Organisation Voice 2012/02

 

 

 
2012/01/31 (火曜日)

「SL、最後の楽園だって。」

まあボクはテッチャンだけど、いわゆるテッチャンではない。でも中国の奥地で沢山のSLを見かけては興奮した記憶はある。なぜ、あの煙を吐く鉄の塊に興奮するのかは理解に苦しむが・・・

どうも中国でもすでにSLは退役してしまっているようだが、新疆ウイグルのハミの70kmにある広大な露天掘りの炭鉱で中国最後の(つまり世界最後の)SLたちが働いているのだそうな。まあ露天掘りの石炭を運ぶという役割だ。

この記事を見ながら考えた。
燃料は、その燃料を運んで最終製品になるまで燃料が必要だ。よく言われることだけど、果たして太陽電池のパネルは大量の電気が無くては生産できないとか。アルミニウムなんて電気の塊だとか。

タクラマカンにある彷徨える湖ロプノールは、1970年代に最後の水が確認されて以降というもの、水は無くなり巨大な塩の大地になっている。ここの塩はこののち数百年の間の全中国の塩が供給できるほどあるのだ、というからまあすごい量だ。

2007年には無人の広大な塩原だった。ところが2008年にはそこに2基の大型の発電施設(おそらく火力だと思うのだが。。。)水は無い場所だ。しかしロプノールの核実験場跡地付近ではある。周囲数百キロに集落は無い。

「なにをしているのか?」
ボクの勘では、リチウムだろうと思った。

そもそも電気自動車になったり燃料電池になったって、蓄電に必要なリチウムは必要で戦略物資でもあるのだ。

いかに石油から自由になっても、次は中国から石油に代わるリチウムを入手しないといけないのかもしれない。まあ現実にボリビアのウユニ塩湖が世界最大の埋蔵量といわれているが、供給に関しては中国が世界一だ。

日本はここで、やっぱり海水からリチウムを生産する技術開発に精力を傾けてはいかがかと、そう思う。

きょうの一枚

今度見に行ってみようかな?ハミの郊外にあるSLの最後の楽園。

2012/01/30 (月曜日)

「モータースポーツも30年後には・・」

無くなるのではないか!と書くだろうと思ったあなた「ブッブー」ボクの予言では30年後は国民的スポーツになっている!というものでした。

と言うのは登山。

ボクタチの子供のころ登山は空前のブーム。まあ未踏峰や未踏攀壁が残されていたのでした。ボクタチが上るようになった頃には「重箱の隅を」と自分たちで自分たちを卑下するような有様で、壁のルート開拓や、冬季の未登攀ルートを漁っている状態でした。

そのあと急速に山から人が姿を消します。あのハードでリスクの高い行為は批判され、
ボクタチも「なにをやっているんだ。」と言われるようになります。

その後、長い間。。。山には静寂が訪れていたものでした。そして近年は急速な中高年登山ブーム、
それに続いてさまざまな若い人々がさまざまなアプローチで山に入るようになりました。

そして日曜日にテレビを見ていて驚いたのは、グレートサミットとかNHKのエベ
レスト挑戦もそうなのですが、お笑いタレントが4度の山の経験のみでアコンカ
グアに挑むと言うゴールデンタイムの企画です。
「・・・・・」
あの眉毛の濃い変な女の子。
「山へのアプローチも、変わったものだ。」
なんて思うボクは古い人間でしょうか。
しかしこうして長い閑居を経て、山は再び脚光を浴び始めました。
となればモータースポーツだって。。。
と思うボクは。。。

きょうの一枚

ボクの当時の登山用具などが展示されている我が社の奥の部屋。現在は公開されていませんが。


2012/01/27 (金曜日)

「TDRって。」

TDRって、コンセプトはこれまでのSSER ORGANISATIONには無いものでした。どちらかといえば我々はストイックで、精神性を重視しまるで修行僧のよう、と言われて「さもありなん」と思い。厳冬の北壁に挑むような態度と姿勢を美しい!と思うような有様ではありました。

