Organisation Voice
2001/07

2001/07/25 (水曜日) 

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週末のTBI-2の準備にみんな力が入っている。800km24hr.Ave33.33km/hアドベンチャークラスの方から「どーすんですか?」というお便り。「さて。」

RRM2001ルートインフォメーション
ETAP-6 ゾーモッド〜ゾーモッド 300.00KM
「史上最難のエタップ」

このエタップは、作り上げた我々にしても、いまだ実施すべきかどうか悩んでいる。ゾーモッドを後に、南下する、おそらく気温は43℃は越えるはずだ。そしてこの日ピストは全体の10%以下つまり30kmほどしかない。複雑なルートファインディング、行く手をさえぎる深い谷、降りると登ることの困難な岩襞の連なり、過去にここを通ったわずかな足跡は、20数年前の旧ソ連の科学アカデミーの恐竜発掘プロジェクトのみだ。GPSの指す方向に行く術の無い局面に度々陥る、無駄に走ると300.00kmという奇跡の様なルートディスタンスが、胸を締め付けるだろう。RRMはじめて、これほど難しいルートはいまだかつて無かった。「しかし彼らはいつも私を驚かせる。」ティエリー・サビーネの言葉だ。

きょうの一枚
困難を友とすること幾星霜、今年のETAP-6ほど試走もきつかったのは記憶に無い。ゴビに残る我々の目標物、岩に巻かれたSSERの黄色のコーステープ。


2001/07/25 (水曜日) 

ご安心ください、モンゴルに無事コンテナが到着したとの報が入りました。そのまま通関を済ませると、ホテルの敷地内に運ばれます。今回のスタート地点に用意したホテルは、以前にも発表しましたが、ウランバートル市街地と空港の中間点にあって、しかも山間に入っていきますから静かで、セキュリテイも万全といったところです。
さてルートインフォメーションは、いよいよETAP-5 バルンバヤンウラン〜ゾーモッドの井戸まで613.27km(全SS)の長丁場で競われます。

8月17日 ETAP5 バルンバヤンウラン〜ゾーモットの井戸
「無人の荒野に奇跡の井戸と木立、ゾーモッドに憩う」
SSERが昨年見つけた快適な砂漠のオアシス、誰もが憧れるゾーモッドの井戸、この日はそこへ向かう。前半は超快適なゴビハイウエイが続く、やがて川を渡るための橋を求めて北上。橋を渡ると一転ナビゲーションが難しくなり、CP,RCPを見つけなければ、この日は燃料の問題も大きい。そして一気に南下。ぐんぐんと緯度を下げていくと、本格的な乾燥地帯に入っていく。かつてこのルートはゴビを越えて中国に向かう、交易の路だった。南の果てにまた違う文化があるという概念のモンゴルと、北の武力の脅威に怯えた中国のすがたをゴビ砂漠を中心に俯瞰してみるのも面白い。果たしてこの井戸に、幾千の旅人が腰をおろしひと時の、甘露な井戸水にのどを潤した事だろう。


2001/07/24 (火曜日) 

暑いったらないねえ。ほんとに地球温暖化はナントカしなくちゃあいけないんじゃないんだろうか。猛暑ったって限界がある。ひょっとして今、地球上で一番暑いのは日本じゃないのかい。ウランバートルでCNN見てたら「世界の気温」あなたカイロやアルジェ、ジャカルタやクアラルンプールよりも高いじゃないか。地球温暖化っちゅうより日本温暖化じゃないのかい。

8月16日ETAP4バルンバヤンウラン〜バルンバヤンウラン283.12KM
「奇跡の砂丘」
この砂丘を越えることは出来ない、マスターラリーのルート制作のルネ・メッジにアテンドした政府関係者が、そう語った。それは干上がった湖の南岸に聳える柔らかな砂の連なりだった。美しさは文句無い、そして見るからに巨大というものでもない。そしてランドローバー・デスカバリーを連ねたフランス人たちのチームは退けられた。もちろんわれわれも果敢にアタックしたものの、いまだ経験したことの無い砂だった。この日この砂の連なりと、1つの山脈を反時計回りに一周する、ループコースだ。進行方向の左手に砂、右手にはドライレイク、ただしこのドライレイク薄皮の下はたっぷりと水を含んだ、マッドである。砂を行くか、ドライレイクを行くか?判断はしばしば、あなたに委ねられる。


