コラム-クロスカントリーが冒険だったころ

あの時、ボクはテネレ砂漠をCAP180で走っていた。
500km先のゴールは、ディルクーだったかビルマだったか。

たくさんの轍が太陽の方角にむかってのびていた。
やがてそのいくつかが右に分かれていった。
CAP180なら、もうすこし左だ。
その轍は、おそらくだがゴールを見失って、サハラの最深部にいくか
運がよければ、ディルクーに西から東に向かうピストに出会って
「しまった」
などと言いながら
あわてて東に向かうことになるだろうか。
それとて、まあ運がよければだ。

ボクタチのまわりにはすでに轍は1本もなかった。
ヴァージンスノウの上を行くがごとしだった。
クルマの中は静かで
ガタゴトという音はしない。
おそらくタイヤは砂の上に浮いて接地していない
そんな感じすらする。
小声で会話ができる。
そんな時だ。
ボクタチのむかうはるか正面に
おそらくだがゴールのフラッグと思しきものが見えた。
ぐんぐんと近づいてきて
PIONEERのロゴも鮮やかに見え始めた。
右手から砂煙が近づいてきて
コントロールフラッグの前でいきなり
ボクタチの進路に割り込んできた。
プジョーだった。
イヤシトロエンだったか。そのすぐうしろにミツビシもいた。

ボクタチははじめて、誰も居ない給油のドラム缶の前に並んだ。いつもなら何時間も待たなきゃいかんのに。

この日還れなかったマシンが、何台もいた。

あの頃は、マグネチックコンパスと頼りないルートブックといつも調子の悪いラリーコンピューターとは名ばかりの赤い数字を刻む距離計。

これが冒険だったとは言わない。
言わないけど
これはこれでワクワクし、いつも口から心臓が飛び出しそうだった。