Organisation Voice 2012/02

 

 

2012/02/29 (水曜日)

「山登りが、ブームなんだそうですね。」

いまさらそんなこと。
言われなくても、言わなくても周知の事実です。
しかしなぜ今、山登りがブームなのかと考えれば、その理由は少し考えなければなりません。
マラソンは、まさに空前のブーム。あ、自転車もですね。
まあ自転車も問題なら、皇居の周りを走るランナーたちも歩行者には、大きな問題だと聞きます。

とまあ、いつもブームはこうして水を注され、いつの間にか小さくなってしまいます。
それが日本的な、おおかたの現象といえます。
しかしちょっと考えると、この3者には微妙な共通点がありますね。
それらは、大変にしんどい行為だということでしょう。

しんどい順に挙げれば、山登り>マラソン>自転車でしょうか。
ひとはなぜこのように「しんどい」ことをするのでしょうか。

ところでボクの愛読書「考える人」(ちょっとユニクロ1社の広告でラップされているのが・・・)の最新刊は

特集「ひとは山に向かう」

もちろん読みました。
そして興味深かった記事もたくさん。
特に前々号で特集された梅棹忠夫さんのことを書いた「梅棹忠夫と修験道」
(text:藍野裕之)には、なるほど。とわが意を得たものでした。
こんな書き出しです。

「山をたのしむ」(山と渓谷社)という本がある。梅棹忠夫の生涯最後の著作となった本である。この本にある次の記述に、わたしは目を洗われる思いをした。(登山はあそびではなく、むしろ修行の場なのです。かたくるしいことをいうようですが、山は修験道における行場のようなものだとかんがえていただいたほうがよいでしょう。ここで自然に対する厳しい戒律をおぼえて、精神と肉体との鍛錬をするのです。わたしは今日の登山の隆盛をみるにつけて、昔の修験道にみられたようなきびしさを、日本の登山のよき伝統として見直したいとおもっているのです。)

その本の「山をたのしむ」という書名から、この修行とか鍛錬という言葉は不釣
合いなような気がしないでもないのですが、著者も書いているのですが、山をた
のしむ=修行はたのしむものだということが、何か日本人的だということです。
そしてそれはなにも山登りに限ったことでもあるまいと思うのです。

あのころのボクの山に向けた情熱がなんだったか。
そのあとラリーに向けた情熱はどのように解釈するのか。

しばしボクは「考える人」になるのでありました。

2012/02/28 (火曜日)

「SIX DAYS Wales 1983」

1冊の、まことに慎ましいけど深い憧憬の彼方にあった画像が姿を現した。ボクがエンデューロというカテゴリーに急速に傾斜していったのは、この1983年のISDEが日本のサイクルワールド誌の表紙を飾ったときからだ。石造りの街角を2台のマシンがカウンター気味に駆け抜けていた。このカメラマンだ。
ボクを、このような人生にけしかけたのは。

51Pにある写真もその雑誌を飾っていた。
まだ若いカメラマンが、ファインダー越しに自身の人生を覗いていたんだ。
そのときの心の動きはボクタチに伝播した。

翌年トシ・ニシヤマは苫小牧で今のHTDEの前身となるITDEを開いた。小さなトランポに4台のマシンを積んで出かけた。さらに翌年。ボクタチはSSERを開催した。

まさに、原点となった風景、つまりボクタチの原風景がここにあった。そしてそれを、何故今の時代にリリースしたのだろうか、それを問われているような気がしないか。

2700円。つまりささやかな価格だ。ボクは大いに伝えたい。きっと後年になってこの1冊は、あなたの宝物になると思う。

だからぜひ手に入れて欲しい。こうしたことに情熱を燃やしたカメラマンへの敬意をこめて、伝えねばと編集・出版に奔走したろう春木さんに。そして、なによりもいまも山の中をバイクで走ることを喜びとするものは、先人たちの思いに応える意味でも、この勇気ある出版の1冊を買う義務があると思う。

SSERでもネットで売ろうかな。


2012/02/27 (月曜日)

「菅原さんの学校、モーリタニアに。」

あのパリ・ダカールがキャンセルになった年、総合ブリーフィング会場のホールでは主催者による緊急発表。ボクはその場にはいなかったのですが映像や多くの方からの伝聞で、臨場感たっぷりの擬似記憶で今も心が震えます。

