Organisation Voice 2008/10

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2008/10/31 (金曜日)

「紅葉前線」

SSER 2DAYSは最近は紅葉の真っ最中に行われます。そこにもみじマークのようなヒストリックエンデューロ部門が!!この最近の大きな話題。どうもこの週末には強化合宿という名目の単なる飲み会が梼原で開催される模様。夜集まって飲んで、翌朝には帰る?というもの???まさに紅葉マークのような集まりではあります。

ヨーロッパの多くの都市は、「旧市街」を大切に保存し守っています。世界遺産となっている旧市街もたくさんあります。日本は、というと「空襲で焼けたからしかたがない」とよく言われるのですが、壊滅したワルシャワも今では美しく古い佇まいを見せているわけです。ナチスによって壊されまくった町の多くは、そこに暮らす人々の努力で見事に古い町並みを復活させています。

人々の心のよりどころが、自身のルーツや家族の思い出に根ざしているのは間違いありません。特に少年時代の熱い思いとそのときの環境・・・たとえば音楽やあこがれていた多くのもので、おじさんの心の大部分は形成されています。そしてその琴線に触れる部分をヒストリックと感じるのでしょう。そんなヒストリーを持たないおじさんのほうが問題なのではありますまいか。

80年代のXRを語らせたら、夜が更けることを知らないおじさんたち。古いことなら何でも知っているのに、まだインターネット環境にないおじさんたち。8時30分にはもう寝てしまうおじさんたち。そんな彼らもSSER 2DAYSのはじまったころはまだ20代後半か30代前半でした。そんなおじさんたちの紅葉前線はだんだん南下中で、山から里に下りてきています。あなたもどうぞお気をつけください。

話は変わりますが・・・追加経済対策の給付金はボクは反対です!!景気対策としてはあまりにも稚拙で安直。過去に公明党主導で導入した「地域振興券」ナゼダカボクのところにはなかった?で、それはそのあと「大愚作」と酷評されたはず。もっと素晴らしい未来を描くことが、大切なはず。とりあえずひとり1万円ちょいを配って3年後には消費税10%!国民を安くみています。

もうひとつ話は変わります。西安−パリ、北京−ローマの大陸横断ツアーはこの2回を持って終了いたします、いつかは・・・というお便りをたくさん頂きましたがゴメンナサイ終了!です。で今計画中は来年からですが、「ラリー・チョモランマ」競技形態はとりませんが西安からタクラマカンを越えて、カトマンドゥまで向かう2週間のラリーです。SSはありませんし参加車両は自由です。高度順応も期間中に行います。8000m級の神々の座をカシュガルからつまり西から東へと眺めながら走り最後は中尼道路(友誼道路)でネパールへ。まあツアラー系が良いでしょうねえ。続報はまた。

SSER2009 TOKYO発表会・・・ラリーモンゴリア2009ほか・・12月初旬にて準備中。詳細は近日発表予定!!

きょうの一枚
JRMのニューウエポン・・・フレンチなコミューター投入!?写真は同社御殿場工場にて改造中のフランス国内で移動用の足に使うというバス!!です。いよいよダカールのシーズンも接近中で、お忙しいことでしょうきっと。


2008/10/30 (木曜日)

「秋たけなわ」

日本に帰り、時差ぼけの酷さに歳を感じ?寝れない夜と眠たい昼を過ごしています。ところで事務所の周囲は驚くばかりの秋の深まり。いやそれにしても昨日も書きましたが、留守の間のあまりもの世相の移ろいには、さすがに驚きを禁じえないではありませんか。

いまだにバブルのときの教訓が生かされていないのではありますまいか。それが人間のサガなのでしょうかねえ?!

外資・・・ああ、なんと甘い響き!!でももう今はとても甘いどころではありますまいて・・ファンド!おお巨万の富を砂上の楼閣に積み上げる近代の錬金術師たちよ!!いまその跳ね馬がかっこいいからという以外に好きでもないのに乗る赤い車はどのような行く末が待っているの??てな具合に浦島太郎のような状況のボクは、ボーッと何も手につかない有様であります。

とはいえ、すでに晩秋のSSER 2DAYS 2008はカウントダウン中!このラリーのフォーマットも今ではクラシックなようで、その内容の面白さは四半世紀たった今でも全く変わりはありません。

毎夜毎夜通って走っていたふるさとの山は(あのころは夜中に走り回っていても怒られなかったのになあ)いまだに魅力的です。

吐く息も白い秋の夜、熱いお風呂を夢に見つつ??