2001/07/23 (月曜日) 

今週末はいよいよTBI-2、なんと走行距離は800kmになっちゃった。24時間でこれを走りきる。ちょっとインフオメーション不足で、参加者が全然伸びずに、なんと35名!モンゴルと同数!でもこのくらいの人数は、こうしたイベントの場合、ある意味ではとても面白いのです。というか、楽しいんです。僕たちもそれにお応えできるように頑張りますので楽しい、24時間にしましょう。
さてRRM2001ルートインフオメーション続報。

8月15日 ETAP-3 アルベイヘール-バルンバヤンウラン318.47km
(L/18.87km SS/299.60km)
「CAP180、蜃気楼に草原の覇者の姿を追って」

この日は、短いリエゾンで北に向かうSSのスタートに並ぶ。そこは緑とハンガイ山脈の織り成す、優美で美しい叙情的な景観の中だ。かつてのシルクロード・天山北路、ステップ路はこのあたりで複雑に別れる。季節によって道を選ばなければならなかったからだろう。そして南下を始める、大きな建設中の道をクロスするのがポイント、そこからはひたすら南下を始めると、草原の彼方ゴビに立ち昇る蜃気楼があなたを迎えてくれるだろう。その中にかつての草原の覇者たちが見えるだろう。チンギスハーンの一族たちが駆け抜けたこの大地、北に南にそして西に、広大でさえぎるものを持たない大モンゴル中央部、まさにゴビハイウエイの旅だ。あなたの駆るマシンが、時空を遡りはじめる。そうここは全ての概念が、全く新しく、突然目の前にモンゴル軍の大軍勢が現れるような気がしてならない。」


2001/07/18 (水曜日) 

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昨日は、打ち合わせに向かうために事務所を出たところ、西の空がにわかに掻き曇って、すさまじい雷雨。「すごいやねえ。」「いやいや結構毎日こうなんですよ」だって。それにしても激しすぎる、確かに昔からこういうのがなかった訳ではないのだが。連日の異常高温。その異常な高温で熱せられた海水は大量に蒸発して、上空で大量の雲を発生させる。そして大量の雨になる、はたしてその熱量が大きすぎるのか。毎年水不足に悩んでる松山の、たった一個の水がめ「石手川ダム」は、当然の厳しい取水制限をしてるのかと思いきや、さにあらず。当局関係者にとってはめでたくもあり苦々しくもある放水を続けてるみたいだ。そういえば僕たちも試走中に、いまだかつて経験した事のない規模の強烈な砂嵐に遭遇した。エタップ3のビバーク予定地での事だ。設営を終えて、食事の支度にかかった頃からそれはやってきた、まるで鳴り物入りでやってくる戦慄のチンギスハーンの大軍勢のようにだ。それは、すべてのものを地上から剥ぎ取れとばかりに暴れ回る文字どうりの暴風と、大軍勢の馬が後ろ足で巻き上げるごとき微細な砂の粒子の襲来。もちろん全身には砂つぶて?が襲い、痛い!サンドブラストを掛けられてるみたいだった。嵐が行過ぎた後、すべてのものの全ての場所は、砂の侵入を許していた。地上から剥ぎ取られたり、剥ぎ取られそうになったほとんどのものは人の手によって作られたものであることは間違いない。翌日もこのサンドストームは続き、砂の中で 1メートル先も見えなくなって立ち往生してしまった。自然の力も、日本とは比べようにないなあ。と思ってたら、この横殴りの激しい雷雨。日本の気候も、だんだんそれらしくなってくるのでしょう。こいつらには立ち向かうだけでは勝てない。上手く力を逃がせて、飄々と風になびく姿勢も必要かもしれない。