参加者は万雷の拍手で主催者の決断を評価したといいます。2007年12月末のヨーロッパ大陸の西の果てで起きたまことに小さな出来事です。

小さな出来事というのは、もう人々に忘れ去られているからということではなく、それによって大きな問題や事故を回避されたという決断は、案外忘れ去られてしまうということです。反対に大きな問題を生じてしまえば、そのときの決断の不確かさに大きな批判と場合によっては長く禍根を残すことになってしまいます。

それにしても選択と決断は、選択されなかったもう一方の行為には無頓着です。
ここで言うのは、強引に実施した場合の結果のことです。
「なーんだ、案ずるよりなんとやらだねえ」
なんていいながらダカールのホテルで杯を重ねていたかもしれません。しかし、
想像以上の恐ろしい事件が起きてしまい、われわれは多くを失っていたかもしれません。
こうした選択と決断が、リーダーシップと呼ばれるようになります。

それはともかく、その年のキャンセルになったラリーから撤収する菅原さんは、あることを決断した。
それは、モーリタニアの学校建設を支援しようということだった。その話を聞いてボクはMboroにあるエコールド・ティエリー・サビーネを思い出した。あのダカールのビクトリーランでは、その学校の角を曲がった?か前を通ったか?だったように記憶している。

ボクタチもはるか過去にモンゴルチームがアトランタオリンピックに出場する選手団にユニフォームを贈ったことがある。
そういうことをするのは実は難しい。

ともかく菅原さんが寄贈した小学校は完成した。テシットからティジカジャに向かう途中から左に折れてキファに向かう、あの穴ぼこだらけでバオバブの森が広がる、あのあたりだ。ボクは強烈な思い出のある、あの場所だ。

いまは政治的な不安定で混乱をした上に多くの原理主義ゲリラが、活動をしているこの国がやがて安定して成長をはじめるために欠かせないのは、間違いなく教育だと断言できる。


2012/02/25 (金曜日)

「肉が食べたい。」

どうしたものか、肉をあまり食べないボクがここのところ急に食べたい「神戸牛」ムッホを誘って食べに行こうかなあ。彼らは肉を食べるのがとても上手い。見ているだけで惚れ惚れする。骨の付いたところなんかナイフを使うさまは、大げさに言えば芸術品だ。肉なら何でもよいが骨が付いてればさらに良い。骨をしゃぶるさまや、骨を割って髄をしゃぶるあたりは、まるでカニの足を食べているのかと思うほどだ。

いや、そんな話じゃない。でもそう言えばモンゴルのルートのことを考え出すあたりから肉食になる自分がある。モンゴルでは肉をもう食べなくなったけど・・・やっぱり今年も素晴らしいルートを考えるには。。。神戸牛が必要だ。ボクはムッホみたいに硬い肉が食べられないので(なんで!?)柔らかい、あの舌の上で溶けるようなヤツが良いに決まっている。

そうだ、神戸へ行こう!!いつ行こうか。。。
そうそうTDRもあるし、TBIのルートも大阪スタートだし、言い分はいくらでもある。

きょうの一枚

肉、肉、肉。肉の写真を検索して並べて見た!なんて初めて、魚と野菜しか食べないボクに、何らかの変化の兆しが・・・

2012/02/22 (水曜日)

「モンゴルへの憧憬」

久しぶりに1999年の写真をFacebookにアップしてみたら、さらに一層、ラリーへの思いが膨らんできました。95年にはじまったこのモンゴルのラリーは、少し大げさに言えばボクの人生そのものだったかもしれないと思うときがあります。

ふと目覚めたラリーへの憧憬がSSERを作り、国内のイベントを開催するようになり、すぐさまパリダカへ通うようになります。必然のようにアジアでの開催の道を探るようになるわけです。

特に92年のパリ−北京が大きくボクをユーラシア大陸へ傾斜させます。シルクロードへの渇望やゴビ、タクラマカンといったアジアにある巨大な砂漠へ向かわせることに。毎年毎年こうした過酷なことに挑戦するに付け疲弊していく自分と、研ぎ澄まされていく部分との混在を感じていくのです。

