Organisation Voice 2009/03

 

 
2009/03/31 (火曜日)

「新執筆陣に中島祥和さんをお迎えします。」

最近ことのほか充実中(自分で云うな!!)の当サイト「デキルダケ日刊SSERPRESS」(SSERPRESSは反対から読んでもSSERPRESS)ですが、特に寄稿メンバーが色とりどりで面白いこと受けあい!なのですが、そこへ無理なお願いを聞き入れていただき、報知新聞の元記者“中島さんの登壇”とあいなりました。これほど強力な書き手がこのサイトに現れようとは!!!

中島さんはご存知の方も多いとは思いますが、明治山岳部OBです。これは植村直巳さんのチョイ先輩にあたり植村の挑戦を書いた「遥かなるマッキンリー植村直巳の愛と冒険」講談社文庫1984年刊、をはじめ星野一義を描く「疾走・日本一速い男」「ザ・レーサー」などの著作も沢山です。

パリダカの取材も古く、パリ北京ではNHKの解説をお勤めになられていました。その姿勢は一貫してチャレンジ精神に溢れ、広くスポーツ界、その中でも特にモータースポーツとその社会性を極めて高い見識で、鋭く切り取っておられます。最近は自身のウエブサイトでも「言いたい放題」を気持ちよく展開中!時に議論を巻き起こすこともあるでしょうが、その爽快感は快晴のダウンヒルのごとくです。さて今週から始まる中島さんの連載記事。チョット変なタイトルはボクがつけました。世の中やモータースポーツの現場に広がる「難題」や怒り「なんだい!」をテーマに、いやそんなテーマも通り越して、広く後進の我々にいくつもの教訓を積み重ねて頂けられることでしょう。どうぞオタノシミニ。

きょうの一枚

中島さん菅原さんとボクの奇妙な組み合わせの1枚。このあと2人は真冬の雨降る高速道路で、ガス欠を起こします。なんとも無謀なお年寄り?たちです。 

2009/03/30 (月曜日)

「ブランソン、ほくそ笑む」

こんな展開があるのだろうか?ボクは試走の日曜日なのにF-1に噛り付いていた。まあ簡単に言えばテレビならどこにでもある時代。リチャード・ブランソンとはご存知ヴァージングループの会長だ。学生時代に起業し、ヴァージン・レコードからはじまり、その挑戦は目覚しいものがある。いまでは航空宇宙産業まで・ ・・

さて、なににほくそ笑んだか?それはオーストラリアGP、デビューウインを1-2で飾ったのは、つい前日にスポンサー契約が結ばれ小さなロゴステッカーが貼られたばかりのブラウンGP。

リチャード・ブランソンはかなり前に「F1はブラックホールだ。」などと発言していて、つまり際限なく金がかかりやってられない、というふうな発言ととらえられていたのね。

しかしまあそこへ持ってきてこの快挙。きっと次のGPでは真っ赤なボディカラーになってチーム名もヴァージン・レーシングとか?になっているかもです。まF1の規定もあろうけどね。

かつてのHONDAの財産を上手く継承し?FIAの大幅な車両規定の変更、まあ抗議を出されてもめていたけど。それにしてもロズ・ブラウン、天才的なピットワーク戦略家だが、全ての面で真の実力者だったのだろう。

そのヴァージン会長ブランソンさんBBCのインタビューで「わたしはラッキーな男だよ!」と。まあこうしたラッキーは実力のうちでしょうね。今年のF1は、また違う角度で楽しめるかもしれないなあ。

TBI試走情報、4月4日より12日は完全に試走のためにほぼ留守をします。よろしくお願いします。

  

「大唐西域記」

3月28日は「シルクロードの日」探検家スヴェン・ヘディンが1900年3月28日にロプ・ノールにある楼蘭遺跡を発見した日だったそうです。

昨年一昨年と2年にわたり、わたしは敬愛するヘディンの足跡を辿ってシルクロードに旅立ちました。なにかと複雑な許可を取り敦煌・玉門関より今は幻となった天山南路をロプ・ノールへと向かったのでした。

現地のガイドは、「ロプ・ノールは凄まじい風が吹きクルマの塗装は剥げるは、前に進むことが出来なく危険だ!」そう言って行きたがりません。このあたりの話だけとっても、まさに西遊記の如しなのです。

それでも玉門関をあとに西に進めば、しばらくは舗装道路が続きます。やがて道はヤルダン地形と呼ばれるの奇岩奇跡の聳える不気味な砂漠に至ります。古くは鬼が棲み、これより先には人間が住んでいないとも言われていました。おそらく彼方から長安に向かった隊商らには都市の建造物に見えたに違いありません。

そこを過ぎるとまさに一面の砂の海が広がります。現地ガイドの心配は的中し、確かに強烈な風に見舞われました。立っていることも容易ではありませんし1m先も見えません。2つあるデジタルハイヴィジョンカメラの1個は、砂のために完全に故障してしまいテレビクルーらは先行きの不穏に見舞われていました。さらに殆ど雨の降らないといわれる砂漠に、豪雨と雷鳴がとどろきます。

こうした景観や気象現象の組み合わせには、玄奘三蔵が天を操る妖怪やらと思ってしまうのは頷けるところです。

1年目はわれわれ「怪しい探検隊」は干上がった塩の海のロプ・ノールを北に進み、トルファンに抜ける全く道の無い砂漠に踏み込みました。北には広漠たる砂丘群が広がる善善と呼ばれる河西回廊の都市があります。

ここは楼蘭はすぐ近くです。楼蘭と聞くとやはり行って見たい衝動に駆られます。そしてタクラマカンまで少し足を伸ばせばニヤやダンダン、ウイリクという遺跡があります。残念ながら、わたしたちはそこへ行く許可がありませんでした。しかし、そんな思いは芥子粒のように砂漠の中を、まさに命からがらトルファンの近くへ辿りつくことが出来ました。

