Organisation Voice 2014/08

 

 


2014/08/27 (水曜日)

「レギュレーション考察」

今年のモンゴルのラリーが終わった。
さまざまな思いがよぎる。
そりゃあ、そうだ20年も(それまでは地の果てだと思ってた)モンゴルに通いに通ったのだ。
記憶を辿りながら
「何回、来たのかなあ。」
調べてみた。
どうも63か64回だ。

すごい。

SSER3DAYSは、30回大会。
1回大会の直前の試走中に日航機の事故があったなあ。
帰り道の食堂で、何人もの仲間と見て驚いたものだ。
それにしてもよく続いたものだ。
あまり変化のないレギュレーションと、変化のない環境で開催を続けてきた。

そう、レギュレーション。

そうそう、ボクはレギュレーションを振りかざして「ペナルティだ」「失格だ!」
と騒いでるという印象を持たれてるのだそうだ。

実は、そうだ。
特に今年のモンゴルは、その戦いに憑かれていた。
しかし、それは守らなければならない約束事だし、まあいいやってしてしまうならレギュレーションなんていらない。
ラリーモンゴリア2014、ある朝のブリーフィング
ボクはこう言い放った。

「わたしはこの競技をスポーツにしたいのだ。純粋なスポーツマンシップが闘いあう、スポーツにしたいんだ。早ければいい、なにをやっても良い、分からなければ良いなんて思う者は、ここに居てはならない。暴走大会にはしたくないのだ。」
と朝から、どうしたものかヒートしまくってた。

排除しても排除してもウンカのごとく現れる隠れサポート。未登録のメカニック。
ゴール地点を隠すということをしても、いつの間にかやってくる。
「何やってるんだ?」と聞くと
「通りがかりだ。見てるだけで何が悪い?」
「昨日も通りがかりか?」
「うるさい!」
こんなことを、誰にでもやらせるわけにはいかないが、競技者を失格にするとレギュレーションには書いている。
その対象者を失格にしないなら、すでにそのレギュレーションは存在しないものになる。

しかしこのレギュレーションというものは
なにも参加者にのみ突きつけられた課題ではない。

時に主催者はそれに苦しめられる。
つまりレギュレーションとは両者に課せられた、重たい約束事だ。

だってそうだろう?
レギュレーションには〇月〇日〇時に、どこそこで受け付け車検をする!と書いたら、なにがあっても、そうしないといけない。
「忘れてた」とか「都合で・・」とかってわけにはいかない。
ここには給油が用意してあると書けば、どんなに苦労しても砂漠を渡って数千キロgのガソリンや軽油を運ばないといけない。

そんな約束事は、参加者よりも実は主催者のほうが多い。それも守るのが厳しい約束事の多くは主催者側にある。
レギュレーションというバレーボールのネットのようなもので対峙してる2チームの片方が主宰者で、もう片方が参加者かも知れないと思うときもある。

レギュレーションは主催者の都合で作られている!?
そんなことはない。
とにかく多角的に検討を重ねて、競技としての存立性と安全性とを、付け加えれば「楽しさ」を加味して、吟味して練って練って、そして不要な字句をそぎ落として作ってる。

さて。
つづきはまた。


2014/08/25 (月曜日)

 

「モンゴルより帰還。」

旅立てば帰る日も来るもので、まだ夏の盛りに向かう前の日本を飛び立ち快適な気温のウランバートルでラリーの準備をしていました。これまでは困難だった輸送も税関の問題は、カルネやおそらく日本モンゴル間のEPAの連携などの話が進んでいるからか、全く問題なく、あっけないほどにスムース!帰り便も今日の時点ですでにウランバートルを出発してるようで、過去最速の帰国便が実現するかもです。いや、かもです、あくまで。

こうして毎年毎年事情が変化するというのは、国際政治がごく普通に影響しているのです。普通に日本で暮らしているだけならわかりにくいのですが、この20年間の北東アジア情勢は、特に複雑怪奇で単なるラリーのオーガナイザーなどよるすべのない頼りない存在だったことでしょうね。しかし時代の変遷を油断できないものになってしまったとだけ見るのもつまらないではないか。

変化に乗るか?忌避するか?いわゆる
「のるかそるか」の判断は、それぞれに委ねられます。

変化を困難とみるか?変化を迎え入れるかで人のありようも様変わりします。
なににしても、変化の多い現代で21年目を迎えるラリーモンゴリアを、どのように組み立てていくか?またまた長考に入らざるを得ません。

まるでテネレ沙漠のようなハイスピードピスト、そうあの当時そこはテネレハイウェイと呼ばれていました。
そして20年も前にゴビのハイスピードをバイクで走った時に、そのテネレの思いが鮮明に。で、その時思わず「ゴビ、ハイウェイ?」と言った言葉が今日まで生きているというわけです。
いずれにしても間もなく早い冬が、草原を閉ざしてしまうことでしょう。
そしてまたまた新しい課題に向き合おうと考えています。


2014/08/07 (木曜日)

 

「”♪闇をぬけ、朝日に向え♪、おれの相棒アイアンホース!”はもう聞かれない。」

1985年から続く名曲「SSER!」キック一発で♪・・・
この曲はどれほど、長い時間をライダーたちに親しまれたろう。スタートの電子音のカウントダウンとともにかかるこの曲のイントロ。
ブリーフィングなどのスケジュールが始まる前に流れる、フルコーラス。
「今年も会えたねあなたの笑顔・・・」
80年代のテイストというか空気に包まれた優しさ。

ということで、SSERの原点ともいえる久万高原でのShikoku Super Enduro Rallyが最終回を迎える。

もう、あの曲は聞かれない!のなら、大会の前夜祭ではなく途中夜祭・・・
つまり1ステが終わった夜にやりますか!?
そういえば霧島4000の閉会式でも、聞けましたねえ。。
シミジミ・・・・

この秋で、ひとつの時代が終わります。
毎回、収容人員と集計と渋滞とで悩みに悩んでた80年代末から90年代初頭。。。
パリダカと、TBIとSSERで1年間は瞬く間に過ぎて行った日々。
そして、モンゴル。途中では肥大化に伴いグループNやスーパーNと呼ぶ大会も開催していました。

そして、迎えた30年。
本当に長い間、皆さんに支えられ親しまれ、また地域の方々にも深いご理解を頂き開催を重ねてきました。

この秋は、久しぶりのその曲をおなかいっぱい聞く事にしますね。

[3DAYS CLASSICS HP]