さらに昨今のヒストリック部門の醜い?争いが今年も楽しみのひとつ、ですがこの2DAYSの四半世紀に花を添えてくれているのも確かですね。

きょうの一枚
SSER 2DAYS準備中の久万高原より、また紅葉は浅くてあと2週間かなって感じです。きっと2DAYSのころは山里も見ごろでしょうか。4輪の全日本オールスターラリーも1週間の前後で同じく久万高原で開催!SSERの事務所ではそのポスターやらパンフレットやらも制作中で大忙し?です。


2008/10/29 (水曜日)

「国際物流」

2008年は国際輸送に悩まされる1年でした。イヤ、実はまだ未解決の問題が山積みのようです。モンゴルからの帰国便も、天津で滞貨の山の中で未だに船積みが行えず?!相当な力技が要求される状況のようです。ラリーの荷物をお待ちの皆様、状況が固まり次第後案内をいたしますので、今しばらくお待ちください。大変ご迷惑をおかけしておりますことを、この場を借りまして深くお詫び申し上げます。

またカザフスタンに置いてきた2台とイスタンブールの1台の3台のアドベンチャー・・・これの日本向け輸送も大問題になってきています。予想以上に国際物流が困難になってきてる昨今です。

さて、この1ヶ月あまり、つまり9月20日に日本を出るときと今は全く国内情勢が変わっていて、変化に戸惑うばかりです。さすがに野球に興味のない僕もジャイアンツが優勝したというのにも驚きますが、やはり最大の問題は株価や為替の大きな変化です。

わが世の春の長かった金融も、ここまで厳しくなってきていたかと、改めてアメリカ発のサブプライムローン問題の破壊力の大きさを思い知らされます。もちろんボクは麻生さんが総理大臣になったという噂は聞いていましたが、新しい政府がどのような財政出動をしてどのような景気対策をするのかなんて知る由もありませんでした。

そこで世界を1ヵ月あまり旅して感じることは、やはり豊かさの根底にあるものは食料だろうということ。ウクライナですがな。あの広大で肥沃な農地は最大の価値を生み出すことでしょう。世界は金本位制から、小麦本位制?とか水本位制?とかに変わるんじゃないだろうか?

また国民平均所得が2万円とかの国々で、ガソリン代が200円とかってするわけで、満タンにすると1ヶ月の給与の半分以上使っちゃうのか・・・と感慨深い。

この先どうなるのか・・・という先行きの不安は豊かさの実感を極度に消耗させるものです。つまり豊かさとは、将来の明るさの量に応じて決まるものなのではないでしょうかねえ。


2008/10/28 (火曜日)

「無事帰国」

さまざまなことがあったのですが、夢のような日々は、あっという間に過ぎます。過酷だったのか?という問題が投げかけられていますが・・・2日間のローマ観光では「疲れたよ、バイクに乗ってるほうがラク!」「???」てな場面も。とまれ世界を旅して感じることは少なくありません。人類とはなにか?人類はどこへ行くのか?文化と歴史は、今の我々に何を語りかけるのか?大自然の変化のもつ真の意味は?豊かさとは?真の豊かさとは?

これから時間をかけてとき解いていきたいと思います。テレビ放送もお楽しみに。


2008/10/24 (金曜日)

08/10/24 バーリ−ローマ 510km 「トゥーランドットを聞きながらゴール」

バーリの港を降りると快晴だ。ここのところ最高の天気が続いている。僕たちはアルベロベッロへ行くかどうか悩んでいた。そして選んだのはナポリまでのアウトストラーダ。つまり走ることを選んだ。

i-podはプッチーニの歌劇トゥーランドットのアリアが流れる。あれは100年ばかり前のこと、北京を舞台にこのイタリアの作曲家が描いた世界だ。当事はここから北京をどのように見たのだろうか。歌劇に登場する人々は名前を聞けば中央アジアの人々の名前だ。

ローマへたどり着いた感激は大きい。ただこの旅の中身はそれぞれにどのようなものだったのだろうか。トゥーランドットの謎かけのように答えはまだでない。

最新更新時刻 10/25 10:25

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2008/10/22 (水曜日)

08/10/22 イスタンブール-テッサロニーキ 615q 「エーゲ海に捧ぐ」

久しぶりにみんながそろった。天候も気温もエーゲ海沿いの道の素晴らしさや景観、そのどれをとっても最高の一日となった。ライダーとして最高の一日だったろう。思えばこの日のためにここまでの道のりがあったといってもいい。過酷な道のりこそは、乗り越えてたどり着く喜びのためにあるのだ。

ギリシャでは、道端の酔っ払いからも歓迎されビールを沢山頂くことになる。いやもちろん持っていってホテルの冷蔵庫で冷やしてから飲むのだが。ガソリンスタンドでは、洗車を「ギフトだよ」と気持ちのいい青年たち。昼食の港町は絵に描いたようなエーゲ海の港町。ボクは池田満寿夫の「エーゲ海に捧ぐ」を思い出しその描写が時間と倦怠感と不思議な感覚を与えていたことを思い出しまた読んでみたくなった。

