Organisation Voice 2004/9

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2004/09/30 (木曜日) 

ISDEが終わりました。こんな事書くと意外かもしれませんが・・・・20数年前SSERが、というか僕が目指したものはISDEでした。もちろんパリダカやBAJAなどの興味もあったのですが、ライディングスポーツ誌の表紙に、(哀愁の)ヨーロッパの町の中をすっ飛んでる2台のエンデューロマシン。何か腰高で、何か洗練されている。ページをめくると日の丸をかざした1人の日本人トシ・ニシヤマさんの姿が・・・その頃の僕はトライアルにはまっていて、ISDTがISDEになったと言うことも知ってて、SSDTも興味があって・・・で、イベントするのならアルファベットの頭文字4文字だ!なんて思い込んでいて・・・・TY250SをKATOのサイレンサーに換えて、森の中へ消えていく日々でした。その後のことでしたITDE(インターナショナルツーデイズエンデューロ)を苫小牧でする!というので、いそいそと出かけていった事に、まあ全ては端を発しています。

その翌年1985年に、SSERが始まります。競技方法はITDEとISDEのレギュレーションや精神をじっくり分析して構築したはずでしたが、どうもフィールドと認知にミスマッチを感じ、リライアビリティコンテストといったコンセプトを方向転換。今度は4輪のラリーやパリダカや、BAJAのエッセンスを加えて、リライアビリティよりもドラスティックで、シンプルなスタイルを求めていく事にしました。コンペティターはシンプルに競い合うものほどその奥深さを感じると考えたとも思います。そのあと日本車も少しずつポテンシャルが向上し、輸入マシンも割合手が届くような市況と言うか、ライダーの平均的な地位が向上していきました。

1988年には「どれ、どんなものか?」と、オットリガタナでパリダカへ出かけます。そして、ハマッテシマッタノデス。この小世が僕のそれ以降の人生を決めてしまったといっても過言ではないでしょう。頭の中にはいつも見果てぬ砂漠の夢。SSERやそれ以外の国内のイベントも、もうややこしいリライアビ・・・とか、すっ飛んでしまって、出来るだけ80年代のシンプルで熱いパリダカを、ひたすら追い続けていたと言うわけです。
ティエリー・サビーネという男に、ひたすら憧れて、彼が命を落とす8年目の大会をいつも自分のベンチマークにして「なんだって8年はやる」あの苦しいラリーレイドモンゴルも8年を終えたときに、一つの呪縛から解き放たれたような思いすらしたのでした。

こうして、たった1冊のバイク雑誌の表紙のISDEの写真から始まった僕の旅は、何か大きな転換期に差し掛かってきたように思います。
もうひとつの伏線は、ガストン・ライエとの30年にわたる出会い、だったかもしれません。人生は、思うことを完成させたいと言うには短すぎるような気がしますね。

きょうの一枚
レイモンド・ロワゾーとガストン・ライエ、この二人の盟友は、見ていても気持ちが良いくらいです。まあ大人と子供、優等生と暴れん坊!という感じ。いつも背筋がぴんと伸びてるロワゾーさん。菅原さんとパリダカ最多出場を争ってた元BMWのワークスライダー。ラリーレイドモンゴルを走る姿が印象的でした。


2004/09/29 (水曜日) 

事務所の前に路線バスが停まった。駐車場は広いんだ、エヘン。
バスの運転手が駆けて来て「乗客が血を吐いてひきつけを起こしているので救急車を呼んだ、しばらく駐車させてくれ。」その慌てぶりに驚いて、バスの中まで覗き込みに行った者が「危険な状態」と、また僕を呼びに来た。「呼吸は?」「いえ、してません」「じゃあ人工呼吸は?」「してません」なんて言いながらバスに乗ってみると、全ての乗客はなすすべなく見ているだけ。

なぜ韓国には徴兵制が?なんて誰かの話もありましたが、徴兵されて教わるものは何も銃の打ち方だけではありません。サバイバルも緊急医療も、いざと言う時に人が何をしなければならないかを習得できます。まあそれはさておき。

僕は顔を近づけてみると、はっきりと呼吸をしています。脈も弱いですが、あります。血を吐いたというから気道に詰まっていないか、喉元に耳を近づけて音を聞くと大丈夫なようです。吐血しているので、それはないとは思うものの、脳溢血の疑いもあるので無理に頭を動かして気道確保をしなくても大丈夫なようです。身体を触ると低体温です。バスは冷房が良く効いています。エマージェンシーブランケットで全身をくるんで、手をさすってあげているうちに、顔に少しだけ朱が戻ってきました。隣に座る年老いた奥さんが、僕の事を医者だと思ってすがるように話し掛けます。

「先生、だいじょうぶでしょうか」
「高血圧なんですか?」「いえ」
「血糖は?」「普通のはずです」
「ほかには?」「大学病院の帰りなんです」
「注射とか治療はした?」「いえ、口内炎で」
「口内炎で大学病院?・・・・お、そういえば口内炎と言えばがん治療の副作用?」
「大丈夫でしょうか?」
「大丈夫、まったく大丈夫。命には別状ありませんよ。」

老婦人の顔を見ると明らかに安堵の色が。
救急車が来てバスから搬出されたその老人は、ストレッチャーに乗せられた時には意識が回復したのか起き上がろうとしていました。バスはおそらく20分くらい遅れて、次の停留所を目指して走り出しました。

なぜかこういうシーンに僕は良く出くわします。その時の周囲にいる日本人は、ほとんどの場合何も出来ません。それは、仕方のない事なのかもしれませんが、救急車の到着するまでの約15分・・・それはあまりにも長い時間。意識を失った老人よりも、その老妻の表情が、僕の心を射すくめて脳裏から離れません。

台風21号が上陸。風雨が強まってきています。林道の中がとっても心配です。

きょうの一枚
End of control zone
フラッグと月。この写真を見て胸にグッと来るものを覚えたら、あなたは危険です。日没後の砂漠を走り続けて、やっと遠くにゴールの明かりが・・・・オフィシャルカー、回転灯、CPフラッグ、ビバークの賑わい。


2004/09/28 (火曜日) 

昨日書いた映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」のおかげで、旅心を刺激されてしまった僕。いやきっとそれは皆そうなのではないかと・・・・・只今エジプトではファラオラリーが開催されています。エジプト・・・世界四大文明の地、ファラオたちのさんざめき・・・・とすっかりすぐに旅モード。

