Organisation Voice 2011/02

 

 

 
2011/02/28 (月曜日)

「試走、また試走。試走を思想する。」

TDRの試走、TBIの試走。GWが終わればモンゴルの試走と続きます。その合間を縫って新しいビバーク候補地の交渉に向かいます。新しいビバークを使うと、まったく新しいルートの概念が誕生します。これはもちろんモンゴルも同じですが、それぞれのイベントによって、その性格は大きく変わります。

変わるというとチョモランマや、今年のレイドトレック・タクラマカン。これらは、どこにでも宿泊施設があるというわけではありません。また、どこででもテントを張って泊っても良い、というわけではありません。

ロシアなどを旅した経験のある方なら、最初に提出した計画書どおりに行かないと、大変な問題が起きるコトを経験するでしょう。ですから決められたホテルに決められた日に泊まり証明書を貰わなければなりませんね。カザフスタンでは、滞在にも届けが必要で警察へ登録に行かなければなりません。

つまり旅の計画は、そのように行くべきものである・・・という不自由な面白く無い考え方ですね。スターリン主義に逆戻りをはじめたロシアを旅するのは、考えものですね。ちょっと飛躍しすぎましたか。

そんな話を書くつもりじゃなかったんですが・・・そうそう試走です。試走とパソコンを打つと「思想」と変換されるでしょ?そのたびにボクは嬉しくなって、なにか試走に哲学的な趣を感じるのであります。

ときにはツァラトゥストラのごとき、となって説き、思索にこもり山に潜む。ああ、なんとも楽しくも不可解な魅力を持つ試走という修験の旅。実はこうしたボクのややこしい精神の往来は、25年にも及ぶ試走の旅で形成して行ったかもしれないと思う時があります。

無機的な地図とGPSの座標。次々と目の前に現れる実風景。そこにいる自分と、数日後にそこに挑む人々への創造力。まるで30日後に発表される入試の受験生のごとくだったり、30日後の授業のために。予習をする教師のようであったりではあります。

その試走の成果物であるコマ地図を頼りに、30日後に闘う人たちは、その約30日前のボクの精神と時空を、越えて交感するのだという不思議な時間の概念とか。ちょっと意味不明になりました。思いを伝えたいすれば、哲学者は文学者で無ければならないというのも、またボクの思うところでもあります。

ささやかな哲学的な興奮と思索を、タクラマカンやモンゴルで。もちそれはTDRにもTBIにも同じように流れているのでありますな。

きょうの一枚

レイドトレック・タクラマカン2011の概要がまとまりました。参加が可能なのはオートバイ、サイドカー、アンド4X4・・・つまりなんでもOK!です。参加費もこれまでよりググッとお安く!!というのは航空機と宿泊費のみは旅行代理店への直接のお申し込みとお支払いになりますので。でも、それを含めても、これまでになく参加しやすい設定!!になりました。SSERが提案するのは、シルクロードの探検行。今回はチョモランマの厳しさはありませんから。なんなりとお問い合わせ下さい。今日の一枚は、そんなレイドトレック・タクラマカンのInformationの表紙!!

2011/02/25 (金曜日)

「じゃあ、今日はモンゴルのことを、チックと話をしようか。」

昨日はなぜTBIというイベント開催したかというお話を書きました。では今日は、なぜモンゴルなのか?というお話。もうあちこちに書きましたので、少し違う角度から検証したいと思います。

「SSER10年の契機に」

SSERは1985年にスタートします。1988年にはパリダカに出場し、それが大きな引き金となってTBIに進みます。TBIとパリダカ、このふたつのバランスを取りながら5年くらい経つと、いくつかの議論が持ち上がりました。やがて組織以来、10年目を迎えようとしていました。

「ダートがどんどん無くなる!」

黒尊林道が舗装された!次は剣山スーパー林道の舗装化の話が上がっている!地元の新聞社がなぜかボクのところに取材に来ました。「困るでしょ?」と。

ボク「いえ、ボクは決して舗装化に反対ではありません。ボクタチはオフロードは好きですが、また一般の方やお年寄りが普通に高山の空気を感じることが出来るのは、道路が舗装されればこそです。」ボクは高校生の頃から愛媛の山を守る会の会員として、石鎚スカイラインの建設反対運動などをしていた過去があります。

ボクタチは、少なくなっても、走ることの許されたエリアを楽しむことで良い、と思うにつけ、その実はもっと広く自由で、美しい大地を疾走してみたいという衝動が目覚め始めていました。それはパリダカのような、それをアジアで、と。

その衝動の発芽は、おそらく92年のパリ-北京でしょうか、酒泉だか武威だかで確信のようなものを得ます。やがて「お前がやらなければならないんだ。」という強迫観念のようなものを感じるに至りました。体よく言えば「天の時」を得たのだと思いました。それをそう思わなければ、第1回大会の開催にこぎつけることすらできなかったでしょう。とにかく障害が多すぎました。

兵法で言えば、あと必要なのは「地の利」「人の輪」で揃います。

以前「継続は力なり」というお話しをこのコラムに書きました。

「念願は人格を決定す。 継続は力なり。真の強さは正しい念願を貫くにある。」と感じました。目標を強く持てば、実現に向けて真剣に取り組みます。問題点にも真摯に向き合うことが出来ます。つまりこの発芽した思いを「念願」に置き換えなければなりませんでした。