とにかく最高の一日だったことは、昨日までの不運続きがもたらしてくれたのだろう、神に感謝。とまで思わせる最良の一日だった。

最新更新時刻 10/23 07:00

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2008/10/21 (火曜日)

08/10/21 イスタンブール「再び事故発生。」

夜を徹して走っていて。ブルガリアの黒海沿いを走ってる午前4時過ぎのことだ。イスタンブールへ先に向かったチームから事故発生の連絡が入る、どうもかなりシリアスなようで、いま救急車を待ってるという。

「まだ走っていたのか?」

なんと彼らはブルガリアを出国した後、間違ってギリシャに入国してしまったらしい。再びギリシャを出国してトルコに入国する手続きをしてるうちに、かなり遅くなったようだ。

「我々も全力でそちらに向かうから事故の状況の把握と、今後の対応を教えろ」

夜明け前にトルコに入国した。そののころには怪我の程度も思もったほどのものではなかったことがわかりひと安心。

イスタンブールには昼過ぎに到着した。坂道の路地に迷い込みホテルに着くまでに何か観光して多様な気分だ。

3つしかなかった三角巾・・・6人のライダーのために3つの三角巾が必要かどうかという悩みは見事な形で証明され。現時点でリタイア率は50%に達した。事故はシリアスなものだったが、結果は不幸中の幸いとはこういうことを言うのだろうと行くこととなった。午後からは全員集まってミーティング。この旅の過酷さに焦点が当たる。

最新更新時刻 10/23 07:00

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2008/10/20 (月曜日)

08/10/20 オデッサ−イスタンブール 1225km 「決死の26時間走行」

ホテルで睡眠不足の頭を、熱いコーヒーで覚醒しながらこの町の南はずれにあるモルドバ領事館の場所を聞いた。高々数百メートルの道路を走るために往復600kmを走ってビザを取りに来たのだ。そのビザがすぐに出るなんて保証は無いのだ。良くて明日、場合によっては3日!とかって言われるのだろうか。ホテルの前にとまる英語の話せるオヤジの運転するタクシーに乗った。

「モルドバの領事館は分かるか?」

と地図を見せると、勢いよく発進した。古いボルボだがなぜかレーダーが付いている。

深い木立の並木道の続くこの古い町で、モルドバの領事館に駆け込む。理由を説明する。みんなはルーマニアの国境を越えたところで夜を徹して待っている。と嘘をついた。まあ嘘も方便である。

「この伝票をもって、どこそこにある銀行で入金してきてくれ」
「ちょっと待て、現金でこの場で払うよ」
「それは出来ない」

それから銀行を探すのかとうんざりしてると、タクシーのオヤジが急に張り切りだした。銀行の場所を聞くと全開で飛んでいく。お役所仕事のような銀行の窓口に文句を言いながら、それでも20分くらいで領事館に着くと、なんとすぐにビザは発給された。午前11時だ。まだこれならチャンスはあるぞ。一度はイスタンブールをあきらめていたのだが・・・・

ブカレストで出発準備を整えていたチームに

「今日は予定通りイスタンブールへ向かってくれ。我々は黒海沿いのルートで直接イスタンブールへ向かう。明日の昼には着くだろう。」

そう約束して走り始めた。今日中にウクライナからモルドバ、ルーマニア、ブルガリア、トルコ!と5カ国を旅するのだ。果たして無事にイスタンブールに着けるのだろうか。

最新更新時刻 10/23 07:00

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2008/10/19 (日曜日)

08/10/19 オデッサ−ブカレスト 570km 「悲嘆に暮れた日」

オデッサから黒海沿いに進む1日。ウクライナとルーマニアは国境を接しているのだがなぜだか国境のゲートが無い。強制的にモルドバという小国を通らなければならない。しかもその距離は600mばかりだ。確かに国境エリアはドナウデルタで美しい風景や生態系を有していて、黒海の豊かさをさらに魅力的なものにしている。日本からの報告ではどうもこの地帯に渡航危険情報が出たとのこと、移動を慎重にしながら不意の事態に備えることにした。オデッサから300km、モルドバの国境でのことだ、参加している李さんは韓国のパスポートだ。

「トランジットビザが必要だ。」とボクに。

「分かった。どの部屋に行けば発給してもらえるのか?」

「オデッサだ」

「オデッサだと?!」

その迷彩服を着た女性兵士は冷酷にそう告げた。その氷のような目はどうしようもないことを物語っていた。

そして李さんと1台のサポートカーはオデッサに引き返すことにした。

深夜ホテルに再び帰りついた。

明日は朝から領事館を探して即刻発給できるように交渉するしかあるまいな。疲れ果てた頭の中で対応を考えつつ、ブカレストに向かった残りのメンバーも無事に到着したほかのメンバーの無事に到着したとの報告を受けて急いでベッドに潜り込んだものの眠りに落ちるどころではなかった。