そこでは今年のTDN優勝の岩崎君がまずまずの滑り出し。「ディープな世界」のスガワラテルヒトも順調。カミオン部門1位!でもタイムではKTMの岩崎君と競ってるではないですか!?こうしたカミオンが、そんなスピードで後ろからやってくる恐怖は、パリダカなど限られたラリーならではですが、なかなか見ていてなんと言うか頼もしいと言う形容は適当ではないですが「ウウウ、ウオーッ」という感じですね。

さて旅の道具と言えば、僕の場合80G/Sですが「部品はいりました」と連絡が入ったのを喜んでると、「ご注文の1200GSも入荷しました」と・・・・「そうだ、そういや注文してたんだ・・・」「なにを?」「そうそう1200・・」「どうしよう・・・」嬉しいような困ったような・・・・こうなった以上は、まあ旅に出る事ですな。TT125も健在で、これに乗るのが今の体調にはちょうどいいんですがねえ。

さて、これから数日間は、SSERのコースの倒木とがけ崩れと、闘うんですが・・台風21号もやってくるんでしょうか!アメリカでは史上最多のハリケーンの上陸!さあ、環境問題もさらに厳しくなる事でしょう。まずは京都議定書にサインする事ですよ、ブッシュさん。あのハリケーンはグリンピースの仕業かも。グリンピースのHPには、デイアフタートゥモロウをパロった面白いキャンペーン!デイ・イズ・トゥデイ!!「2001年、最高最大の愚行として世界中で大ひんしゅくを買った「京都議定書離脱」のブッシュ大統領。そして温暖化対策を妨害し続けてきたエッソ/エクソン・モービル監督が贈る、究極のスペクタクル感動巨編。地球温暖化によって、今現実となっている地球規模の大気候変動を驚異の映像で描く。公開中!」 とあります。僕は、なにって言ってたのかなあと思って調べると「デイジャストトゥデイ」なんかグリンピースと同じ感性?!それもどうかなと・・・アメリカは地球温暖化効果ガスの世界の4分の1、つまり25%を排出している。間もなく中国もこれに続くのでしょうが・・・・アメリカの人口は世界の4%にしか過ぎないのです。

 

きょうの一枚
1998年、第4回RRMをクワドで走る岩崎有男、先のTDNで優勝!!いまはKTMでファラオ参戦中!!2日目を終わって総合21位。チャレンジングなヤツです。まったく。ちなみにオリアスタイという町のループのステージ、クワドに乗る彼は、朝になっても帰って来れませんでした。


2004/09/27 (月曜日) 

カンヌでも話題だった映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」
http://www.herald.co.jp/official/m_cycle_diaries/index.shtmlまだ医学生だった頃の、チェ・ゲバラ自身の日記「モーターサイクル南米旅行記」をロバートレッドフォードが手がけた作品。いつから公開なんだろうか?と首を長くして待っていたところ、昨日本屋で立ち読みした雑誌に、戸井十月さんが「映画モーターサイク・・・・・・を観た」と書いている。「あれあれ」いや、もうそれは映画評とか、そんな安っぽいもんではなくて、たった数百時の文章が、熱を帯びていた。旅や南米やらを愛してやまない彼の、チェ・ゲバラという強烈な個性を重ね合わせた、まあ叙事詩のような文章でありました。で引用させていただくと・・・・・・・
旅立ちの瞬間の高揚を、ゲバラは日記にこう書いた。「遙か彼方、冒険の方から吹いてくる爽やかな風を、胸一杯吸ってるような気分だった。遠い国、英雄的偉業、美しい女たち・・・。それらが、僕たちの幼い空想の中身だった。」確かに幼い。しかい、男の子が旅に出る時の期待と高揚なんて、所詮この程度のものだろう。私など(中略)この時、ゲバラ23歳、グラナード29歳。二人は南米の光と影の中を駆け抜け、現実の世界と生身の人間に出会い、感動し、打ちのめされ、迷いながら成長してゆく。・・・・・・・・・・・・・・

普通の映画紹介なら・・・・
中古のバイクで雪のアンデスを越え、マチュピチュ遺跡、そして密航してアマゾン河へ・・・伝説の革命家チェ・ゲバラの無鉄砲で情熱的な青春の日々を「セントラル・ステーション」の名匠ウォルター・サレスが描くロードムービーの傑作!本年度カンヌ映画祭正式出品作品。23歳の医学生エルネストは、親友アルベルトとともに中古のおんぼろバイクに駆って南米大陸を縦断する冒険の旅に出る。それは金も、泊まるあてもなく、好奇心のままに10,000キロを走破する無鉄砲な計画だった。喘息もちなくせに恐れを知らないエルネストは、美しい茶褐色の瞳で出会うすべての人々を魅了する。そんな彼を支えるアルベルト。
冒険心、情熱的な魂、旅を愛する心でつながれた二人のゆるぎない友情。心をふれあったすべての人に、惜しみない愛を捧げた、エルネストの瞳に映る南米大陸の様々な風景。その記憶が彼の未来を変えた。のちに親しみを込めて“チェ”と呼ばれ、世界中から愛される20世紀最大の美しきイコンとなった青年の真実の物語に、世界中が涙した!ロバート・レッドフォード製作総指揮、“ラテンのブラピ”ガエル・ガルシア・ベルナル主演の本作は、2004年サンダンス映画祭やカンヌ国際映画祭で大絶賛を浴びた本年度最高の感動作!