8月14日ETAP−2ウンドルシレット〜アルベイヘール588.16km(ALL/SS)
「ゴビ、ラマ達の歩いた砂漠」

ウンドルシレットのビバークを後にひたすら南下を続ける。そのダイナミズムはET-1にも共通である。今年、モンゴルは革命80年を祝った。その革命とは、清朝末期の中国からの独立のようなものであっただろう。ロシアの力をたよってモンゴルは世界で2番目の社会主義の国となった。しかし以来ロシアは、宗教的な弾圧を行った。チンギスハーンは、あらゆる宗教を容認したのに比べ、はるか後世の近代国家ソビエトが弾圧をする。そんな弾圧を受けたのがチベット仏教。その僧侶ラマ達は、苦難の歴史を刻み始めたのだ。その歴史に残る寺院のある草原の町を越えて、彼らの歩んだ足取りを丁寧にトレースしてみると、草原とゴビのはざまに、殺戮と信仰、信頼と恩讐、そんな20世紀の生んだ人類にとって最悪の世紀の姿も、静かに大地に帰ろうとしているのだ。アルベイヘールが近づくと、再び緑の濃度が蘇ってくる。足元にエーデルワイスの群生がある。


2001/07/17 (火曜日) 

ラリーレイドモンゴル2001、ルートインフォメーション 「その神々の宿る大地」

8月13日ETAP-1 ウランバートル−ウンドルシレット
361.87km(L:20.19KM /S:341.68KM)

「序章、神々が草原に降り立った。」
ラリーは、モンゴルの首都そこは年を追って目覚しく発展していくウランバートルの南にあるヌフトホテルにスタート地点を定めた。1995年の記念すべき第1回大会と同じである。参加者の車両を詰め込んだコンテナも、このホテルの敷地内まで輸送してある。このホテルは社会主義時代には国の迎賓館として使われていたもので、近代的な快適さこそ望めないが山あいの草原の谷間にひっそりと佇まい幾たびか20世紀の国賓を招いて、東側の一員として参加していた国のテイストが伺えるのだ。ホテルをスタートすると短いリエゾンで舗装路を消化しながら、緑濃い草原の道をまっすぐに南下する。やがて乾燥地帯が近づく頃、そのふたつの気候帯の、まさに縫い目に沿って西へカップチェンジする。大きく西に日が傾くまでにはCAP310で、ビバークの待つウンドルシレットに到着する。この日は誰がどういう力を持って、かかる奇跡の大地を作り給うたか、まさに今21世紀の新しい戦いの幕開けに、その地にいま神々が降臨する。さあ、その祝福を受けるのは果たしてあなたか。


2001/07/16 (月曜日) 

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今日から何日かで、ルートインフォメーションをお届けする予定にしていましたが、久しぶりに出社するとまあ、忙しいの何の!席に座る暇もないんです。従って本編はあすから!って事でごめんなさい。それと「彼方へ」も間もなく復活しますからね。あとモンゴル人スタッフの通訳のジャンガル君の弟ホンゴル君が日本語で書いた短編小説も間もなくこちらのサイトでご紹介します。なかなか素晴らしいのでお楽しみに。


2001/07/13 (金曜日) 

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試走を予定より早く終わらせることが出来て、無事にウランバートルへ帰ってきました。試走中は日本から持ち込んだインマルサットの調子が悪くてデータが送れないばかりか、日本のニュースも全て手に入れることが出来ず、情報の時代に情報が送受できないという事が、かくも不安である、という事を身にしみて再認識させられました。しかし連日、夜明けと共に起き出し15時間以上ぶっ通しで走り続け、少なくともコマ地図の回数だけはブレーキングをし停車、ピストクロスや分岐などは思わず通り過ぎてバックすることも度々なのですから、燃費も悪くなるし試走の1号車のクルーの疲労度も大変なものです。そのうえ連夜の設営,食事など全くもって休まるヒマが無いんです。そんな時に情報のやり取りが出来なかったのは良い点も悪い点も考えられます。これから少しずつルートの話などを進めて行くことにします。来週からね。
さて、今回は星のお話しをしましょうか?あっいや、こういう分野は多分に専門的な方が見ててまた「おかしい」とかってクレームをつけて来ることでしょう。でもモンゴルの大草原の夜、みんな寝静まったシュラフから抜け出して夜空を見上げるとまさに天井の底?が抜けたような星空です。宇宙の起源は100億年前だと言われてます。ビッグバンだとか特異点だとか、ホーキングの理論や、時間とか、いろいろな事を考えて行くと、本当に真の真から宇宙の存在もとんでもないものでしょうね。日本に帰ったら今度は少し、そんな話も考えてみたいものです。「われわれは、どこから来て、どこへ行くのか?」と考えると先のO.Vにも書いた国とか国境とか、イデオロギー(もう使わないか)とか、たいした問題じゃないや、と考えられるんです。それにしても今回のルートはそんな思いを持って作りました。また今までと違うモンゴルの魅力が紹介できそうです。