最新更新時刻 10/23 07:00

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2008/10/18 (土曜日)

08/10/18 「オデッサの休日」

黒海沿岸のリゾート地オデッサを満喫する1日。町は古いがBang&Orfsenのショップがあったり!?アンティークな家具屋などが軒を連ねている。遅いランチをロシア料理を楽しみ、町を歩き海岸へも行った。間違いなく古きよきヨーロッパのリゾート地だ。ディナーも素晴らしかった。ロケーションも最高で旧ソ連の幹部たちの趣味の良さ?いや贅沢振りが窺えた。

明日はウクライナを後にルーマニアの首都、ブカレストへ向かう。黒海沿いの旅もひと段落してバルカン半島を縦断する。

最新更新時刻 10/23 07:00

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2008/10/17 (金曜日)

08/10/17 ハルキフ−オデッサ 685km 「海へ」

豊かなウクライナの大地を駆け抜けると、南下するにつれ気温も上がりまるでアンダルシア地方を走っている錯覚にとらわれるほどだ。なるほど黒海沿いのこの地がリゾートなのが分かる。そしてさらにオデッサの町に向かうと、かつてのパリダカのころ感じた冬のパリから、暖かな南フランスの町に着いたようだ。町の佇まいは古く、エカテリーナ女王の手により建設されたオデッサは、ナチスに徹底的に破壊されたとはいえ、ロマノフ王朝の深い美意識と哀愁とが漂うではないか。

そして我々はついにユーラシア大陸を渡り、天津以来「海」に着いた。洋の東西を分かつ10000kmは、こうしてシルクロードを通じて結ばれていたのだ。

ひとつのゴールにたどり着いたようだ。

ところでウクライナは要注意だ。とにかく経済発展と豊かさに満ち溢れている。その根底にあるのは農業生産の豊かさだろう。近年の温暖かも追い風で農業生産量も急増中。小麦などの囲い込み?輸出規制で海外から批判を受けているが地元の人間に聞くと「そんなの勝手な話だ」と言う。それはそうだろうと思う。

そのさらに根源を探ると「水」の豊かさだろう。ロシを貫くボルガもすごいが、ウクライナも巨大な川が流れている。今日の昼食を摂った黒海より300km以上の内陸部でさえニェプロ川は明石海峡より大きい。さらにアゾフ海にも大河が滔々と注ぎ込んでいる。

水は21世紀の石油だろうと思う。いや石油には代替があるが水にはそれがあるまい。

農業生産には大量の水が必要だ、工業生産にももちろん必要だ。

つまりこの旅で感じたもの。それはロプノールやアラル海に表される水を失いつつある中国、カザフスタン。そして豊かな水の恵みをふんだんに享受するロシアやウクライナ。

さらに温暖化が利して?農業生産性の上がるこの大地が、いつの日にか世界を動かすに違いあるまいと思う。

旅は明日の休日を経て、バルカン半島の横断に挑む。かつて世界の火薬庫と言われたこの半島は21世紀の今、つまりあの激動の1989年から20年たった今どのような表情を見せるのか。残された国々はモルドバ、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、ギリシャ、そしてエーゲ海クルーズでイタリアだ。うらやましいでしょ?

最新更新時刻 10/18 16:02

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2008/10/16 (木曜日)

08/10/16 ボロネシ−ハルコフ 340km 「美しきウクライナに感動する」

予想のほか国境越えは簡単に終わった。そう言えばウクライナはビザが不要なのだ。明るいうちにハルコフの町に着いた。美しさと豊かさにビックリ!町を行く車もX6!?やカイエン、レクサス、とにかくそんな新車が多い。それに混じって古いラダのセダンがかっこよい。街行く女性の美しさはどうだ。少し古いパリのような町に、早速カメラ片手に歩いてみると、恋人たちが集まる公園は美しい。この経済力はなんだろうか?ホテルのディナーに舌鼓を打ちつつそんな話に花が咲く。おおそう言えばリタイアした二人、福田さんと津村さんは無事日本に到着したとの報告を受けて、一同大安心。みんな気をつけてローマまでたどり着こうと決意を新たに。

ふたりのバイクのキーは車のルームミラーにくくりつけている。

さて明日はいよいよオデッサに向かう。クリミアのリゾートの休息日が待っている。

最新更新時刻 10/17 13:06

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2008/10/15 (水曜日)