ラテンのブラピ・・・などという表現にあざとさはあるけど、まあそれはそれとしてモーターサイクルで冒険の旅に出る!という、僕の長年の悩みでもあり試行錯誤の原点みたいな気がして、早く見たいと思う事しきりです。

きょうの一枚
明日は十五夜お月さん。観月会の夜です。今年の十五夜は9月28日、十三夜は10月26日です。江戸情緒溢れる月見の習慣、今日の一枚はそんな満月の写真。つきつきにつき見るつきはおおけれど つきみるつきはこのつきのつきでございます。エジプトの砂漠でもこれを見ている人たちがいるんですな。


2004/09/24 (金曜日) 

1週間の内に祭日が2回、土曜日曜で2日、計4ヶ間のお休み!!てことは働くのは3日間!どうして勤勉だった日本国民に「もっと休め、もっと働くな!!」と言っているのはどこの国の陰謀?そのくせ霞ヶ関は、朝まで電気が煌々とついてどうにもこうにも!という感じがします。以前毎日深夜まで(今でもですが)仕事をしている我が社は某ナントカ管理局からお咎めが・・・・・「あれ、霞ヶ関は良いの?」「良いんです、国の中枢だから」「・・・・・」どうせなら、週休は日曜日だけの1日!にして、夏休みと冬休みそれぞれ1ヶ月ずつロングバケーションにしたらどうなのさ小泉さん!!でボーナスを直前にたっぷり出せば、全部お上が回収できるかもですよ。

なんて考えていたら、ある外国人の日本現地法人の社長、「GWはどうしていますか?」という僕の問いに答えていわく「GWは日本から離れて仕事します。この時期にこれだけ経済を麻痺させるのは日本にとって不利益です。どうせなら8月と2月と世界経済が暑さや寒さで機能しにくい時期にすれば、ダメージ少ないと思うけどな」と言っていたのを思い出しました。スペインなどシエスタの習慣のある国は、効率の悪い食後の眠さと午後の暑さからは「昼寝」というゴージャスなシステムで夜に備える!!そのかわり夜は盛り上がる、サービス産業は潤う!酒は売れる!というメカニズム??さすがに政権は社会労働党に変わりサバテロ首相の国連演説には、拍手なりやまず・・・・だったわけで、彼のこれまでの論法から言っても列車爆破テロのみの理由で撤兵したわけではなく、見事な信念を貫いていて、見ていても気持ちが良いですね。つまり信念にシエスタのような合理性が見えるわけです。この昼寝の国の首相に対する国連参加国代表者の鳴り止まない拍手は、単にいまのイラク問題に対する行動にだけではなく、その国の自主独立の精神や合理性のようなものに裏打ちされた信念に送られたものであると感じました。

関係性を恐れてばかりいたのでは、法のいうところにしてわが国の首相の言う「尊敬される国家」にはなれない。のであります。中国から「金を出せば良いってもんではない」とナベツネ発言をジョークにされた(って本人は多分そうはおもわずに言ってるんだけど)ような事をいわれるのがおちなのです。言い返さなきゃあ・・・・・国民あっての国家だってさ、シエスタ・シエスタ・コモエスタセニョール。

きょうの一枚
SSER昨年のステージ。いつも巨大で派手派手なステージを作っていたSSER2DAYS昨年からは既設のステージを流用してこんな感じです。さて今年はどうしたものかって発注済だけど・・・・・・


2004/09/22 (水曜日) 

今日は小泉さんの国連でのスピーチについて書こうかなあ!と思っていたのですが、面白いニュースを見つけたのでご紹介

「パリの地下に秘密社会? 古代トンネルにバー付き映画館 「捜すな」張り紙残す【パリ21日井手季彦】パリ中心部の下を迷路のように走っているといわれるトンネルで、何者かがつくった秘密の映画館が発見され、パリ市警察は、文字通りの“地下社会”が数年前からできているのではないかとみて調べている。トンネルはローマ帝国時代、街を建設するため石を切り出してできたとされる。一七〇〇年代からは一部を遺骨埋葬所として利用している。映画館は八月末、十六区のトロカデロ広場に面した、映画博物館や劇場のある建物の下と推定される場所で見つかった。約四百平方メートルの広さで、スクリーン、座席、映写室のほか、バーを備えた食堂もあった。パリ市警察は電気の不正使用の疑いで、電力会社の職員とともに捜索したが、電線は切られ「われわれを捜すな」という張り紙がしてあった。映画館は、五年ほど前から使用されていた可能性が強いという。“地下社会”をつくっているのは画家や写真家たちとみられる。英BBC放送は、そのうちの一人の声を紹介。男性芸術家は「地下で活動しているのは五百人から千人。たくさんのグループがあって、芝居や展覧会、ダンス大会もある」と証言している。トンネルの入り口は、公式には、一般公開されている十四区の地下埋葬所しかない。現地メディアによると、そこから映画館が見つかった地点まで、トンネルを通ると三百キロもあるという。“地下社会”の住人たちはマンホールなどから出入りしているとみられるが、警察は、崩壊したり迷ったりする危険があるため、決して立ち入らないよう、市民や観光客に呼びかけている。」(西日本新聞)

なんて記事があって、いかにもフランスらしくて嬉しくなって来ます。おそらく日本とは違う大人の決着のつけ方をするんでしょうね。本題の小泉国連演説!今夜のTVでコメンテイターたちが、たくさんしゃべるでしょうから・・・NO-COMENT!ただひとついえる事は分担金約20%ってのを何とかしないといけない。資本主義なら筆頭株主でっせ。

きょうの一枚
尾崎さんてば、今日電話があって「出る!セローで」みたいなふざけたこと言ってました。「セローで10位以内無理やろか?」とも、現在池田選手に通算優勝回数で並ばれた、で元王者は第6回大会1990年、第8回 9回 10回とまるで池田選手と同じように3連勝を含む4勝。さて今回は復活なるか?セロで?写真は15回大会の時のものです。


2004/09/21 (火曜日) 

この土日は、プロ野球のスト!でしたね。そんなことも知る由もなく、僕は大洲でサイドカーツアーのたった一人の運転手さん。これはいま開催中の「えひめ町並博2004・大洲レトロタウン」のお話。来訪者にこの古い町並みをサイドカーの横に乗って走ってもらおう!という企画。ところが中四国版のバイク雑誌にカラーで紹介されたもんだから、ツーリングライダーがどっと・・・そんな彼らを横に乗せて走る!走る!超絶的な?技を見せて走るんでありますが、昨日はお昼ご飯にわずかな一瞬、バイクを降りただけで、まああとは跨りっ放し!!全体のイベントを見ないといけない立場なんてのはそっちのけ!!でもって今日は、腰は痛いは両腕は筋肉痛だわ、指に豆はできるわ・・・ですが、でも実に楽しい日々であります。ちっちゃい子供だけを乗せたり、お年寄りを乗せたり、こうなんというかサイドバイサイドで少しだけ、ほんの一瞬、ささやかな心の交流があるんです。それは同乗者の信頼感から発生するもので、最初は「おっかなびっくり」やがて「おおっ、これは面白い」となって最後は大笑いしながらゴール!!みなさん一様に「楽しかった」と子供達は「お母さんも行って来れば」と勧める始末。でお母さんも「そうね、行って見ようかしら」と心から無邪気に古い町並みの中のとって置きの小径を楽しんでおります。運行は基本的に土日祭日。ただし10月9・10・11はお休みですってSSERだし。