ダンダン、ウイリクはヘディンが1896年に発見します。そのあとイギリスの探検家オーレン・スタインの手によって発掘が進みます。スタインは玄奘三蔵を敬慕してやまないとその著書にもあり、発掘にはつねに三蔵の「大唐西域記」を携え、その記述と現場を確認したといいます。それはいかに胸躍る感動の日々だったことでしょう。20世紀初頭は、まさに探検行の時代だったといえます。

そのわれわれが奇しくも彷徨い辿った道こそは、玄奘三蔵が天竺に向けて歩いた道だと、わたしは考えています。

玄奘三蔵はこのあと高昌国に滞在するのですが、高昌故城はトルファンにあります。その遺跡には玄奘が説いたとされる仏間が現存していて、土で作られた建物に入るとひんやりとして、その濃密な空気が1400年の時をさかのぼるような錯覚に眩暈さえ覚えるではありませんか。

こうしたエキスペリエンスは、望めどいつもいつも出来るわけではありません。それでも今年の秋にはついにチベットへ、その足跡を追って行こうと思っています。シルクロードの要衝カシュガルから、カシミールへ、そしてチョモランマBCを経由してラサに向かうという計画です。最大のテーマは幻のグゲ王朝やカイラス山、など、いずれにしても、わたしの西遊記は続きます。

いま、初めての経験なのですが、Web BOOKを購入しました。オフィスで暇な時に玄奘三蔵が天竺からの帰国報告書として記した「大唐西域記」を読んでいます。本文よりも解説が多く読んでは戻り進んでは戻り、を繰り返しています。

われわれ日本の文化を形成してきた仏教美術や死生観、それはシルクロードを伝いながら、どのように変質してきたのでしょうか。遥かなるロマンチシズムと伝える手段としての美術や教え。人類の生き生きとした姿があまりにも鮮やかに浮かび上がります。

きょうの一枚

「玄奘三蔵取経図」12世紀後半、西夏末玄奘は猴と馬を伴っていて、いつの間にか西遊記のストーリーはフィクションとノンフィクションの間を行き来するようになったのでしょう。 

 
2009/03/27 (金曜日)

「ワルキューレ」

いよいよ今週末からは本格的かつ集中的な試走がはじまります。この厳しかった春もやがて雪も溶け暖かい日差しが降り注ぐように、日本のいや世界の景気も快復してきますよ。いや経済が回復するというのではなくて、人の気持ちが温かい春の日のごとく、です。

先日ワルキューレを観た、と「つぶやきBOX」に書きました。もちろんバイクを観たわけではなく、トム・クルーズ主演映画「ワルキューレ」です。ナチスドイツ末期にヒトラー暗殺を企てたドイツ軍将校の物語だというのは言わずもがなのことですが、なかなか多くの暗喩に富んでいて、なぜイマの時代にこうした映画が・・と訝しがることしばし。

ご存知の通り「ワルキューレ」は、奇人変人のたぐいの?ワーグナーの世界最大の歌劇「ニーンベルグの指輪」の第1夜、まあこの楽曲はかつては4日間ぶっ通しで演奏していたものですが、最近は中休みが入ります。記憶が定かならザルツブルグで小泉さんが「堪能したよ!」と紅潮した顔で語っていたのがこれ。そもそもこの楽曲は、指輪を手に入れると世界が手に入れられるというストーリー。もてないくらいに重たい全集がボクの手許に。指揮はカラヤン。

そのワーグナーの奇人ぶりは半端ではありません。以前にも書きましたがヒトラーらに愛されるほどですから。さらにルードゥイッヒ2世がスポンサーだったりするわけです。もちイスラエルではワーグナーの曲はかけることが出来ません。取り扱い要注意な音楽家・・・。

とにかく「ワルキューレの騎行」は、戦争シーンに全くぴったり。「地獄の黙示録」でも映像を奮い立たせるほどの圧倒的な楽曲でした。チョットイマからYouTubeで拾ってきます。(この間3分)ありましたありました。

久しぶりの「地獄の黙示録」とワルキューレのマリアージュ?をお楽しみください。さらにこんな映像も

これはもちろん黙示録に影響されたもの、管の鳴りも良い音源がなかなか宜しい、マニアックな映像。

いまだにこの時代のような北朝鮮や、右傾化が進み新冷戦を生み出す勢いのロシア、間違っているものを正す勇気。そのようなものをメタファーとして見ているとさまざまにゆれる人間模様が息つく暇を与えません。

 
2009/03/26 (木曜日)

「新型プリウスって」

ルーフにソーラーパネルがあるんだね。コロンブスの卵と言うほどではないけど、でも誰もが考えそうなことを、やるかやらないかの違い。夏の暑い駐車場でギンギンに暖められた車に乗り込むとき「サーて、どのくらい充電できたかな?」と夏の太陽のギラギラを楽しむことができる行為は、これのほかに見当たらないくらいだ。このまま新しく建てるビルの屋上も緑化かソーラーパネル!を強制するのはいかがか?そして法案が進んでいるけどその電気は通常の電気の2.5倍で買う!ようになると、ボクも発電業者になろうかな?と思う昨今。

さて、御殿場。JRMの避暑地の工場はきっとまだ寒いはずです。そこでは今年のモンゴルに投入されるカミオンバレイの制作が毎日続いています。これは全て菅原さんと同社のご厚意です。参加される皆様も大いに安心のことです。写真ではタイヤはまだノーマルのままですが、注目はこのスペース。ガス缶20Lが2個。つまりカミオンバレイはもちディーゼルですが、ガス欠のバイク用にこうした気配りなど・・・。だからといって安心して少な目のガスで走ってはいけません。さらに巨大なタンク。カミオンバレイ無給油で1000km以上の航続距離を誇ります。そして荷台は総アルミ貼りのフラットデッキ。クレーンでバイクが収納できたり、荷台の客席?からは運転席が覗けるようになっていて、たぶん秘密でここで明かしてしまったら怒られるかもですが・・・路線バスにある「つぎ止まります。」という例のチャイムのボタンも着けられるそうです。そのユーモアとアイデアには脱帽。トイレに行きたくても運転席に連絡できない!!なんて事がなくなります。簡単に停まってくれるかどうかはカミオンバレイの運転手しだいだけど。そのカミオンバレイ。今回は誰の手に委ねられることになりますか??オタノシミニ。

