Organisation Voice 2009/01

 

2009/01/30 (金曜日)

「日本の百選」

そういえば建設省「なんとかかんとかの百選」というのが良くありますな。もともとは「日本の百名山」あたりから始まったのだろうが、なにも百という数字できってしまうことはないと思う。でもまあ日本人は百という数字が好きだ。

そんなわけでググれば「日本の百名水」「日本の渚百選」「日本の滝百選」もち「日本の道百選」「うーーん多い!多すぎる」そこでボクは考えた。四国にもこの日本の百選は結構あるぞ。で目に付いたのが日本の秘境百選。なんと四国には9/100もある。四国は経済は日本の100分の1、人口なら20分の1・・・なのに秘境度は・・・でその秘境をすべてTBIで回ってやろう!!と心に決めたら、スイマセン、その殆ど毎回のようにルートになっていました。まあ秘境だらけですから・・・そのほか「日本の野鳥の声百選」「日本の夕日百選」もう書ききれないほど百選だらけ・・・・なのに「日本の林道百選」というやつがない。そーかあ。そうそう、そういえば最近新聞で「日本の里山百選」ってのがありました。よしこれをルートに入れよう。

とかなんとか、景観と道と、さらに文化や歴史を組み合わせて紡いでいく、TBIのコース制作は楽しい日々なのですね。21年目のTBI・・・四国にある「日本の百選」で、お待ちしております。

きょうの一枚

さて「ここはどこでしょう」ここも日本のなんとか百選。美しい宇和海がヒント。もち今回初めてTBIで通るです

 
2009/01/29 (木曜日)

「新兵器ドローン/導入検討会議」

アメリカの某企業が、HD動画を撮影可能な新モデル LVHDを発表。従来機種は28mmレンズに12メガピクセルCMOSセンサーで静止画およびVGAサイズの動画撮影に対応していましたが、新モデル LVHDはビデオ撮影に特化しており、720pHD動画を空撮することができるのだ。ハンドランチで離陸する飛行機部分は翼長92cmの全翼機形状で重量約750g。中心部に電動のプロペラ1基、巡航速度は時速20から80km/hほど。ラリーの上空から無人爆撃!じゃなかった空撮ができる。完全な自律型ではなく地上から制御するタイプのUAVだけど「高度な自動バランス制御」機構により簡単な講習だけで運用可能だそう。視界から消えた場合の制御は本体下部のカメラから送信される画像や、本体に内蔵されたジャイロ、加速時計、方位計、GPS(1秒に4回更新)からのデータを元にリモートコントロールが出来るのだ。交信可能距離は1.5km、高度は1000mまで。航続時間はバッテリでおよそ35分。

これさえあればラリーのビバークや、ビバークからちょいと離れたゴールCPまで様子を見に行って来い!なんてことも。チョモランマでも空撮に威力を発揮するかもですね。さてお値段はどのくらいなのでしょうか。SSERのビバークの上空には常に「ドローン」が舞っている!という日が来るかもですよ。トイレに行く時は要注意かもだけど。「えっ、そんな予算ない!?」「・・・・・」

Rally MONGOLIA 2008に参加していたオーストリアのHellyさんの北半球1周のビデオがなかなか面白いです。そういえば2007年のモンゴルの試走の時に、ラリースピードですれ違った2台のKTM950ADV.が彼らだったのですねえ。ビックリ。こんどSSERに来られた方にはお見せできると思います。

きょうの一枚

「ドローン」こういう風なパッケージだとなぜか物欲が加速します。

 
2009/01/28 (水曜日)

「誕生日の日に・・・」

来週のメルマガからリニューアル!なのだそうで、新しい執筆陣に菅原さん、W林さん、Mさん・・この方はきっと謎です。さらにSさん・・・この方も俄かには謎・・・です。さてさてどのような展開になりますことやら。もちろん北の島ほかこれまでの多くも、復活!早い春の訪れにも似て賑やかになること請け合いです。そんで今日はプレオープン!なので、菅原さんのと「続・彼方へ」が一足先にスタートします。ご期待くださいね。

さらに勢いに乗ってバレンタイン企画は、東京は恵比寿で「菅原さんの完走記念の講演?とSSERの参加者の皆さんとのミーティングを計画しております!!」夕方ですからヨロシク。その夜のそのあとの計画は未定!!

チョモランマも参加希望のお問い合わせが急に!!

さらにね、ラリーモンゴリアにレイドモンゴリアという短い日程でラリーに合流するツーリング企画がまとまりました。矢継ぎ早なSSER ORGANISATION・・・今年も体力と知力の限界に挑戦!!してまーす。

で、今日はお誕生日。グリーティングカードをお送り頂きました皆さん!ありがとうございます。いったい幾つになったのでしょうか。去年の誕生日には高速で捕まっちゃったから、あれから1年。ついに前歴がなくなる?んでしょうか。

きょうの一枚

アピオの河野社長のブログ。毎日読んでいますよぉ!なかなかのものです。オタクいや物欲ぶりも強いシンパシーを感じるのであります。自宅の照明もトロメオだしね。

http://plaza.rakuten.co.jp/apioblog/

2009/01/27 (火曜日)

「人類が最後に見る彗星だって」

ルーリン彗星ってのが接近中、2月末ごろ再接近なのですが次に接近するのは2万年後。「人類にとっては1回こっきりの観測のチャンスと国立天文台」「・・・・・」あーあ、言っちゃった。という感じですが、まあ2万年後には人類は滅亡しているというのは科学者ならずとも常識。だけどですね国立ナンとかが言うのはいかがか?と思うのは僕だけ?世紀で言うとあと200世紀。つまり221世紀は人類はないのでありますな。まあ男性を決めるY染色体が、もうあと数世代で無くなってしまうらしいので「Nスペより」&温暖化もドンドン進むわけでしょ。まああとわずかで人類もこの地球上から消滅!!なのですが、片や世界は「持続可能な社会の実現」を目指していますから、気持ちとしては我々の子孫はこの地球上で営々と生を紡いで行って欲しいというのが、生物の本能なのではありませんか。まあ彗星1個の1回転の間にすっかり滅びてしまうのもね。恐竜なんて6500万年前に滅びたけど2億数千万年前から地球上に現れていたわけで、1億年以上も地球上に存在したわけで・・・人類なんて500万年前に現れてまああと2万年もない訳ですから502万年・・・恐竜の20分の1も生きていけないことになりますね。いやまあ、そうであるからこそ今を生き生きと、と思うことですが、

http://www.ibiblio.org/lunarbin/worldpop

このカウンターの上がる速度を見ていると絶望的になります。これから、どのようなことが起きるのでしょう。彗星1個で、そんな風に考えなくてもね。で、まあ、生きる今を大切に。とこういう結論なのでありました。