で思うことは、まあ採算なんてのは実にいまの資本主義経済で、ちゃんとしなくちゃならないことかもしれませんがね・・・・でも楽しいのが大切。で、スト擁護というお話ではありませんが、企業の理屈もわかる。選手やファンの気持ちもわかる。しかし、なんかいまムードが強くて、政治に似てきたような気がします。郵政民営化の踏絵になんとなくね。
僕は「あなたの夢は?」と聞かれて「そのうち西表島に住んで、4×4のバギーかなんか買って、島一周500円!とかっていう看板書いて、東京から来る女の子を乗せて島内観光するのが夢よ!」なんてよく言っています。今回の大洲もそう言った常日頃からの思いの所産であって、サイドカーツアー「なんか天職やなあ・・・・(遠くを見る)・・プハァー(タバコはいまやめている)」なんてやっています。「ごめん、ちょっといま行けんのや」と子供達が乗りたいと言う気持ちを断る言葉は見つかりません。

忘れとったので追加OVです。我らが松山の!ってすぐ事務所の近くの玉田誠選手モトGP・日本GP優勝!!おめでとう!!松山で春に開かれたパーティには元ワークスドライバーのT社長から誘われていたのに行くのを忘れてました。ゴメンなさい。でも、地元だからどうの・・ではなくて単純に心から賛辞を送りたいものです。これでまた松山が有名になったって・・・・やっぱり地元びいきだ。
こうしてオリンピックでは純粋に日本を応援し、地元出身の選手を応援するのは、ナショナリズムのようなもの?実は違います。何が違うのかについてはまた今度・・・・・ISDEも終わりました。BIGTANKとBAJA BROSのON THE FRONTLINE 速報なんですが、よく出来てました!!見た?次はファラオですよ。

きょうの一枚
現在通算優勝回数4回で、尾崎哲生と並ぶ高知の雄、池田 秀仁!!優勝は1995年から3連覇を含み2001年に4度目を達成。しかし、2002、2003と苦戦!!単独最多優勝を狙う20回大会です。御注目を。その尾崎さんはギャラリーとして参加予定!!


2004/09/17 (金曜日) 

秋です、道端に彼岸花が咲き乱れています。お彼岸です、黄金色に実をつけた稲穂のあぜ道に競うように咲き誇っています。僕はこの彼岸花を見ると、久万高原の初期の頃のSSERを強く思い出します。真紅のもの、ベルベットのようなマットな赤、一面に咲く姿はなぜか少し物悲しさを感じさせます。死人花とも曼珠沙華とも呼びますが僕達の地域では、そんなふうにはあまり聞きません。日本全国では1000を超える呼び名があるとも言われています。それにしても秋のお彼岸に合わせたように咲き、あっという間にかれてしまう不思議な存在です。ひとつひとつ見れば美しく芸術的なのに群生する様は、やっぱり不吉な感じすら漂わせます。田舎暮らしをしていれば、こうした山野の草花に季節を感じたり、月日の移ろいに無常観や幸福感を醸成させ、風物の豊かな営みの繰り返しの、ゆりかごの中で生きていくことが出来ます。それができづらくなければ、旅人になったりツーリングライダーになったりすることもひとつの方法だとは思います。

丸の内に、なんか新しい商業施設が次々オープンしていました。そのひとつは「OAZO」オアシスという意味のようです。本店に次ぐ二番目の床面積のティファニーだの、世界のブランドが買えるだの・・・・なんか都会は虚しいです。といいながら「さあBMでカエロ!!」というボクもどうしたものかねえ?!脱ブランド志向宣言!!!!
昨日とあるわりと有識者(ってなんだか)が集まる会議で「トヨタがプリウスを中国で生産する!真意は何か」という話になった。僕は、自動車産業界を代表するものの良心だ!と言って失笑を買った。「えー、だって1台作るトヨタは100万損をするんですよ!」と言ったら再び、失笑!!僕は青いのか???トヨタサン教えて!!

きょうの一枚
昨年の覇者、森田昌和さん
夜の帝王?!アッごめんなさいそんな意味じゃなくって・・・・


2004/09/16 (木曜日) 

キューバを襲い、今アメリカに上陸したアイバンってハリケーン!!やっぱ違います。その凶悪さ?巨大さ!!京都議定書を蹴ったアメリカ国民は、きっと「デイアフタートゥモロウ」の影をまざまざと見ているのではないかと思います。一方で45年もの長いカストロ議長の統治が続くキューバ、幸せそうな感じがするから不思議です。記者が「アイバンの被害が大変でしたねえ」と聞くと、おじさんいわく「うんにゃ、ラム酒と葉巻があるから幸せだよ」と「・・・・・・」日本の台風の被害現場でこんな余裕かます人はいませんねえ。まあこれからも大型ハリケーンや台風はさらに大型化し、海水面の上昇は続き、日本は熱帯になってしまうし、もう大変。これを抑えるには化石燃料の消費を抑えること・・・・・・・ああもう何10回書いたことでしょう!!都市間の交通はバイク!1人乗りの自動車は走ってはダメ!(無茶ですが)そのくらいの勢いが要りますねえ、石油を大量に消費するアスファルトで道路を固めるのもほどほどにしてですね、ダート、そこらじゅうダート。そんなんだめすかね、やっぱり。

そうだきょうは万里の長城について書こうと思っていたのに・・・・・・万里の長城を知るには中国の歴史を知らねばなりません。つまり長城は歴史とともにあって、いつも歴史を見続けてきたといえます。特にいま興味を持っているのが「漢」の時代。紀元前206年に漢王朝が成立し、その後400年以上にもわたって続きます。江戸時代の2倍です。中国人がいまも漢民族と自称し、我々も漢語つまり漢字を母国語として大切にしてきています。
その持続性は、いままさに温故知新の対象であるといっても良いでしょう。またなぜ滅びたのかを知ると今の日本のことを彷彿とさせます。で長城は、秦の始皇帝が紀元前200年頃から作り始めますが、漢代に朝鮮半島まで延びてゆきました。チンギスハーンが現れるまでにはまだ1000年以上待たなければなりません。それほどこの時代も匈奴の驚異は相当なもので、絢爛たる文化が爛熟するにつけ、あの野蛮な奴らが馬を駆って攻め込んできたのでしょう。そして漢代が終わると、あの三国志の時代、混乱が中原に訪れるわけです。