それにしてもどれほどモンゴルに通ったことでしょう。まだツボレフという飛行機に北京空港からおっかなびっくり乗っていた時代です。

さあ、今年もいよいよラリーのスケジュールが始まりました。忙しい毎日が続くことでしょう。何もかもが年々厳しくそして難しくなっていくのは、どういうことなのでしょうね。

きょうの一枚

90年代の試走チームは、こうした陣容で長い旅をしていました。3号車は燃料を積み込んだL/C70-6X6・・・ここでは川で1m超のイトウを釣って全員の数日分の食料をゲット。


2012/02/21 (火曜日)

「まだ見ぬモンゴルの奥地へ」

今日はモンゴルのルートの検討が進んできた。
魅力的なエリアは、まだまだ沢山あるのだが、だからといって単純にラリールートに組み入れられるかというとそうでもないのだ。構成力というか構築力が試されるのが、こうしたロジステックや安全対策が不可欠な砂漠のラリーだ。
で、今年どうにかして行きたいと思っているエリアがある。 そこにルートを通すことはそう難しいことではないが、しかし問題は砂と水が混在するという美しさと、その裏腹にある見えない問題だと思う。

経験則からいうと案外と湖が出来る条件のところには、砂が舞い積もりやすい。
たとえばバロンバヤンウランなどがそうだ。湖は南に大きな山脈を背負い、春の北西風が砂を運ぶ。砂丘は西から東に動く。そして南面に壁が必要なのだ。壁に遮られた空気は渦を巻きその北面に砂を積もらせていく。湖は南面に山を背負っているケースが多い。水がたまりやすいのだろう。北に山を背負うと比較的乾燥してしまうんだろうか。いずれもボクの観察による自説だ。

今回はこの砂の積もり始めた湖を見に行こうと思う。
そこは呼吸をしている湖だ。
2つの湖はたぶんだけど地下で繋がっている。
月の引力などとは全く関係なく干満がある。というのも、西の湖の水位が上がり始めると東にある湖の水位が下がり始める。数時間かけてそれが繰り返される。
月の引力の影響は考えにくい。

ちょうどその2つの湖の間(2kmくらいあるだとうか)にCPを設けた年にそれが発覚した。前日にそのCPに着いたオフィシャルが不思議な報告をしてきたのだ。その湖のひとつの、ちょうど反対側と思われるところに奇跡の風景が存在するという。ということは、そこへ行ってみれば何か謎が解けるヒントがあるのではないか?と思うのである。

荒唐無稽な話なのか、新しい発見なのか。夢か現実なのか。この夏には結論が出る。出来ればそのあたりをビバークにして、みんなの目の前でその不思議な現象を出現させてみて欲しいものだ、きっとイリュージョンのようなものかもしれないな。

きょうの一枚

その問題の湖のCP。。。

 
2012/02/17 (金曜日)

「TBIで、ドイツ人たちを“たぬき”に。」

そもそも「たぬき」というヘンテコリンナCafeが出来たのは、もう何年か前のことだったが、通るたびに営業はしていない。

とあるTBIの年に、はじめて営業中のところを発見。以来毎年ここを通るときは必ずCPにしたものだ。昨年はマスターが急逝したのだが、彼の若い弟子たちが跡を継いでる。
若くてなんとなく心もとないのだが。そ

やって来るには、このCafeにCPを置かないわけにはいかない。
はるか彼方にある、まるで補陀落渡海(ふだらくとかい)を体現するような感覚のそこに、行かなければなるまい。

さてTBI、いろいろな思いが沢山交錯する四国の山と河と海の旅。何よりも濃厚な新緑の四国で、とんでもない経験をして欲しい。
そしてボクは3人のドイツ人を「たぬき」で度肝を抜いてやろうと思うのだが。。

きょうの一枚

その「たぬき」遍路の旅人も立ち止まり不思議そうに眺める。いったいここは何なのだろうかと。

2012/02/16 (木曜日)

「すごいよね、ちきゅう。」

資源小国の日本が、資源大国になる。そんな夢のメタンハイドレード。日本近海には、日本の使う天然ガスの100年分も!が眠っているそうな。それは深い深い海の底に。
「それを採掘する技術なんて、どうするんだろ。」
そんな素朴な疑問に、日本は答えを出そうとするから、まだまだ見捨てたもんじゃないなあ・・・と思うのであります。