きょうの一枚

カミオンバレイHINO ET 4×4製作工程中。JRM御殿場

 
2009/03/25 (水曜日)

「駆け抜けた寒い東京の巻」

松山はすっかり暖かくなったので、半袖ポロにスーツという軽装で東京に。空港の待合室では成田空港の事故のシーンが「・・・」後ろの方の新婚さんたち「えっ、私たちいまから成田に・・・」周辺のおじさんたち「・・・・・」という具合に風が強い数日間。まさに桜を散らす不埒な風。

お昼からスポンサーのお願いに出向き、返す刀でアピオさんに行ってきました。ほんとうに「選択と集中」の勝利とはまさにこのことを言います。さらに特筆なのは美しいガレージ。ISOとか取れますよ、きっと。

ビジネスを展開していると、さまざまに目が向きます。「あれもいいなこれも面白いな」と。バブル以前は、多角化、多様化と新規事業への参入、そういった概念が主流でした。そしてバブル後は「選択と集中」得意な分野を選択してそこへ経営資源を一気に投入せよ!というオハナシ。

その見事な集中力に、先端のデザインや経営に関するノウハウを持ったスタッフ。全く目が離せない連中であります。そして今回お願いをしてSSERのパートナーショップになっていただいたのでした。ありがとうございます。

ここ数年間、モンゴルでのジムニーの活躍は、目覚しいものがあります!!その立役者が実はAPIO製のスペシャルなアイテム。会長の尾上さん自ら開発しテストし、なかなかに驚かせていただいております。実は昨年もSSERの事務所から港まで僕が運転して行きました。告白します!ジムニーを初めて運転しました!!「ビックリ!」でした。もうひとつ告白します。最初の頃のお話、北日本の斎木校長や菅原さんがジムニーで参戦してきた時「時間内に完走はできまい。」と本当にそう思っていました。ルート制作時にも「ジムニーがいるからなあ・・・」と考えていました。スイマセン、心よりお詫びいたします。そんで今年はモット凄いルートを作ろう!と心に決めた帰りの飛行機の中でした。

おまけ・・・今回のモンゴルはまだ発表は出来ないのですが、素晴らしい顔ぶれがそろいつつあります。ビックリしますよ!そこで何とかテレビ放送をする!ことにいたしました。このOV上で進行具合を報告して行きますので是非オタノシミニ!!

そんなこんなで寒い東京を3日間!駆け抜けてまいりました。心地良い疲れです。

2009/03/24 (火曜日)

「東京は花冷え」

桜も咲き始めると、約束事のように決まって風や雨が降り、ついには冬のような寒さに逆戻り。薄着で上京したボクは風邪を引きそうです。

どうして桜の花は、こうして長々と咲き誇ることを許されないのでしょう?咲くはしから散らされるその姿に、古くから日本人は自らの生き様に照らし合わせて、もののはかなさを感じていたものです。

つまりは日本人の美意識を醸成して行ったのも桜なら、その意識を継承していく装置としても桜の存在は日本人に欠かせなかったのかもしれません。桜の下で宴会してるばかりでなく、ひとつここらは日本人の心を考えてみたいものです。

今日は皇居の桜がどのくらい咲いているのか、ちょっと眺めに行くことにしましょう。

きょうの一枚

東温市の桜です。東温市の河原も、うす桃色に染まっていますよ。

 
2009/03/19 (木曜日)

「FIA WMSC Agrees F1 Cost Cap - FIA President 17/03/2009 きょうもF1ネタなどで」

3月17日FIAのコミュニケ。FIAマックスモズレー会長は、F1のチーム運営コスト制限に関して合意に達したと発表しました。内容を聞いているとFIAの仕事は、まるで税務署?のようになるようですね。領収書の提出が義務付けられるのでしょうか?監査や査察がたびたび行われることでしょう。サッカーチームなども年間コスト制限などが検討されているのでしょうか??そうなるとスター選手はまあ余り年棒が期待できなくなるようですね。

するとほかのパーソナルスポンサー獲得に、テレビCM出演にと忙しくなることでしょう。

それにしてもF1は運営の規約や車両に関するレギュレーション、今年はチャンピオン決定のメソッドなど、とてもよく変わります。特に今は世界的な不況の中で、青天井な費用を使うチームを規制し、参入の幅を広げるなどが主な改革の目玉です。

ことほどさように、何事においても「変化」させることは必要です。観客が離れないように。スポンサーが離れないように、つまりは見ていて面白く楽しいスポーツイベントとして存在し続けるために・・・ということですが、果たしてそこに正義があるのか否かは、今後に委ねることになるでしょう。

いうまでもなくモータースポーツビジネスは大きな転機を迎えているのではなく分岐点を通り過ぎています。振り返ると遥か過去にはレーシングなオイルの匂いとシャンパンの弾ける黄金色の泡が、まさに懐かしく輝いています。

自動車という巨大な産業。20世紀の世界を作ったこの偉大なる発明は、モータースポーツによって発展していったといっても過言ではありません。

過去にオリンピックの危機を救ったのは、ロス五輪のピート・ユベールでした。商業主義化することによってさまざまなしがらみから自由になりました。おそらくF1などのビジネススタイルが大いに参考になったものでしょう。ところがいまは、その商業主義が弊害を生み始めているということです。成長曲線がプラトーまで達し、下降曲線に陥り始めたこの業界でいかにこのプラトーを維持し続けるか、つまりはサスティナブルをなしえるのか?