なんとなく、出来れば良いなあ。と思う程度のことは、絶対に出来ないことだという実感がありました。またその頃はそうした言葉に支えられました。

何度も言いますが、言葉の力は偉大です。言葉で考え、言葉で励まされ、勇気付けられ、また悲しい思いもその言葉によってもたらされるのだと。

ボクは今年はこうして言葉と共に、人間性を磨く!と決意して、言わなきゃいいのに社内では公言しています。

「うりゃー!」
なんて言っていたら注意してください。
どうもモンゴルの時に、そうした傾向があるかのように聞いています。

ではみなさん、モンゴルで。


2011/02/24 (木曜日)

「TBIについて、お話します。」

なんと1989年スタートというのは、パリダカが1979年スタートなので、10年遅れでスタートしたのがTBIです。実はこの数年前にも開催が企画されていたのは、知る人ぞ知る、というところでしょうか・・・

なぜか借り物のバイクで試走していたボクは、崖からバイクを川に落として「こりゃ大変だわ」と。1988年に初めてパリダカに行ったときに、やっぱ日本のライダーに走る+ビバーク+走る・・・しかも走ることにはナビゲーションの技術の習得などを、と考えて「やっぱりブルーアイランドを開催する!」という思いに、再び至ったのでした。

当時は、携帯電話もコンビニもありません。ガソリンスタンドはオイルショック以降土日休業!!大きな町でこそ順番で営業しているくらいでした。いうなればまあ今のモンゴルのような事情の四国。

ガソリンの供給を何とかしなければ!ということで日本石油に掛け合ったところ、そのままメインスポンサーに!なって頂きさまざまな支援を頂きました。昼食のために、オリジナルのランチパックを詰めあわさなければなりません。これも大変な作業でしたが、モンゴルへ繋がる大きな経験となりました。何よりこの壮大な空間を管理するオフィシャルスタッフをどうするか?そもそも存在しない(ヨーロッパにはある)マップホルダーをどうするのか?ケイタリングをどうするのか?緊急対策をどうするのか?

大変だった!と言っているのではありません。その大きな負荷がボクタチを成長させたと言えます。

TBIは参加者にとって海外に繋がる、か細いけど確実なステップになったと同時に、そこに集ったSSERのメンバーたちに。試練と根性と人間性を磨かせてくれたと思います。その人間性は、いまだ不十分ですが、これからも必死のパッチ(本日のブログ参照)でやっていきます。

そんなことで、どうぞ安心してTBIやTDRへお出かけ下さい。

そしてモンゴルやタクラマカンと言った夢の大地へも道筋を延ばして行こうではありませんか。

2011/02/23 (水曜日)

「デザインの骨格」

NIKKEI DESIGN 3月号が届いたので、ぱらぱらと読んでいると新刊紹介に「デザインの骨格」1680円が・・・ボクはこの著者 山中俊治のブログ「デザインの骨格」を最近のこと見ていたので「ああ、あれが書籍になったのだ。」と思ったものです。

http://lleedd.com/blog/

この山中さんは松山市の出身で、いまは慶応大学の教授をされていますが、日産にも在籍していた時代があってインフイニティQ45のデザインも担当されています。てか、ボクとほぼ同年代。どこかでニアミスをしていたかもしれないくらいです。

とにかく文章も上手いし、とにかく絵がすばらしい。実は漫画家志望だったといいます。日産の面接の際も、なにもポートフォリオを持っていかずに学生時代に書いたマンガのラフを持って行ったら採用された・・・これもブログで読みました。

ぜひブログを見ていただいて、興味があれば本も買って見てください・・・ってボクがなぜ・・・

きょうの一枚

「デザインの骨格」山中俊治 著 A5版280ページ、定価1.680円

2011/02/22 (火曜日)

「モンゴルとタクラマカン」

この2つのイベントのポスターを作ろう!そしてパートナーショップとフューチャーショップに貼りだして頂こう!ということでさっそくラフ作業に入りました。

印象的でメッセージ性の高いポスターを作りたい!
と、常々他者からの依頼にはそう語るボクなのですが。

たとえばこんなふう

ボク「写真とか使っても、それほど心をつかめる写真なんてありませんし、賞味期限が短いですよ。」
クライアント「じゃあ、どのようなものを提案してくれるのですか?」
ボク「なんていうか、グラフィカルでタイポを効かした、もうアヴァンギャルドで、あっというやっつですよ。」
クライアント「?????」
ボク「そして、あーがこーで、こーがあーで。」
クライアント「もう、いいよ。」
 

なんだか訳のわからないものが作りたいんです、多分。そんな気分。

ところが自分のところのとなると

「あの写真もこの写真も、あの情報もこのコピーも。おおそうだラリープレートも入れよう。そうだあれも、これもだ。」ということになって、初めて知るのですが・・・クライアントの気分と制作者の気分とは、かくも違うものなのか・・・と今になって思うのでありました。

さて、どんなポスターが出来てくるのでしょうかしら・・・おおこわ。
って、これはOVじゃなくて、ブログに書くべきだったかも。

きょうの一枚

F1開幕戦バーレーンGP・・・中止になりました。早く世界に平和と安定が訪れますように。写真はバーレーン国際サーキットの夕景。砂漠と海とくれば、夕陽は美しいのですが。

2011/02/21 (月曜日)

「砂漠の狂信者」

1991年1月。ボクタチは発売されたばかりのトヨタランクル80を2台仕立てて、パリダカに臨んでいた。パリダカは13回大会だったのだが、この年に限っては全ての記述が13eではなく、1991、だったから余計に記憶している。ヨーロッパも混乱していた。東側諸国が雪崩を打って民主化した。東西冷戦の終末期だった。その原動力となったのは国境を越えたBS放送だったと分析された。