08/10/15 サラトフ−ボロネシ 486km  「豊かなロシアの大地」

サラトフはボルガ沿いの細長い古い町だ。みんな疲れているので今日は遅い出発とした。出発した後にボルガが見られると思っていたら大きな勘違いをしていて、サラトフの町を背にどんどん丘陵地帯を登っていく。振り返ってもボルガは朝霧の中に沈んでいるばかりだ。それにしても「母なるボルガ」とは喩えて妙である。あのカスピ海へ注ぎ込むこの巨大な川こそがロシアの豊かさであり、大地の豊かさだ。母とまで大切に思うこの川は、アラル海に流れ込むシルダリアやアムダリアとは決定的に違うのだ。

そして西へ向かう台地の中に延びるひと筋の道には、急速な経済発展を続けるファンダメンタルとしての穀物の畑や、青々とした牧草地が遥かに続いている。やはり豊かさの根源は第一次産業の力にあるのだろうと思う。

ボロネシの町は古い帝政ロシア時代の佇まいを見せていた。五つ星のホテルは快適で、この旅には似合わないようで、実は心から疲れを癒してくれる。ロシア料理のディナーは素晴らしい。

さていよいよ明日はロシアを後に4番目の国ウクライナに入る。ウクライナはロシア料理のふるさとなのだ。

最新更新時刻 10/17 13:06

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2008/10/14 (火曜日)

08/10/14 ウラリスク−サラトフ 415km 「強烈な国境越えと暴走族」

いよいよ今日はカザフスタンの長い旅を終えてロシアに入国する。この手続きが大変なのはご存知だろうか?11時に国境に着いた。カザフの出国は比較的スムースなのだが、ロシアでは困難を極めた。すこしばかり時代が逆戻りしたようだ。それに紛争地域も近いのだ。ここでも8時間を費やす。ゲートをくぐり入国したころには太陽は地平線にあって赤く、この国を思わせた。風景は人の心でどのようにも変わる。

それでも古い佇まいを残すボルガ川河岸の町サラトフは、素敵だった。明石海峡よりも広く深い海のような川を渡ると、サラトフのバイカーたちの歓迎を受けた。ホテルまでのウエルカムパレードは、彼らが周囲をがっちりガードして、交差点ではかつての暴走族よろしく、彼らが左右の道路を封鎖する。おかしいやら嬉しいやら・・・しかしそれに道をふさがれたクルマたちも手を振って歓迎の意思表示。国境で感じたいやな思いが少しばかり、そんなことばかりではないのだろうかと感じたのは事実だ。

歓迎される、ということは旅人には大きな幸せなのだ。明日はボルガの辺からメッセージを送ろうかな。

最新更新時刻 10/16 03:31

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2008/10/13 (月曜日)

08/10/13 アクトベ−ウラリスク 580km 「ナイトランが続く」

アクトベを出発するのは午後までかかった。二人の帰国の手配や車両の返送の手続きに日本との時差や「休日なの?今日は。」てな感じ。冷たい雨の降る町の中を食料品の買出しに行きホテルの前のウクライナ料理を楽しんだのはいいけど、スタートするときにはやはり胸が痛んだ。ふたりに手を振られて激しいデジャヴに襲われる。それもそうだあの時1992年のパリ北京。シムケントからのSSでチーム2台のクラッシュで、まるで今回と同じようなシチュエーションだ。しかも場所も同じシムケントのあとじゃないか。これはデジャヴではない。因縁じゃないのだろうか。走るバイクの姿が6台から4台になったのにはこれまたかなり大きな寂寥感が漂う。遅い午後の出発は、当然日付が変わってからの到着になる。しかも道路はいたるところで工事中、折からの雨でスリッピー。

まるでラリーのように、決められた行程をその日のうちに消化しなければならないのだ。これがまたこの旅の醍醐味かもしれない。そして国境の町の灯が心にしみた。

ウラル山脈の南に位置するウラリスクだ。

最新更新時刻 10/16 03:29

 

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2008/10/12 (日曜日)

08/10/12 アラル−アクトベ 680km 「ラリーのごとく」

ふたりのケガ人をサポートカーに乗せて旅は北に向かった。レントゲンの写真を日本に送った。どのように判断をしても、このアラルの前世紀のような寒村に留まらせるわけには行くまい。それでも福田さんはローマまで行くというが、日本の医師の判断は厳しい。幸いなことにどこにいても携帯は繋がるようだ。

昼前、150kmほど走ったころ李さんのマシンがギャップでフロントフォークを曲げてしまった。見るとどのような事故でこんなになるのだろうか?というほどグンニャリ。エンジンにフロントタイヤが当たっている。しかし李さんは転倒をしていない。「???」このカラクム砂漠を北に延びるルートは、行き交うクルマの姿もまばらだ。給油さえかなり問題だ。1台のサポートカーを一つ手前にあった小さな集落に引き返させ燃料とトラックの手配に当たらせる。この間に昨日事故をして、今日は岩崎君の乗る津村さんのマシンのフロントフォークを李さんマシンに移植する。それ以外のパーツも極力移植することに。つまりトラックに積もうとしたのはこの津村さんのマシンなのだ。

