Organisation Voice 2013/1

 

 

2013/01/31 (木曜日)

「SSER ダッフルバッグ物語」

ラリーモンゴリアが近づくと参加者にSSERからダッフルバッグが送られて来ることは知られていますよね。
実はこのバッグにはいろいろな物語があるのです。そもそも誕生した経緯もお話しないといけません。それにこのバッグ、いまから注文して縫製しなければ間に合わないので最終の参加者数もわからないうちからデザインして発注することになるのです。しかも素材は、例えば今回の青色としますか、これを1巻たぶん100mを仕入れて裁断して縫製するのですが、この経済ロットが問題なのです。

毎年、色を変えてコーディネイトを愉しむのもボクの楽しい作業で、その時代時代のトレンド(自分の)や気分が反映されています。
1998年パリダカ、地中海を渡るフェリー乗り場。日本人のエントラントが沢山並んでいました。その手には、なんとみなさんモンゴルの10kgバッグが・・・・・
「ちょうどいいんだよね。」
と。

またあるときはとあるSA。「おっ1200GSが・・・」テールには見覚えのあるSSERの10kgバッグ。しばらくライダーが帰ってくるのを待っていると、全く知らない人。その方もこちらに一瞥をくれると、さっと跨るや走り出してしまいました。

このバッグは、1995年の第1回大会にはなかったものです。第1回大会の混乱は、参加者のバッグがビバークに届かないことでした。無理もありません、この大会はワンウエイで1日の行程は少ない日でも500kmを越えていました。

そこで2回大会からは、ヘリ1機を貨物輸送に振りわけることとしました。そこに預かれるバッグはせいぜい600kgまで。60人のライダーから預かるとすれば一人10kgに限定されます。
そこで、パンパンに詰め込んでも10kgになるサイズはどのサイズか?一人用のテントとシュラフとを入れられるギリギリのサイズは?

いくつものバッグを購入してきては、テストをして決めたのが、この10kgバッグ。いまでは2種類のサイズを作るのですが、今年は10kg20kg、果たしてどのような使い方をしようと考えているかはお楽しみに。

2013/01/29 (火曜日)

「ロードマップとSSER オフィシャルウエア」

政治用語やマーケティング用語にもなりつつある「ロードマップ」
検索してみると・・・
「ロードマップとは、企業が将来リリースを予定している製品をまとめた図表のこと。時系列で各製品の世代的な前後関係が分かりやすく記載されている。

もちろんロードマップに記載されている内容は予定にすぎないため、企業戦略の変化に応じてロードマップも随時改訂される。ロードマップは将来の業界動向を知る貴重な資料であるため、特に専門家や投資家にとってはロードマップは欠かせないものである。」
とある。
「???」
そうなんだ。
でも残念ながら本来の意味は違う。

おやひょっとしてRoad mapじゃなくてLoad mapなのかと調べてみても、どうも判然としない。結論としてボクは「そういう使い方をやめてもらいたい」のであります。

ロードマップとは頭文字がRであろうとLであろうと・・・

まあ話は変わりますがSSERのオフィシャルウエアの感度向上委員会。ただいま試作モデルが完成しました。MaxFritz製です。リバーシブルのインナーと、ちょっとマウンテンパーカのようなジャケットの組み合わせ。素材も色もばっちり。ジャケットはエア抜きもついて、しかも革づかい。

サイズはボクが52.その下のLが50、Mが48.Sが46の4サイズ構成です。
左袖に写真の刺繍。SSERのロゴはマジックテープ仕様にして取り外しができるものにする予定です。


2013/01/25 (金曜日)

「寒い中にも、ちょいと春の温かさを感じたらTBI」

今朝がたはあたたかな四国にも雪が舞っていました。雪がやむと次は日差しが。気温は低いのでしょうが、なにかしら暖かな気配を感じています。そしてなにか不思議なことに、それも急に「バイクに乗りたいなあ」とふつふつと。
忙しいから乗れない、なんて言うような言い訳もないし。まあ足腰が痛くて乗れないというのや、すっかり悪くなった目も問題で・・・とかなぜだか乗らない言い訳ばかりを枚挙しているわけでした。