ラリーには不穏な噂が流れ始めていた。

フランス国内を縦断してマルセイユの港に着いた。街外れの、いま思えば素敵なホテルに宿を取った。そしてパリダカ名物の地中海のフェリーは、急遽キャンセルされてチャーター機になったのだ。つまり湾岸戦争が会戦の火蓋が切られるという情報だった。地中海の東海域も戦略的なエリアになっていた。

向かう先はリビアの首都トリポリ。そうその時はパリ−トリポリ−ダカール。人間は航空機で、マシンはフェリーで、この頃からTSO(当時)は、極度のリスクコントロールを強いられるようになった、と感じたはずだ。単なる強盗団などへの警戒レベルではないのだ。

それにしてもラリーの経由地がリビアとは驚いた。砂漠の狂信者カダフィ・・・多分これは落合信彦のせいだ。しかし一国を統治するには、狂信的なだけでは難しいのではないだろうか??はるか過去に読んだカダフィが描かれた本の中身は、すっかり忘れてしまったし、また呼んでみようとは思わないのだが・・・

ともかくラリーは湾岸戦争に揺れた。リビアはかつてのイタリアの植民地というか、ローマ帝国の一部だし、ナチスの北アフリカ戦線もこのリビアだ。トリポリのビバークの横には古代ローマ帝国の遺跡が、なんと瓦礫のままで横たわっている。しかも誰かさんはその影で用を足しているし・・・

つまり1991年から20年。何かの符号のように北アフリカで民主化が始まった。もっとも気になるのは、やはりリビアだ。リビアの砂漠は素晴らしかった。阿蘇山のような外輪山を持つ大きな火山が砂漠の中にある。美しいし、魅力的な土地だ。ああいう場所へも簡単に旅が出来る日は来ないものか?

きょうの一枚

カダフィを描いた一冊。さらにもう一枚は、こんなに恐い世界がまだあるのね、って感じ。



2011/02/18 (金曜日)

「こちらも、動き始めた。」

なんと啓蟄のごとく、SSERの2011が動き始めました。昨日からの事務所の慌しさったらありません。

たとえばモンゴル!!朝食のパンにするためには、大量のホームベーカリーが必要ですね。夜を徹してパンを焼き続けるには電力量がそこそこ。ならば他のものをLED化するなどして、電気量をセーブして現行の発電量で・・・でもまあそれもエココンシャスな行為だよね。そしてあの膨大なコードを取り回さなくても良いようにする工夫に・・・

たとえばツールド・ニッポンシリーズ・・・詳しくはコチラ
新しい価値への再挑戦が始まったわけです。

たとえば「タクラマカン大横断」プロモーション用の映像を製作開始!!さまざまな問題を起した旅行業の件。いくつかの旅行代理店と交渉は纏まりつつあります。参加される皆様の役に立つ!を大前提に進めていきます。

FUTURE!2011年度は4刊にして180分に。。。つまり180×3刊=720分、昨年は5刊×90分=450分・・・

大幅UPの予定でしたが「やはり季刊に!」

つまり年間4号に!という要望が多くて!!「よっしゃ!」で合計720分昨年比160%増・・・最近の日本では聞いたことの無いような昨年比!で、無茶苦茶頑張る!ということに。

だからみんな、お願い!TDRとTBIにエントリーしてくれないかなあ?バッチリ動画でFUTURE掲載は確実!!ですものね。

じゃ4月2日にね。

きょうの一枚

あの頃のバイクを時々思い出して、自分の心を揺さぶっては試してみる。

2011/02/17 (木曜日)

トピックス1「ツールド・ニッポン再始動?」

実は、そうなんです。今日は終日SSER2011の運営ミーティング!!その中ではさまざまなことが決まって行きます。

まず表記の「ツールド・ニッポン・シリーズ」の開催です。2011のSSERのクロスカントリーラリーの国内版は、TBI、北海道4デイズ、九州4デイズの3本。総走行距離は14日間=5000kmもあるのです。しかしこの3本を全て参加するのは、さまざまに困難だろう・・・ということで、さまざまな対応が話し合われました。

そこで「ツールド・ニッポン・シリーズ」としてこの3つのイベントを、シリーズ化しようということになりました。

もちろん一つ一つのイベントが独立していて価値があることは間違いありませんが、3つのイベント全てに参加される方に、サポートできる仕組みを検討することになりました。全戦エントリーをされる方に、エントリー費の大幅な減免をしようというものです。

3イベントの順位をポイント化して、シリーズ表彰を、11月末に東京・恵比寿で行われるSSER PRESANTATIONで行います。シリーズチャンピオンには、相応のプライズを用意して、低迷をするモータースポーツの認知度の向上を目指します。

もちろん2つのイベントでポイントを稼げば、シリーズポイントの上位を獲得できるというもの。チャンピオンらには翌年のモンゴルに招待!!(詳細は未定ですが・・・)出来ればその勢いで、他のラリーにも・・・と夢が膨らみますよね。

*シリーズは個人総合のみとしますので、イベントごとに車両が違っても問題ありません。

トピックス2「ツールド・ニッポン・シリーズ3戦に、4×4エキスペリエンス部門発生!!」

昨年の北海道で好評の、4×4エキスペリエンス!!コマ地図を追いながら、所定の通過時間内にCPを通過してゴールを目指すというもの。モンゴルに4輪で初参加される方などを対象に、開催が決定!!もちろんCP通過・不通過などの減点で争われますが、原則としてSSなどの時間測定は行われません。

まずはTBIから!すでに、もうエントリーが届きそうな勢いです。そうは言ってもハードでならすそれぞれの3イベント!完走するのも、かなりの力量が求められるかもですね。

しかし条件は1300cc以下の車両。4×4であることなどです。
楽しい冒険旅行が楽しめるはずです。

詳細は明日更新予定!!