COST-CAPという反資本主義的な要素を取り入れるF1の姿に、資本主義社会の悲鳴が聞こえます。

きょうの一枚

SSER1/4世紀記念ロゴ発表!!
ウブス湖の東にある砂に立つ1本のバリースとSSERのコーステープがモチーフ。良きにつけ悪しきにつけ、この木の杭とコーステープこそ25年間のSSERのイメージなのです。Tシャツなどにして4月から微量ながらHP上で販売予定。刺繍バージョンもあるよん。

2009/03/18 (水曜日)

「ジャン・トッド去る。」

F1のたいしたファンでもなく、フェラーリに特に興味があるわけではないのですが、今日このニュースを聞いて、なんとなく感慨に耽っていたものでした。ジャン・トッドはおそらくFIAに行くのだろう(つまりマックス・モズレーのあとがまに)という噂も数年前にはあったのだけれど。経営最高責任者の座は昨年降りたとは聞いていたのですが、昨日の役員会で完全にフェラーリから離れることになったそうです。

フランスの田舎町で生まれた彼は、モータースポーツに憧れてラリーのコドライバーを(オベ・アンダーソンやギー・フレクランの)務めていたが、おそらく才能と情熱にあふれていたのでしょう。

そうそうオベさんにも89年頃トヨタの本社で会いました。というか、すれ違っただけでしたが。ボクがはじめてパリダカに出た時は、彼はプジョーチームの監督として才能を開花させていました。どの大会か忘れたがボクは彼の足を踏んづけたことがあります。

それはたいそう大げさに、陽気にフランス語で何か言ってきました。調子の良いジョークのひとつも言い返せずに「ジャン・トッドの足を踏んだ」という部分のみが頭に残ったものです。

やがてプジョーが撤退してルマンに行く時にももちろんジャン・トッドが監督として鮮やかな勝利を飾るのです。クルマ作りの才能と組織作りの才能、それに戦略眼。こうした勝利請負人には、不振にあえぐスクーデリア・イタリアからのオファーがやってくるのは必然でした。ボクが足を踏んだジャンは、やがてシューマッハらの才能を開花させチームの再生ばかりか、本体のフェラーリの再興も果たし、ついにはフェラーリの最高経営責任者にまで登りつめるのです。

ボクが足を踏んだ(しつこい?)この一人のクルマ好きの少年が、歩んだモータースポーツの道のりは、おそらく過酷だったでしょうが数限りない栄光とモエエシャンドンの空のマグナムボトルで黄金色に染め上げられていることでしょう。次にはFIAに行って、金まみれではなく真にモータースポーツの未来像を描ききって欲しいものです。心より応援しています、足は踏んだけど(もういい加減にしろ!)

きょうの一枚

フェラーリ監督時代のトッド。あなたの回りにもこの手の男はいそうなのですがねえ。

2009/03/17 (火曜日)

「XT500」

TBIとモンゴルへ1台のマシンが参加することに。それはまさにヒーローズレジェンドのごとき所業。マシンはXT500とくればライダーはヘンノさんではなく、岩崎有男。過去にはクワドで、そしてVESPA200でモンゴルに挑んだ。XT500は昨年のヒストリックエンデューロで優勝をさらったマシン。

とにかく変わったアプローチをする岩崎選手。2004TDNではフランスから参加したミハエルと息詰まる接戦を演じ優勝をもぎ取ったことは忘れられない。ちゃんとやればちゃんとやれる!!つまり抽象画が緻密なデッサンの出来ない絵描きの作品ではないように、こうしたチャレンジにはきちんと戦えるという背景が必要なのである。

しかし本来はXT500はパリダカールの創世記を飾ったマシン。シリル・ヌブーによって1979・1989と2連覇を遂げたマシン。素性が悪かろうはずがないが、2007年のダカールに挑んだヘンノさんに語らせれば「2倍は疲れて、2倍は時間がかかる。」という。つまり大きなハンディを背負って走ることになる。男の子はこうしたハンディを背負うのが好きだ。わざわざ不利なマシンで闘うエスプリは、TBIのアドベンチャークラスにも表れる。これは心理学的にはなんなのだろうか?

どのように考えても非常に内面的な、ひそかなる喜びのためなのだろうか。みなさんも過去に、いくつかの挑戦を思い描いたことがあるだろうと思う。軽トラでモンゴルへ行けないだろうか?とか。愛媛銀行のカブの挑戦もそれに近い。プリウスもそうだったろうし、ジムニーだってもともともはそんなスタートだったが、今では堂々と総合順位で戦っている。

さて今年のそのXT500のTBIとモンゴル・・・興味津々にレポートしていこう。

ところでコロンビアからエントリーフィーが銀行に届いているようだ。なにせ松山は田舎である。「コロンビア?いったいなんのお金だ。」という騒ぎ。「モンゴルのラリーの参加費ですがな!」「モンゴルのラリー??そんなはずはない。」「いやほんとうです、ほらこれがエントリー関係の書類で、この人があーで、この人がこーで」いずれにしても日本はまだまだ閉鎖的でございますよ。しかしながら挑戦の歌声は高らかです。

きょうの一枚

YouTubeにはXT500で検索するだけで、たくさんの映像が。しかもアクセス数も多い、いまだに愛されているのでありますね。

 
2009/03/16 (月曜日)

「親父たちの熱きバトル」

日曜日こそ晴れたものの、この週末は厳しい寒気と風の影響で、四国の山々も厳冬期の様相。4月1日にならないとオープンしないいくつかの林道を後回しにして、低山の周辺をルート制作・・・と思ったのですが標高700mくらいから積雪の量は増え続け、この週末の予定の山々は全くお話にならないのでありました。もちろんスノーアタックなら踏破できるのですが、ダートと舗装の境目すら分からなくて断念。

さて表題の「親父たちの・・・」APIO会長の尾上さんとJRM会長の菅原さんが繰り広げる、アメイジングストーリー。この戦いは川中島のように何年も続いています。そして菅原さんのナビの杉浦君によるレポートもやっと最終版に達しました。 [HP]