しかし考えてみれば厳冬の北壁に行こうとも、故郷の低山の山歩きも実に魅力的で、むしろ色彩に富み喜びに彩られている事がわかります。

もうすぐ菜の花が咲き始めるでしょう、山には蕗の薹が雪の間から顔をのぞかせ、繰り返す命の息吹に、豊かな人生を重ねあわすことが出来ます。

同じように過酷な旅とて、8000mの高峰への挑戦とて、海外のラリーへの挑戦も実は裏山のトレイルから続いていることがわかります。

まだ浅い春の日の山道が、どれほどの魅力的に輝くかは、その人の感性とこれまでの生き様にあるのではないかと思います。

そんな思いで、このTDRへ。
ぜひ参加してみてください。

きょうの一枚

とって置きのカレンダーは、まだ少し貰い手を待っています。1月末までにお申し込みいただいた方のみ、ということのようですよ。

 
2012/01/26 (木曜日)

「コミュニティデザイン」

どうやら日本の貿易収支が赤字になったらしいですね。赤字はいけません。何事においても。オタクはいかがですか?まあ今や日本の企業の80%は赤字!というわけですから、赤字がダメ!というだけでは理解不能に陥りますよね。

まあ日本の貿易収支の赤字転落は31年ぶりだとか。それでも31年も黒字を続けていたのは偉いなあ・・・と。

日本は原材料を安く仕入れて加工して、付加価値(と思ってる)をつけた製品をまあ高く輸出する、とそれがいまの日本経済の基盤だと教えられてきました。もちろん2011は、震災の影響も大きかったでしょうし、円高もマイナス要因です。原発の停止による火力発電用の天然ガスの需要も膨らんだといいます。

きっと悲観論もかまびすしいでしょう。これだけ減速した日本経済にとっては、それを再確認させるようなニュースと取った向きも少なくは無いはずです。「ああ、もうこれで終わりだ。」「きっと単年度ではなく、しばらく続くのだ。」そういう悲観論がステキです。

でもまあ考えても見てください。そんなこと、何もたいした話ではありません。
S&Pの格付けみたいなものです。そうした指標は現実的にビジネスを展開していない人たちがいじくっいてるだけの事です。そもそも企業の多くは海外に生産拠点を移し、そこで生産したものを日本はじめ世界に売っているのが現実ですから、驚くほうがどうかしています。日本は、という立位置でものを見ては見誤ってしまう時代なのですね。

85年のプラザ合意で360円/$が一気に円高が進んだ!のでも黒字!自動車の日米貿易摩擦で橋本龍太郎が、竹刀を自分の喉もとに当てておどけてみせたのも・・まあ黒字は止め処なく続くのでありますな。いやあ、よき時代でしたなあ。

いまはもうあの頃からは未来!輝ける21世紀2012年。人々の暮らしも考え方も国のありようでさえ大きく変わり、買い物のために人ごみのアウトレットモールは、もうどうなったかは知りませんが、多くはネットに移りつつあります。木更津にも大きいのが出来るそうじゃないですか。。。

しかしまあ店舗を持たないという事によるアドバンテージは小さくなく、2010年には電子商取引の額は7.7兆円を超えました。(経産省統計)店舗は商品を確かめたりサイズを合わせる場所になってしまって来ました。お店で買い物していても「ああ、これ良いね。ネットで探せばもっと安いよね。」と、あなたもきっと数日の間に呟いた事はありませんか。
ただでさえコストのかかる店舗運営。なのにみんなときたら。。。

さてタイトルに掲げた「コミュニティ」とは、ネットコミュニティのお話と間違えられてしまいかねません。

そこでボクの持論のコミュニティデザインを!と思ったら、あまりに長いのでまたの機会に。おしまい。

きょうの一枚

壁紙復活プロジェクト進行中。。沢山の写真をこれからもどんどん公開していきたいなあと思っております。[壁紙コーナーはこちら] 


2012/01/25 (水曜日)

「TDRをよろしくね。」

3月にTDR!?と聞いたときに少しボクもたじろぎました。しかも京都から日本海へと言うではありませんか。

昨年3月10日には、ボクはその辺りに居ました。雪の多い年だったのは間違いありませんが、残雪というにはあまりに多い雪量で、琵琶湖の北の林道は封鎖されてるし、京都から伸びるサバ街道は真冬の風景でした。いやそれでも早春の風景は、なかなかに興趣を呼びました。

鯖寿司を買おう、と思いながら買いそびれて、気が付いたらもう琵琶湖畔の宿に着いていました。
翌日は琵琶湖の畔で東日本大震災のニュースを聞いて、あわてて四国にトンボ返しに帰ったことが、あまりにも鮮明にまるで数日前のことのようです。