2009/01/26 (月曜日)

「速報!!明日はテレビで」

菅原さんは帰国!明日1月27日火曜日、午前7時30分から8時30分の間の10分間TBSみのもんた「朝ズバ」にご出演されます。困難な20回連続完走、ダカール全30回大会のうち27回を出場!MOTO、AUTO、CAMIONと全てのカテゴリーに出場しています。もちろん20回の完走は連続!のもので全完走回数は、というと・・・リタイアを数えればよいのですが、僕の知る限りは確か4回?ということは完走は23回。そのほかにパリ−北京も完走しているし。モンゴルやTDNなどリタイアした姿を見たことがないですねえ。

まあそんな偉大な方が、いつも身近にいるというSSERは幸せです。そのうえ近々サイドカーに乗って!!東京から松山へ「世界のヒストリック・エンデューロ・モーターサイクル展」を見に来られます。そこでSSER主催の松山版「完走祝賀会」などを行いたいと思います。日程が決まり次第告知いたしますので、お近くの皆さんは是非ともお越しください。また2月14日前後(予定)には東京でも計画しています。椎名先生のバイクも持っていかなきゃならないですし。

さて寒波もピークの西日本ですが、春の予感も日増しに高まってきています。TBIの準備もいよいよ本格的になります。21回というこの大会にふさわしいユニークな設定!!に工夫をしてみようと考えております。そんなアイデアも、このOVで少しずつ発表してまいります。オタノシミニ。

モンゴルへはコロンビアの方も参加を計画されているようですし、ドイツからは昨年以上にご参加というお話。ますます海外勢で盛り上がりを見せることでしょう。「ハルヌールのリングワンデリング」ひそかなるボクのルート開発のテーマ。

きょうの一枚

菅原さんが撮った1枚。今年のダカールで。マシンの解説は、誰かがきっとブログで展開してくれると思いますのでね・・・たのむね。

 
2009/01/23 (金曜日)

 

「EXPECT IMMEDIATE TAKE-OFF」

この言葉が、日本航空の札幌での滑走路に誤って進入した重大トラブルとやらの管制官の発した言葉。かつて若き自衛官出身のSSERのオフィシャルは、無線に出ると訓練そのままの無線のやり取りをしていた。苦笑したりお調子で真似したりする者もいたが、ボクは素晴らしいなあと思った。いやすいませんボクも真似していた。しかしその言葉は簡潔で間違いなく。自信に満ちてゆるぎない。「待て」「はじめ」「送れ」「終わり」肝心な言葉は聞き間違えないほぼ3字以内の発音。同時通話などにはならない仕組み。同じ周波数を使っていれば、一部の言葉しか聞こえなかったりすることもある。表記のEXPECT IMMEDIATETAKE-OFFは「いつでも離陸できるように備えよ」という意味か?でも冒頭部分が飛んでしまえば「大至急離陸せよ」という話になってしまう。航空管制がこのような言葉を使うのはいかがか?

以下アサヒコムより

日本航空(JAL)機が北海道・新千歳空港で管制指示に反して離陸滑走をはじめた重大トラブルで、運輸安全委員会は23日、管制官が待機を指示する文脈の中で発した「TAKE―OFF」(離陸)という単語が、「離陸許可」を連想させるとして、使用を制限するよう国土交通相に求めた。同日公表の調査報告書で指摘した。

国交省はこれを受け、「TAKE―OFF」の使用は、実際に離陸を許可する場合と、やめさせる場合に限定するよう業務規定を改める方針を決めた。待機や離陸の準備をさせる指示では「DEPARTURE」(出発)などの言葉で代用する。

報告書によると、新千歳では管制は自衛隊が担当。管制官は当時、JAL機に「EXPECT IMMEDIATE TAKE―OFF」と言って待機を指示。だが機長は離陸許可の際に使われる「TAKE―OFF」という言葉に影響され、許可が出たと思いこみ、滑走を始めた。2キロ以上先に別の機体があったが、雪で視界が悪く見えなかった。管制官の制止により、大事には至らなかった。

「離陸」という用語は、583人と史上最悪の犠牲者を出した77年のスペイン領テネリフェ島のジャンボ機衝突事故でも問題となったことがある。管制官が「OK、離陸を待て」と指示したが、無線の混信できちんと届かず、機長は離陸許可が出たと誤認して滑走を開始し、別のジャンボ機に衝突したのだ。 事故後、「離陸」は離陸の許可または取り消し以外には使わないよう、多くの国が取り組んだ。日本も、国交省監修の航空関係者向けのマニュアルには同様の記載がある。しかし、管制官に準拠が義務づけられている業務規定には記述はなく、自衛隊の管制官らは先のマニュアルを必ずしも読んではいないため、徹底されていなかった。

緊急特報・・・2月中旬に東京と名古屋にて・・・ヒストリックマシンの返送を兼ねてですが、SSER PRESENTSで何か企画を使用と考えていますので、オタノシミニ。

きょうの一枚

http://ameblo.jp/platz-ehime/

仙波君のブログより、そういえば内の事務所ほど入りにくい事務所はないと思うなあ。入りやすいは居心地が悪く、入りにくいが居心地が良い・・・というふうに考えて作ったもので、しかし居心地のいい事務所というのはどーよ。昨年の今頃は一生懸命に事務所を工事していましたなあ。仙波君と言えば・・・来週からメルマガをフルサイズで再スタート。「お疲れ様です。仙波です。」は継続!!新執筆陣にも乞うご期待。

2009/01/22 (木曜日)

「ゲバラを時代は待望しているのかね」

ウチの事務所は2階にあって1階部分が覗けるのですが、パーライトのオーバークォリティなライティングに鈍色のクランクケースを輝かせたマシンが並んでいます。60年代のマシンのアルミの肌の美しさは、言葉になりません。そこには何かこう上質な空気が漂っているようです。大型のモニターでは今日は「モーターサイクルダイアリーズ」が流れていました。言わずと知れたチェ・ゲバラの若きころの南米大陸バイク冒険旅行です。

やはり美しいノートン500が旅の道具ですが、そのマシンがどうのこうの・・・とか今年のダカールが南米だからどうのこうの・・・という見方ではこの映画の意味するところが見えにくくなります。まあタイトルが誤解を招いているところですが、これは本人がつづった日記つまりこの映画のシナリオの表題?ですからやむを得ません。

ボクは以前はテロリストと言う言葉には、何かロマンのようなものを感じていました。以前というのはもちろん同時多発テロ以前と言う意味です。それはやはりゲバラの姿と重ねていたからでした。今では逆にテロリストという範疇からゲバラは外れてしまっています。ボクもそうですが世の中もそうです。ゲバラをテロリストとは誰も思ってはいないでしょう。でもまさか30年後に「ラディン」なんて映画が出来るでしょうか・・・話が逸れました。