きょうの一枚

敦煌の手前20km。こうした狼煙台あとの土塁は農民の倉庫のように使われていたりするけど、ぼくたちが見たら歴史的文化財だと思うんだけどなあ。だから万里の長城は、もっと西まで・・・カシュガルまで延びていた・・・という意見には賛成なのだ。タクラマカンのベースキャンプはもうすぐのところだ。これは2007年9月。思い出しても素晴らしいエキスペリエンスだった。今年も行きたい。

2011/02/16 (水曜日)

「春が来た。」

最高に気持ちの良い朝です。

新しいTBI、ビックリするTBI」を合言葉に。厚主君は朝から海へ。ボクは今から山へ山ちゃんと?打ち合わせに行きます。新しいビバーク。新しいSS。とてもラクチンな日。とてもハードな日。新しいエントラントを大勢お迎えして、新時代のTBIがスタートします。でもエントリーはもう少し枠が!?皆さんいそいでプレエントリーをお願いいたします。本エントリー費も、大幅値下げ。コチラ

続いてTDR!遅くなりましたが、ただいまエントリー受付中!!面白そうですよ。桜と、琵琶湖と、信長の野望?との物語。まあミステリーツアーですから。

さらにただいま急ピッチで詰めているのは「タクラマカン大横断」来週にはこのHPでPVをUPします。タクラマカンの縦断ルート、敦煌にベースキャンプを置いてループをします。どなたでも参加できるようにしましたから・・・お気軽にお問い合わせ下さい。3月には中国からスタッフも打ち合わせにやってくるようです。お楽しみに。

そうそうモンゴルからはムッホたちが来週にもやってくる予定、モンゴルのラリールートが決定していますので、その打ち合わせ。

とにかく春ですねえ。全てが動き出しました。問題のあった旅行部分は、いくつかの旅行代理店と契約をすすめていますから、ご安心下さい。

きょうの一枚

ベースをおく敦煌。宿は敦煌山荘。そして夜のバザール、莫高窟などなど



2011/02/15 (火曜日)



「3番じゃ、だめなんですか?」

というタイトルでGDPがどーの、ODA二国間援助がどーの、老子の「足るを知る」がどーの。。とOVを珍しく昨晩のうちに書いてあったのですが、今朝の晴れ晴れとした雪と青空を見ていると、そんな瑣末なことなんかどうでも良いや!という気分になっちゃいました。

それにさっき、仙波君から届いた「あざーす、最新版」を読むとボクに「もう、そんな話ばっかしなくても」と語りかけているようでした。

そもそもボクに天が与えた使命があるのだとすれば、あるのだとすれば、ですが。どーも、政治や経済を云々とすることではないかもしれません。

そのOVを、読み返さずにスカッと削除しちゃいました。でも「今日の一枚」は昨日のうちにセットアップした4枚の写真。キャプションの冒頭部分にボクの昨日の気分が分かって、自分でも可笑しい感じです。

昨晩はミーティングが終わると、「黒森峠へ行く」といって、元全日本ラリードライバーと厚主クンは2人でラリー使用のチョイ古エボリューション(ランサーのね)で、スコップを2個持って、出かけていきました。遭難した時のため、とボクのバレンタインのチョコレートを持って・・・

その、ドライバーもSSERのオフィシャルです・・・が、このところこうしたおじ様たちの「若気」が、あまりにも露骨になって来ています。雪の中をキャンプに行くのも、深夜の雪道を全開で走りに行くのも・・・OJISANたち。

リスクは考えないのかい!?そのリスクヘッジが2本のスコップだったり、テントを溶かしそうな薪ストーブだったりするのかい?!そう考えると、ちょっぴり嬉しくなってSSERもまだ捨てたもんじゃないなあ、とニヤニヤしていました。

でも、ちょっと前なら「ボクも行くう!」と言っていたのに。
自分はどうしたんだろう。とかね。
でも「なにかあったら電話して!」
と4駆で帰っとこー!
とか思う自分もまたそこにいるわけで。
リスクなのか?
ファンなのか?
そうした分水嶺を、今の時代は下げてしまったのかもしれませんね。
「コトなかれ主義」つまり「コンプライアンス」という言葉のマジックによってね。

きょうの一枚

足るを知ると人生は豊かなのでしょうか?かつて成長し隆盛を極めたものは、葬り去れるだけだと思っていた20世紀のパラダイム。再生され復活されていくことがルネサンスならば、今はその時代なの?そんなルネサンスを感じさせる・・・つまりおじさんの心と現代の気分を繋げる、そんな古くて新しいバイクを4つ。

1.Norton commando復活。心穏やかではありません。子供ころの分厚い「オートバイ誌」忘れられません。
2.W800・・・お値段が揺さぶります。なぜオフの世界ではこのようなことが起きないんでしょうか?
3.トライアンフも、言わずもがな。ルネサンス第1号店の赴き。黒がいいすよね。あの時買えなかった切なさが募ります。
4.元グッチじゃなくてモトグッチ。何度も言いますが、こんなオフロードマシンも何とかしてください。

あの時代の憧憬を、現代の方程式で甦らせるのは、良いのか悪いのか、単なるマーケティングの悪魔の技か?