そんな?京都の北にチャレンジするのですねえ。
ということでTDR2012は、スタート!!宿泊地は温泉。。。初めてのラリーに家族で参加!してみてください。菅原さんたちもお越しいただきます。

さて、そこでこのTDRのスポンサーより、ステキなカレンダーを(って制作はSSERですから、モンゴルの激しいやつ)プレゼント!!ポロシャツをセットで!でもその特典は1月末までの早期エントリー!だそうですよ。

今年は全イベントが快晴の予定のSSER。まずはTDRで占ってみてくださいな。

きょうの一枚

これがカレンダーの7/8月、11/12月!かなり人気のようですよ。部数はちょっとしかないのですよ。

 
2012/01/24 (火曜日)

「雪が積もると、ライフワークについて考える。」

雪が積もると土門拳の古寺巡礼にある室生寺雪の鎧坂金堂の写真がすぐに頭をよぎる。70年代半ば、ボクは京都のあるお寺で雪の中で撮影をしていた老カメラマンに出会った。出会ったというのは正しくなくて、ボクは遠くから車椅子に座って古刹を眺めていた老人を眺めていただけだ。数人の助手たちがいて甲斐甲斐しく動いていたのできっと、かなりの人物だろうと言うことは推測できた。

そのあと土門拳の「古寺巡礼」という、膨大な解説文の素晴らしい写真集を見つた。恐ろしく高かったので、そのころは買えなかったが、いつの間にかボクの家にはその写真集があった。父が買ったのだろう。

土門拳という、名前も質実なカメラマンに、見かけたという思いもあって急に心惹かれていった。
それ以来、その京都の古刹で雪の中にいた老人こそは土門だったのだと思い込むようになった。合っているかもしれないけど間違っているかもしれない。
でもそれでいいのだと思うことにした。

それはその寺を取った写真を探したが、雪の中のその寺のものは見つからなかったからだ。しかしそのころのボクが興味を持った土門拳は知れば知るほどに、あまりにも魅力的な人物だった。

そして不自由な体を押して撮り書いたその膨大な量の、写真集というよりも祈りの書のようなものに、人間の恐るべきパワーとライフワークという言葉を身に沁みて感じるようになった。

そのころから「ライフワーク」という未知なる領域のコトバの具体を求めて歩き始めたような気がする。
そして雪が積もると、必ずあの情景を思い出し、必ず自身のライフワークは健全か?好奇心はなくなっていないか?」と自問し、少し焦る。

話は変わるが、菅原義正さん。
ボクが彼の事務所をはじめて訪ねたのは1987年の春だったから、やはり4半世紀のお付き合いをいただいている。ボクが32歳で菅原さんはまだヤンチャ盛りの?47歳くらいだったろうか。。

ここでもボクは人のライフワークを現実に見てゆくことになる。パリダカはちょうど翌年が10回大会だから、このあと20数年間の菅原さんの挑戦を見てきたことになる。何度かは同行し、パリ北京のときは、ほんとうに二人でなんだかんだと言いながら楽しいラリーの日々を過した。

人生は過酷だと思う。それは、思いの醸成と体力の低下の反比例による。
それでも、ライフワークがあるからこそ、豊かな人生だと感じられることもある。

とまれ菅原さんの30年に、心から祝福を送ろう。

きょうの一枚

ラリーモンゴリア2011 ETAP7、草付きのデューンの頂上でルートを読む菅原さんジムニー。


2012/01/20 (金曜日)

「時間、普遍的なボクのテーマ」

「時間」とWikipediaを引いてみると、あまりものボリウムで書き込まれているのにびっくりする。誰が書いたかは知る由もないが、哲学者かもしれない。

冒頭はこうだ。「時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった理解のしかたがある。」

古代宗教別の時間の概念などにも言及している。

自然の時間と人間の健康なんて見出しもある。
こんな中身だ。

「(略)人間は普段意識している《時間の長さ》の心理的な影響を受けることが知られている。また聞かされる音(環境音)の周期・リズムから心理的・生理的に影響を受けることも多くの実験で明らかになっている。さらに自分自身のその時々の脈拍をリアルタイムで聞いていると心地よい(心地よく感じていることを示す脳波が多く出る)ことも実験によってわかっている。もしも仮に秒の長さが現在の設定よりもいくらか長く設定されていて、人間の脈拍よりも十分に長くなっていたなら、秒針の音は人をもっとゆったりとリラックスさせるものになっただろう、と指摘されることがある。