近作の2部構成ゲバラの映画が人気のようです。そのプロモーションフォトは、ゲバラの演説している写真を使っているのか?と思うほど良く雰囲気を掴んでいます。資本主義が暴力的な度を越えて、そして貧富の差が拡大して行く。すると社会主義の芽が台頭してくるのです。社会主義が優しく見えるからです。もちろん優れた献身的な指導者に恵まれるのであれば、このイデオロギーも満更ではないのですが。

今世界はニューヒーロー、ニューリーダーを待望しています。アメリカではそこにオバマが現れました。時代はこうしたヒーローを作るのだなあ、とつくづく感じます。人々の声弾ませたインタビューには、感動を覚えました。このあとどのような苦難があるかもしれませんが、人々に勇気や喜び、前進する力を与えられたということは賞賛に値します。

翻ってわが国の麻生さんは「まあ言っていることは同じ、協力し合える」とかって「???」な発言。若く背筋の伸びたニューリーダーと自分をまるで同じであるかのように勘違いするところが面白いですねえ。

ゲバラは、生きていればまだ80歳くらいでしょうか。彼は常に弱いものと共にありました。日本も今、ニューヒーローを待望しているのですが、激しく足を引っ張り合う人々は、ニューヒーローを「芽のうちに摘んでおけ」ということでしょう。重ね重ね今の日本には失望するほかありません。

きょうの一枚

なんとなくボクはティエリー・サビーネにゲバラのオマージュを感じていました。

 
2009/01/21 (水曜日)

「物欲大辞典」

どーも、最近ボクは欲しい物がない。「これはいかん!」ということになり各ジャンル別のほしいものリストを作ろうということになった。「そー、そー景気回復に必要なものは、物欲の回復よ!」ということで・・・

(アウトドア編)

  1. ツリーハウス
  2. 日当たりの良い緩斜面とその上に建つ小振りな小屋
  3. 35年前に使っていたシャルレのピッケルを回収したい。
  4. ダウンのシュラフ・・・今のは15年くらい使ったので、イスカさんヨロシク

(クルマ編)

  1. BMW X Raid・・・X3のダカールマシン
  2. 959・・・ルネ・メッジやJイクス車。ノーマルでも可。このときのイクスのナビはクロード・ブラッソーでしたねえ。
  3. 3.0CSL・・・これがなければBMWへの傾斜はなかったかも。
  4. Miev・・・やはり地球市民として

(バイク編)

  1. TrimphT120・・・桐嶋ローランドさん入手
  2. MP3・・・通勤で乗ってみたいだけ
  3. Norton Comand・・・桐嶋ローランドさんリリース
  4. R69S・・・ベルスタッフを着るため。
  5. なんかサイドカー・・・ウラルじゃなくてー・・

(家電編)

  1. B&W Nautilus・・・造形的にはどーかと思いつつも。
  2. THORENS TD-550・・・やはりコレ
  3. VAIO Type-P・・・小さいらしい。
  4. Panasonic JOBA・・・激しいモードだとバイクに乗ってるような感覚だそーな

とか書きながら「でも、どーしても欲しくてタマラナイ!」と言うことではないんですねえ。やはり枯れてきたのかなあ?

きょうの一枚

ポルシェ959、もちろんパリダカモデルなんて。さらに3.0CSL

2009/01/20 (火曜日)

「ハドソン川の英雄がもたらす効果」

ラリーを開催していて特に心を砕くところは「安全」です。もちろん参加される皆さんも、その安全については気になるところでしょう。何かの広告で、プロテクターだったと思いますが「いつもと同じ月曜日のために」というコピーを見ました。いや広告ではなかったかも。それにしても心に刺さる名コピーです。それ以来ボクも「いつもと変わらぬ・・・」を肝に銘じて、参加者の安全というものをこれまで以上に考えなければと思うのであります。

さて表題の「ハドソン川の英雄」とは、あのUSエアウエイのA320の機長のお話です。アメリカでは航空機事故に関しては、あの忌まわしい同時多発テロを髣髴とさせるもので、特にこうした結果には大きな賞賛が集まるのは当然のことです。しかしどう読み解いてもこの機長の行動は、これからのアメリカ社会や経済に大きな変化をもたらすような気がしてなりません。悲劇的な状況の今を、変える力、奇跡、そうした「勇気」がもたらした最善の結果、のようなものを多くの国民に透かせて見せたのではないかと思います。

新聞記事では
「あの機長は男の中の男だ。事故後、フェリーターミナルに座り、何ごとも起きなかったかのように制帽をかぶってコーヒーをすすっていた」救出後の機長を近くで見た警察官は、そう米メディアに語った。・・・・・とかニューヨークのブルームバーグ市長は記者会見で同機長と話したことを明かし、

「乗客が全員、脱出したかどうか確認するため、彼は2度、機内をくまなく歩き、最後に避難した」と称賛。「もっとも重要なことは、操縦士が素晴らしい働きをして、すべての乗客が安全に脱出したことだ」と締めくくった。さらに奥さんのお話として

「まだ私の体は震えているけれど、夫は大丈夫だと思う。彼は完璧(かんぺき)なパイロットです」

新聞記事などを読んで、感動することなどない昨今ですが、はっきり言って感動を覚えました。日本ではちょっとない出来事です。こうしたことが、社会に与えるプラスの影響は計り知れません。

状況が違えど世界、いや特に日本は危機的な状況です。まさに両のエンジンが停止し掛けているようなといっても過言ではないでしょう。これの危険をどのように回避するかは、この機長のような態度が政治家に求められているのかもしれません。選挙に勝つことが何よりも大切な・・・という論法では、こうした人物は輩出されることはないでしょう。時、奇しくもオバマ新大統領の就任式典。全米が熱狂しています。このエネルギーは、今の日本にはありませんねえ。

きょうの一枚

オフィスの1Fフロアでは現在「世界のヒストリック・・・展」が開催されています。30年ぶりに会う昔のバイク仲間・・・にビックリ。でもお宅は事務所のすぐ近く。最近買ったDVDの 「On Any Sunday」を繰り返し見てます。日本では「栄光のライダー」そう、スティーヴ・マックィーンの前作「栄光のルマン」に引っ掛けたものでした。いやそれは日本の興行的なもので・・・

そこに特別篇として「スティーヴ・マックィーンに捧ぐ」が短いのですが、監督のブルース・ブラウンの深い思いが込められていて、実はその映像はじめて見たのですが、心に残りました。友にするならこういう男だと。もし見てない方は、ぜひご覧ください。またヒストリック展は大量の差し入れ「甘いもの系」が、消費されないまま皆様のご来場をお待ちしています。