きょうの一枚
昨日はゾーモットの夕景だったので、今日は朝日。朝日に向かってスタートすると砂煙が朝の光に乱反射してすごいことになるのもここでした。


2004/09/15 (水曜日) 

モンゴルに行こう!!来年の夏は「ゾーモットの井戸」でお目にかかりましょう。

そうそう、そういえばモンゴルにも万里の長城らしき記述が地図の上にあって、それはチンギスハーンズウォールと小さな文字が記してあるのです。以前テレビの仕事をしている時に、このチンギスハーンズウォールに某有名タレントと行くという企画がすすんでいましたが、恐竜の谷になってしまって某有名タレントも、ちょっと代ったけど・・・・まあ、その時から万里の長城に強い興味が起きてきて、パリ北京の時に見た長城が鮮やかに甦ってきたものです。そしてそれぞれの時代を生きた英雄や皇帝達の姿までイメージできて、なんとも壮大な気分にさせられたものです。パリ北京では最終のビバークが、万里の長城が北京に最も近づくところ八達嶺でした。みんなホテルに行っているのに僕達は砂利の敷かれた駐車場にテントを張って、幾千年もの歴史の夢を見たのを昨日のように覚えています。あれが1992年、申年でしたから今年ちょうど12年ということなんですね。なぜ申年だったかを覚えているかというと、ラリーのときに取り付けられた中国のナンバープレートには、サルが桃をもって歩いている姿が描かれていて、これが実にかわいかったのを覚えているのです。で「どうしてサルの絵なんですか?」と聞くと「今年は申年ですから」と、日本人にはわかるのですがフランス人は「????」ちなみにモンゴルにも干支があってバイラーに一番最初に年齢を聞いたら「ワンワンワンの歳です」と言ったのが可笑しいやらかわいらしいやら、まあかわいらしいという言葉には語弊がありますが・・・・まあそうして干支が一回りする間に、僕はこの万里の長城の北側で見果てぬ夢を追い続けていた事になるわけです。

万里の長城のお話はまた次の機会に・・・・

きょうの一枚
これです。ゾーモット。神秘的な神の宿る聖地。地元のまれに訪れる旅の途中の遊牧民もそう語ります。ちなみに井戸で石鹸を使ってたら叱られます。そして夕日も神秘的です。


2004/09/14 (火曜日) 

「方向音痴の話」
方向感覚は、地磁気を感知する能力のある人(いないけど)を除けば、やっぱり視力から来ているのではないかと。視力には単に目で見るだけのものから、脳に情報を送って脳の中で解像して、ゴミ箱に送られ続けていく間に通るどこかに積み重ねられた情報の解析力ではないかと思います。昔コンテナボディトラックの箱の荷室に乗って、どこへ連れて行かれたかを当てるゲームを仲間とやった事があって、曲がり角の角度、体感する対地速度、時間を頭の中で換算して降りる時に「奥道後!」とか「市駅前!」(ゴメン!ローカルで)と当てるのだが、なかなか難しい。つまりこうした事による方向感覚は、ほとんどが「すいか割り」に近いのであります。しかし視力によって得た過去の経験は一つの地図と同じ力を発揮します。

パリの町にいたっては、角を曲がるたびに角が90度じゃないためにどんどん頭の中でずれが生じてきて「いまどこ」状態に陥りやすいのです。これを救うのも視力です。
方向音痴にならないためには、初めての土地では移動中に余計な事を考えない。得意なものを覚える、レストランとかカフェ、パン屋の場所や名前、看板のテイストなどを覚えるとか、高い建物とその形を覚える。などを無意識のうちにしているように心がけましょう。
そしていつも「北はどっちだろう」と考えます。太陽の位置と時間と緯度経度を考えて影の出来る方向を考えたり、モンゴルではゲルの扉が必ず南に向いてるので、「あれこのゲルの扉は南を向いてない」と思ったらすかさずコンパスを出して、自分の感覚が違っていたのか遊牧民が間違えてるのかを検証する癖を身につけます。パリダカの時は地形図を頭に入れて、見えるはずの地形を一度脳の中にダウンロードしておきます。「進行方向の右手に山塊が続くこれが南北に伸びていて、南の端まで降りると次は右に進路を変えて西進、その時正面の西の方向に、岩山群、太陽はこちらに見えるはず」などなど考えると楽しくて、あの暗いトラックの荷台を思い出します。その鼻をつままれても解らないほど真っ暗な荷台からは、チンチン電車の音を聞いたり加速するトラックの音で勾配を考えたり、五感が研ぎ澄まされていくのを感じるのであります。

田中真紀子が外国人記者クラブで「アジアのある国の首相は、方向音痴だ。国連に行く前に、ブラジルに行くんだそうな」といって外国人記者達の笑いとともに彼女の持つウイットの能力の評価を高らしめました。昨日の話です。方向音痴とはこうして、道筋の順序のような事を決める能力のことを言うのかもしれません。ブッシュの作って得意だった、中東和平のロードマップは彼の方向音痴ぶりの証左のようなものでありましょうな。で、僕の作るロードマップは!?いかがでしょうか

きょうの一枚
ナビゲーション機器の主役はマップホルダーとICOですかね。特にマップホルダーの性能は大切です。表示されている数字はRRM最後のリエゾンの距離、たぶんあそこからの距離でしょうね。


2004/09/13 (月曜日) 

運動会のシーズンのようです。週末たびに好天が続く事を祈るばかりです。それにしても先のラリージャパンはふたつの台風のあいだをかいくぐって無事に開催されて、素晴らしい成果をあげたようです。特に札内のスーパーSS会場は、2億円かけて仮設して、河川敷だから水が増えてきたら何時間以内に撤去できるように!!などと当局の厳しい制約の下で、素晴らしいコースと激しいラリークロスを見せてくれました。どの写真を見ても、これは日本じゃない!!と思うような素晴らしさ。お見事でした。

で、そのスーパーSS会場は今は撤去されて、きっと「祭りのあと」みたくなってる事でしょう。河川敷のゴルフ場みたく、こうしたものも常設化されれば、良いんですね。今回を契機にこれから国内でもラリーブームが再燃しそうな予感がします。フィールドはかなり問題がありますが、数百億かけてスタジアムを作らなくても出来るスポーツなんだよなあと思うことしきり。コンクリートで固めたスタジアムとそれを取り巻くコンクリートの大駐車場!ナイター設備の連夜のエネルギー消費量!!いやいや、それはそれで素晴らしい事だとは思いますが、ラリーなどのモータースポーツのほうが実は環境に優しい!!(ちょっと強引ですが)と思いませんか?