どうしてこのような対決の構図が出来上がってきたのでしょうか。そのひとつにはそれぞれの背景とワンメイクスの言い訳の出来ない世界観の複合にあります。

四半世紀もラリーレイドの世界に身を置く菅原さん、同じ以上の時間をジムニーのスペシャリストとして勇名を馳せてきた尾上さん。その両雄はまずは菅原さんの土俵パリダカールでまみえます。そして次は尾上さんの土俵ジムニーの世界に菅原さんがヒョッコリ顔を出します。それぞれが大人としての戦いの構図を作るには時間がかかりません。「親父たちの熱きバトル」は、なにもラリー上にとどまりません。酒の席でもどこでも・・・

これほど愉快な大人たちの姿をボクはほかに知りません。何とかその様をテレビ化してみなさんにおすそ分けしようとしたのですが、昨今の情勢ではなかなか思うように企画が進みません。今年こそはフルハイビジョンで美しいモンゴルの奥地の見たこともないような美しさと、親父たちの熱きバトルを映像化したいものです。

そのためにもモットガンバラネバと心に鞭打つ日々です。

きょうの一枚

その2人の親父たち、一日の闘いすんで日が暮れての図。もう一枚は雪のTBI試走風景。

2009/03/13 (金曜日)

「ワルキューレ」

トムクルーズ主演の映画「ワルキューレ」と聞いてホンダアメリカ製の、例のバイクを思い出した方も少なくないでしょ。となると最近記者発表した「V-MAX」のフルモデルチェンジまで連想した人ももちろんいますね。ここでヤマハの発表の中にGKデザインのスタッフが登場しています。そのGKデザインは日本を代表するデザイン会社のひとつですが、先のスパ太郎の「ああ東京砂漠」「???」で紹介されていましたのでちょいと追記。

実はスガワラサンのご長男はこのGKデザインにおつとめです。チームHINOのグラフィックスも彼のデザイン。あのスガワラサンの愛車ライノもそうでした。もう十数年も前のことでしょうか。菅原さんのオタクでまだ学生の彼からスケッチされたクルマのデザイン画を見せていただいたことがあります。

映画のCMからなにもここまで連想しなくても、と思うくらい連想癖があるボク。

ところで「ワルキューレ」ボクの愛聴するワーグナー(これを愛する人は独裁者が多いらしいね。ヒトラーとか小泉純一郎も)の代表作「ニーンベルグの指輪」の第一夜、映画「地獄の黙示録」でも使われましたねえ。この映画がそれを使うのかどうかは僕は知りません。ただこのワーグナーという男は、大変にエキセントリックな男でした。

たとえば彼は独自の論文を発表し、中には匿名で「音楽におけるユダヤ性」を著わし、メンデルスゾーンらユダヤ人を拝金主義と厳しく罵ります。この思想は、ヒトラーがワーグナー愛好家であったことも手伝いホロコーストに利用されていくというのです。

そもそもワルキューレの語源を知ろうとWikipedeaを引いてみる。ワルキューレ(ドイツ語:Walkure、「戦死者を選ぶ者」の意)は、北欧神話に登場する複数の半神。日本語としての「ワルキューレ」は、Walkure のドイツ語での発音「ヴァルキューレ」に由来する。北欧神話の原語である古ノルド語では、単数形が Valkyrja(ヴァルキュリア、ヴァルキュリャ)、複数形は Valkyrjur(ヴァルキュリウル)。語義は valr(戦場で横たわる死体)と kjosa(選ぶ)を合わせたもので、「戦死者を選ぶ者」という意味である。英語では Valkyr(ヴァルキアー)、Valkyrie(ヴァルキリー)という。

映画のワルキューレの意図するところは?はたまたアメリカホンダのでっかいバイクにワルキューレと名づけたホンダのCSRは?まあそれは問題ないか。

きょうの一枚

おお、ワルキューレに乗る超人じゃなくて、新型V-MAXの発表会に係員の制止を振り切って?跨るスパ太郎の勇姿!!

2009/03/12 (木曜日)

「XT250Tの呪い」

カーネル・サンダース人形が道頓堀川のヘドロの中から発見されました。それにしてもこのようなニュースが主要メディアで、われ先にと報じられることへの「???」感は拭えません。しかし最近では阪神ファンがダイブする姿も見なくなったわけですが、大阪のあのパワーは橋下さんには必要なことだろうと思います。関西の人間が、まるで物事の道理を悟ったような立居振る舞いをされると、違和感を覚えるのであります。

まあそれにしてもテレビでの広告効果は、計り知れないものがあります。すでにKFCの売上は4割増!40%ですよ。世の中で絶えて聞くことのなかった数字。まあ広告効果は今頃あちこちで計算されているでしょうから、数億円から数十億円までさまざまに伝えられることでしょう。

この24年間も掛けた都市伝説。やはりこうした物語が必要だということ、そうなんですSSERもTBIをはじめた20年前、剣山スーパー林道に落ちたXT250Tが未回収のまま?

当時の話
「IT買ったよ」
「へXTは?」
「売った」
「なんで?」
「XTはのろいよ」
「XTの呪い?」
さて、そのXTが剣山から回収されればTBIも。

きょうの一枚

なんかグローブのHPのDirectors VoiceとこのOVが書き分けられなくなって。完全にネタかぶりのYouTube

http://www.youtube.com/watch?v=FiLoANg6nNY

「ルイス・ハミルトンがMP4-24をiPod touchで遠隔操作!?」あるファンがiPod touchを使ってYou-Tubeに動画をUPしたところ、なんとボーダフォン・マクラーレン・メルセデスチームから招待が ...。それはまるで「ドッキリカメラ」をみるようです。最後には驚きのシーンが!!事務所でご覧の方はボリュームを少し下げてお楽しみください。

2009/03/11 (水曜日)

「祝!新型カミオンバレイ投入」

FA-coatラリーモンゴリア2009には久しぶりにHINOのカミオンが投入されます。以前はFU 6×6が支えていたラリーの後部の安全が、ここのところやや心配になっていたものでした。今回も日本レーシングマネージメントの全面的なバックアップで実現するものです。心より感謝の意を表したいと思います。

車両はHINOのFT 4×4、スガワラサンたちがダカールで使っているベースとなるマシンです。現在は日本レーシングの御殿場工場で、スガワラサンら泊り込みで製作が進んでいます。世界でもっともこうしたラリーを知り尽くしている同社の手によるもので、安心感は計り知れません。バイクを積み込むためのクレーンやら、バイクの固定方法やら、ちょっとした研究の成果が満載です。

これでラリーモンゴリア、ちょっとかっこ良くなりますよ!