ってなことは、どーでも良いけど、今あるバイクに乗りなさいよ。

2011/02/14 (月曜日)

「Norton Commando 復活」

実はこのオハナシは明日のこのコラムに書くのですが、GDPが世界3位になったというニュースとNorton Commando」は何の関係があるのかについて。

今日は触り部分。ノートンと聞くと今ではインターネットのセキュリティだと思う人はいても、あのイギリスの名車と懐かしむ人も少ないかもしれない。

そもそも、あの頃は日本と英国のオートバイメーカーは、激烈な競争送り返していた。英国を範としていたのに、強欲に英国メーカーを駆逐しようともしていた。いつかはそのしっぺ返しが来るだろうに。

このノートンコマンドは、1969年に発売された、ボクはまだ厚顔じゃなくて紅顔の14歳。授業中に描いた絵のほとんどがノートンコマンド。そのあとはトライアンフやBSAとの合併を繰り返したのだけど、1977年に倒産、姿を消してしまった。

日本がGDPで西ドイツを追い抜いて世界2位になったのが、1970年かな1969年かもしれない。要は大阪万博の頃だ。日本が再び3位に落ちたという報道、そしてノートンの復活。復活といえばMVアグスタやトライアンフなど・・・さまざまなブランドの再生物語があるが、日本のブランドはいまや風前の灯だ。でもって、これからが面白いかもしれない。

明日に続く・・・

きょうの一枚

若い頃のボク。じゃなくて、キアヌ・リーブス。彼も良く手の入ったノートンを数台所有している。ううむ。桐島ローランドも、すごいのを1台持ってたのに最近手放したんだそう。

2011/02/10 (木曜日)

「正しくある、という事について、思うこと。パリダカ篇」

メディアは連日のごと、八百長騒動。見るに耐えられません。てか見ない。ネット上でも議論かまびすしいでしょうから、ボクも参戦!というわけではありませんが。

そもそも「闘いとその結果」について考えてみましょう。てか、告白です。

昔ボクはパリダカ(またパリダカか?)1988年1月12日、ETAP11…アリット−アガデス間、これは舗装で2時間で行けます。ところがオンルートはループ状の500kmを越える砂のステージで難所と前評判の高いステージ。アリットのスタートフラッグの下、明け方にゴールしたボクタチは、その日…ズルをしました。

スタートして、真っ直ぐアガデスに向かったのです。ラリーカーですから2人乗っています。クルマの中で2人は、引き返そう、いや休もう。いやオンコースに行こうと何度ハンドルを切ったか解りません。翌日は休息日でした。その日の午後にさえ、やっぱり戻ろうと何度となく言い争いをしました。その思いが今でも胸を締め付けます。

仲間の1台は、アガデスの休息日の午後に頭から足先まで真っ白になって帰ってきました。プレスカーのカメラマンも「いやあ、エスケープして正解だよ。何台も帰ってこられないよ。」ボクは帰ってこられないうちの1台になっていたほうがいいや・・・そんなふうに思えたのは、ぐっすり寝たあと、乾いたアガデスの空気。懐かしさに胸が締め付けられます。それも、もう23年も前の話です。

そんな過去のお話ですが、そのことがボクのたくさんある?一生の悔い!のうちの一つです。いまもこうしたラリーを開催し続けているのは、ひょっとしたらその自分への贖罪じゃないかと思うこともありますが、それは少し違うでしょうが、でも似てもいます。

モンゴルで、時々ループのエタップに行こうとする、疲れ果てているライダーを制止することがあります、いや毎年のようにあります。そのときボクは、名状しがたい気分になります。「行くな」というのは果たして、彼らのために言っているのだろうか?それを覚悟で来ている彼らに、ボクがそれを言えるのか。そんなに立派な奴なのか、お前は。と。

いや、本当に深刻なトラブルを抱えていて、それを何とかするために、というのなら良く解ります。でも、あの時のボクはただただ、疲れていただけです。はじめて出たパリダカのあまりもの厳しさに、打ちのめされていました。もう1週間もほとんど寝ていないという状態だったのです。しかし、なんとか完走をしたのですが、それは自分の中では完走ではありません。

だからそのことが再びパリダカに戻る、というきっかけになりました。2回目に出るまでのボクの苦悩は言葉にすることは不可能です。

あれから14年後、2002年の大会・・・の時です。ボクタチは前半戦のマシントラブルで、もう勝負がついていましたから、モーリタニアをゆっくりと完走狙いで走っていました。いわば無気力相撲です。思い切ったショートカットをして、大きくルートをはずしました。そんなところで、ミッショントラブルで身動きが取れなくなってしまいました。

「もう、いいや」ボクはそう思いました。

そこへ、なぜか砂の中からフランコ・ピコがやってきて、助けてくれました。

「さあ、行くぞ。」

とフランコ・ピコがボクの気持ちを見透かしたように、背中を叩いてウインクをしました。

「ありがとうピコさん」

って言うと、片言の日本語で

「知ってた?ピコさんだよ。」

ボクは噴出しそうになりましたが、なぜかは解りませんがとてもすがすがしい気分に見舞われて、でもしっかり叱られた様な気がしました。

ピコさんは、ボクタチより後ろにいるわけですから、決して順位争いをしているわけではありません。ぼくたちと同じような立場だったわけです。

バークレイキャピタルズのTVCMじゃないですが、ミケルソンが木の影から出てきて「見ているよ」と、そう、そのあれです。

人生とは、そういうものです。

だから、大相撲のそれもマスコミや他人がどうこう言う問題ではなくて、人間としての自分の弱さに対する自身の中にある大きな問題であり、それが自己であり、人に突き詰められる必要はありません。それこそが人を決めることです。

それをそう思わないのだとしたら、その人はそれだけの人間でしかないわけです。別に探し出して糾弾しなくても、必ず淘汰されます。ほっとけば良いのです。

そんなこんなで、ボクの座右の銘は、沢山ある!と笑われるのですが
「仰ぎて、天に愧じず。」です。あれ以来、インチキは1度もしていません。

闘うことは簡単ですが、「能く闘う」ことが一番難しいのです。能く闘うということは、正しく勝つために努力をすることで、手段を選ぶということではありません。そして今も、ボクは闘っています、正々堂々と。