 
2009/01/19 (月曜日)

「祝 菅原さん偉業達成!」

1/18日曜日日本時間正午ごろ・・・ということは現地時間は真夜中?!にブエノスアイレスの菅原さんから衛星電話!!「無事に完走!しました。」とうれしい電話!!「連続20回完走!」という誰にも破られないだろう偉業を達成しました。パリダカール以来、大会の開催は30回目です、その3分の2を完走しています。出場することも困難なこのダカール。20回連続で出場!!なんてのも難しいでしょうね。菅原さんの記録に続くレイモンド・ロワゾー(ご存知元BMWのワークスライダーで故ガストンの親友、モンゴルも参加していただいています。)彼は、この数年間で、フェデレーションの役員になったのでしょうか?出場していませんね。2002年にはフランスの有名な歌手ジョニー・ホリディがダカールに参加し警備を担当していました。というのも彼は有名なフランスの大統領警護隊の隊長さん!!であります。

話が逸れましたが、今回の菅原さんの戦いはやはり苦戦の連続でした。わずかに後方にずらしたエンジンが効果的でバランスの高いスタビリティを発揮する傍ら、微妙に変化したプロペラシャフトの運動量なのか角度の変化なのか、とにかく1号車2号車共に度々デファレンシャルギアのトラブルに苦しめられたのです。このことからも分かるとおり、これまでのマシンがこのラリーを余裕で完走を繰り返していたのではなく、特にぎりぎりの環境の中で職人技とも言うべきドライビングで、完走を勝ち取っていたというのが事実であることが証明されたのでもあります。いやドライビングは、マシンの開発と表裏一体だったことでしょう。

今後カミオン部門で活躍をしていくためには、チームスガワラはさらに高出力のパワートレインの確保は必定ですが、今回のことがパワーアップをしていくためには多くの困難を伴うことを示唆しています。しかし、それが新しいテクノロジーの開発と発明をもたらし、量産車にフィードされていく、というモータースポーツの存在意義を確認する作業そのものです。

どうかこの偉業がいまだ道半ばなのだということを、多くの人たちが確認して70歳を超えてもチョモランマに挑む三浦さんのように、さらに新しい記録と技術開発に資していただきたいものです。

末尾ながら日野自動車さまにも、この快挙を心からお祝いいたします。厳しい環境の中・・・と言う言葉はまさにダカールへの挑戦と同義語ですが・・・厳しい環境の中にこそ、見つけ出すべき一筋の道があるように思います。

きょうの一枚

モンゴルで。TAKATAのシートベルトのグリーンと赤いTシャツがイタリアンな菅原さん。立てた指は「We are No.1」なのでしょうか?それとも「この指とまれ」なのでしょうか?帰国後は松山にもお呼びする予定。近所の交番のおまわりさんが菅原さんのファンです。

 
2009/01/16 (金曜日)

「ダカールばかりが困難なわけではありませぬ。」

昨晩のダカールのTVは、SSもキャンセルされたので?アーカイブスみたいなことになった。1988年のアフリカステージの1日目、エルウェッド−ハシメサッドの映像が紹介された。これはボクがはじめてパリダカに参加したときの強烈なカウンターとして、味わったものだった。「おお、パリダカとは、これほど厳しいのか・・・」そう思った。でも考えてみれば元気だった。一睡もせずに、1本しかないライン上に散らばる他車のスタックまで手伝って除けて、みんなの脱出版を集めて走路を作ったり・・・ボクは、ゴールを諦めて寝てしまうみんなと別れて、細々としたピストを見つけ出し(夜明けまで数時間かかった)なんとか朝のスタート前にはゴールした。あわてて整備しておそらくエアクリーナーを交換したのだろう・・・スタートしたらボンピンを留め忘れて、カーボンのボンネットがフロントガラスに激突・・・したのが忘れられない。

テレビでは、そのSSをゴールして喋っている!ガストンの姿が。そういえばこの大会は、この数日後もタマンラセットまで1000kmを越えるステージが。再び「ここまで、やるのか?!」と思ったし「これはだめかもしれないなあ」と思ったものだ。そんな風に20年も前を懐かしがっていると次の映像は、1992年パリ−ル・カップだ。アンゴラの増水した川の映像。空に吊り上げられたペテランセルのマシンの写真を撮ったなあ・・・なんて。

世の中に困難なことは多い。昨今は特に多い。ダカールは、その縮図のように思っていたけど、最近は違う。求めてすすんで行く困難は、今の時代を覆う困難さとは異質だ。今の時代の困難さは、異様だと思う。ダカールの戦士たちには、やがて来るゴールがはっきりと見える。残念ながらリタイアしても、翌年の計画とやらが見えてくる。そしてそのゴールから次のスタートまでの道のりは、決して困難などではない。

しかしまあ、そんなこんなで困難を嘆いてはなるまい。明るく前向きに人としての義理を曲げずに進んでいくのが宜しい。

きょうの一枚

「今日の一枚」トップバッターで、「世界のヒストリック・エンデューロモーターサイクル(長ッ!)展を見にきていただいたお客様のブログを発見!!乗ってきたクルマもタダモノではありません。15年前はSSERのエントラント!だった方。

http://plus1.i-yoblog.com/e133199.html

2009/01/15 (木曜日)

「雪景色」

ボクの棲家は道後温泉の近く、まあ市内です。暖かでとても良いところ・・・ところがオフィスは昨年移転した、東温市南方というところ。まあ道後平野の一番奥。遠くには石鎚山、近くには皿が峰連峰。寒いところです。朝事務所に向かうと市内に向けて出勤する人たちの車と行き交うわけですが、時おり屋根に雪を積もらせた車を見て「ああ、ボクの事務所のほうは積雪なんだろうなあ」と考えるわけです。今朝もそうです。寒いのは寒いのですが松山市内は少しばかりは、寒波も緩むのかなあという感じがあったのですが、事務所に来てみてビックリの雪景色、しかもこれから益々積もろうかという感じで降り続けています。

さてダカールは急遽キャンセルに。これは天気予報によるものですが考えてみれば、国境を越えてアルゼンチンに戻るこの日、主催者としては混乱を避けたいところ。日没後に国境に来られた日には・・・ってとこ良く分かります。それにしても世界で最も乾燥していると言われるアタカマでも、霧や雨に悩まされる。アタカマは場所によっては40年も雨が降っていないエリアがあるとか。

モンゴルの奥地でもさすがに40年雨がないエリアは無いだろーなあ。

きょうの一枚

そんな事務所の雪景色

 
2009/01/14 (水曜日)