留まること5時間。日も暮れかけたころ、色とりどりのピーマンというかパプリカを満載したトラックがやってきた。このピーマンを片付けるのが一苦労だが、無事にピーマンの中にBMWは納まった。一枚の広告写真が撮れそうだ。

そして再スタートしても強烈な悪路が続くのだ。アクトベの町には夜明け少し前の5時過ぎに到着。疲労困憊だが「昔のパリダカのようだ。」とボクはちょっと喜んだり?しかし明日の、いや今日のスタートはどうなるのか。

最新更新時刻 10/16 03:25

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2008/10/11 (土曜日)

08/10/11 クズルオルダ−アラル 465km「事故発生」

アラル海へ向かうこの旅のハイライトの1日。残念なことに朝は冷たい秋の雨が降っていた。このカラクム砂漠の中の一筋の道には、食堂などあろうはずも無く、世界でもっとも侘しい直線路の旅となった。午後、太陽が顔を覗かせた。アラル海が近いのだろう道端で干し魚を売る女性の姿。福田さんはその姿に思わずブレーキをかけた。津村さんがそれに接触。ふたりは転倒。アラルの町の病院に向かった。それぞれ右肩を骨折して、ギブスと三角布でホテルに帰ってきた。しきりに残念がる二人を囲んで、それでもにぎやかな夕食となった。

ホテルはかつて港町だったこの町がにぎやかだったころの面影を残していた。ロビーには水を満々と湛えたアラルの港が描かれた油絵が光る。

港に足を運ぶと確かに港のあとに鉄の船や、大きなガンとリークレーンが真っ赤に錆びて時を溶かしてしまっていた。

老人に出会った。深く刻まれた皺にこのアラルの海の物語を感じた。

最新更新時刻 10/12 02:

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2008/10/10 (金曜日)

08/10/10 シムケント−クズルオルダ 740km 「シルダリアの港」

シルクロード有数の町シムケントを出発。今日の楽しみはトルキスタンの町と、シルダリア川に出合うことだ。トルキスタンはカザフのメッカと呼ばれるほどのイスラムの聖地だ。遠くからも大きなモスクが見える。そしてゴールのクズルオルダの町はシルダリア川の中流500kmに位置するのだが、地図には港のマークが記されている。夕闇の迫るころ町に到着。さっそくシルダリア川の港を見に行きたいのだが、町の人は「そんなものは無い」という。既に水を失いかけたシルダリア川は、悲しい鈍色の水を湛えていた。

最新更新時刻 10/12 02:13

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2008/10/09 (木曜日)

08/10/09 アルマティ−シムケント 735km 「16年前の記憶」

アルマティは朝の大渋滞。西に向かう道はともかく、市内に向かう道にはおびただしいクルマが溢れている。経済発展の続くカザフの古都だ。そしてキルギスタンのビシケックへ向かう。もちろん町の手前に国境ゲートがあるのでビシケックには入れない。このビシケックは1992年のパリ−北京のときの中継地だった。つまり過酷なラリーのつかの間の休息日だったのだが・・・問題はあの時のこのルートだ。シムケントからビシケックへのSSでわれわれのチームは、2号車と3号車が正面衝突をしたのだ。勝ちゲームにオウンゴールで逆転を許した時のような気分だった。こんな場所に再び帰ってくる日があるとは。

長い時間地図を眺めながら、ボクの人生を決定的に変えてしまったあの16年前の記憶をまさぐっていた。ルネメッジは「羊飼いの少年・・・」みたいなことをその日のルートインフォメーションに書いていた。山を越えビックリするような尾根筋の逆キャンバーにバクバクしながら走った。あの左の山だったろうか・・・ともかくあのパリ北京に今まで拘泥している人間が他にいるのだろうか?そんな事を考えながらもあの当事よりは見違えるほどに近代的になった何もかもを、疎ましく思うながらも西に向かった。みな驚異的なロングステージを苦も無く走り抜けて、夜の帳の下りたシムケントの町に滑り込んだ。イスラムのにおいの強い町が異邦人の我々をどのように包んでくれる事だろう。

さて今から夕食だ。

最新更新時刻 10/10 02:09

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2008/10/08 (水曜日)

08/10/08 アルマティ 休息日 「アルマティの休日」

疲れきって昼まで寝よう、と口々にそう言って寝たものの、何時もどおり暗いうちから目が覚めて、午前中はマシン整備に追われた。午後には若者の集まるカザフのトレンディ?なレストランで、おいしいパンとボルシチ、是非にと進められたカザフの郷土料理。休日の午後を楽しむ愉快な会話に時の経つのも忘れるほど。その後バスに乗ってバザールと博物館に。食料品に果実の豊かなバザールは楽しいのだが何故か撮影禁止にがっかり。