*先日まで掲載しておりました、「SSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。」の続編は、THE TALKにて残りを掲載していきます。お楽しみに。


2001/07/12 (木曜日) 

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今週来週にかけて、ヤマダテツがモンゴルにRRM2001の試走に出掛けております。現地からOVをお届けする予定ですが、本日はSSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。の第5編をお届けします。

美しい星空に想う。

7月24日10:00。デューンのビバークをスタート。#12ガズトラックとテラノの2台でビバークから約30kmの地点でストップしてる#13トラックへ向かう。#13トラックのダワさんは何とか修理を終えて走れるメドは立ってる様子、でもまだ少し時間がかかりそう。私は玉子スープとアルファ米のおじやを作って朝食の支度。菅野さんはトイレットペーパーを持って小旅行へ。山ちゃんは馬にまたがり乗馬のオプショナルツアー。松田君はカメラ片手に散歩と少しばかりのんびりした時を過ごした。11:30さぁ次は#14トラックが待ってるトコロへ行かなくちゃ。で、合流。でもまだ修理中。ETAP3で通ったテスの町に到着したのが20:00、今晩はこの町でビバークして明日は早朝から移動をかけることにしてもうダウン。川のほとりでビバーク。夕食のMENU、カレーとコーンスープ、アルヒと山ちゃんのウイスキー。23:00後片付けも終わってさぁ寝よーと思って空を見上げてビックリ。あまりもの美しさの夜空。菅野先生の星座講習が始まる。天の川も素晴らしいし、いったいどーしてこんなに美しいんだろう。日本も昔はこーだったんだろーか。この星空を毎日眺めれれる人がいて、一生に数度も眺められない人がいて、不公平なこと。ETAP6のビバークとレストデイのオリアスタイには何としてもエントラントよりもHeliよりも早く着きたい。そして完璧なビバークを設営して選手達を迎えてあげたいと心に誓いつつ眠りにおちていった。後半戦をいかに第1本部隊は闘ったのか?つづきは次号のPRESS(11月8日)でね。またね。 


2001/07/11 (水曜日) 

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今週来週にかけて、ヤマダテツがモンゴルにRRM2001の試走に出掛けております。現地からOVをお届けする予定ですが、本日はSSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。の第5編をお届けします。

オアシスじゃなきゃね。

さぁ再びビバークへ向けて出発。24:00、もう寝静まってるだろーね。このあとの分岐で明日のCPへ向かう小河さんと別れる。大変助かりました、Thank you!ルートは湖を西から迂回して、明日のオンコースの一部を逆走してビバークへ向かう。すごい登りが続く。1発目を登り切ったところで#14パンク。もう全員でその場に座りこんじゃいました。ギヴアップ、私は正直もう疲れ果てていた。まだETAP3、何が悪かったの、もう一歩も進めない。第1本部隊は壊滅状態。一昨年、昨年と私はラリーの運営はとにかく先へ先へ進むことだ、と学んだ。それより私は山田が「素晴らしいヨ」と語るデューンのビバークを一目見てみたかったの。でテラノ1台ででも・・・・と先へ進むことにした。明日のコマ図を逆読みして進んでいるのだが地形が変わりすぎているのと漆黒の闇の為に周囲の風景が見えないのでオンルートを探すのが一苦労。やがて東の空に朱が差してきた。既にM1、M2はスタート。 やっとビバークまで数キロまでやって来るとデューンを越えて博田君が又々ビョ〜ンと走ってきた。続々とやってくるバイク達を見送ってバイクと四輪のスタートのわずかのスキにデューンを駆け上がりスタート地点(つまりビバークってことよね)に到着すると何と何と四輪のスタートのトップは#107横川/治武組ではないの。「まぁまぁ去年は無念のリタイアをした治武君、今はどんな気持ち?緊張してる?充実してる?頑張ってね・・・・。」と元気に砂を蹴散らしてスタートして行った。「クー、カッチョイイ」デューンの上からのスタートは、それはカッコ良く、又その景色の素晴らしいことったら。月牙泉(敦煌にあるのね)のような川に降りてみると、それは冷たくて気持ちの良い川で手と顔を洗うと心まで洗われるようだった。そして又新しい気持ちがこの小川のように涌いてくる。この川は乾いた砂漠から涌き出して砂丘の中にオアシスを作る。まるでラリーの本部隊の役割を示しているようだった。激しい闘いの末に辿り着くビバークはラリーのオアシスじゃなきゃね。