そして今話題の船「ちきゅう」
なんか、メタンハイドレードで急に注目を浴びるようになったのですが、2005年に建造されていて、かなり活躍をしていたのですね。

そしてこんなスペック(外部リンク)
ドリルストリング長10.000m!!だって。。さらに、船の位置を完全に固定するためにGPSを使ってのアジマススラスタ。。。掘削中に流されたりしたんではお話にならないのですね。

明るい話題も、そこそこ無いと、もうやっていけませんものね日本。

きょうの一枚

地球深部探査船「ちきゅう」ただいま渥美半島沖でメタンハイドレードを試掘中。


2012/02/15 (水曜日)

「アストンマーチン復活」

ショーン・コネリー時代を懐かしむボクは、古き良き『007』の思い出は色褪せないのですが、今のボンド役の俳優が誰って?知らない。

そんなオールドファンの心情を見やったとしか思えないのが、、1964年製DB5の採用に踏み切った新作「007スカイフォール」だそう。このモデルは1964年のゴールドフィンガーで、ショーン・コネリーがドライブしたりしていて、何も知らない少年たちは

「なんていうクルマだろう」
と心がざわめいたはず。

前作「ロシアより愛をこめて」(ああ、タチアナ・ロマノワが美しかった。ノートパソコンをはじめてみたのもこの映画。)ではベントレーだったのだ。
そして、ある意味クルマの未来像も見せていた。
カーナビも搭載してあって現在地がディスプレイされているし、なんといっても助手席には射出装置が付いている。これは、現代でも使える!面白い仕掛けだ。

ナビとけんかしたら、ボタンひとつで射出だ!!。。。スイマセンテールパイプからスモークを出したり、オイルを撒いたりと・・・アストンマーチン買えばそんな装置が付いているかもしれないんだと思ったりなんかした。ってたぶんしてないと思うけど。

まあそんなこんなで、時代背景なんだろうと思う。今さ先端のマシンをボンドカーに選び続けていて2012年には1964年製のマシンが、世界の最新トレンドだというわけだ。
で、記事を良くよく読めば、ゴールドフィンガーのときのままのDB5を使う?んだそう。
「それはいかがかなあ?」
とすでに、007離れのおじさんたちに「興味」を持たせることに成功しているのかもしれない。

「若者の○○ばなれ」が叫ばれて久しい。
「おじさまの○○ばなれ」も、マーケティング的には大きな問題だ。
そしてこの○○。。。なにをいれても成り立つのであります。

きょうの一枚

アストンマーチンDB5-1964年製・・・東京オリンピックの年だ。

2012/02/13 (月曜日)

「寒いので、熱いところのお話。週刊タクラマカン雑話。」

寒いので世界で一番寒いところはどこか?というのは止めて、世界で一番暑いのはどこかというお話。

世界で一番暑いのはイラクのバスラが58.8℃の記録があるそうで、これにははるかに及びませんがシルクロードのオアシス都市トルファンも、負けてはいません。

トルファンは地球の臍みたいに窪んでいます。モンゴルのウブス湖もそこだけがボコンと凹んでいて独特の生態系がちょうどギアナ高地の反対のような進化をしていました。

トルファンがどのくらい凹んでいるかと言うとヨルダンにある死海(-392メートル)に次ぐ世界で2番目の低地。−155m!!そしてそこは中国で最も暑い地方で、一日の平均気温が35度を超える日が年間100日を越え、1975年7月31日には観測史上最高の49.6度を記録したそうです。そしてその日の地表温度は83.3度にまで達しているというから、ただただ驚きです。

そんなこんなでトルファンは古くには「火州」と呼ばれてきました。降水量が年間16mmと低く中国で最も乾燥したエリアです
火焔山も、陽炎で本当に燃えているように見えたはずです。
ところがこの都市の地下には独特の水利施設カレーズが張り巡らされています。4000年以上も前から人々は地下に天山山脈の冷たい水を流し灌漑と、暑い夏の日のクーラーとして使っているのですね。

気になって世界中を調べると、案外少ないもののいくつかありますね。カナートとか呼ばれカナル(運河)の語源にもなっているのかもしれません。

ですからはるか有史以前からこの大地は広大な農地は緑をたたえ、シルクロードの名のあるオアシス都市として栄えてきたわけです。トルファン盆地全体で1200以上の井戸があり、その地下水脈の延長距離は5000キロ以上にも達していて、中国の方の力説に寄れば万里の長城、長江と黄河を結ぶ大運河に比肩しうる「中国史に輝く偉大な土木事業」だそうです。まああ4000年前のこの地が中国だったか否かはともかくですが・・・