「アタカマ砂漠を行く」

そーか、アタカマ砂漠に入りましたか。南北1000kmもの盆地上の砂漠。サハラよりも乾燥が進んでいます。標高も高く、ではどんなとこかとグーグルアースで見ているうちに「そーだ、アタカマにも地上絵がある」という話を思い出して、捜索。ダカールどころではありません。「おや、これはなんだ?」と見つけた怪しい物体は???今日の一枚です。これはなんと世界のリチウムの40%を採掘する施設のようですぞ。チリはまた鉱物資源の宝庫でもありましたね。

さてダカールは、明日は急遽SSキャンセルの模様で、アタカマを越えてアルゼンチンに戻るルート。悪天候の予報らしくとても心配。心配と言えばチームスガワラの2号車、おなじみのテル君こと菅原照仁。トラブルを抱えて後退した父に替わって上位進出を狙っていた矢先、リアデフにトラブル。ステージ10ではリザルトが未発表のまま。またして大きなペナルティを受けるのでしょうか。この数年間、こうしたメカニカルなトラブルの非常に少なかったチームスガワラ。1号車フロントデフ、2号車がリアデフと、続けてトラブル。エンジンマウント位置の変更による問題なのでしょうか?それとも・・・ほかに遠因が?

あと残すところ数日ですが、この後半の山場は砂が多くて、2駆になったら最後脱出が不可能だろう。またアルゼンチンに戻るとパンパのフェシュフェシュの道だと思えば、また不安がよぎる。しかし、なんとか父の20回連続完走を2台そろってのゴールで祝ってほしいものです。

きょうの一枚

一つ目はアタカマの不思議な施設。そして、今日からはじまったヒストリックエンデューロマシン展の空撮?

2009/01/13 (火曜日)

「難しい裁定」

ダカールのTVが毎夜10:30から放送されていますが、一昨日の夜には菅原義正リタイアが報じられていました。ASOの公式サイトにはこの時点では、リタイア欄には掲載されていないわけですから「???」簡単な報道なのですが、配慮が必要だろうと思われます。当然もうリタイアしてしまったのだと信じ込む人が大勢います。その翌朝、菅原さんからTELがあり「リタイアにはならずに継続出来ることとなりましたよ。(後略)」と。ボクはあの日の裁定を巡っては相当な混乱があるだろうとは考えていました。というのもCP2以降はカミオンクラスはキャンセル・・・その理由は走行が困難だからというもの、だとすれば裁定が下される前にCP2を過ぎたものは、相応の救済がなされるべきだと考えるのが普通です。

またCP2以降でウエイポイントを通過せずにゴールしたBMW X3で首位を走るアルアティアは失格になっています。これはAUTO部門はCP2以降がキャンセルされていないので仕方がないところですが、アルアティアと同様にCP2以降にウエイポイントを通過していないクルマは相当にいます。それは200時間のぺナルティが与えられたようです。首位にいたからという理由でアルアティアは失格となり、そのあとはペナルティだけで許されるのかという点はFIAのコメントを待ちたいものです。しかしそれにしても200時間のペナルティと言うのはレギュレーションのどの項目に当たるのでしょう???まあリタイアからの救済ということなのでしょう。菅原さんはこちらには該当しません。

クロスカントリーラリーでは、このような混乱は良く起きます。特に今回のような初めての国、初めてのルートでは実際にどのくらいの問題が起きるか、また天候によってどのように変化するかは、かなり難しい判断が必要になります。アフリカ以上の困難さを求めたいASOの気持ちは痛いほど分かります。そのために試走にどのくらいの情熱を傾けたかは、ほとんど涙が出そうなほどに理解できます。

さてリンクのないこちらのHPですが、ボクタチの大先輩でご存知の方も少なくない報知新聞のOBの中島さんのサイトをご紹介します。はじめてボクがパリダカに参戦した時アガデスのホテルの庭に訪ねてきていただいた時からはじまり、パリ北京ではNHKの解説を努められていました。ボクはミスコースして谷へ向かっていた時に、中島さんの乗るヘリ・・・奇しくもミルですけど。・・目の前に着陸してルートを教えていただいたりと、ご縁の少なくない方。で、そのサイトのなんとも面白いこと・・・毎日のパリダカのレポートもですが「言いたい放題」というコーナーは、ホント「うらやましい!」ほどの書きっぷり!です。正しいジャーナリストとしての目と、書き手としての力量が備わりつつ、遠慮のない筆に思わず感激!!しています。みなさまも@お気に入り、に入れて置いてください。[HPはこちら]

きょうの一枚

中島さんの代表作のひとつ?モータースポーツ専門かと思いきや明治の山岳部のOBだったのか。菅原さんも山岳部OBでした。

2009/01/09 (金曜日)

「スガワラさん、リタイアの危機」

スガワラサンの511がステージ5をゴールしていない状況は、色々と伝えられてきている。どうも後半部分の砂丘でトラブル。砂丘の名人でスタックも全くしない人だ。当然マシントラブルが考えられる。衛星携帯に何度も電話をかけてみるものの繋がらない。でも少しずつ明らかになってきた情報によると、どうやら4駆にならなくなっているようだ。Fデフのトラブル?では無いようで、どうやら3駆?になっているという話だ。するとフロントの片側のドライブシャフト周りのトラブルだろうか?ビバークのサポートカミオンにスペアパーツは無いのか?!ああ、まさにあの偉大な連続完走記録にハザードが点っている。

でも考えてみれば、完走する!ということがかくも難しいダカールに打ち立てた自らの記録。その偉大さを図らずも自らが証明しているように見える。

こういう夜に失われていく時間が、まるで砂金の砂時計のように感じる。流れ落ちる貴重な時間の砂は、加速しているかのようだ。時間と言うものはこうして相対的なものだということをアインシュタインに聞かずとも、みんな知っている。チェックカードを持ったまま砂漠で夜を明かす時の気分は言い表しようが無い。

ボクタチは「気がつけばもう今年も終わりだ。」とか「年が明けたと思ったらもう・・・」とか、時間のたつことの速さに慄いている。1週間があっという間に過ぎていく。でもボクは偉大な先輩であり友人であるスガワラサンを見ていると、流れている時間が違うと感じることが多い。何事も早くから準備し、楽しみに待ち続けていけば時間と言うものは豊かに流れる。その一方で、何事も急ごしらえで、間際にならないと手をつけないようでは、あっという間にその期日がやってきて、過ぎ去った時間の早かったことに後悔が伴う。そう、やはり時間は相対性理論に支配されてしまっている。今時間が経つのが早いというアナタ!何事も早くやってしまうのが吉!なのですが、驚くことがひとつあって、そんな時間を過ごしていると気がつけば手許に、美しい漆器の赤い房の付いた竜宮城の玉手箱が置いてあったりもするので、要注意。とまれスガワラサンの奇跡を祈りたい。