2001/07/10 (火曜日) 

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今週来週にかけて、ヤマダテツがモンゴルにRRM2001の試走に出掛けております。現地からOVをお届けする予定ですが、本日はSSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。の第4編をお届けします。

試走隊情報 10日現在、ジンストの南側に位置するETAP7の200km地点の緑のじゅうたんの中でビバークです。試走隊は全員元気です。

ヘリで飛ぶのも大変なの。

ところでNO.1 Heliの話をしよう。一昨年と昨年の半分、私はHeliに乗っていた。これが結構ツライ。ましてNO.1Heliはずっとオンコースを飛ぶのだから大変な苦労なのだ。大体全開で競技を出来るのはこのNO.1 Heliが居ればこそなのだ。みんなの知らないところでの救出劇やミスコースをして国境へ向かうマシンを誘導したり、Heliの燃料量と飛行時間と緊急出動の予測や緊急移送の為のプログラムをいつも考えながらのフライトなのだ。しかも上空からGPSとコマ図でナビゲーションしてオンコースが飛べるのは山田しか居ないのである。「GPSで飛行速度を見て1秒間に何百メートル進むか一瞬で計算して、距離計のかわりに秒針で距離を測り、分岐を見つける、しかないんだよ。」と彼は言う。つまり180km/hで飛んでいれば彼の言う「キロ20秒」つまり1キロ飛ぶのに20秒かかる、で1秒に50m。で「3.5km先Y字左」なら「70秒」という風に瞬時に計算して頭の中で70を数える、と60くらいではっきりしたY字が見えてくる」とパイロットがピースサインのように指を出す。「右か左か」と聞くので彼の左の指を曲げてやる、と「OK」と操縦桿を右にタオすのだ・・・・そう聞いててもスゴイなぁと思う。たぶんみんな何気なーく飛んでるように見えるように見えるだろうけどコックピットの中は大変なのよ。だからHeliがやって来て「土ボコリ」をかけられても怒らないでね。もちろん映像を残すという仕事もあるけど・・・・誰の為でもなく参加者全員の安全確保の為に必死で飛んでるんだからね。そんなところで話を戻そう。 再び#14トラックは止まった。又々チューブを引っ張り出して裂けている箇所をチェックしている。パンク修理もこれで2ケタになってきた。で、みんな修理のベテラン。#14のドライバー、ダワも助手のガンボルト(18歳)、ティンギス(通訳、若干23歳で2歳の女の子のパパ)、山ちゃん、松田君のそれぞれ役割もおのずと決まってくるから不思議。まだこの頃にはみんなに笑顔があった。寒ーくなる山ちゃんのジョーダンもまぁギリギリのところでうけてはいた。が、この時すでに20:00。ビバークでは楽しいハズの夕食の頃だ。エマージェンシーの食糧は何とかなったにしても朝食やランチパックなどを積んで#12、#13コンボイで菅野さんに先を急いでもらうことにした。しばらくして「#13トラブルでストップ」と菅野さんから無線。ビバークまであと40kmだっていうのに。生きている#12で食糧のみ積んで出発させる。 私達とそのトラブルで止まっている#13が合流したのが23:00、その後の350km地点には苦戦している私達を待ち続ける給油班とコース上で遭遇。給油を受けている間、私はクルマの中で寝てた。給油班は最後に通過する隊の隊長は女性だ、と聞いていたらしくみんな会いたい、と言ってたらしいが眠っている私をみて通訳のティンギス君がどーやら適当にその場を言い繕ったよーだ。


2001/07/09 (月曜日) 

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今週来週にかけて、ヤマダテツがモンゴルにRRM2001の試走に出掛けております。現地からOVをお届けする予定ですが、本日はSSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。の第3編をお届けします。2000/07/09現在、ゾーモット付近を元気に走行中です。