余談ですがそのスガワラサンは少なくともこの20年間はカミオンバレイに乗らないといけなくなった事がありません。冠スポンサーのFA-coatの松野さんは、割とちょくちょく乗っていたような気が?!します。アッ、ゴメンナサイ!そうですカミオンバレイ、乗りたくないものですが砂漠に取り残された時に現れた姿は、それはもう神々しく見えるものです。地獄に仏、砂漠にカミオンバレイ。

数年前のモンゴル、そうゾーモットの休日明けのSS、ルートは南へ向かいます。メディカルカーも夜のうちに出発してカミオンバレイチームも、CP-1で待機します。それ以外は全て北に向かって引き返す道のりです。

CP-1とは恐竜の谷。「まあそこまでは大きなトラブルもないだろう」と。どうも70km地点でオイルを撒き散らしてしまって立ちすくむM田選手。回収チームは「ヘリで行くか?」「オオ、ロシアンデリカがあるじゃん。」とロシア製のワンボックスで出かけることに。見渡す限りの大平原。周囲少なくとも100kmに遊牧民の姿もありません。このロシアンデリカが通り過ぎたあと、1ヶ月は人が通らないかもしれません。

近づいていくとバイクの横に立ち尽くすライダー、全ての車両が通ったあとは誰も来ません。そこでボクタチはちょっと通り過ぎてみることにしました。悪いことをしたものです。あのひょうきんな前D選手(これでは誰のことかわかってしまうね)その日は1日サングラスも取らず、口も聞いてくれませんでした。いわゆる「洒落にならないこと」はやらないのが一番。

きょうの一枚

製作中のカミオンバレイ。JRM御殿場。なかなかのものです。

2009/03/10 (火曜日)

「Go!Ahead」

Ahead」というフリーマガジン、みなさんもご存知のことと思います。ボクもこの本が届くのがとても楽しみ。フリーということに甘んじることなくクオリティ感あふれる企画と書き手の正しいメッセージ、さらには時代の切り取り方というか、マーケティングというか、いやいや心意気とでもいうべきでしょうか、そこらに驚かされまた刺激を受けるのであります。

そして編集部の一人の素敵な女性が、これからラリーモンゴリアに向かって行動を始めたことは以前もお伝えしました。美しい筆致で書かれるモンゴルへの旅は、もう楽しみでしようがありません。

特にこの困難な時代に、新しい挑戦に取り組むということは雑誌の名のとおりまさに「ahead」です。

続いて中米のコロンビアからもエントリーのお知らせが。コロンビアの首都ボゴタは標高2640m!!アンデス山脈の盆地、だから気候も良いのでしょうか。そこからモンゴルにも参加者がやってきます。菅原さんがダカールでブエノスアイレスの帰り道に寄ったHINOの販社のオーナー。詳しくは「菅原さんからの手紙」参照。あの日野レンジャーの1991年のパリダカマシンが紹介されてた号です。

きょうの一枚

そんなボゴタってどんなところだろうと、Wikipedeaからいただいてきた写真。ボゴタの夕景。これはなんかに使えそう。熱帯の標高の高いところって、いいなあ。

2009/03/09 (月曜日)

 

「TBIからのお便り」

週末は2台の車両で、これまでに通ったことの無いエリアを開拓に行きました。昨年も全く新しい「Go!to Adventure」なんてルートブックに示された林道が初めて登場しましたっけ。これには地元から参加のライダーもビックリ。

そのいきさつというのはこう。

「昔からこの右に伸びる道が気になっていたけどな、行ってみる?」
「イヤー、これはどう見ても無理でしょ。」
「そー思うけど、どうせすぐのところで行き止まりだろうけど」
「じゃまあ、行ってみるかい?」
「ほんじゃ行くね」

ブォーン、ブォーン、キキキー。

「ほら、もう行き止まりでしょ。」
「いや、これは土砂崩れなだけで、向こうのほうに道のようなものが見えないか?」
「でも、行くのは無理でしょ。」

と言っているうちにムッホが、土砂を片付けはじめました。まるでブルドーザーのような勢いです。たくさんの岩石は取り除かれましたが、崩土を越えるには勇気が要ります。2台で行くと帰れなくなるので、1台でおそるおそる越えていきます。

「こりゃあ、アドベンチャーやなあ」

と、これまでも繰り返して来た行為なのですが、なぜだかこのときばかりは無茶をしているような気がしてなりませんでした。どんな地図を見てもこんな山に道がついているはずもありません。だいいち山も植林されているふうでもなければ、切り出すような材のある山のようでもありません。どんどん進むうちに日は暮れかけ雪まで舞うようになりました。2号車も待っていても仕方が無いのでついてき始めました。何度も何度も土砂を避けながら進んでいると、遥か下にこちらに向かって伸びてくる林道の開設工事が見えます。

「ひょっとしたら、あれに繋がっているかもな」

そんな期待は、淡雪のようなものだということは誰も知っていました。

「おお!」

ついに道?は、ちゃんとした林道に繋がったではありませんか?しかも長さも20Kmばかり。いまだにこんなことがあるんです。

「あるんですねえ」
「あるんだねえ」

と。でも本番の時はなんときれいに整備されていてアドベンチャーではありませんでしたが。そんなふうにさまざまな情報を集めながらルーティングをしていても、まだまだこのような話があるのですねえ。