きょうの一枚

ピコさんのことを考えていたら、テネレが懐かしくて。そんなYAMAHAの最新のPV発見!日本では見ることは無いかもですね。

そしてその中で、砂漠にある廃墟のようなホテルてか、廃墟。そこに泊った者はいくばくかのお金を置いていきます。盗って行く人があるだろうと思うのが当然です。そこに彼は、一夜の宿賃を置いていきます。砂に埋もれた1軒屋ですが、壁に掛けられた芸術品のようなお面、それらが見ているとでも言うのでしょうか?制作者の意図がボクの胸を射すくめます。そこには、人が見ていないところにも公正である!!というスポーツマンシップがオフロードライダーの姿を通して貫かれています。なんか今日のOVと通じる偶然にビックリ、思わず涙が。。。

一瞬覗く白髭白髪のおじいさんは、きっとあなたの空想の人物、たとえばミケルソンか、ボクにとっては、フランコ・ピコかもですね。

正しい闘争心を持たせてくれる、あなたにも大切な人がいるはずです。


2011/02/09 (水曜日)

「やっぱ、なにか違う。」

やっぱ違う、何が違うのか?と聞かれると良くわからないけど、何かが違う、そんな違和感を感じ始めた。

「えっ、遅い?」
みんな、とっくに感じているんだ、そう?

その違和感というのは、全てのシーンで感じる。仕事でも、酒を飲んでいても、まるで世界が違ってしまったSF映画の中にいるような・・・そう感じることが増え続けていき、やがてはアイデンティティを見失いそうになる、つてかもう失っているのかも。ひょっとしたら地球も人類も消滅していて、その直前に購入した「記憶」のようなものの中に生かされているのかもしれない・・・と思うと、確かにそんな映画があったよね。

とまあ、話を日常レベルに戻そう。

ここのところ毎日のように「自動車がどうの!?」って言っているけど、やはり80年代にしても「夢があった」訳ではなく、企業の論理(シェア争いとか売上向上のための拡大戦略)の中にぼくたちが勝手に「夢だとかロマンだとか」って夢を見ていただけなのかもしれない。つまりぼくたちは彼らの巧妙なマーケッティングの、「まいどありぃ!」だったのかもしれない。

と考えると少し寂しいので、やっぱあの頃は「夢があった」と思いたい!!というノスタルジア(浜田麻里、詳しくはコチラ)に耽溺する。

スイマセン、わけがわからなくなってしまって。

じゃあ話を変えよう。

仙波君の「あざーす。仙波です」の今回の主張にボクは物言いをつける。だってBMWのあのスクーター・・・彼ら(BMW)の仕事ではない!!それに中国のあの映像はなんだ。完全に中国の巨大市場への、アプローチのための変身としか思えない!!変身なら良いけど媚だとか、そう見える。

違う、BMWが担わなければならない使命は、そんなものではないんだ!!

と思うボクが実は、古き洗脳者なのかもしれんなあ・・・・・ボクタチのようなユーザーが足を引っ張っているのかもなあ。

そんなこんなで今日の一枚はパリダカに見るモーターサイクルの変遷だ。

確かにモーターサイクルは21世紀のシティコミューターの座を回復すると思う。それも時間の問題としてだけど。その一石を投じたという意味で、価値がなくは無いよ。

しかし、もっと新しい価値が必要だと思う。

それを担うべきがBMWや、もうひとつ(頑張って)言えばHONDAなのだ。まったく新しい価値とはなんだろうか?20世紀の価値観でいくと、便利だとか、早いだとか・・・カッコイイだろうか。しかし新しい価値はきっと違う。

ボクは知ってる。でも、教えないことにしてる。
だってここは仮想現実なのだから。
かなりアブナクナッテ来てるボク。

 
2011/02/08 (火曜日)

「もう一度、あのころに」

今日はガストンの命日だ、とブログ(コチラ)には書きました。いったいあの時代・・・ボクが言うのは70から80年代は・・・どんなだったんだろう、とたんに懐かしむだけでなく、ジックリと振り返ってみました。

ニュルブルクリンク84時間なんていう耐久レースがあったのを知っていますか。MAZDAのワークスが、ロータリークーペでアルピナ3.0CSLで死闘を演じた・・・ガストンの記録を探していると、そんなところへも行き着きました。ボクの先輩の武智俊憲氏もロータリーのハンドルを握っていました。その激しさは今では想像もつかないでしょう。それが68年のはずですから、ボクタチの熱い日々はどうも、この辺りから始まるのですね。

最近のマーケティング用語でいうコモディティ化やフラット化、つまりモノに対する憧れがなくなった時代。モノが悪いのではなくて。。。高付加価値なんて叫んでいた企業は、単能化の前に立ち尽くしています。いまではBOPマーケティングといって、三角形の底ベースオブピラミッドをマーケットとした戦略が台頭。つまりインドのタタ自動車みたく、最低必要なものだけで価格を落としてという手法、これからは日本にも?