きょうの一枚
これなら、ラリージャパンも真っ青!毎日500kmのこんなSSが続くんですぞ、モンゴルちゅうとこは。


2004/09/10 (金曜日) 

急激に秋がやって来ました。シメシメ。今年の紅葉はきっと美しい事でしょう。昨日ガストンライエミーティングの申し込みフォームをアップしました。すでに多くの申し込みが始まりました。皆様の期待度に、気持ちを引き締めて・・・そしてほんの少しですが参加料を下げさせていただきました。

また、20回記念大会SSERは、受付中です。走るのも走るのですが、前夜祭も是非お楽しみに「ウオオーオッ」とビックリするような、コイズミ流サプライズな発表もありますよ・・・○崎さん。おっ○崎さんといえば沢山いますねえ・・・・・・・・是非20回大会にはこぞってご参加ください。またチームクラスにはささやかながら賞金が戻ってきましたけん。

僕もチッチャイTT125で通勤再開。ちょっと身体を壊していて、それは長いあいだバイクに乗れなかったのです。いまもちゃんと乗れるか?というと疑問なんですが・・・・・バイクをまたぐために足を上げるでしょ、それが痛くて上がらないんです。それに50肩、これもひどいです。スーツがひとりで着るのが大変なんですから。ガストンも体中が痛くて、ふたりで「アイタタタアイタタタ」といいながら立ったり座ったりしています。でももうすぐ直りそうな感じ、秋ですから。

きょうの一枚
相変わらず他とは一線を画すデザインの10回出場記念ヘルメット!今回は多いはずなんですがエントリーが遅いと間に合わないかもですね。


2004/09/09 (木曜日) 

9.11が近づいてきました。21世紀を不吉な世紀の幕開けと印象付けた、あの大事件です。以来、憎しみの連鎖は留まる事を知りません。僕が、2000年8月ラリーレイドモンゴルの現場から書いたレポートから、ちょびっと・・・・・・・「2000年ラリーレイドモンゴルも無事ウランバートルにゴールしました。(中略)20世紀はある意味でクルマの世紀であり、そして競争の世紀であったように思います。こういったラリーはひょっとするとそれを代弁してるのでは?と思われる方も少なくないでしょう。しかし答は否です。長大な旅への情景や未知への好奇心なくしてこれらの大会に挑む事は不可能です。ただ競争だけを求めればサーキットでもいいでしょうし、場合によっては企業内あるいは企業間でも容易でしょう。また、ただ旅を求めれば様々な方法はさらに広がっていることでしょう。ここには、それらを包含しつつ、大きな目的に向かいながら自らに対峙する真の自分が発見できる。そういった場面がしばしば見受けられます。ゴールする感激、満足感や達成感、充実感、これらはほかの何に比べても決して劣る事の無いほどの大きなものだと思います。20世紀最後のこの大会が、この後どのように発展していくか否かはこういった参加された皆様の思いと声に依る所が少なくありません。まもなく21世紀、来るべき世紀がよりすばらしいものとなりますように。そして、国際間でこういったラリーが存続出来るべく、世界がより平和で安定していること、そして様々な多者間の理解が進むことを期待しています。心より感謝申し上げます。」・・・・・・・・と書きました。このレポートはこのHPでも見ることが出来ます。そしてこの大会は三橋淳、ガストンライエ、ガントルガらが激しい戦いを繰り広げたのも記憶に新しく、4輪部門でも優勝を飾った長谷見昌弘さんも、モンゴル人ドライバーらに、しばしばまさに後塵を拝するという場面も見受けられました。

ついでにこの大会にプレス参加した春木さんの「生北の島」の最後の一節から・・・・・「ラリーの期間中、ビバークサイトから毎日短い文章をお届けしてきましたが、ざらりと読み返してみると、酒によって書いた友人や恋人への手紙のようで、赤面することしきり。とても一応はこれでメシを食っている人間の仕業とは思えませんが、まあ、それでもいいと思っています。いわば、このモンゴルでのバカンスは、一場の夢のようなもので、まるでこの八日間(まだ明日が残ってますが)は、誰かの上手な作り話にのせられていたようなもの。千夜一夜物語だった、と今はそういうことにしておきましょう。そうしておけば。ウランバートルの喧騒も、日本に帰ってからの現実にも、すんなりと戻っていけそうですから。」これらのレポートの前後はSSERヒストリーにて(http://www.sser.org/history/history-index.htm)

もう21世紀になって4年、この間ほど後世の歴史学者にののしられる時代は無いのではないかと、この時代を生きたものとしては不安です。しかし、あの頃の情熱を支えていた、あの言葉の群れ。「長大な旅への憧憬や好奇心」とか「ゴールする感激、満足感や達成感、充実感の大きさ」とか「自らに対峙する真の自分が発見できる。」・・・・・・なんか最近の自分よりロマンティックな気分が見受けられます。これも世界情勢の変化がもたらした自分の変化なのでしょうか。それを春木さんはイラクはバグダッドの予言者のように「このモンゴルでの(中略)誰かの上手な作り話にのせられていたようなもの。千夜一夜物語だった」と結んでいます。

不吉な時代を作っている元凶は、あきらかに「経済」であり、それらの闘い行き着くところ、つまりゴールには正しく感涙に満ちてはいません。むしろ死屍累々の悲劇の上にあるゴールのように思えてなりません。さりとて逃げ出すわけにも行かず・・・。

きょうの一枚
19回連続出場者 第5弾 岡義宏さん(42歳)大分
19回連続出場者は5名ですから紹介は今日で終り。それにしても20年!おめでとうございます。そしてありがとうございます。あの20年前の感動をそのままに、今年も準備してまいります。


2004/09/08 (水曜日) 

