Organisation Voice 2012/08

 

 

2012/08/27 (月曜日)

「さて、後半戦のお話など。」

先に前半戦のてんやわんや記を書きましたのでその続きです。

ボクは八甲田山の例の「天はわれを見放したか。。」という気分を噛みしめていました。この1年半のSSERの雨の軌跡を考えるに、やはり「天は・・・」の気分です。どうしてここまで雨に祟られるのでしょうか。

ともかくエタップ4です。朝のビバークから見下ろすオログ湖は1日の晴天でみるみる水位を下げてしまい、ほんとうに奇跡を目の当たりにするような、そんな気分です。ただ蒸発というだけでは理解不能な減少。この湖から流れ出す川は1本もなく、水はどこへ消えるのでしょう。

この日のステージには、3つのCPと1個のRCPを用意しました。ルートの安全確保に重きを置いた結果ですが。CP3はヘリで人員を下すという作戦。こうした展開に厚みを持たせられるのも、翌日が休息日だからです。ボクの不安は、それでも拭いきれません。そして1件の事故が起きました。ネックブレイスが割れたものの、さすがに脊椎損傷はまぬかれたという報告。この近年世に出たプロテクターに感謝するとともに、なぜもう数年か早く開発されなかったかという思いにいつも締め付けられます。この近くのバロンバヤンウランで起きた事故も、そして今年10年を迎えた事故などが脳裏を去来します。

それでも
「不幸中の幸い」
を胸にラリーは先に進みます。

そして不安だった初めてのルートエタップ4。無数の大小のドライレイクの横断。とりあえず前走からはすべて通れたとの報告はあったのですが。。
思いがけずこのエタップ、ほとんどの選手が明るいうちにゴールするという、まあホッとしたのが正直なところです。みんな「世界珍百景」は見られなかったというナビの複雑さではありましたが。

そしてまたまた休息日。南ゴビは良く晴れて暑いので「水」が足りません。密かに買い出しチームを派遣。なんとヘリでものすごい莫大な油を使ってミネラルウォーターを確保するという作戦。今年の夏の熱中症報道がボクのリスクマネジメント心をかきむしります。

そして休息日明けのエタップ6は恐竜の谷へカメラチームとM2チームを先行させます。これはヘリで回収。CP2からはスタッフ1名が体調不良を訴えているのでヘリはそちらへ急行。すぐさま交替要員を下して体調不良者を回収。ヘリ内で数本の点滴でずいぶん回復。ビバークの本部にベッドを作って入院生活!!

役員もやはりリスクの高い仕事をしています。大会本部のバックアップあればこそ危険な活動に躊躇なく就けるというものなのです。

ああ今回も長文になってしまったので、後篇はさらに後編の前編と後編という形にします。

 
2012/08/21 (火曜日)

「困難を道しるべに・・・」

FA-coat Rally Mongolia 2012、終了いたしました。ご支援を賜りました各位に心より御礼を申し上げます。

1995年よりはじまったこのクロスカントリーラリーも、おおかた20年の歳月を重ねてきました。様々な時代の変化、なにより世紀も変わりました。また発展著しいモンゴルを定点観測をしているような感じさえします。発展は時に様々なゆがみを生みます。実はそれもまた魅力でもあります。

今大会は練りに練った屈指の難コースを組み合わせた、3600km超のタフなものでした。毎日500kmを超えるSSの連続は、圧巻!のはずでした。。。

ところが60年ぶりの雨がモンゴル全土を水浸しにしてしまいました。
1日目は3000mのスガワラ峠越えのステージをさらに難易度を高めハンガイの懐深く入り込むもの。試走隊も積雪でピストが見えないばかりか、思いがけない寒さに震えながら、それでもあまりもの美しさに息を呑みながらの日々でした。本番では雪と雨は峠を越えるルートを登坂不能なものに変えてしまい、ピストは流されナビゲーションは困難だと判断せざるを得なくなりました。やむなく別ルートをリエゾン、タイムアロウド11時間で650kmを移動するものになりました。

2日目は予定通りのロングステージ!と思ったのですが「川の増水が水深2m!!」前々走車のレポートに「・・・」しかも予定のビバーク地には到達不能。。。。。今回最大の山場の一つだった湖に浮かぶデューン。。を越えるルート。。。。諦めるのも簡単ではありませんが、ビバークの変更とルート変更はさらに難しいものでした。はるか数百キロも離れたビバークをコントロールしなければなりません。

しかし何とか難問をクリアしたものの、ピスト上には湖が出現。RCPはローリーなどの到達が困難か?とヘリにコントロールフラッグを積み込んで飛び立ちました。そうしてこのステージは勝敗の行方を左右するような大きな出来事が続きます。