しかし、ぼくたちが求めるのは新しい価値です。付加価値じゃなくて深い価値だと思います。まあたとえばAppleのように、世界を変えるかと思うような価値だと思います。以前の日本はそれがありましたよね。後述するカップヌードルなどがそうです。

その新しい価値はどのように醸成されるのでしょうか。またそれを阻害するものは・・・今の時代は情報が多すぎます、今では価値だと思われた情報とその流通にさえ価値はなくなったようです。モノも情報も供給過多で価値を失って来るのは自明の理。

再び問います。残るのはなにでしょう。もちろん残るものは沢山ありますが、ボクが信じるのは、やっぱあの渇望の皮膚感覚。ひりつくような、あの陽炎立つ砂漠を駆け抜ける姿。

ガストンの1985年の映像を見ていたからかもしれません。(ブログにリンクした)ボクに新しい価値を与えたのは、実は日清のパリダカをモチーフにしたCMでした。もちろんこの商品そのものが、当時新しい価値だった。小さくても「世界を変えた」のですね。

きっと2本目はTSOとの交渉に難儀したのでしょうか、パリダカの意匠ははずされて、なんとなくBajaのイメージに寄せましたね。まあそれでも良かったんです。しかし、それ以外もカップヌードルのCMは、すごい。YOUTUBEでたっぷりと見てください。カップヌードルは、過去の新しい価値を?普遍のものにするための挑戦を続けているように見えます。

そんな企業姿勢を見ていても、てか映像を見たからですが、こうして、今の時代にも無くしていた冒険心や勇気が蘇ってきますよね。

「挑戦なくして、なんの人生か」なんて思っちゃいます。

きょうの一枚

MAZDAの挑戦も70年代80年代がピークだったことがわかります。68年頃にMaratonde la route 84hr.4位なんて記載がありますね。これがニュルかな。翌年にスパ24時間。日本の自動車メーカーは、自分たちのことも忘れかけています。

2011/02/07 (月曜日)

「4×4ブーム再来。ってかマイブームかも。」

SSERのオフィシャルメンバーの耐寒キャンプじゃダカールの映像。やっぱ冒険の旅は楽しい。その夜ボクは砂にまみれてのた打ち回る夢を見た。朝起きたら背中が痛いくらい「あー、よく砂を掘ったなあ。」な感じ。どうもそれは試走で砂丘が登れなくなった非力なオフィシャルカーの苦労を案じさせててる。クルマ、何とかしなきゃなあ。

とまれ、これからSSERのオフィシャルを目指す方は(そんな人はいるのか!)まず必要な3種の神器。1.アマチュア無線の免許、2.4×4、3.テント&シュラフだ。これを用意しはじめてください。もちろん相応の運転技術も。それとキャンプなどの技術と経験も必要ですぞ。そんなことを考えていたら、今日のタイトルの「4×4ブームの再来」もちろん80年代のあのブームのパワーは無いまでも、新しい4×4ブームの予感。

ボクが感じる4×4ブーム再来の予言の根拠について
1.だいたいボクが欲しいなあ・・・と思っていたものは流行る。
2.おじさんたちの乗るクルマがなくなった。
3.レース・トゥアレグがメチャカッコイイ!
4.クリーンディーゼルが、いい感じじゃん。
5.FJクルーザーが安い!!

上記の5つのいい加減な観点から、ここ10年も良く堪えに堪えていただいた4駆ショップの皆さん!お待たせしました!って感じなのです。ついでのバイクブームもまたやって来ます。いや、もうそこまで来ています!!あとは爆発的な!!そのタイミングを待つのみです。

なぜか?だって自転車の大ブーム!でしょ。多くはあのメカニカルな造形美が好きなのですが、それならモーターサイクルには敵いません。さらに100kmの行動範囲は、ちょっと寂しくなります。最近はバイク(自転車ね)をバイク(オートバイね)で追い抜く時、これまでは感じなかった「羨望の視線」を感じるようになったこと無いですか?

「あー、オートバイって、いいかも」彼らは絶対そう思っていますって。

だから次のマシンはピナレロにしようか、モトグッチ(なんでー)にしようか悩みはじめているひとが多くなって来ているはず。さらに国産はともかく、イタリアン・バイクや、その周辺のファッションが本当に素晴らしい!!のであります。

ちなみに4輪もですね、「今、レクサスに乗っているんだけど、BMWにしようかジムニーにしようか迷っているんだよね。」とかって人が、今全国に15万人くらいいると思います。いやそんなにはいないかもだけど、5万人はいますよ。でね「ノーマルだとねえ?」で思考停止になっているわけですよ。

そこでお勧めAPIOのコンプリートジムニー・・・って、なんの宣伝しているわけ!?

いや、これからSSERのオフィシャルで参加したいなあ!?って考えているあなたも、クルマはコンプリートジムニーですよ。あれに無線機つけて、ベッドもあるのですぞ。

きょうの一枚

そのコンプリートジムニーはこちら。アフィリエイトではござらん。その実力はモンゴルの活躍が証明しております。 [URL]

これにしたらー」とメールが届いたのは、もち垂涎の78と76どちらもクリーンではないけど4.6Lのディーゼル。どちらもホイールが素晴らしい。たたずまいが、オフィシャルカー然としています。80年代後半のパリダカールのオフィシャルカーはランクル75でした。オーストラリアにも沢山いますね。

2011/02/04 (金曜日)

「CLEAN DIESEL」

数日前にメルセデスのCDIに乗って以来、あのクリーンディーゼルの乗り味が忘れられない。もっといろいろなクリーンディーゼルに乗ってみたい。特にクロカン4×4.なにがあるのか?これから自動車メーカーは、どのように動くのか?と、いろいろ考え中だ。すくなくとも燃費だけでも、20から30%は向上する。昨日書いた50年で50%の削減なら、1年間で1%ずつ削減すれば良いことだ。大きい車もクリーンディーゼルに。ついでに事務所のライトもLED化する。断熱を良くして、高効率な室内環境を作る。そんな話は本日のブログに書いた。

ボクは1988年のダカール以来、パリ北京やパリルカップを含めると、7度のクロスカントリーラリーに出たことがある。持ち込んだ車は12台かな?全てランクルで、すべてディーゼルだった。モンゴルのオフィシャルカーもディーゼルが大半だ。