現代生活の人工的で短かすぎる時間による過剰なストレスに苦しめられている人は、自然の時間で生きる生活を送ると(たとえば人工的な時間を表示する時計類は身体から離して一切眼に入らぬようにし、自然の中で暮らし、夜は照明を用いず日没後すみやかに眠るようにし、日の出にあわせて起床し太陽光を浴びるようにすると)、やがてストレスから解放され治癒される傾向がある、ということが知られている。」

時間の向き 、なんていう項目も「時間は未来から過去へ流れている、とする時間観」として興味深い。

ユダヤ・キリスト教的な時間観の枠内だけで育った人には意外に思えるかも知れないが、その枠をとりはらって少し考えてみてみると分かるようになるという。以下のように解説されている。

現在は一瞬で過去になります。今、現在だったことはちょっと前の未来です。今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在が過去になるのです。当たり前のことですよね。現在の行為が過去になるのです。つまり現在の結果が過去です。あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやってきては、過去へ消えていっているわけです。

一方で、過去から未来へと流れているとする時間観(一神教的な時間観)の記述も当然でしょう。

西欧人はキリスト教的な世界観・時間観にどっぷりと漬かって生きていることもあり、時間の流れに関しては固定観念を抱いていることが多い。たとえば“誰もが時間は一方向にしか流れないことに気づいている”などと、(学問的に見て明らかに不正確なことが)西欧では主張されることがある。

とまあ読み進んでいくうちに、だんだん訳がわからなくなりますが、時間をかけて?深く読んでいくと、こうしたもの(Wikipediaね)からも、得るべきものが小さくないことに感動します。

「時間」当たり前の概念も、実は切り刻んでみると、いかにわれわれの日々の中で本当に大切なものかがわかります。

最近時間が立つのが早くなった、とか「もう金曜日、もう週末」とお嘆きのあなた。子供のころのように、待ち遠しい週末になるにはどうしたら良いかの様なヒントが隠されているかもしれません。

きょうの一枚

映画「TIME」

チェック:テクノロジーの発展によって老化を克服し裕福な者は永遠に生きられる一方、貧しい者は寿命のために働き続けなければならない近未来を舞台にしたアクション・サスペンス。監督は『ガタカ』のアンドリュー・ニコルが務め、斬新な発想で時間に支配された究極の格差社会を描き出す。主演は、『ソーシャル・ネットワーク』のジャスティン・ティンバーレイク。共演には『マンマ・ミーア!』のアマンダ・セイフライド、『ダークナイト』のキリアン・マーフィら多彩な顔ぶれがそろう。

ストーリー:科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。貧しい青年のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまい……。

まあ先にご紹介した「男と女」と「男と女2」も20年という時間をテーマにしていたのですね。


2012/01/19 (木曜日)

「晴れれば春の兆し、降れば陰鬱な冬・・・に思う」

人の気持ちは、本当に不思議です。昨日は良く晴れていて実に気持ち良く、石鎚山の姿も見えて、少し歩けばそこここに春の兆しが。会議をしても何か楽しい感じ。バイクもエンジンをかけてみたりして、時間があれば走り出したかもしれません。

でも今日は一転、陰鬱な鈍色の空、雨、何もかもが嫌になってしまいそうな気配が漂います。会議でもしたら後ろ向きな発言しか出ません。

そうですその「後ろ向きな発言」ほど、立派に聞こえるものはないのです。学者なぞはこぞってネガティヴな発言をするもの。つまりネガティヴな発言は頭が良さそうでかつ良く勉強しているように思えます。一方で「やろうやろう」と盛り立てる係りは、どこか思慮に欠け、物事の道理が見えていないようにも思えます。そうあの花の応援団みたいなものです。

こうした賢人ぶった学者的な思考がいまの日本を覆いつくしてしまい、挙句はコンプライアンス型不況を生んだ構造の本質です。

「そんなことをして、失敗したらどうする!?」「誰が責任を取るのだ。」まあそんなことばかり唱えているうちに、何もしないで座して衰弱を待つのみ、という弱い体質になってしまいましたね。そして世の中はすべて「存続の危機」「絶滅の危惧」のオンパレードなわけです。