きょうの一枚

「トライアルマスター2題」
ヒストリックエンデューロモーターサイクル展に展示しようと思って、左、英国ベルスタッフ社製の名品「トライアルマスター」を引っ張り出した。ご存知このジャケットは1924年の創業時から同社の顔としてITDEやSTDEでもっとも愛用されていたもの。当然若き日のボクたちの垂涎の的だったのだ。オイルドクロスの風合いは、バブアーよりも美しく、近年(ってイウな!)のゴアテックスなど、足元にも及ばないのだ。古くから手に入れていたこのジャケットも長くワードローブの中でほかのジャケットにオイル染みを付けながら、保存されていた。そしてガストンライエと走るようになって急復活!そんなこんなでジャケットの胸には、ガストンライエミーティングのワッペンが付く。イギリスの老舗の同社は、同じようなオイルドクロスを多用したバブアー社が、狩猟向けのウエアなどで英国王室御用達になり、貴族趣味ともてはやされ、日本にも三井物産などの輸入で息が長いのに比べ、ライディングウエアなどにこだわったベルスタッフは長く消息不明のようなになっていた。ところが近年はイタリア人の若きデザイナー・・・名前は忘れた!の起用で世のバイカーズファッションブームも手伝い、LEONなどでもガンガン取り上げられて、一躍脚光を!!でもなかなかこのトライアルマスターは手に入らない。というか作られていないのかも。左胸のポケットがトライアルのカードを取り出しやすいように傾斜が着けてあるのが特徴!!よく見て買わないと、ロードマスタージャケット!!(今じゃ9万円もする!!のに2度ビックリ!)を買ってしまうので・・・

一方昨年秋に手に入れたMAX-FRITZのトライアルマススター?(とは呼んでいない)チームスガワラのスポンサーでもある同社は、中目黒に在ってブリティッシュテイストのバイカーズアイテムを中心に、電車にも乗れるバイクウエア!というコンセプト?でものづくりをしている。かなりトレンドが反映されているけど、このトライアルマスターJKTは、素晴らしい。なんと言っても左胸のポケットが傾斜している。それにウエストのベルトの下に調節用のベルトや、バイクに乗りやすくするための開閉式のサイドベントもなかなか。オイルドクロスじゃないのに、あのキチキチとした風合いもある。この素材を探すのには苦労しただろうなあ!と思う。また裏地は、ベルスタッフはマイレライン社製の赤いタータンチェックのビエラ素材なのに対して、どーして探してきたのか、少し新しい感じのグリーンのタータン。これも良い。こうして現代によみがえったメイドインジャパンの一品。眺めているだけで若きころの夢のような日々が蘇る。今年はこの2着を着て過ごそうかなあと思っている。今度はボクの革ジャンコレクションも紹介しようかな!?

 
2009/01/08 (木曜日)

「X3・・・首位に立つ!!」

ダカールはステージ5.今日は日がな、スガワラさんの到着が遅れているみたいで、イライラしながらASOのウエブサイトとにらめっこ!!をしてる。513のテルは早々に到着しているのに・・・・・ところでCサインツのVWを交わしてBMW X3が首位に立った。まあサインツは転倒した模様だが。ペテランセルも転倒で大きなダメージを負っている模様で、ミツビシ勢はもうひとつBMWとVWの後塵を拝してしまっている。ボクはミツビシの今と今後にはとても興味がある。今年ついに市販化される電気自動車「MiVE」はヨーロッパの市場に恐らく凄い勢いで受け入れられると思う。フランスのメーカーから技術供与を受けたいというオファーがきているとか・・・そうなりゃ来年からmitsubishiはダカールに、電気で挑むのも面白いかも?走行距離や充電システム、もちろん耐久性やら走破性やらの問題は尽きないかも。でもまずは完走を狙うのはいかがか?それもワークスチームが総がかりで。レーシングランサーもクイックサポートでね。いやムリだとみんなは言いますが、こうした挑戦の場であることが、本来モータースポーツの果たす役割のようでもあります。ディーゼルで出遅れてしまったので、その先へ行かなきゃ。まあ、電気で出場するということが、今の時代の「勝利」です。

「2009いよいよ本格始動」

お正月気分も抜けて、何かとメニューの増えたレストランのようなSSERORGANISATIONは本格稼動!!

NEWS-1は、1月14日からスタートする「世界のヒストリック・エンデューロ・モーターサイクル展」なんと週末ごとに、珠玉のマシンの試乗をしようということに。ぜひあの時代の乗り味を味わいにお越しくださいな。

NEWS-2は、まもなく発表予定ですが「Raid Mongolia 2009」これは7日間の日程でうち4日間を走行!もち自分のマシン・・・今年は輸送時間が短縮される見込みですから。さらにRally MongoliaのSS見学やら、最終日は同じコースをルートブックを見ながらウランバートルにゴールするというもの。素晴らしい感動が!!そしてセレモニー!には共に参加して、大興奮。金額もとってもリーズナブル!にする予定なのでオタノシミニ。

きょうの一枚

2007東京モーターショウ、Cピラーやサイドデザインは今年のダカールを走るランサースポーツに良く似てます。


2009/01/07 (水曜日)

昨年のラリー・モンゴリア2008に参加していたオランダのHenno Van Bergeijkさんは、そういえばダカールにも行くといっていたなあ、とリザルトを見ていると、ありました!ありました。ゼッケンは147、STAGE4を終えて総合37位。前日までは30位以内を走っていたようなのですが、このステージ4で少し躓いた感があります。

そういえば昨年のモンゴルではエタップ3のこと、朝のブリーフィングでボクは「CPは2箇所の予定でしたが1箇所になりました。CP2が無くてCP1だけになりますよ。」と発表しましたが通訳のミスか彼の思い違いか、「CP1が無くなってCP2だけになったのだと」思い込んで、大きなペナルティを受ける羽目に。しばらくしてこの件で彼と話し合いましたが、これをボクが譲ることが出来ないことは彼も承知でしたが、なにかこう心が通じ合う部分がありました。そのペナルティが無ければトップ3にも入ろうかと言うタイム構成でしたから、悔しいのだろうと思いきや、案外そんなふうでもなく「素晴らしいラリーだ!」とボクのことを讃えてくれるのであります。

その彼は確か前回のダカールをXT500で完走していました。日本国内にもファンが出来たようです。そのモンゴルへのエントリー手続きもその彼の友人の日本人からのものでしたから。それにしてもなぜXT500なんぞで・・・といぶかしがる向きもあるでしょう。