3日目は、もっとも時間をかけて作り上げたイヒボグドの山塊を1周するループコース。ボクの自信作であり自慢のルートです。。ところが!そもそもルートブックのスタート地点であるビバークへ行くことができません。午後早く調査に向かわせたチームも、6時間もかけて20kmを進めないというありさま。万事休すでした。「ETAP3は全面キャンセルにする。」これも苦渋の決断。すでに今大会に仕込んだ3つから4つのハイライトシーンをキャンセルせざるを得ないという状況。あのものすごく高いモチベーションで臨んだ試走の成果が音を立てて崩れていく・・・そんな思いはこの20年ではじめてのものでした。

それでも変更なったビバークは、思いがけず美しく印象的なものとなりました。夕日が染め上げるボグド山の岩肌の陰翳と、オログ湖の美しさを「モンゴル大会はじまって屈指の美しいビバークだなあ。。」と少しだけ心を回復することができました。助けられたような気になりました。ということで気を取り直してETAP4はあのゾーモットへ向かうニュールート、ここはドライレイクが連続する頭の痛いルート・・・・。

こうして前半を振り返っただけでも、さまざまな心の動きと決断とアジャストメント、なかなか一筋縄ではいかないものでした。ラリーを完遂させることに最も苦心した大会となりました。後半の模様もまた書きますね。

いまウランバートルは、思いがけない秋冷に震えています。

2012/08/10 (木曜日)

「RallyMongolia2012準備完了」

モンゴル高原は秋の風が舞った。思わずジャケットを羽織る。
ここのところ問題の輸送。実は今年も天津税関で1か月の足止めを食って、ウランバートルにコンテナが着いたのが、この月曜日なのだ。
正直言えば、今回ばかりはスタートが難しいのか!?と、肚をくくっていたのだ。

どんなに最速で作業をしても1週間はかかるというところを、担当スタッフらはそれは必死で頑張った。
大渋滞の市内を書類を作り関係機関にハンコをもらって。税関に輸送会社にと走り回っていた。

そして努力は報われるものだ。ついに今日のこと通関が切れ午後からスタート地のハンリムリゾートへ搬入が始まった。午後9時、すべての貨物が運び込まれてラリーの準備の最大の山場を超えることができた。どうしてこうも毎年毎年難しくなるのか!この輸送の問題。
初期のころは何の問題もなかったのに。

とにかく、あとは頭をラリーの本番にモードを切り替える。
本番モードに切り替えた途端、またまた難しい問題にボクは呻吟する。

まずETAP1は、標高3000mのスガワラ峠を越える。この数日間の東アジアを襲った豪雨は、ピストを流し、新しい穴やクラックを生じ、ナビゲーションは困難となり、ピスト上のリスクは増大した。川の水は増え昨日時点で渡河は不可能だという。なんでもない草原に湿地が出現し、前進を阻む。
ETAP2は、湖に浮かぶ砂丘は、もう数年も水が引いたために不思議な光景となっていたため、現地と確認をしながらルートを定めたのであるが・・・。

この数日間の晴天を祈りながら、過去にない雨を降らせたここのところの異常気象にため息をつき、いよいよ明日には調査チームを送り出さなければなるまいと地図やグーグルアースとにらめっこをしていたら夜が更けてきた。

2012/08/06 (月曜日)

「モンゴルから。。。」

もうこの国に通うようになって20年が経とうとしている。
思えば1992年のパリ北京のあと始動したのがこのラリーモンゴリアのプロジェクトだったから20年だろう。あのころ世界は東西冷戦が終わり東側の国々が崩壊し新しい秩序に向かってた。

すべてに成功したかに見えた日本はまさに「日出る国」だった。
それは実力ではなく、気分がそうだった。

ボクタチ日本人はそれは良く働き、積極性のあふれエコノミックアニマルと評され、世界のどんな辺境の地にも橋頭堡を持っていた。それは時にビジネスマンというよりも挑戦者であり、探検家であり哲学者のようでもあった。辺境の地で会う日本人は、独特の雰囲気を纏っていた。
「われ思う、ゆえにわれあり。」
みたいな、世界観。辺境の地ゆえに許された自由が人を磨いていた。

これでもう少しおしゃれなら良いのだが・・・と、必ずそう思った。

いま日本人は、挑戦者であるとか冒険家であるとか探検をするという行為を忘れているんじゃないかと心配だ。海外進出は全く違う意味でしか行われず、新しい市場はもう日本人には存在しないのかもしれない。

さて、ボクタチはまだ道の途中だ。あの時の日本人より少しおしゃれにウィルダネスに立ち向かいたい。ささやかなほどの轍だって、まだ十分にこのモンゴルの大地に残せたとは言えない。

この夏、モンゴルには過去にない大雨が降った。ピストは流れ川は氾濫している。ラリーのスタートまでには安定するのだろうか。飛行機から見た東アジアは、水浸しだった。

この夏どんなドラマがあるのかは予測できない。予測できないから挑戦があり、探検がありそしてそれが繰り返されるんンだ。

ぼくは次は、もっと映像制作に力を入れたいなあ・・と考えてる。もっと素晴らしい映像をFUTUREで見せるんだ!と張り切ってる。