いつも「いつかはガソリンで闘いたいなあ」なんて言っていた。もうひとつ言えば「1度で良いから4独でやりたいなあ」って思っていた。でもいまや主戦場はディーゼルになった。

つまり一時はリストリクターの規制が、ディーゼルに有利だったというのはあったけど、それもこうした環境施策の一手だったのかもしれないと思うと、FIAももう少し評価されてもいいかもしれない。

新しい時代のディーゼル!!手に入れてみようかな。

きょうの一枚

新型パジェロ GR 3.2Lコモンレールクリーンディーゼル・・・おっとATしかないか。360万円也。トルクは45kgmを2000回転で獲得するんだね。で重量は2.2t。うーん、これでは売れないような気がするなあ。それにエンブレム大きすぎ!!もっと軽くて、なんちゅうかな、もっと・・・。

2011/02/03 (木曜日)

「環境レギュレーションの続き」

特にラリーモンゴリア創成期(当時ラリーレイドモンゴル)より、環境問題には真剣に取り組んで来ていた。どうもこうした自然環境をフィールドとするスポーツは、環境問題に対して弱いまたは悪いと思われる立場にある。さまざまな取り組みも、ときに単なるエクスキューズだと、自問することもある。

たとえば燃費をテーマに、エコチャレンジ部門の創設もあった。これの運営は我々の実力では厳しかった。ラリーと同じ距離で競うのだから、1日の行程を朝までかかるというのは自明のことだ。それはオフィシャルの消耗を強いた。確かにスーパーカブが完走すれば、どんなに時間がかかってもエコチャレンジという競技ではプリウスをしのぐことが出来たろう。しかし走り続けることは、困難を極めた。省エネルギーを競う裏方は、はるかなエネルギーを消費していた。誰も指摘はしないけど、全く本末転倒な話である。

こうしたことも踏まえて環境レギュレーション作りをしていこうと思う。つまり主催者も参加者も共に考え、同じように規制を受けるべき環境レギュレーションだ。

養老孟司先生のあまたある文献を読むまでもなく、温暖化の原因は石油の消費である。50年後に50%のCO2削減を唱えるのなら、簡単なことだ「年に1%ずつ蛇口を絞れば良い」のである。新興国がどうの?とかはともかく、まず、ぼくたちも考えてやってみようと思う。早くからプリウスに乗られている方は、本当に見事だと言おう。

ラリーモンゴリアでも、ヘリの飛行計画や、全体の行程を考えながら総エネルギー使用量を検討してもいいように思う。また、燃費の問題も各自の問題として捉えようかと思う。今回は無理でも、航続距離をkmだけではなく、燃料量で考えるという方法もある。おのずとタンクを大きくするという考え方から、燃料消費の良いエンジンへの置き換えが進むだろう。ラリーなどこそはそれが必要なのだろうと思う。

急いで取り組めること、時間をかけて取り組むこと、さまざまに考えようと思う。環境問題におけるタイムペナルティも、取り組もうと思う。たとえばそれは「抗議を受け付けない」として、ビバークで自車の5m以内に投棄物があれば、10分のペナルティとか・・・えっ重い?誰かがいたずらをする?まあ、いろんな意見もあるでしょうから弾力的には考えようと思います。

この話の続きはまた。

きょうの一枚

モンゴル、この美しい環境は、今その前に立つボクタチだけのものではありません。しかしまたその地に立つことも、大切なことです。知ることは、それを愛することのはじまりです。

 
2011/02/01 (火曜日)

「環境レギュレーション」

ラリーモンゴリア2011も、間もなく本格的な準備が始まります。今回は新たに環境レギュレーションを設けようかと思っています。あの美しい大地をいかにローインパクトに使うか?大会の創成期より求められていたもので、常に検討をしていました。

しかし近年増大ずる一方のゴミの問題。いかにこれを低減させ、いかに合理的な処理をするべきか。ばかりか、多くの行為そのものを、どのように環境コンシャスにしてゆくのかを、今年の大きなテーマとして考えを深めていき、かつ行動を起していくかを考えてまいります。

私たちの規模のラリーでも、本当に驚くほどのゴミなど・・・出ます。昔のパリダカでも驚いたものですが、いったいいまのダカールは、どのようにしているのか・・・もう一度しっかりと勉強させていただきたいものです。

イベントというのは確かに非日常です。アジアカップの表彰式にも紙ふぶきが舞い、華やかさは絶頂を迎えるのですが、その影には大掃除が待っています。あらゆる祭りのあと・・・つまり「あとのまつり」ですが、さまざまなものを多くの会場で見てまいりました。一人ひとりが持ち込んだものを持ち帰れば、掃除なんて不要です。

大観客が立ち去った跡のスタジアムは、いったい・・・中にはサポーターたちでゴミを掃除して帰るというケースもあるようですが、それが美談となることにも問題があるようにも思います。

いまだに散らばる道路の空き缶。日本人の品格は、言うほどではないかもしれません。大阪の高速道の高架下を見て、唖然としたのはそう古い話ではありません。ボクたちの田舎でも植え込みに突き刺さる空き缶は、山のようにあります。林道脇には不法投棄されたゴミの山・・・いっぽうで語られる「美しい日本」とか。

さあ、行動を起さなければなりませんね。日本がスラム化しないように。そして多くのイベントが美しい環境の中で営々と続けられるように。

「もっと、美しく」

かつてSSERが掲げたテーマです。今年ももう一度この精神をかみ締めて、身も心も環境も「もっと、美しく」であります。

きょうの一枚

http://www.eic.or.jp/library/gomi/top.html