いよいよ明日からは未知のルートへ向かう。シルダリア川に沿ってアラル海までを2日間の行程で走る。今回の2つ目のアドベンチャーだ。

最新更新時刻 10/08 22:00

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2008/10/07 (火曜日)

08/10/07 イーニン−アルマティ 449km 「カザフステップへ」

イーニンを朝暗いうちから出発、朝日が背中に当たるまでの寒気にたえながら走る。やがて雪を頂いた天山山脈の姿がピンク色に染まる。朝焼けは予想ほどではなかったが、新しい次の旅の始まりのような予感というか歓びが満ちてくる。しかし不安なことが一つ。もちろんそれは中国側の通関の問題だ。

10時の予約の国境の税関に到着。目指すは午前中の出国だ。中国側スタッフで通関担当の女性は、天津でも大暴れしてたが?ここでも前日入りして準備は万全!!いざ通関「12時に来て!」「・・・・・」で、12時まで洗車して時間をつぶす。

「さていよいよ通関!」「2時までお昼休みなの」「・・・・・」じゃあわれわれも最後の中華料理を!ととぼとぼと国境の食堂。カザフ人だかウイグル人だかの親父のレストランは、もち無国籍。

「さあてといよいよ2時だ。」「あら、3時30分までなのよお昼休みは、そう言わなかった?」もちろん僕がその場にいればきれまくっとのだが・・・

いよいよ3時半、カザフ側の国境ゲートも時差があるから完全に昼休みも終わっただろう。それでもたった一枚の書類にはんこを押すだけの税関の女性はサボタージュ。ついにそのたった1個のスタンプをもらえたのは18時。予約から8時間後。そしてカザフ側に入ると気の遠くなるようなトラックの列。日曜日まで国慶節の長期休暇だったことを差し引いても、この仕事ぶりではお話にならない。

まあそれにしても、なんとかカザフに入った。目指すはあと400kmの彼方。かつてのこの国の首都アルマティだ。

昨年は夜中に到着して夜明け前にホテルを発ったから町の様子はよく分からなかったが、森の中に沈む素晴らしい町だ言う印象は強かった。今回は休息日があるので、マシンのオイル交換などを終えて観光に出かけることとしよう。

シルクロードの趣は薄いが、ホテルの前にはロシア正教の教会が威厳を放っているし、天山山脈は相変わらず聳え立って辺りを睥睨している。

カザフ族やウイグルの民に加えて、ロシアの人々が暮らすこの町は、東西の文明がここでもまた見事に融合して文化と歴史が花開いていた。

最新更新時刻 10/08 22:20

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2008/10/06 (月曜日)

10/6 ウルムチ−イーニン 680km 「中国最後の夜」

ここ新疆ウイグル自治区イリカザフ自治州の州都イーニンに到着。行政単位が区の下に州があるのも独特だ。ここはイリ川流域の肥沃な大地だ。イリ川はカザフスタンの巨大な湖バルハシ湖に向かって流れ込み、大きく肥沃なデルタを形成している。当然豊かな大地で古くから民俗がその土地を巡る争いを繰り返したことは想像に難くない。標高2000mにある天上の湖サイラム湖は周囲の天山山脈の冠雪を映しこんで凄絶な風景となっていた。

イーニンでは昨年と同じホテル、北海道の山口さんが昨年無念の思いで置いていったロプノールの岩塩を植え込みあたりを探してみたが見当たらなかった。

いよいよ明日、一つ目の国境越えに挑む。長くさまざまな思いの交錯した中国パートの日々もついに終わる。

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2008/10/05 (日曜日)

10/5 トルファン−ウルムチ 183km 「天山北路へ」

今日はもっとも短い行程だ。理由は一つ。ウルムチに新しくなった博物館に楼蘭美女のミイラを見学に行くのだ。もちろんそればかりではなくここまで旅をしてきた新疆ウイグル自治区の歴史などの再確認だ。

早い午後にウルムチに到着。にわかには信じられまいが高層ビルの連なる近代都市に変貌している。世界中で最も海から遠い都市なのだが。

新疆は3山と2盆地から成り立っている。南には崑崙山脈、7000m級の山々が連なる。そしてその北に広大なタクラマカンを要するタリム盆地、そしてその北には天山山脈、ジュンガル盆地、アルタイ山脈と続く。

今日はトルファンで天山南路に別れを告げて、北路に入った。南新疆は広大な乾燥地帯で歴史的な遺跡の宝庫だ。一方北新疆はジュンガル平原に覇を競った戦いの歴史に彩られている。

博物館には4体のミイラがあった。楼蘭美女、小河美女。数千年の過去から現れたのに美しい文様の着衣や、獣毛で丁寧に余れたニットの着衣は、まるでここ数十年のものを思わせる。ヘンプで出来た靴を履いている。