今年もきっと新しい発見があることでしょう。

追伸:TBIあとわずかの追加募集中!!広島のパートナーショップMOTOWORKSフルサポート出場メンバー募集!!TT125Rレンタル+フルサポートつき!1名募集中。キャンピングカーのベッドつきなのです。いいなあ。

きょうの一枚

試走はDAY-2を制作中。もうすぐ爛漫の春の予感。古い町並みなども丹念に回りたいものです。

2009/03/06 (金曜日)

「雨がよく降るね」

今朝も雨。いつも降水量が少なくてカラカラの四国の水がめたち各ダムは、こぞって90%台。早明浦は100%、TBIのGWは満々と水を湛えた四国の水源を回れることでしょう。しかもこの時期にこれだけ降ればGWは晴天が続くに違いありません。

それにしても良く降ります。しかし本当に毎日こんなに天気が悪いのでしょうか?そんな疑問に襲われたボクは、はたとあることに気がつきました。おお、これは景気によく似ていると。この2〜3日も雨に降られていると「どーしてこんなに雨ばかり続くんだろう」と、そう思います。現にみんな「毎日毎日よく降りますね」と異口同音。なにをするのも億劫、夜の街も雨が降ると人影もまばら。週末のお出かけも計画したくはありません。

同じようによく晴れた日が続くと、ずっと良いお天気が続いているように思います。「イヤー、このごろはお天気がよいですねえ。」と。夜の街は結構大盛況。春めいて陽気な宵には、どこから?というほどの人が集まりますから不思議なものです。週末は必ずどこかへ出かけようという気分になるはずですね。

まあ今の景気はそうしたものよ。と言い切ってしまえればラクなのですが、原因が天災ではなく人的災害なのですから、やる気も失せようというものです。

昨日のスガワラサンのお話は、来週の「スガワラサンからの手紙」で、フランスの田舎のワインカーブのお話などと共に掲出する予定です。

きょうの一枚

徒然なるままに、今日は事務所の男子トイレを改装!before&afterをご覧下さい。男子トイレはバリアフリーであります。

それと100%の貯水率の早明浦ダム。かつては米軍のトップガンたちの開くアクロバチックな飛行ルートでした。

 
2009/03/05 (木曜日)

 

「混沌」

混沌とは「こんとん」と読みます。ひらがなで書くと「とんとん」みたいで可愛い感じがします。トントンというのはフランスのルマンの近くでレストランを開いているシェフ・ミトンさんのあだ名だったでしたっけ?スガワラサン。いや、スガワラサンのあだ名がトントンだったかな?なんて考えていたのは、さっきのこと。

ミトンさんは、かつてパリダカールにミツビシで挑戦していた日本人女性のご主人。その彼女は最近までチームスガワラの屈強なナビゲーターとして活躍していました。以前ガストンが初めてモンゴルに参加した時に、ミトンさんはスタッフとして参加。ソウルのトランジットの夜に、ガストン(おっ、ガストンもトントンだ)たちと死ぬほど飲んで、まあかなりボッタくられたのが楽しい思い出!!です。覚えているかな?

ミトンさんからボクへのお土産は、今でも事務所で?大切に使っている栗の木の根っこで作ったハンドメイドのワインオープナー。そう彼の家には後ろの崖に穴を開けて作った大きく古いワインセラーがありましたっけ。このワインオープナーで、事があるたびに事務所でワインを開けては「若いの、軽いの」と、愉しんでいます。それを使うたびに、そのフランスの田舎町の情景やら香りやらを思い出すのも愉しみのひとつです。

いや「混沌」で書き始めたときには、そんなことを書こうと思っていたわけではありません。でもまあいいか?これが混沌というものですから。

さてさて、ドイツでは2月の新車販売台数が昨年7月以来のプラスに転じ、なんと前年比20%増!!これは9年以上のクルマを30万円で下取りに補助を出す仕組み。古くはフランスでも行われました。これはボクのいう定額給付金なんてやめて(もう遅いけど)同じ2兆円を使うなら、クルマを買い替える人に20万円の補助を出すのはどーかね!というオハナシによく似ている。

日本も4月から環境対応車の税制が大きく変わるので、この年度末の登録はまだ伸びないけど、4月からは少し上向くと思いますよ。でも優遇税制!ではまだ景気刺激策では手ぬるいと思いますけどね。

うちの事務所ではイマ試走のタイミングと高速道路の1000円ての適用範囲について、何かと議論しています。

まあいずれにしてもSSER機動部隊の1ナンバーたちカミオン、バス、コースターは適用外かね。ややこしくするほどに混沌とするのです。もう全部一律料金所では700円!!てのはどー!

きょうの一枚

10万ルピーカー、インドのタタの内装。19万円ですぜ。これが自動車メーカーの混沌の第2幕の引き金。3月発売。

 
2009/03/04 (水曜日)

 

「カトリーヌ・ドヌーブ」

故イブ・サンローランの遺産を巡る話題は、なかなか面白くて飽きることがありませんね。彼のパートナー(もちろん公私とも)のピエール・ベルジュは例の円明園のウサギとネズミの話で記者の「例の中国人たら、お金(33億円)払わないらしいですが・・・」の問いに「そんなことだろーと思ったわよ。でも全然関係ないわ。ウサギとネズミとこれからも一緒に仲良く暮らすだけだわ。」と、そっけない。スイマセン、オネエ言葉はボクが勝手に作りました。当然長くイブサンローラン社の会長をお勤めのベルジュさん。その世界の(どの世界よ)権威でもあられます。

60年代から70年代にかけてパリのモード界を変えたサンローラン。「サンローラン・リブゴーシュ」というブランドが発表されて、はじめてボクはリブ(川)がリバーでゴーシュが左、つまり左岸(セーヌ川の左岸の6区?にお店を出したのでした)のフランス語を覚えたのでした。パリダカで「アゴーシュ(左)アドロワッ(右)」の左右のフランス語にも全く迷わなかったのは(スイマセン)サンローランさんのおかげだったの。・・・ナンデオネエコトバ!?