でも物心ついた時から乗っているバイク。あの時代、それに乗ったとたんに翼が生えたようになって身も心も、どこへでも飛んで行ける、その自由。

ああバイクの乗ろう。もう一度走り出そう。
本当にそう感じて、空を見上げている今朝でした。

そして間もなく出来上がる試走用のランクル70で、TBIの試走がはじまります。
大阪から九州そして四国へと、フェリーを乗り継ぎ山々を越えて。まるでバイクに乗り始めてどこへでも飛んでいけるような気持になったあの時のまま。
名前も知らない峠を越えたときに見える次の風景のために、山道を走る時のように。

さあ今年のTBIは見逃せません。マシンまで作って気合の入っているSSERをお楽しみにね。

スーパーTBI プレエントリー受付中!!
2013年2月20日 プレエントリー第2次受付締切、サポートカー登録締切
http://www.sser.org/tbi/

きょうの一枚

TBIの旅の途中で良くいただくのがこうした岩魚、、四国ではアマゴとかアメノウオとか、九州ではエノハとかああここらあたりはカオルさんが一過言持っているので、九州パートで聞いてください。コース制作者の皆さん、1日3つは名物料理の店をいれてね。ボクも行くぞっと。

2013/01/23 (水曜日)

「SSER Official Rec. Model 間もなく完成だ、ふふふ。」

懸案のコマ地図の精度。その問題解決に乗り出したボク。
回答は「四国と九州と北海道を、1つのマシン、1つのテラトリップ、1つのタイヤで同じ空気圧で同じ補正値で測る。」ということ。

あとは制作者のコンセントレーションと血液型に委ねるしかない!
と「オフィシャルコース制作車」を製作中。
といってもマシンは94年製のランクル77で走行距離はもちン十万キロ。モンゴルも数年間走っている。したがって制作というよりも臓器移植手術をしているようなものだ。

ブレーキやブレーキホース、ウォーターポンプなどを取り換えクラッチ系統や足回りの交換。最大のボクの悩みのシートはレカロに替わる。へへんだ。
ステアリングも「次のパリダカ用」と随分前に買っていたバックスキンのちょっとボクの宝物のようなやつをつけることにした。

計測用のテラトリップはツインセット(ゴーカ!)。さらにGPSナビ(ワンセグ付きだよ)、さらにGPS付きのドライブレコーダー(悪口も録音されるよ)が付くという豪華さだ。思わずモンゴルのより充実してないか?ということに。

これでコマ地図が間違っていたらあとはコースディレクターの責任!だと言ってね。

それにしても、ふっと思うところあって「SSERって、これまでいったい何台のランクルが棲息したの?」かを検証してみようと思う。

まずボクが85年から乗ってたのマイカーが60×1、30万キロ。。主にTBIなど創成期のコース制作車。88年パリダカのサポートカー用に60×1。90年パリダカ用に×1。

70に関して言えば、88年パリダカ用×1、94年にモンゴル用のオフィシャルカーとして×6購入。1998年パリダカ用にテスト部品どり含め×2購入。現在1台残存。その1台が今回のものに。

さらに80。91年パリダカ×2、92年パリルカップ×2、92年パリ北京×3・・占めてランクル合計は60×3、70×9、80×7・・・計19台。うーんわれながら
「なんという・・・」

んでランクル100以降は「乗ったこともない!」のでありました。
「100買うならレンジ」ってレンジローバーに乗ったりしていました。

このほかにもパトロールやテラノなんかをカウントしたらものすごいことに。それに最長不倒のプロシードも主力戦闘機として健在。これもすごい話だけど。
それにしてもすべてが20万キロ以上というのは、いったいどれほど走っているのかね。

きょうの一枚

1998年パリダカ仕様のランクル77ボク史上最高の出来。カーボンで半分くらいボディが出来ている。で早いし素晴らしかった。けどアフリカ1日目に穴に落ちてリタイア。がっくし。長谷見さんに「ブリーフィングでいつも言っていることと違うじゃない」ってからかわれた。マコトニソノトオリデス。

2枚目は今回の70に着ける予定のゼッケン案。いかがですか?