そして「それは、誰の責任か?」ということが問われています。最近流行の「国の責任」とはいったいなんでしょう。実は「国の責任」といった時点で、全国民の責任ということに置き換えられてしまっています。決して官僚や国政にあるものが「国」ではないのは事実出し仕方の無いことです。これは国の責任で1000億円の弁償します。といえば、ボクもあなたもまあ1000円は出さないといけないということになるわけです。

それを象徴するのは「いま崖っぷちに立たされているのは民主党ではなく日本であり国民なのです。」という首相の発言。それがジョークなのかアジテーションなのか、ひょっとしたら何も解かっていなかったのか・・・と、そういうことを考えさせられます。

まあ、せめて明るく温かな陽の光が降り注ぐ春を待ちわびることにしますか。

きょうの一枚

毅然とあること、孤高であること、変わらないこと。

2012/01/17 (火曜日)

「人はなぜ、山に登るのか」

誰だか知らないけど、ヒラリー卿に尋ねた言葉だ。たぶんイギリスの新聞社あたりの記者かもしれない。

「実にくだらない質問だ。」ということは解っているが、この哲学的な問いは、比喩され多くのヴァリエーションを伴って、いまも行為の根源的な動機を明確に 出来るかできないかということに作用しているように思う。

「どうして、こんなことしたの。」

小さいときに母親か誰かにそう言われて答えに窮したことは無いか。心の底からにじみ出る不可思議な挑戦という冒険的な行為は、ボクタチ現代人が、 サバイバルを生き抜いてきた500万年も続く人間の遺伝子の記憶なのではないかとも思う。

きょうの一枚

今日の一枚は、事務所から見た今日の石鎚山。この厳冬の山は、また魅力的でもある。おそらく山頂付近は夜来の雪でエビのシッポに太陽の光が輝いているだろう。夕陽の時間はなおさらだ。

見える北壁は、アイゼンの歯も立たないくらいに凍り付いているだろうか。子供のころから通った石鎚山は、今も見上げるとすぐ目の前に聳える。特にうちの事務所から見る形が良い。

南尖峰からズバッと切れ落ちた姿はなかなかのものだ。今年は何度か石鎚に行かなければならないだろう。

新しい試みと「なぜ。。。」と問うような、そんなことを始めるのだ。


2012/01/16 (月曜日)

「ダカール、ゴール。」

1979年にスタートした、ダカール、一度の直前の中止を含む34回の開催を無事に終えた。そして今回は初めてのゴール地ペルーの首都リマ。新しい地をゴールにするのは難しいが心踊ることだったろうと思う。いまや1000万人に近い人口を持つリマは、熱気を帯び歓喜の渦に市民も参加者も盛り上がってることだろう。スパニッシュコロニアルの、美しい建物やライティングがおそらく参加者たちの心を高揚させ浮揚させているに違いあるまい。こうしたラリーのゴールにはそうしたファクターも必要である。そういう意味でも南米はまた魅力的な土地といえる。

そして、こうしたクロスカントリーラリーの最大の魅力のひとつは未知の大陸、未知の文化への接触だということに、いまさら気づかされる。そういう意味でも南米開催の意義も小さくは無く、それを上手く演出しまた模索し続けた主催者に敬意を表さなければならないと思う。

ともすれば統制が利かなくなるほど規模が拡大し、さまざまなパートに分かれて事業が進んで行く。運営組織のありようも想像がつかないほど。しかしまあ中心となるのは競技だ。競い合うということは膨大な熱量を生む。参加者に厳しい条件を突きつけるほどに主催者は困難を身に纏う。
苦しいステージで最も苦しむのは、実は主催者なのだ。

ところで西アフリカはどうなのか。
いまや、最近情報が少なくなった。ニジェールやマリは、どうなったのだろう。

地球上で国境を越えるこのようなイベントが続くこともまた奇跡的なことではあるまいかと思う。

きょうの一枚

パリ・ダカールから。


2012/01/13 (金曜日)

「 ↑ 」

タクラマカンへのお誘い。
西安-パリ、北京-ローマ、レイドトレックチョモランマと続いてきたSSERの、レイドアドベンチャーのシリーズ。今年は、昨年急遽延期をせざるを得なかったタクラマカンへ行く。

長い休み。案外かかる費用とハードルは低くないが、自分のマシンを持ち込めるという魅力は大きい。そして、敦煌がベースキャンプとなりスタート前に1泊、ゴールも敦煌でゴール後1泊。だから、ちょっと自由な時間も少なくはない。