いやダカールの歴史を知れば、その変な挑戦も筋が通っているのではあります。1976年に発売されたXT500は、そういえばこの前のヒストリックエンデューロで岩崎君が乗って優勝したマシンですが・・・第一回大会1979年のパリダカールではシリルヌブーが総合優勝(このころの総合は2輪4輪含めてなのです)2位もXT500、で3位がホンダXLS250なのが何かこうほのぼの・・・で4位レンジローバー、5位ルノーR4・・・なんて感じでした。そして翌年のパリダカール、つまり1980年。MOTOとAUTOは完全に別カテゴリーとなってリザルトは?というと

1位C・ヌブーXT500
2位M・メレルXT500
3位ピノーXT500
4位J-P・ロレXT500
5位フヌイユBMW800
6位P・バサールKTM240
7位パドーXR500
8位ロウXT500
9位アルベールXT500
10位ジョワノースズキSP370

と記すと、この当時のヨーロッパでの人気がどれほどだったか?!ということとXT500というマシンが以下にエポックメイキングであったかと、想像できます。またヤマハフランスがダカールにのめりこんでいった姿も透けて見えます。翌年1981年には、オリオールのBMWに総合優勝を奪われますが、2位3位にはきっちりXT500・・・ここら辺りからマシンの急速な進化が始まったといえますが。

まあそんな思いを胸に1966年生まれのヘンノさんは、少年のころからのバイクやクルマに対する憧れとロマンを今の仕事にしているようです。以下に彼のダカールで紹介されているプロフィールを・・・

≪Do the Dakar in normal conditions≫

Henno Van Bergeijk is taking a radically different approach for the 2009 Dakar.

For his first participation in the rally in 2006, Henno gave him such a little treat in entering with his favourite bike, an old Yamaha XT 500. A pleasure that cost him quite a lot of effort. “It was very hard” ,Henno remembers. “The bike was as heavy as a big KTM and very hard to handle.” The Dutchman managed to finish all the same in last place.

This year, the Yamaha XT 500 collector has changed mounts: “I want to do the Dakar in normal and comfortable conditions.” Henno has this time opted for the Austrian bike. “It was a magnificent challenge to do the Dakar with an XT, but once is enough. Here, I will have three-times the power and undoubtedly I will be able to go twice as fast.”

A better bike, but Henno’s ambitions are not necessarily higher.“When you begin something, you have to finish, so I want go all the way. My bike will allow me to ride during the day; in 2006 I finished at night all the time.”

Henno Van Bergeijk knows all about management and risk taking. He started a business specializing in the preparation and furnishing of vehicles for use in commercials and cinema. “For example, I looked after the cars used in Ocean 12.” All this began 15 years ago. Back then, his tendency as a collector brought him luck: a producer was looking for Peugeot 404s to simulate a crash. Perfect timing, Henno Van Bergeijk the collector happened to have two in stock.

きょうの一枚

モンゴルでヘンノさん


2009/01/06 (火曜日)

「さて、2009年」

やっと昨晩のこと、ダカールの映像をJ-SPORTSで観ていました。いいですねえ、開催地や環境がどうこうよりも、やはりその伝統の力というかブランディングというか?パリダカのスピリットは、健在そのものでした。安心ひとしきりです。ただしあの埃の酷いピストはちょっと考えものでしたね。ビバークの足もとの草地がモンゴルを髣髴させて・・・おおそういえば草原のうねりの中を行くシーンも。しかしまあ、その戦いの姿の中から、自動車の社会との関係性なども含め、さまざまに垣間見えるものも少なくはありません。

モータースポーツというだけでなく、20世紀後半のライフスタイルにまで大きな影響をもたらしたこのダカールの30年の間、人と自動車の関係はどのようなものだったのでしょうか?考えることしきりです。おお、そう言えばSSERも25年であります。

自動車メーカーは、かつては我々の夢を売る存在でした。社会の成長と共に人々の所得は伸び、憧れの車を手にする満足感のために働いていたなんて人は、ボクの周りにはそれはもう山のように居ました。

自動車メーカーの多くはこの数年間、環境対応技術の開発に多大なコストと時間をかけざるを得ませんでした。それこそがサバイバルなのですから。「ゼロエミッション」という言葉をはじめて聞いてから20年の時が流れました。「価値とは全く新しい技術が生むものである」ということを自動車メーカー(に限らずですが)はイヤというほど知っていたのです。

その新しい技術によって得られた絶対的な技術が(あるとすればですが・・・)例えればマイクロソフト社のウインドウズのごとくワールドスタンダードになる!のです。つまりほかのメーカーは、そのスタンダードをなしえた企業からその製品(まあエンジンのような部分)のライセンスを得るか直接供給を受けなければならないということになることを避けたいのでしょう。

ですから「選択と集中」と称して、無駄な部分を切り捨て(実はこの無駄な部分が魅力であったと・・・)コストをぎりぎりまで削減し、いかに開発費を捻出するか・・・そのためには多少とも魅力的では無い車も、パッケージングのテクニックで売っていくか?!という手段を選ばざるを得ませんでした。

そして、広告広報技術は別のセクションで成長し、自社ブランドのイメージ構築のためには開発中の遠い未来の車のことまでも、ショウやらニュースやらもちろんウエブサイトでも紹介せざるを得なくなっていました。開発陣は、そこの部分の聖域には口出しが出来なかったのかもしれません。

とまあ、その矢先の出来事でした。温暖化問題の地球的な広がりと石油の高騰、そして世界経済のほころび。自動車メーカーは遠い将来の車のあるべき姿を、必要以上に沢山見せてしまったために、消費者はいま「その先にある物」まで、待ちたいという心境になっています。イニシャルコストが多少ともかかっても、ランニングコストの少ないものを選ぶという方向性は明々白々です。しかも今は出来ればイニシャルも低いに越した事は無い!のであります。

つまりハイブリッドの先にある、素晴らしくイニシャルもランニングコストも安いクルマの登場を世界が待っています。実はボクは待っていないけど。

さて2009年。自動車産業は大きく様変わりするかもしれません。それはずっと業界内では言われ続けてきていたこと。ハードウエアよりもソフトウエアの充実にこそ向かいたいと思っています。詰まるところ、パリダカールとは、そうしたソフトウエアのひとつだったのであります。われわれも、少しばかりそのようにありたいと考えています。

きょうの一枚

BMW-X3 アルアティア快走!総合2位に浮上!!このX3も長く開発し続けてきて、そういえば2002年にボクが出場してた時も頑張ってた。時間がかかるのです。しかしまあ出遅れ感のあるミツビシですが、最後は強いのだが・・・VWトウアレグも早いしね。

2009/01/05 (月曜日)

新年、地球の裏側では、南半球のダカールが開幕しています。真夏の太陽と、日没後の寒さが襲う過酷な大地での戦いだろうと押し測られます。近年の目覚しいメディアというかニューメディアのおかげで、瞬時にして地球の裏側の情報が見ることができます。素晴らしいことのようでもあり、また少しばかり距離感が欲しかったりします。

