を渡り、谷筋を詰めた。【立川の番所は土佐の訛りか「たぢかわ」という。陽も暮れかけたころに着いたが番所はまだ役人が居て訳なく通してくれた。すぐ先に小さな荷宿という集落があり宿を営む庄屋屋敷がある。荷宿という名前は、さすがに直接的で土佐街道を行き来する荷物が泊まる宿という意である。龍馬は三年ほど前、この宿で土佐に入れず足止めを食っていた水戸の藩士である住谷寅之助、大胡聿蔵の二人と面談をしたことがあった。雪をかぶった茅葺の大きな木屋岩吉の屋敷は、庭の松の木も綿帽子をかぶり、南国には珍しい藁縄で作られた雪吊が風情を醸しているではないか】

ダートで山を超え、更に西へ。かつては栄えた鉱山跡を抜ける。立派な、西条陣屋跡(214.49km)をかすめ、金比羅と松山を結んでいた「金比羅街道/讃岐街道」で、松山平野に入る。SSER事務所近く、重信川沿いの水天宮(254.13km)を通り、松山と南予の分岐点(森松)(264.22km)で曲がり、南予を目指す。港近くの古い商店が残る街を抜ける。(郡中)(274.65~275.89km)

『脱藩』P94【この日11月16日は、この郡中で宿をとった。郡中は寛永12年(1635)松山藩領から大洲藩領に変わった。大洲藩主は上灘村の豪商宮内九右衛門と清兵衛兄弟に、この地を町方で開発をするように命じた。その町方いわゆる民らが築いた商業都市であって、ここに滞在すると何やら大阪の気風が感じられるではないか。宿から西にわずかに行くと白砂青松の浜があり、まだ岸壁の石積も真新しい湊が築かれている。「そうじゃ、この郡中は湊で栄えちゅう。海運こそがこれからの日本の国を支えていくがやろう」そんなことを思いながら、龍馬は灘に沈もうとする大きく美しい夕陽を見ていた。大洲藩主が全面的に支援していた宮内家の前を通りかかるとそれは豪壮なもので、民の力と海運は、いかに町を栄えさせるのかを考えさせられた。宮内家の店先で店の者に声をかけ話を聞いた。「どういて、こんなに栄えちゅうがぜよ」まあそんなふうに聞いた。】

国道で山に入り、小さな谷に下りる。ここに、小さな神社がある。(山吹神社)(288.17km)神社の奥にひっそりとある本殿の素晴らしいこと。寄り道して見て欲しい。

『脱藩』P102【ここから先は、お由が道々にしてくれた話だ。「お侍さん。ここには山吹神社いうのがあるんよ。すぐ近くじゃけん寄っていかんかね。山吹御前がお祀りしとるんよ」「山吹御前、おお聞いたことがあるの。だれじゃったろう」「木曽義仲の思い人よ」「また平家物語か」山吹御前とは、巴御前と共に木曽義仲に従った女性で、ふたりとも武芸に秀でていて巴御前と張り合っていたのじゃなかったか。義仲は良い男だったのだろう『源平盛衰記』には「色白う眉目は好い男にて有りけれども立ち居振る舞いの無骨さ、言いたる詞(ことほぎ)続きの頑ななる事限りなし」とある。良い男だが乱暴で口が悪い頑固な男だとでも言っているのか。「二人の女に好かれたえい男やったがよ」義仲は義経や頼朝の従弟のはずだが、平氏を打ち払い日の出の勢いと言われ京で朝日将軍と呼ばれるほどの権勢を誇った。しかし飢饉や疫病が続き軍規が乱れ兵の乱暴狼藉が目を覆うほどになった。後白河天皇は頼朝に義仲を追討せよ勅命を出す。追い詰められた義仲は近江で死んだ。31歳。頼朝は従弟も弟も殺した。「成敗」というにはあまりにもではある。その男が作ったのがこの武士の世なら、いずれは終わる。そういう節理だ。武士のしきたりは鎌倉幕府の「御成敗式目」で、北条泰時が制定したのだが頼朝の定めた道徳的なことなどを成文化したものである。確かに良く出来た法律ではあった。山吹御前は病身でその討伐戦の守備に参陣できていなかった。義仲の死を知ると義仲が伊予の国司として赴任していたころの縁を頼り、伊予の灘という港へ船でやって来た。灘に上陸し家臣に担ぎ上げられ、最後には竹で編んだ担架のような輿に伏せり、この山の上で病の身を閉じた。村人らはこの貴人の不遇を哀れみれそれにより身に降りかかる災禍を恐れず、祠を立てて祀り「山吹神社」としたのだという。】