途中のレストディはトルファンだけだが、どの行程も昼過ぎには到着するような設定(途中でマシントラブルなど無ければね)そして、今回はチョモランマのように大型カミオンがスィーパーにつく。

チョモランマで苦しめられた高山病も心配ない程度だし、愉快な仲間で楽しく走る、そんな旅に出かけようと思う。

上のサイトから情報を見てみて資料請求を下さいな。

「上のサイト」タクラマカン2012サイトはこちら

きょうの一枚

おーい、トルファンにおいでー。


2012/01/12 (木曜日)

「存続の危機」

平家物語や方丈記を持ち出すまでもなく、諸行は無常であり同じものがあり続けることはない。内はないのだが、ボクはどうもここのところ、特にサスティナブルだとか持続可能な社会だとか言い出したころから「存続の危機の時代」が本格的に到来していたことを、たくさんこのOVにも書き散らした気がする。

事務所を出て市内に向かう道すがら、中央商店街の中を歩きながら、昔よく行った飲み屋を訪ねながら、感じるのは皆さんも同じ。

やっとなじみの店に行くと1月いっぱいで閉めるとか、かかってくる電話は「工場閉めるので、もう仕事が出来ません。」とか、あまたの組織もお店も会社も行政機関も。または病院も、ありとあらゆるものが「存続の危機」にさらされている。

難しい仕事は出来ないとか、リスクがあるとか、採算が取れないからとか、止めるための理由ばかり探していると思う。

「では、止めたいのか?」
と聞くと
「そうではない」と言う。

つまりリスクがなくて、簡単で人手が要らなくて沢山儲かる仕事以外は出来ないというのだ。
いつから日本人は、こんなに腰抜けになったのだろうか。
本当にそう思う。

難しいことや困難なこと、大きなリスクが伴うこと、そういうものに挑んで築いてきたのが日本の経済だったとボクは思う。

「昔は良かった。」
それは体が自由で朝まで仕事が出来たから、ということ意外ではそう良かったことなんて実はなかったろうと思う。
在るとすれば「多くのことがチエックが甘くて、割と許されて、案外儲けさせてもらった。」ということならお門違いだ。

「存続の危機」VS「持続可能な社会の実現」とは、なにも相対することではないと思う。持続可能な社会は、さまざまなものが無くなっても再び生まれることの出来る環境があるか否かだと思う。

いやしかし地球のリサイクルで、失ったと思うものも再び再生することもあると思う。今存続の危機に瀕しているのは、割と甘く、割とおいしかったものが無くなっているという事だろうと思う。

きょうの一枚

平家納経。。。
それにしても平家物語が、心にしみますね。


2012/01/10 (火曜日)

「時間は加速する。」

まるで1月は、時間が渦を巻いて過ぎ去っていく。
これをなぜかと考えたら、やはり相対性理論かもしれない。
そもそも1月は「今年はこれをやるぞ。」「年が明けたら立ち上げるぞ。」「とにかく1年のために1月は頑張るぞ。」という勤勉な日本人の持つ「やる気」が、空回りするからに他ならない。それは、あまりにも多い休日などで。。。気がつけば「あっ」という間に過ぎ去り日々、と相成るわけだ。

2月はその反省から余計にあせり、3月になるともう南の島からのバカンス帰りの飛行機のようにあっという間に時間が過ぎる。

考えてみれば、楽しいところへいくときは行く道中は長く、帰り道は短く感じるのも同じようなものだ。

それに1月は「ダカール」のニュースが追い討ちをかけるのが良くない。気がつけばゴール(まだしてないけど・・)気がつけばもう彼らは帰国している。という按配。

とまれダカールはみな健闘中。寺田君の転倒リタイヤは残念だったけどプッシュすればそんなこともある。次へのバネにしてもらいたいものだ。

ということで、時間の消費は「心次第」だと言うことがわかった。

ラリーでもそうだろう。追いかけるときは時間が足りない。しかしその時間でも逃げるときには、とんでもなくたくさんの時間に感じる。

昨日の高校サッカーの決勝も、後半の時間の流れは四日市工業の応援席と市立船橋の応援席では全く違ったものだったろうと思う。

そこでボクはこの心の流れを利用した新しいビジネスモデルを立ち上げることにした。(ゴゾゴゾ、、胸のポケットを探る音)チャラララーーン。時間銀行!!ボクは初代頭取。あなたのいやな気の遠くなるような時間を当行にお預けいただきますと、3年で1%の利息が付いて海外旅行などに行くときにご利用いただけま
す。