この文明に深さにも感銘を受けずに入られない。紀元前2800年ころに、このような文明があったのだ。

ウルムチは漢化政策が進み、トルファンがイスラムの香りが紛々としていたのに比べ、とても中国的だ。市内中心部にある秋葉原のような街に行けば、多くの人々が買い物を抱えて歩いていた。テレビ制作上、彼らにインタビューを試みた「スイマセン、日本のテレビ局ですが・・・」その続きはテレビ放送でお楽しみください。中国パートも今日と明日の2日間だ。明後日にはついにカザフスタンに入ることとなる。

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2008/10/04 (土曜日)

08/10/04 トルファンの休日

予定外に出来た休息日だ。こうなれば観光だ!!まずクルマを連ねて高昌故城の見学に向かった。そしてたっぷりと一日を過ごした。ベゼクリク千仏洞も念願だった。ウイグル族の家にも出かけた。折から葡萄の収穫も終わり新しい干し葡萄の甘酸っぱい香りが遥かシルクロードを肌に感じさせるではないか。

明日はウルムチまでの短い道のり。前半部分のちょっとしたごほうびのような数日間だ。

最新更新時刻 10/05 01:41

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2008/10/03 (金曜日)

08/10/03 ハミ−トルファン 403km 「天山山脈を行く」

トルファンに向かう途中、といってもほぼトルファンに近いところに善善という町がある。かつてパリ−北京1992でもビバークに使った町だ。町の南には、遥かに連なる砂丘のうねりが望める。岩山のふもとの砂の中を、うめくように走ったあの時の記憶が鮮やかに蘇る。思えば、あのラリーが良くも悪くも運命を決めたのだなあと。

その砂の連なりの向こうには、行こうとしてもなかなか行くことの出来ないダンダンウイリクや楼蘭故城が時空を越えて存在するのだと思うとやはり琵琶馬上に催す、といったところだ。

こうなれば明日を休息日にして、徹底的にトルファンを見てやろうと思う。

最新更新時刻 10/05 01:41

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2008/10/02 (木曜日)

08/10/02 ロプノール−ハミ 483km 「ルート変更。」

朝、重い体をひこずりながらテントをたたむ。今日はロプノールを経て米蘭、チャルクリクまで長く険しいオフロードの一日だ。いやそれにしても仏教美術と歴史をたどる感激の一日になるはずだった。

しかしそんな思いをあざ笑うかのように、さらにルートは困難になった。それにしても昨年のピストはいったいどこに行ったのだろうか。

スウェン・ヘディンがタリム川をタマリスクの幹で編んだ筏に乗って下った、あのロプノールだ。

午後、ロプノールの町に着いた。誰もがヘトヘトで早く次の行程に取り掛かりたかった。そしてこの町にはありえない、いや町だなんて書くから人が住んでいそうに聞こえるのだが塩を運ぶトラックのドライバーのための食堂兼仮眠施設があるだけのところだ。しかし巨大な発電施設が出来ていた。そしてその先へのわれわれの通行許可は、完全に無視された。公安がまったく通行をさせない。これはただ事ではなかろうと、怪しげなトラックが列を成して進む北からのロプノールの道を反対に、ハミに向けて脱出することにした。

なんとなく走っている間は気がつかなかったが、黒々とした不安を胸にベッドに潜り込んだ。しかし今度は逆に予定が1日余裕が出来た。明日向かうトルファンは本来の行程は明後日なのだ。

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2008/10/01 (水曜日)

08/10/01 敦煌−ロプノール 268km「過酷な道のり」

美しい夜明けの光を背に、敦煌を出発する。彼方には砂丘の連なりが続き、玉門関に向かう道は荒涼たる土漠の中だ。玉門関からはまだ少しだけ舗装路が伸びてヤルダン中国地質公園まで、観光バスがひしめく。今日から中国は国慶節を祝うゴールデンウイークなのだ。やがてその奇妙で不思議な形の岩山の中を西遊記のごとく西に進む。

そしてついに、砂のなかに突入。昨年のルートなのだが、砂の量が半端じゃない。重いアドベンチャーには苦しいシチュエーションが続く。

やがてサポートのデリカにトラブルが発生。スターターが回らなくなった。配線をやり直すのに1時間30分ほど要してしまった。

続いてルートがまったく無くなった。これまでか細い塩の道があったはずだ。道のりは過酷を極めた。予定のロプノールの製塩工場の町(といっても何も無いところだが)まで80km以上を残してビバークを余儀なくされる。

果たしてこの道のりでたどり着けるのか。不安な夜を、それでも満天の星をめでながらわずかばかりの食料を分け合い、コオリャン酒を呷ってシュラフに潜り込むと、楼蘭王朝の夢でも見よう。

最新更新時刻 10/05 01:40

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