やっぱり予言は当たっているといわざるを得ません。地球温暖化による台風やハリケーンの巨大化や頻度の増加!!グリンピースの言うまでも無く、もう待ったなしです。そこで、われわれも「地球温暖化防止やまだ会議」かなんかやって参加者を募ろうという計画。議定書かなんか作って発効させて・・・・・・・・内容は、「いつもなら車で行くところをバイクで行った」それぞれの燃料消費量の差を計算して、申請して毎日少しずつ貯めていくというのはどうですか?車で行くところを自転車で行くとポイントは一気に貯まります。パリダカなんか行くとポイントは減りますが、その分は通常のポイントと相殺になるようにがんばる。

なんてラリーイベントの主催者の考える事ではありませんが、やってみようかなと思っています。興味のある方は「地球温暖化防止やまだ会議」までお問い合わせください。ポイントをためて自転車を貰う・・・・自転車メーカーにスポンサーになってもらお・・・・ってすぐそんなふうに考えるのも良くない。でも、それは健康にも良くて、良いことづくめかも。

きょうの一枚
19回連続出場者 第4弾 横溝博之さん(51歳)岡山
さすがに円熟のライディングスタイル。こうしたグッドライダーがSSER 2DAYSを支え続けてくれています。


2004/09/07 (火曜日) 

また台風の洗礼を受けています。フロリダも超ど級のハリケーンの襲来!地球から人類への攻撃の第二波ですね。第一波は新型ウイルスSARSや鳥インフルエンザ、ここんとこ ろだけでも地球は人類の存在に身震いしてNO!といっているような気がしてなりません。増え続けるだけの石油消費、枯渇する事がわかっているのになぜにそれほどまでにの自動車産業。モービル・エリクソンの執念。われわれは、できる事からはじめないといけません。普段のアシは@自転車か徒歩Aバイクか軽4Bせいぜい譲ってハイブリッド!!なんて時代がきます。必ずきます。いやもう来ています。宣言!自転車通勤をするといって1年で挫折中の僕は、バイク通勤にします。それも125cc、ここで50ccを選択しないところがアザトイですかね?こうして日本を走る4000万台のクルマが1日1台あたり1リットル倹約すれば1日4000万リットル、1ヶ月で1億2000万リットルの節約になるんすね。よし!今日から実行!「今日は台風だから・・・明日からにするわ」といって4.6Lの極悪燃費4駆でお帰りになるのでした。ああ言うは易し、為すは難し。ですなあ。

といつもならこのくらいで終わるのですが・・・・「プロ野球選手会ストに突入!」これも面白い話です。で世論というかファンは選手会の味方なのか?なぜ土日だけストをする?やるならずっとやればいい。最近では電鉄だってストはやらなくなった。普通のサラリーマンの生涯年収を1年で貰っている選手達は球団の再建とファンのために、「年棒を一律50%オフにしてください!」くらいなことを言ってもいい!それでも生涯年収の15年分位はあるわけで・・・・いまよく聞く「野球を愛しているなら・・・・」というコメント、みんなビジネスの原則にのっとっているわけで、最後の判断の多くは、経済的な理由によるものがほとんどな訳で・・・ってわけわからなくてごめんなさい。でも有力企業の実業団野球部もたくさん廃部解散したのに・・・・・・本当に野球を愛しているならお金じゃなくて、河川敷で早朝野球ではいかんのか?

きょうの一枚
19回連続出場者 第3弾 長山成生さん(42歳)愛媛です。なんとヘルメットは10回連続出場時のもの・・・・・そうなんですSSER 2DAYSなどではヘルメットの製造年月日規制は存在していません。


2004/09/06 (月曜日) 

さまざまな週末、いかがお過ごしでしたか?台風は接近、地震は発生、おまけに津波警報まで出て、その前には浅間山が噴火。またまた日本列島には大雨の予報。ロシアでは、同時航空機爆破、があったかと思うと未曾有の学校占拠テロ、その悲惨さは9.11を彷彿とさせます。しかも憎悪がどちらにも極限にまで高まってきています。こうしてさまざまに変化する負の連鎖に、なんかこう未来を呪いたくなる気持ちもわからないではないのですが・・・・

この週末は、モータースポーツ界からは、良いニュースもあります。WRCラリ−ジャパン2004が無事に開催されました。TDNで聞き覚え、走り覚えのある林道ばっかなので、イメージしやすかったこと。さらに、ローブを抑えてソルベルグ(スバル)が優勝、シリーズでは大差をつけられているものの、記念すべき初のホームラリーでのスバルの優勝は何よりでした。またミツビシが参戦を再び止めてしまったのは致し方がないとしても、残念。せっかく国連安保常任理事国入りより難しいと言われたWRCの日本開催なのに・・・でも一般のメディアに出てこないのはいかがかとも思いますが、まあこんなものでしょう。一方世界トライアル選手権で藤波が待望のシリーズチャンピオンを確定したというニュースも・・・・僕達がトライアルをやっていた時代には、想像すらできなかった事です。ヨーロッパの選手達は重力や慣性の法則を無視していると思っていたものです。

つまりは、不断の努力がやっぱ不可能や理想や、無理だろうと周囲が言う事を覆す事が出来るのです。ネガティヴになるほうが簡単なのですが・・・・「それは無理だ」「前例がない」「危険すぎる」「そんなこと言って、誰がするんだ」「責任は取れるのか」「我々にはそんな実力はない」「金もない」「時代が早すぎる」「賛同者が得られない」ああ、なんと出来ない理由ほど列挙にいとまのないものもありません。努力だけでは成し遂げられませんが、そこに偉大なる精神が無いとね・・・・エディ・ルジャーンという当時のトライアルの世界チャンピオンのエアターンてやつを見て、こればっか練習していた人が居ました。もう30年近く前の事です。その人はトライアルでは良い所なしでしたけど・・トホホホ

さて、ガストンライエミーティング耳寄り情報「東寺、西本願寺、二条城、京都御所、鴨川、下鴨神社、上賀茂神社、寂光院、の前を通ります。この区間は走行時間に+60分〜90分にして、好きな所で見学してもらう!1つか2つは観れると思います。京都は駐車場があまり無いのでみんなが集中して行動しないほうがいいです。」ほらほらどうですか・・・錦秋の京都路、日本人に生まれてきて良かったですねえ。

きょうの一枚
19回連続出場者 第2弾 永野幸利さん(40歳)高知
速いのは速いのですが・・・今回も爆笑トークに期待しましょう!