また時間が足りないときはお安くお貸しいたします。
そうだ、そんな映画があるぞ。
てなことにはならないだろうなあ。
ドラエモン誕生まであと100年。

きょうの一枚

映画「TIME]

21世紀末、人口増加を抑制するため人類は遺伝子操作により26歳以後は時間を買わなければ生き続けられない社会が舞台。金持ちは悠然と生き、貧しき者は奴隷 の如く働き続けなければ若くして絶命する。時間格差社会で起こる出来事を描いた近未来アクション・サスペンス。だそう。つまり「時は金なり」ということだ が、まあ大なり小なりそうなってしまいつつある。だからボクはそれを止めたい。[予告編はこちら]

2012/01/05 (木曜日)

「年頭所感」

ってタイトルは大層なことだが、まあ正月のあいだ考えたボクの思いの一端をぶちまけようと言うことだ。

政治が悪い、ユーロ危機、アメリカがどーの。
もうね、自分で考えて自分でやるしかない。
ボクはやる。(ことにした)
今年から。
いや、今までもやらなかったわけではないだが、やり方を変えようと思う。

なんかアメリカ大統領選の共和党候補者選びでロン・ポール候補が在外駐留米軍の全撤退を公約にした。
「自国のことを考えろ」
と言い放つ。

何かこの一言で、ボクも目が覚めた感じがした。
彼が大統領になるとかならないとかではなくて、日本も真の独立を成し遂げるときが近づいてきていると言うことを示唆しているのだ。

普天間問題など、両国の間に刺さった魚の小骨ほどのこともなくなる。
その時には、いまさら基地がなくなったら困る、なんて論調は止めよう。
しかしそのとき、日本は、なにをどう考えるのか。
どんな思考回路が残されるのか。
「そんな事態にはならないはず」
と考える向きも多いかもしれない、まだ。

いやボクがやるとか、やらないとか言っているのはこんな話ではなく、景気が悪いとか政治が悪いとか、今やっても無駄だとか・・・出来ない理由ばかり、他者の責任のように片付けてきたことばかり。それを止めることにしたということだ。
やるのは、これまで以上のチャレンジ。
やらなければ、何も得られない。
やらなければ、たとえば失敗も得られないし、失敗しないことを望んで座していれたのはもう公務員だけだ。

その公務員がどーの、とか言うのも止めよう。彼らにもその時期が迫っているわけで自ら変えられないのなら、座して枯渇を待つのみだ気がつき始めている。

ボクはやる。今年は、全く新しい課題に向けて新しい一歩を踏み出す。

きょうの一枚

目的地は遠いほうが良い。はるかな距離を時間で埋めることが旅なのだと思う。パリまで4500kmもあるし、中国・広州だろうかGuangzhouからは5367kmもやって来た。人生もまあ、このようなものだ。政治なんて道路で良い。良い道路でも悪い道路でも、良く走るバイクがあればどちらでも良いことだ。旅は、目的地までが旅ではないと思う。目的地の積み重ねが旅で、それが人生だと思う。


2012/01/01 (日曜日)

「謹賀新年」

いよいよ2012年。迎えました新しい本年こそは「希望」に満ちた輝かしいものでありますよう。

それにしても2011年は、あまりにも多くの胸を塞ぐ出来事が起きました。列挙するのもはばかられます。

さて2012年、わたしたちSSERも、皆様と同じくふたたび、「希望」に満ちた新しい年を歩み始めます。その「希望」とは見失いそうになる「夢」の具体です。

いまだ弛まず抱き続ける遠く未知なる大地への憧憬、砂漠や広大なる草原の連なるユーラシアに、大いなる冒険の轍を残す。そんなささやかで、しかし偉大な夢です。それを実現することもまた日々にある冒険です。たとえば、まず健康であること、家族や仕事など周囲が安定していることも必須。それらを実現する道筋こそ困難に満ちていると言えます。また国際情勢の機微も大切な観点です。ひとくちに冒険の旅と言いますが、その実現には真に自身のありようと社会性まで問われるのです。ラリーモンゴリアやタクラマカンはもちろん、本年も皆様方の大いなるご指導を頂きたゆまぬ歩みを記してまいります。

どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

2012年元旦

SSER ORGANISATION
山田徹