250Km先のゴアンズ

7月22日7:00。今年も1日目でトップに立った博田選手がビョ〜ンとスタートして行った。さあ明日のキャンプ(ETAP3)まで頑張ろーう。800kmの移動だ。しかし到着予定時刻7月23日10:00まで23hr.しかない。今の第1本部隊はAVE.20km/hしか出ない。そーだと40hr.もかかってしまう。このままではヤバイ、と私はある作戦を考えた。ここは食いモンで釣るしかないのだ。「きょーは頑張っておいしいゴアンズ(食堂のゲル)でごはんを食べよーォ!」と言うと「よーし、250km先に旨いゴアンズがある!!」と#12ツォゴが嬉しそうに話すではないの。シメシメ。よーし出発!にしても250km先の食堂ってのがモンゴルらしいやねぇ。まぁ、みんなウキウキ、私もウキウキ。そんなことでみんなの心がひとつになるンである。プリミティヴやねぇ。そして、何とそのゴアンズまでは昨日の不調は何だったのー、って思 うくらいのAVE.なの。みんなお腹一杯食べたよーね。日本人スタッフはこの後のことを考えて腹八分目にするよーにって目で合図をしておいたわ。MENUはボーズ(スピーカーじゃない)と羊の内臓入りのホーショールとスーテツァイ(ミルクティね)。今度一緒にいかが!?そーそー、この日はCP1の小河隊長がアテンドしてくれたの。彼は昨年は第1本部隊の隊長をやってて本部隊の苦労がよーく判っていたので「一緒に行こう」と言ってくれたの。本当にウレシかったです。その後幾度、彼らに助けてもらったことでしょう。本当に感謝してまーす。 スタートして15hr.後の7月23日1:00、ETAP2テルメンヌールのビバークに到着。エントラントは寝静まって本部ゲル棟には明々と照明が点いて発電機がヴゥーンと景気よく回ってる。衛星から見たら真っ暗な大地に1つだけの点が輝いてるんだろーな、きっと。で、うっかりUFOが飛んで来ちゃったりするのもワカるよなぁー。で30分もビバークに居ずにスタート。まだ私達の任務地ETAP3のビバーク地まで400kmもある。こりゃああと8hr.で着くのは無理だなぁ。よっしゃ、到着予定時刻を12:00正午に変更。出発!ところがあの悲劇は、ココから始まったの。もう既に#14ドイツ製(といっても東ドイツね)のトラックが止まってる。それから何度パンク修理をしたのか教えてあげましょーか?で、もうパーフェクト達成はこの時点で諦めざるを得ないよーだ。ロシア国境に近い町に着いたのが8:00、あと200km。でもまだ10hr.くらいはかかりそー。この時NO.1 Heli山田の無線が飛び込んで来る。CPの開設が危ないとのことでHeliが向かっているのだ。「BIVOUACはNO.2 NO.3のHeliが行って開設してるから無理をせずに頑張って来い。」というコトバに励まされた。


2001/07/06 (金曜日) 

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今週来週にかけて、ヤマダテツがモンゴルにRRM2001の試走に出掛けております。現地からOVをお届けする予定ですが、本日はSSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。の第2編をお届けします。