ボクタチの訪れる10月は、確かに快適で過しやすい季節になっていますが、でもこのカレーズは必見ですぞ。

きょうの一枚

手持ちで適当なカレーズの写真が無かったので借りてきました。出典Wikipedia


2012/02/08 (水曜日)

「中国事務局も奮闘中」

Team KOREAも今年のラリーモンゴリアに向けて始動、中国の事務局も同じくポスターやパンフレットを作成して頑張ってくれています。

アジアの中でも、少しずつ!!ってもう17年もやっているのですが・・・広まってきていると感じます。
それでも中国語のポスターとかを見れば感慨深いものがあります。
まだまだ頑張らなくては!と思うことしきりです。

いま篠塚さんも出場を目指して準備作業に入りましたし、篠塚さんの闘う姿が見られるというのも主催者としてだけではなく、楽しみなものですね。
さらに多くのジムニーの方々も参戦準備に余念が無いようです。
どんな夏になるんでしょうね。

そして特に菅原さんと尾上さんの対決も、目が離せません。マシンの進化も・・・早くも駆け引きが始まっているようです。

もちろん優勝候補の筆頭の塙郁夫選手もスタンバイなら、ますます速くなって進化中のレンジャーの菅原照仁選手!!もう枚挙に暇がないほどの顔ぶれ!ですね。

MOTO部門も、あの時代の顔ぶれが揃いました。前田啓介!池田秀仁、尾島嘉男!!の3人は過去にもチームで出ていましたね。大内田選手らのTeamGO!GO!みさキング−MOTOWORKSも・・・(隊長の紹介が本日アップしました。コチラ)これから順次ホームページでも紹介してまいります。さらに有力どころのアノカタ・コノカタ。。。エントリーフォームが届き次第ご紹介しますからお楽しみにね。

きょうの一枚

そんなこんなで中国のポスター・・・2013のことまで書いてあるなあ。

2012/02/06 (月曜日)

「The Power of Dreams」

なんて訳するの?とは誰も聞かない。
夢の力なのだ。
夢の力とは何か。
夢を実現するために生まれるモチベーションとそれを維持するための(持続可能な?)エネルギーだ。

いやひょっとしたら夢のパワートレインのことなのかなあ?
いやそんなことはあるまい。

おそらくだが、The Power of Dreamsと聞くと、だれもがHondaのことだと思うけど、なにもそれはHondaのことだけじゃない。
ボクタチのことなのだ。

だからかだれも「いまのHondaの夢は何か?」
とは聞かない。

国家(National)というブランド名をつけた松下幸之助さん。
いまはPanasonicに統一。
良い名前だがSonyとシンクロしていると感じたのはボクだけか。

そのPanasonicが7800億円の赤字、Sonyが2200億円の赤字。
なぜ、そうした数字合わせをしたのかと思うほど
7800億円+2200億円=1兆円

1兆円。
なんということだろう。

日本の戦後の輝ける星たちは、いまは地に塗れてしまったのか。

でも日本はまだ、立ち止まっている訳にはいかない。
それは「The Power of Dreams」があるからだ。

その夢を描くことをしなくては、チカラは沸いてこない。

きょうの一枚

Japanese Goverment InternetTV


2012/02/03 (金曜日)

「昨夜は四国電力も供給危機!使用率94%」

地方のニュースでは、昨晩の寒波で電力の供給が危機的になったと言う。それでも役所の電気は煌煌と灯り、そんなに多くはない人たちがシャツにベスト程度で働いている?のか待機中なのか?

そしてテレビは、つまらない番組を(すいません)垂れ流している。こんな時こ
そ役所の電気を消し、テレビも放送を中断するなどしたほうが効果的だろうと思う。
さて、なにが効果的か?
それは良好なコミュニケーションに効果的だ、ということ。
テレビでも「スポンサー各社の協力で、只今節電につき放送を中断しています。」
のほうが電力危機の中で、CMを流すよりも良いだろう。
それに行政機関。ただでさえ削減の槍玉に上がる仕事の進め方。

そしてこれは勘ぐり。電力危機を煽るのは電力会社の販売促進というか危機意識による原発依存への潜在意識としての「しゃないか」的な誘導ではないか???