2013/01/21 (月曜日)

「ダカール・ゴール!からみる普遍性」

ダカールがゴールしたのはもうみなさんご存じのとおり。
少し前までは「やっているの?」「どうなった?」と良く聞かれたものですが
いまではSNSのおかげで非常に良く認知されている。
たとえばTeam SUGAWARAの活躍も、お伝えするまでもなくみんなご存じ。
そしてクラス4連覇。FBには「おめでとう」のメッセージが連なる。
恥ずかしながらボクも書いた。

そして考えた。Team SUGAWARAこの安定感はただ事ではありません。
1号車はテストを兼ねて将来の闘いを見えているのが興味深い。
モアパワーを目指すのは両刃の剣。それを菅原さんがドライブして
トラブルを出しながら乗り越えていく。
それはあたかもDNAを将来につなぐ作業のようにも見える。
そして安定的で実績のあるマシンをテルヒトがドライブその2号車が優勝を狙う。
実は1号車も1-2の2を狙うのだが、今回は序盤のオーバーヒートに悩まされたのだ。
電子的なマネジメントが進むエンジンは、エンジニアの想定とラリーの現場では
かなりの隔たりがある。
いま安定している2号車も数年前にはラリーモンゴリアで、
いくつかのトラブルに追われていた。オーバーヒートにも悩まされてたろう。

そう考えてみると、多くのことはトライアンドエラー、開発とテストの繰り返しが求められる。
実はモータースポーツは、その開発のプロセスとして発展した側面がある。
人が扱う、人が運転する以上、いくらコンピューターで解析してもわからない世界がまだあるのだという事を知らなければならない。

もうマーケットは「どこそこのラリーで優勝したから」という理由でクルマがバカバカ売れたりはしなくなったろうと思う。少しはあるかもだけど。

情報が多い時代なので、単に勝ったというだけでなく、そこに伝説や神話や、
まあいうところの物語が必要になってくる。
HINOは、そんなかけがえのない物語やレジェンドを、思いがけず手に入れていて、
じつはその「はかりしれない大きさ」に気が付き始めているとみている。
変わらないのではなくて、変わり続けていくという事が変わらないという事実。
つまりTeam SUGAWARAは変わらないのではなく変わり続け、
永遠の再生産の体制を構築しているのだ。

2013/01/17 (木曜日)

「ラリーモンゴリア。FBはじめます。」

ダカールも佳境。あちらも悪天候などや自然の猛威にさらされています。でもビバークの映像など見ていると町の中だし、SSのデューンの周りも観戦客たくさん。ラリーの問題点だったひとつ「いかに観客に見てもらうか?」という点では、かなり高ポイント。

モンゴルでは、ああはいかないでしょうね。そんなこんなで今日からモンゴルのFB(フェイスブック)を始めます。もう少し世界の人に丁寧にお伝えするには、まあ今考えられる最適な方法なのですね。皆さんのご参加もお待ちいたしております。
そしてモンゴルにも多くの皆様の声をお寄せいただいて、より良いイベントに育てて行こうと思います。

PS:アルジェリアでイスラム原理組織による誘拐事件が。マリの北部にはフランス軍が空爆して地上作戦も進行中のよう。政府の間違いのない対応に期待するばかりです。そして人質の無事の開放を祈ってやみません。
あの美しいアルジェリアに、誰でも安全にサハラ横断とかテネレとかに行けるようになる日を心待ちにしています。「とにかく平和を」手に入れなければなりません。

RallyMongolia のFBページはこちら 

きょうの一枚

恐竜の谷を出るボルドバートル。今回のダカールでの活躍が期待されたもののマシントラブルでリタイア。そこまでも思うようにレース運びが出来ていなかったかもしれない。なかなかレースは上手くいかない。またそれを彼は良く知っているはず。まだ若くチャンスはたくさんある。



2013/01/12 (土曜日)

「はるかなりタクラマカン」

今週になって、タクラマカンを共に旅した二人のライダーがそれぞれ別々だけどバイクを引き取りに来た。ジムニーとサイドカーはまだ「暖かくなってから・・・」らいしいけど。
そして決まって近くの中華料理屋に行く。すると、中国奥地の日々が舌の先から蘇るのだ。ここ数年は奥地といっても豪華なホテルが続々とできて、味も北京並みとはいかないまでもかなり向上した。辺境の地で辺境の味に出会うことはもう少なくなったのかもしれない。

そしてそこで必ず話に出るのが「次の旅はどうするか?」というところだ。
地球上には行ってみたいところがわんさかとある。
行かなきゃならないというくらいに思っているところも、いくつかある。
さらにモンゴルの奥地などは、もう通い続けるしかないような場所もある。こうした目的地をいつも持ち続けられるというのが幸せなのだろうなあ、なんてぼんやり考える。
「あなたには、目的地がありますか」
誰かそう聞いてくれないかなあ、とも思う。