南米での開催のダカール、実は嘘のような話ですが、実はティエリー・サビーネも夢に見ていました。ティエリーの没後には、南米へ向かった旧いティエリーの仲間も居ましたが、さすがに盟主不在のままでは成し遂げられなかったのでしょう。かつて今年のダカールほど大きく組織的なものがパンパを舞台に繰り広げられようとは・・・ラテン気質の彼の国の観客は50万人だとか、素晴らしい熱狂が待ち構えていたのでしょう。そんな中、チームスガワラもいつも通りの滑り出しの様子、安心しきりです。

ミツビシは増岡選手が新エンジン(2007年から準備の進んでいたディーゼルエンジンV6インタークーラーターボ・コモンレール2.99Lという代物。写真を見る限りではルーフ中がエアスクープといった印象的なデザイン。)トラブルで早々に戦列を離れたことは残念。そーいえば、ミツビシの今後も心配な今日この頃に拍車をかけるのであります。

ところで昨年末にはフランスの裁判所から中止命令を受けていたもうひとつのパリダカことアフリカレース!!どうやらスタートしているようです。参加台数は極めて少ないのですが・・・その開催ってどんな背景なのでしょう、その経緯や今後など心配です。法的な中止命令を無視して行うということは、この後はどのような裁定になることでしょう?心配ですね。

「求む 衛星利用アイデア」宇宙本部、新サービス案公募

今日のアサヒコムから・・・

全地球測位システム(GPS)のような衛星測位技術や衛星画像データなどの利用拡大に、政府の宇宙開発戦略本部が乗り出す。国の衛星を使った新サービスの提案を民間などから公募し、宇宙利用の潜在的ニーズを掘り起こす。利用拡大をめざすのは、宇宙航空研究開発機構が運用中の地球観測衛星「だいち」や超高速インターネット衛星「きずな」、10年度打ち上げ予定でGPSの精度を高める準天頂衛星など。09年度政府予算案に3億円の宇宙利用促進調整委託費を新設した。

宇宙機構は、衛星データを漁場探しや農作物の育ち具合の管理、産業廃棄物の不法投棄監視などの利用に提供している。だが、まだ単発的な事例がほとんどで、産業の活性化や生活の向上につながっていないのが現状だ。このため同本部は、利用促進策のてこ入れが不可欠と判断した。

宇宙本部は、宇宙利用に新規参入する企業や研究機関、自治体などを増やして継続的な利用につなげるため、開発を担う宇宙機構と別の新組織を作ることも検討している。新しいしくみの具体像を09年5月に策定予定の宇宙基本計画に盛り込む考えだ。

GPSや衛星画像、衛星通信などを利用している産業の規模は3兆4千億円(日本航空宇宙工業会調べ)に達するが、大半は外国の衛星に依存している。08年に施行された宇宙基本法は、宇宙政策を開発偏重から利用重視に転換することを柱のひとつにあげている。

衛星利用のアイデアを公募するというのも面白いですね。どーすかみなさん新春に初夢ならぬ衛星利用の新しいアイデアを考えてみませんか?ボクもとても沢山アイデアがあるのですが・・・でもまあアイデアだけじゃ駄目なんだろーけど。

きょうの一枚

ダカールのHPに掲載された写真と菅原さんへのインタビュー・・・なかなか深くて味わいがあります。

25-12-2008 - ITW "Top 10" (Jap - 511 - HINO)

“Teaching young people how to triumph over difficult situations”

At 67 years of age, and with 25 Dakars behind him, Yoshimasa Sugawara isstill full of energy and humour. While it would now seem a little difficult for him to play for the very top positions ? a challenge now passed on to his son Teruhito ? the Japanese driver nevertheless remains a very serious contender for the top 10.

Yoshimasa, what is your objective for this new Dakar? It’s hard to say, Argentina is a new venue so it’s a whole new challenge for us. However, I must say that it’s a pleasure to visit a country that has produced so many great drivers, such as Juan Manuel Fangio for example. The terrain will be very different to what we’ve been used to in Africa, so the first goal will be to finish the rally.

What strategy will you adopt for this?

It will be a case of adapting to the terrain. In general, I will be very careful because this will be the first time I’ve driven in this kind of landscape. I think that the race will be divided into various sections: the first specials will be quite fast, followed by the middle ones - mountainous routes at high altitude. Then we’ll have the Atacama desert. All in all, I think that this will be the most important part of the rally.

Have you made any modifications to your truck (a Hino Ranger) for this latest event?

We have made two major changes. In the first place, we moved the engine further back to change the configuration. This will help to improve our stability and the manoeuvrability of the truck, and distribute the weight more evenly. Then we widened the wheel base, also with the aim of stabilising the vehicle. Finally, we replaced certain items with new materials. We opted for aluminium due to its lightness.

How have you prepared yourself physically?

My perfect preparation is beer and tobacco. In Japan it’s winter at the moment, while it’s summer in Argentina. To acclimatise ourselves, we decided to arrive in South America in mid-December.

What is your secret for having lasted such a long time on the Dakar?  A great deal of warm support from the sponsors, not forgetting the fans. And then there’s the Japanese pride, that’s perhaps my secret.

You’ve taken part in 25 Dakars. How do you find your motivation each year?

The Dakar and the associated preparation are very difficult. I think that it’s a good lesson, a good learning ground for the younger members of our team. I still take part in the Dakar to show them the ability to triumph over adversity and in difficult situations.

2009/01/01 (月曜日)

明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました、本年も変わらずどうぞよろしくお願いいたします。2009年、良き年でありますように。

今年も相当なハードスケジュールが予想されております!!が元気良く行きたいものです。今年の目玉の一つはラリーモンゴリアでは、ハルヌールを巡るデューンプロジェクト。現在詳細な行程計画を立案中!!グーグルアースが超お役立ち!!さてもうひとつは「レイド・トレック・チョモランマ2009」こちらも完璧な冒険プロジェクト!!まず目にするのはK2などカラコルムの巨峰群。もちろんTBIも名峰石鎚と剣山、北海道4デイズは、大雪山、利尻富士これは見えるか?トムラウシと日本の百名山を愛でる日々でもあります。どうぞオタノシミニ。

まあこんな調子で、今年も大きな夢を追い求めて参りますので、よろしくおつきあいください。

きょうの一枚

今日の一枚はカラコルム山系の8000m峰、K5、ガッシャーブルム1峰。これはカラコルムを測量した時の順番でK1、K2・・・と着けられていってK2だけが測量ナンバーが名前になりましたが、ご存知の方は中国名「チョゴリ」で有名ですね。でその近くにそびえるのが今日の一枚ガッシャーブルム1 新年にちなんで。