ボクもあの頃のパリにはひどく惹かれていて、いま思い出しても懐かしいことばかりです。パリダカの思い出と共にささやかで、でもちょっとだけ輝かしいボクの思い出かもです。ということは、モンゴルへの思いも旅立ちも、パリの街角から始まったということですかしらね?

さて、カトリーヌ・ドヌーブ、実はサンローランのミューズ(女神)でした。他人と二人きりで会えないほど人見知りなサンローランが、唯一?二人きり出会えたのがカトリーヌ・ドヌーブというお話。随分と若い日には彼女のファンだったボクは、20年近く前に見た映画「インドシナ」で、再びはまりかけてしまっていました。最近はヴィトンの広告で駅に立つコート姿の彼女に、ただならぬ郷愁を覚えたものでした。

なんかわけのわからないOVになってしまったのは訳があります。GLOBECOMPETITION のHPが立ち上がって、そこにもコラムを書かないといけなくて・・・書き始めると「えっとこれはOVだっけ?DV(Directors Voiceというのでありますが・・・)だっけ?」と訳がわからなくなったのでありました。まあそんなこんなで今日の一枚は目の保養もかねて?若き日のカトリーヌ・ドヌーブさん。

そういえば「インドシナ」の映画って第1回のモンゴルの頃に観て、何かのコラムに書いたような気がします。いまのようなネット時代ならすぐさま検索できるのですが・・・

さあてと、ムッホも元気ヨク再始動(旧正月が明けた)のようだし、TBIとモンゴルを濃厚に進めていくことにしよう。


2009/03/03 (火曜日)

 

「木と紙の器を研究中」

リレハンメルオリンピックの開かれた1994年。ボクが飛びついたニュースは選手村のレストランの食器が「eatable」だというお話。つまり食べられる食器なのだ。ちょうどその頃はモンゴルのラリーの立ち上げの準備が最盛期で、「これだ!」と思って動き始めたのですが、あれから15年。何の手立ても出来なかったジレンマ。モンゴルのラリーのビバークでは時折というか最近の傾向として、My食器を持ってこない(特に海外組み)の手によるペットボトルの食器!!「うーむ、これはいかんな。」と再び考える日々。昨年は洞爺湖サミットでWASARAという紙の食器が脚光を浴びたり、間伐材を使用した箸やフォークなどディスポーザブルなエココンシャスなものが続々!!と登場しています。キャンプなどアウトドアで使われる使い捨てのもののなんと味気のないことか!!と、ただいま紙や間伐材で出来る使い捨てなんだけど環境に優れた食器!!を開発中です!!上手くいくことでしょうか?せめてハルヌールのビバークでは、テーブルクロスとグッドテイストなテーブルウエアとワイン!!そんなラリーをしたいのであります。

さて、話は変わります。グローブコンペティションという会社は、SSERORGANISATIONを実質運営している会社なのですがSSER関連の皆様からは「本業はなにですか?」との質問にいつも困っていたボクタチは10年来の懸案だったHPを、ついに立ち上げましたよ!!今日3/3めでたくOPEN!します。なにかとまだまだ充分ではないのですがSSER同様ガンガンやっていく予定ですので、よろしくお願いします。

きょうの一枚

木の椅子。この椅子は寝椅子として最高の一脚。杉丸太をチェーンソーで仕上げたもの。こうした木の椅子も、新しいHPで紹介していこうかな?てか、事務所のベランダと春の畑と陽光の眩しいばかりのコントラストに「四国っていいな」と思いませんか?

2009/03/02 (月曜日)

 

「正統性」

鳥越俊太郎さんがテレビ番組で「正統性 legitimacy」に問題があると、今の政権について語りました。「うむ。正統性か?」と、とりあえず今の政権の「正当性」について語りたかったのではあるまいかと言葉狩りをしてみたのですが、鳥越さんの云う「正統性」は、実に深く法哲学的に正しい使い方でした。この言葉に思わず西アフリカで1月にラリーを開催する権限について考えるにいたりました。ラリー開催の正統性です。正統性とはつまり「正当性の根拠」のことです。鳥越さんは「国民の信を得た正当な政権であるということが正統性があるかないかだ」という観点から今の政権には正統性がないのだと言い切りました。

西アフリカで1月にラリーを開催することの出来る正統性を持つのはTSOを正当に継承(正しくは権利を買収した)ASOであります。フランスの裁判所は、このことを言ったのではないかと思います。オリオールがASOの旧幹部であったかどうかは、法解釈ではあまり関係のないことのように思います。もちろんこうしたこと(新しいラリーの主催)への自由が阻害されるべきではありませんが、また正統は守られるべきでもあるのです。

既報の通りダカールは来年も南米で開催されます。ダカールという言葉と南米開催というのも実は正統性について、すこし「???」と普通に感じるところなのですが。逆に2年も(おそらく3年契約なんていう噂もある)ダカールが、南米で開催され続けることで、ASOの持つ正統性に瑕疵が出てくるような気がしてなりません。南米から去るときのこともまた大きな問題のような気もします。

とまあややこしい話はそのくらいにして、いよいよ3月。本格的な春になりました。TBIの試走が本格的にはじまります。これまでにない全く新しい組み立て!予想外の展開!?これまでの経験者には新しく意外性があり、はじめての参加者には正統な?TBIとしての充実感にあふれている、というコンセプト!!どうぞオタノシミニ。また若干のキャンセルがありますのであと6名ばかりの追加募集も行う予定です。山道にはフキノトウなど、早春を告げる新しい色彩が見つかります。

きょうの一枚

そんなことだろうと思ってた例のイブサンローランのコレクション。中国円明園の12干支。絶対に中国人が凄い金額で落札して「払えない、もともと中国のものだ」と言い張るのだろう、と思ってたら案の定。こんなことで似たもの同士の中仏関係が悪化してるのは困ったこと。西洋列強の博物館や美術館を、そんな話でやっつけ始めたら凄いことに・・・。