テラノ、泳ぐ

で、その愛媛師団総勢10名、車両4台(テラノ+トラック3)は7月20日10:00チンギスハーンホテルをホーンの音も高らかにイザ出発。もう頭の中は「軍艦マーチ」が鳴り響いてる。しかし嫌な予感の1発目は170kmポイント。17:00 #13ガズトラックが1回目のストップ。修理には3時間を要した。再出発20:00。本日の目標走行距離520km。予想到着時刻、出発前7月21日未明。現在のところ予想到着時刻不明。これ以降#13ガズトラックはアベレージが上がらズ。7月21日6:00、それでもビバーク予定地点まで直線距離で25kmまで接近してる。ところが目の前の道は朝日に輝く巨大な湖の中に消えている。迂回路ナシ。「ワレ前進不能」の連絡をすべくインマルサット電話をセット、ウランバートル チンギスハーンホテルの柔らかいベッドの上でスヤスヤと眠っているULN本部長の携帯電話を鳴らす、と同室の山田が不機嫌そーな声で出る。どうも一晩中、CP隊やら第2本部隊やらルート上に展開中の各隊から連絡が鳴りっぱなしのよーだった。ところで、そんなことより眼前の湖をどう渡るかが問題だ。先ず#12ガズトラックがアタック。水しぶきを10mも(?)噴き上げて進む進む。「イケー、もうちょっと」というところであえなくストップ。車は沈む、荷室も水没。「食糧やランチパックが濡れる〜。」この救出に2時間・・・・で8:00。テラノで地元の人に浅瀬を訪ねながら少しずつ渡っていくのだが・・・・大きな深い川があって渡れない・・・・と思った頃にトラクターが出現(オ〜神様!)。しかし有料、5000Tgを払わないと渡らせてくれない。(あとで知ったのだが、ここに有料のトラクターが居ることを山田は知っていた。前夜CP2のL/Cは、これに引っ張られて渡った・・・・との報告が入っていたよーだ。)テラノが泳いでいる・・・・というか接地感が全くナイのだ。もちろんエンジンは切って水を吸わないよーに。フロントウインドウの真ン中まで水が来てるの、信じられる!?このあと電装系のチェックに時間がかかるのね。で、やっとビバーク予定地に到着したのは12:00。しかも本来の予定地の川の畔りは水びたし。26時間の長旅の末に大急ぎで本部の設営をしなければならない。10人のスタッフで必死でしても3時間はかかる大仕事だ。私は気が強くても力が無くて、こういう時に役に立たない。来年はオフロード用のフォークリフトと4×4バギーで引っ張るカーゴトレーラーを作って・・・・。でも重たくてダメかもしれない。とにかく、水から食糧、タイヤやオイル、発電機に照明機材、テーブルやイス、細々したものをカウントすればスゴイ量なの。それにHeliがやって来て医療機器にエントラントのバッグ・・・・ってなればもーうスゴイ。で、今年は特に環境面を強化しろっていうので廃油処理までやってしまう焼却炉(これは佐伯さんが作った)で一晩中、火の世話と夜間のキャンプエリアの定時巡回も本部隊の任務で全く寝る時間なんてゼロ。 ところでこのETAP1、GARRRRの打田さんはSSスタート85kmの地点でマシントラブル。今年もオフィシャルと化してカミオンバレイに乗ってたらしい。「いやぁ勉強になった」とその1週間後にどこかのビバークで会った時に話してた。本当のオフィシャルの苦労を感じてくれたのだろう。来年の白いツナギを用意しておこうかしら。


2001/07/05 (木曜日) 

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さぁ出発。ガンバレ、第一本部隊! 1997年7月19日。 さぁ出発。 エントラントの最終チェックを行うホテル日航関空の仕事をアトに任せて1日早くウランバートルに向かった。これで、暫くの間暑い日本とサヨナラだわ。ところがゴビ砂漠の上空あたりで何か嫌な感じ。雲がとても厚いじゃないの。空港に降り立つと、もうすっかりモンゴルに同化してしまってる長期滞在組の篠崎さん・川野さんの姿。少し疲れた顔が現地での準備の大変さを物語ってるワ。お疲れサマー。 ところで、私は今回は第1本部隊々長。ちょっと自ら志願した節はあるのだが。今までは多くの競技運営スタッフに「完璧!」を求めてきた私は、実は自信があった。信念を持ち、よく話し、努力をすれば「完璧」は達成できる・・・・のである。私たち第1本部隊の受け持ちは、ETAP1 TSETSERLEG、ETAP3 BARUUNNTURUUN(DUNE BIVOUAC)、ETAP6 ULIASTAY(REST DAY)、ETAP8 JINSTの4箇所、計5泊分のビバーク設営なの。そしてMEMBERは私と山ちゃん(山崎サン)、菅野サン、松田クンと通訳ティンギスクンとトラックドライバーの#12ツォゴ、#13エマ、#14ダクとその助手の10人。通称「愛媛チーム」。ちなみに第2本部隊は川野隊長率いる「香川チーム」。「愛媛県の名誉の為に負けるワケにはイカン!!」との思いは1日目でもろくも崩れ去って行くことになろーとは。余談ですが・・・・太平洋戦争の時にいろいろな師団を出身県単位にしたのはすごく合理性があったんだろーね。方言がね・・・・。ちなみにモンゴルの若手通訳軍はみんな今や伊予弁「ホーよね〜!」なんて、おかしくて。変なコトバよね、伊予弁って。