2004/09/03 (金曜日) 

先のTBI 2DAYSは、われわれは完全に孤立してしまいましたが、なんと今でもまだ孤立している集落が、高知県の山の中にはいくつかあるのだと言うお話を今日来た小松さんから聞いて「ビックリ!」四国の山間部は、このところの台風と大雨で林道はともかく主要な交通路が寸断されていて、正確な情報が把握できていません。SSERへメールで四国の林道情報を問い合わせられている皆さんには「ゴメンナサイ」と申し上げるばかりです。林道の損傷は、道が完全に無くなってしまっているものと、道の上に大量の土砂が崩落して通行が不能なものに大別できます。いずれも4輪が通行不能な状態で当然通行止めとなってしまうので、案外バイクでは通れたりするものです。ただしリスクはあります。こうした自然災害の場合、緊急の復旧を要するものと、少し後回しになるものがあって林道の多くはそうした後回し組みになります。特に一定以上の規模では「災害復旧」という国への要請が出来るため申請から施工までに時間がかかるものが少なくありません。

先のTBIでもそうでしたが、少しの可能性にチャレンジできる個人と、かなり余裕を持ったマージンを持たなければ行けない、少し公的な立場で判断が若干ずれてきます。安全には必ずマージンが必要で、ぎりぎりの安全と言うものは、実は危険だと言う事です。まあタンク容量みたいな考え方で、安全を考えていくのがいいかもです。

きょうの一枚
伊藤利孝さん(46歳)愛媛、ただいま連続19回出場。もちろん今年出場すれば20回連続出場。スゴイデス。20回の出場には本人のモチベーションばかりか、周囲の応援や、恵まれた環境、もちろん本人の健康だって考えられます。


2004/09/02 (木曜日) 

北の島からは、BMW-GSのお話が届きました。誰よりも尖鋭的なエンデューロマシンやニューモデルに接する事の多い彼が、いつもガレージにOHVのGSを置いているというだけで、なにかこう「ほほう」って感じがしますもん。
撲の80G/Sはフロントのローター交換で「部品注文1ヶ月くらいですかねえ?」が今年の春だったか、去年の暮れだったか?もう何ヶ月になるの?センバクン!!な状態です。まあそんなことはいいのですが、秋の訪れとともにツーリングに行きたいなあって気分です。高速は苦手だし、あまり速く走れないし、ちょっと暗くなると、もうだめなG/Sと僕なのですが・・・・ガストンライエ・ミーティングは今回は京都路。集合場所も解散場所も高速ICから5から10分くらいのところを設定。1日目の走行は近江八幡から湖北、日本海方面です。さらに京都へ、翌日は奈良方面へ。本当は熊野のほうへも足を伸ばしたかったのですが・・・・いずれにしても紅葉の真っ盛り、渋滞を避けつつ混雑を回避しつつそれでも京都・奈良ならではの風情と情緒・・・・まあつまり日本の秋ですな・・・・を堪能しようと思います。・・・・ッテ書いていて「なんか最近もこの話題でOV書いたなあ」と振り返ると、2日前に書いとる。いかん歳だ。でもそういえばこのHPがスタートしたのも、ガストンミーティングの1回目の案内のころで、マイG/Sの自慢話から話が始まったようなものでした。

きょうの一枚
なんかページ違い?見たいな感じになってしまいましたが・・・1952年製陸王、あなたより若い?


2004/09/01 (水曜日) 

1923年9月1日死者14万人以上と言われた関東大震災の日です。今年はそれから80年?その今日は防災の日です。
阪神大震災は1995年1月17日、なんか二つには因果関係がないか?と考えてみましたが何もない!つまりは、天災は忘れた頃にやってくる!というものであることが言えます。今日は大洲市の洪水のつめ跡をマザマザと見せ付けられて、「ひとり防災意識向上の日」となってしまいました。それにしてもこの洪水の後のすごさは、いけません。何がイカンかといって、生命の危機を感じます。つまりそこにいなければTVやら新聞やらでは伝わらないもの、それこそが「恐怖」です。

恐怖と言えばテロ!もうすぐ911、この日はテロの日とでもいいましょうか?あれ以来世界は変わってしまいました。つまりあの日時点で、自由社会はテロ戦争に敗北したといっていいでしょう。どうも対テロ戦争は一向に出口が見えずに、ブッシュも「テロ戦争には勝てないかも?」みたいな発言をして、なんか顰蹙(ひんしゅく)を買っているようです。まあ世界のどこへ行くのも不安と恐ろしいほどのセキュリティチェックにうんざり・・・いったい、なぜにこのような事になったのか?まだ日本国内ではそうした事件は起きていませんが、ひとたび起きれば今のモスクワやパレスチナやイラクのように日本国民は、耐えられるのでしょうか?つまり洪水の後を見て恐怖を感じたように、テロも身近に起きなければリアリティを感じないのではないのか?と自分のことながら心配!でもひとたび起きてしまったら。いま最大の問題は、こうして「不安」なことです。

世界がこぞって掲げるスローガン、サスティナビリティつまり「持続可能な社会の実現」僕はいつも言っています。共産主義国家の大好きだったスローガン、それは自分達が今できていない事を表明しているに過ぎない事、そして、そのスローガンは必ず到達できない夢なので「持続可能な社会・・・」というスローガンはすでに世界は持続性を失ってしまっていて、努力しても持続可能なことは難しいと言っているのでありますな。つまりは諸行無常、奢れるものは久しからず。ただ春の夜の夢のごとし。こうした諸行無常の世界観と言うか定理は、だれもがわかっているのに、それでも「持続可能な社会の実現!」ということはいかなる事なのか?

あなたの会社に「整理整頓」とかって書いて張ってないでしょうね、それはいまは散らかっていて、今後も片付かない事を意味しているのでありますぞ。まさに、防災の日の供えのようなものでありますな。

きょうの一枚
大洲の町の中の夕景。変なリアカーみたいな自転車で走ってるのは僕です。ちなみに、山田オート商会には、BMW R69S+純正サイドカー、R75/5+ワトソニアン、ウラルレトロモデルのサイドカー、1952年製陸王、1957年製メグロ350レックス、ほかBS、トーハツ、ベンリィ、ラビット、などありますね。収まりきらないのはポコペン横丁に展示?というか放置駐車というか・・・また新しく電気家具店が週末限定でオープンします。「あのころ生活館」なんて名前を考えてる人がいまして、いやあもっとなんかこうグッと来るやつがいいなあ、と思ってるすっかり大洲の住人、でした。