話は翻って日本は安倍政権。どうも目的地は7月の参院選。それまでは景気浮揚策を徹底的に行うという。2%のインフレターゲット、通貨供給を激増させる量的緩和。
目的地が近すぎるというか短すぎるきらいがある。
安定過半数を両院で占めて安定政権で、なにをやるのか。

市場に大量の円が流れ込んでも、果たしてその行く先はあるのだろうか。両院に大量の自民党議員が流れ込んで、果たして正しく議論はされるのだろうか?いずれも心配です。
とまあ心配していても何も始まらないので、ぼくはぼくの道を今年はいつも以上に力を込めて突き進むのではあります。

はるかなタクラマカンを旅をして来れば、考えることもまた増えるというものですが、何も情報の無かったあの旅の最中がいかに充実していたかと考えさせられるのもまた事実です。

きょうの一枚

トルファンといえば干しブドウ。そのほかにもたくさんのドライフルーツが積まれるバザールは圧巻でござーる。



2013/01/08 (火曜日)

「なぜか、イスタンブール」

オリンピックの招致をイスタンブールと東京が競っているそうな。マドリッドも手を上げている。
うーん、イスタンブールもマドリッドも好きだなあ。
個人的好みのみでいえば、今回はイスタンブールだ。
もちろん日本人としてはTOKYOで再び、という気分もある。
しかしだ。ライバルの都市が魅力的すぎる。

007 SKYFALLもイスタンブールから始まったし、CMでも最近よく見かける。パリのモード界もなにかあるとオリエンタルエクスプレスでイスタンブールに向かうし。あのシャネルのショートムービーも秀逸だった。イスタンブールで男と女が再開する。ボスポラス海峡を渡るフェリーで女はLEICAで撮影をしていたりしていた。

それにしてもこのイスタンブール。。。ヨーロッパから見るイスラム社会の窓口として、この街の存在感は特異だ。坂が多く、猫だらけで、真っ赤なトルコの国旗で埋め尽くされている。怪しくて不潔で混沌としていて、でも居心地がよさそうで。。悪そうで悲しそうでここらの裏町あたりに住んでいたらいいだろうなあ、なんて思う。

イスタンブールで開催となれば、初のイスラム圏での開催だという。そうか。

そおういえば、友人の赤松カメラマンもこのあたりを訪れて「ビザンチン美術の旅」なんて写真集を上梓している(今日の1枚の2)それにシルクロードに執着していたボクもイスタンブールまで北京からクルマやバイクで出かけてみた。

ウクライナのオデッサからは5つの国を一晩で駆け抜けた!なんていう武勇伝も自慢なのだ。ウクライナ−モルドバ−ルーマニア−ブルガリア−トルコ。ウクライナのオデッサを出発したのはお昼、そして朝にはトルコに着いていた。諜報部員のような旅だ。

ボクの「行ってみたい最後の3つの美術館!」の最後はここのトプカプ宮殿美術館。。あのスルタンの秘宝やシルクロードに栄えた黄金伝説を、最後に確認するのはここだ。

2013/01/01 (火曜日)

明けましておめでとうございます。

今年もSSERは元気よく!邁進して参りますのでよろしくお願いいたします。

さて、2013年も、これから見る新しい夢を醸成し語り続けていきたいと思います。おりそもダカールは間もなくスタート。1995年ですからまさに18年前に初めて参加したボルドバートル君は、たしか18歳でした。
なかなか思うように走れずラリーの厳しさを経験として積み重ねていったものです。やがて走れば勝つ、というまでに成長してきました。一方でハマー君は、日本で育ったもので日本語にも長け、またビジネスのセンスもありラリーの傍らで高度に成長するモンゴルにあってその地位を築いていきました。いやそれでも何度も挫折はしたようですが。

ある年のこと、トップを走るガントルガ選手がスタート直後にトラブルを起こし、すぐ後ろにいたハマーは自分のパーツを外しガントルガの総合優勝を支えるというようなことをします。何もチームオーダーがあるわけでもないのですが。

こうした若者たちも実は選手としてはピークの年齢を過ぎ初めています。いま勇気を出してダカールに挑むのは、大変素晴らしいことだし。僕達にとっても大変誇らしいことです。
ライセンスの取得にはおそらく大変な苦労をしたでしよう。
かつて20年前にパリダカに行くライダーたちも同じように苦労をしていましたが・・・
いずれ、彼らの活躍のリザルトが届くのをただただ今年1年の占いのように、楽しみに見続けていきたいものです。