ヤマダテツのモンゴル現地OVをお届けする予定ですが、本日は都合によりSSER PRESS Vol.38 から黒川吉美の苦悩のラリーレイドモンゴル1997の12日間大会本部の裏話をしちゃいましょうか。をおとどけしました。


2001/07/03 (火曜日) 

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僕はいろいろ考えた。ユーラシア大陸の標高1350mのモンゴル高原でだ。空は驚くばかりに青々として、空気は澄んでいて美しい。町の中はクルマで溢れ返ってはいるが、それも平気だ。民主化後の激しい混乱の中にエネルギーの溢れるのを感じるからだ。システムが安定していないが故の面白さは未だ活発である。中国の外相がやって来るってんで市内は例によって、中国の旗が翻っている。僕がイロイロと考えたのは、それらの事だ。ちょうどウランバートル市内の警察に行くと、前は北朝鮮大使館があり、ホテルの近くのアメリカ大使館には、たくさんのパラボラアンテナと、例の白い多角形のエシュロンのシステムを担うレーダーまである。国と国との間にあるものはナニなのか。正義とは秩序とかってなんだろうか、と考える全く。僕が子供の頃受けた教育では、台湾は中華民国で、中国は中華人民共和国と言ってた。間違えないように覚えなきゃ、と一生懸命だった。そのあとの学校教育では「あれは間違いでした」と聞いた覚えはない。別に中華民国が伴合されたとも政権変動があったとも聞いていない。全部が誰かの「都合」で決まってる。「誰か」とは「国家」である。国家とはなんだろうか。人は国家を選べないのだろうか。もちろん選べなくはないんだが。「国家とはナニか」といろんな人に聞いてみるんだけれど明快な答えを出してくれた人はいない。僕はだいぶん明快な答えに近づきつつあるんだけどね。草原のうえで国家を考える。

 


2001/07/02 (月曜日) 

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日本の夏はいかがですか。きっと酷暑なのでしょうね。こちらウランバートルは暑いのは暑いのですが、そこはドライエアで32℃ある今も汗をかく、なんてことはなくて快適です。まぁ冬の寒さと引き換えに手に入れている夏の快適なので、なにもうらやましがることはありません。1週間以上も費やした試走準備だったのですが、いよいよ本日遅くには出発します。モンゴルも急成長中で、政治体制も毎年のように変化しています。それに伴ってパートナーシップや許認可の問題が難しくて「一筋縄ではいかない」という部分も出てきます。
さてルートプランは、ほぼ出来上がっています。これから1ETAPを2日かけて、ラリースピードで走りながらコマ図を書いて行きます。運良く3日で2ETAPを終われる日もあれば1日に100kmも進まない日もある、といった具合です。そのうえ我々も「まだ行ったことのない所へ行ってみたい」という単純な思いが余計に時間をかけるものになってきます。昨日、前インフラ開発省大臣と話をしました。ナーダムの馬のレースに夢中で、政権交代で閣僚をはずれて「ヒマになったので好きな競馬に没頭できる」と喜んでいました。で、ウランバートルからパリまで馬のツアー(ラリーのようなもの)ができないかと考えていると、夢のような話をしていました。僕は「国家とか国境とかから解放されない限り、なかなか難しいだろうなぁ」と思いつつ、かつては馬に乗ってヨーロッパまで進出したモンゴル人のこと、「やるかもしれない」と思ったりしました。TVでは中国共産党のプロバガンダの映像、「これがスゴイ!」時代錯誤どころの問題ではない。毛沢東が、ケ小平が、江沢民が次々と出てきて、豊かで素晴らしい笑顔の若者達、軍隊の行進は自信と希望に満ちて、巨大ロケットが宇宙に打ち上げられて「輝かしき未来」を高らかに謳い上げている。これをニュースステーションで流してみたらどうかね。大戦後の東側のプロパガンダ映像のままだよ。これでは国境間の自由な往来は無さそうだね。モンゴルの遊牧民がうっかり国境を越えると何ヶ月も帰してもらえずに取調べられるんだって。国境なんてあとから出来たのに全く迷惑な話だと思う。明日はゴビ砂漠で「国家ってなんだろう」と考えてみたい。