さて、夜のSSは、深い山の中。分岐が多く、迷路のような道にナビの集中度を上げる。今日のキャンプ地は、山深い渓谷の奥にひっそりとある温泉だ。

 

DAY-4 5/3(火・祝)「宇和島伊達藩に至る」
TOTAL 326.80km DIRT 38.34km(11.73%)

朝のSSに向かいその後、山寺へ。山中にあるお寺とは思えない壮大さに驚く。薩摩島津の家紋「丸に十字」が不思議だ。是非、見学を。

『脱藩』P202【この深い山の中に京もかくやというほどの山門があり、素晴らしい仕事がしてある。参道には石が敷き詰められ苔が生していて見事な禅寺である。石段を踏み上がると霊験もこれほどな七堂伽藍が建つ。「これは、なんという」「参禅せにゃあならんが、帰り道が厳しゅうなるぞ」「先生にお任せします」二人は本堂に進み読経の僧侶の背中を見ながら手を合わせた。すると横から禅師が音もなく現れた。矢野は深々と頭を下げ、龍馬もそれにならった。「土佐のお方か」「はい。坂本龍馬と申します」「りょうとは龍のことじゃな」「はい」】

お寺を超え、池の脇からダートへ。迷路のように繋がる林道。旧家が並ぶ街並みを抜ける。歴史ある旅館の前を通る。(松屋旅館)(113.21km)そこから、程近い峠からの入江を望む景色は、まさに絶景。(法華津峠)(118.44km)続いて行く峠の手前から振り返る景色も素晴らしい。(黒ノ瀬峠)山を下り、川沿いを進めば、立派な神社(和霊神社)(136.70km)坂本家の守り神の和霊神社の本社だ。宇和島城(137.86km,138.52km)と天赦園(138.97km)を巡る。ここから、一気に高速道路で大洲へ。大洲神社(182.12km)、臥龍山荘(182.22km)の脇を抜け、古い街並みへ。河川敷に出れば、大洲城も見える(182.63km)。幕末の蔵のような旅館を再現したお店もある。(油屋)(182.70km)。街を出て、川沿いで海を目指す。河口の大きな橋を渡る。ここは龍馬が脱藩の時、長州へと船出した港だ。(長浜)(203.74km)海沿いの美しい道で北上した後、峠を越える。窯元が立ち並ぶ集落を下り、中心部へと進む。松山城に向かって進み、保存修理工事中の道後温泉本館をかすめ、夜のSSへと向かう。SSは、登って下る峠越えのSSだ。SSの後は、キャンプ地。

 

DAY-5 5/4(水・祝)「エピローグラン」
TOTAL 233.31km DIRT 41.26km(17.68%)

最終日は、スタート地に戻ってくる、ループコース。ループの日は距離は短いが走り応えがあるのが定石。国道で峠を越えた後、次の峠を越える。ここからはダート三昧。2本のダートを超えた後に、いくつもの沢を越える下りのSSが最後だ。コースアウトしないように慎重に。移動した後、次のダート群へ向かい四国の林道に呻吟する。ダートを抜け絶景の天空へと続く道で旅を締めくくる。トンネルを抜け山を下れば、GRAND GOALだ。