そもそも電力危機で日本の企業の空洞化が進むというロジックも「???」だ。ある会議の趣意書を読んでいて頷いた。
この20年間、日本の電力使用量は30%増加している。しかしGDPは480兆円のままずっと変わらない。つまり電力の使用量とGDPとは一概に相関関係にはないことを示しているのです。

さらに企業内の固定費のうち電気光熱費はせいぜい2〜5%です。まあ家庭ではそうはいかない場合もありますが、仮にそれが10%増えたからって、たちまち海外にシフトしなければならないってことはないのです。空洞化を後押しするのは強烈な円高や、国内の需要の低迷などのはずです。

コストが10%増えるのなら、GDPも増えるような施策なくしてどうしますか。丸の内が新しくなりつつあります、日本の顔として大切なことで良いことではあります。しかし、顔だけ良くても身体の末梢は、もうボロボロだということに気が付かなくてどうしますか。

反原発派もラジカルにならずに、理論的のゆっくりと議論していくコトが望まれます。

きょうの一枚

マツダの新しいディーゼルエンジンSKYACTIV-D...
日本車にも本格的な環境ディーゼル時代が来るかも。原油を買って来てガソリンを精製、途中で出来た軽油は余ってしまって輸出。なんていうパラドクスからは逃れられるかもしれない。


2012/02/01 (水曜日)

「SSER 3DAYS CLASSICSが変わります。」

昨年来話し合いが行われていたMFJエンデューロ西日本エリア選手権大会が概要がまとまり第3戦としてSSER 3DAYS CLASSIC が開催されることになりました。今年28回目の大会は、中身は変わりませんがこうして変化をして参ります。参加にライセンスが必要となるなど少なくない議論もあろうかとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。SSER ORGANISATION の主催する他のイベントはいずれもライセンスは不要です。

ご案内

「MFJエンデューロ西日本エリア選手権 The 28th SSER 3DAYS CLASSICSの告知」

2012/02/01
SSER ORGANISATION

今年で28回目となるSSER 3daysは、西日本エリアのエンデューロ競技大会の連携と発展を考え、慎重に検討した結果、標題のとおりの大会名称と格式にて開催いたします。

大会名称: MFJエンデューロ西日本エリア選手権 第3戦
      The 28th SSER 3DAYS CLASSICS
開催日:  9月15日(土)〜17日(月・祝日) 3Days
これに伴いまして本大会のみ次のライセンスの保有が求められます。

 MFJエンデューロライセンス
      又は
 MFJエンジョイライセンス

ライセンスの申し込みは、下記のサイトから

http://www.mfj.or.jp/user/contents/licence/licence-index.html

MFJのライセンスを取得すると、MFJ主催/公認のイベントに参加が可能となり、全5戦で開催されるのMFJエンデューロ西日本エリア選手権へ出場できます。またライセンスにはスポーツ安全保険が付帯されており、競技中および大会参加経路往復中の事故も補償されます。

詳しくは

http://www.mfj.or.jp/user/contents/Applications/license/hoken.html

MFJライセンス会員証は「スポーツ安全保険加入証」となるため、有効期間は2012年4月1日以降〜2013年3月31日迄です。ぜひお早めに加入手続きをいただきますようお願いいたします。

MFJエンデューロ西日本エリア選手権となりましてもSSER 3daysはレギュレーションはじめ変更はありません。順位に基づき、エンデューロ西日本エリア選手権のポイントが付加されます。

SSER 3days以外のイベントは、MFJライセンスの取得の必要はありません。

きょうの一枚

SSER3DAYS 魅力満載で今年も充実開催!!なのです。ライセンスの件はよろしくご賢察のほどを。

 
2012/01/31 (火曜日)

「SL、最後の楽園だって。」

まあボクはテッチャンだけど、いわゆるテッチャンではない。でも中国の奥地で沢山のSLを見かけては興奮した記憶はある。なぜ、あの煙を吐く鉄の塊に興奮するのかは理解に苦しむが・・・

どうも中国でもすでにSLは退役してしまっているようだが、新疆ウイグルのハミの70kmにある広大な露天掘りの炭鉱で中国最後の(つまり世界最後の)SLたちが働いているのだそうな。まあ露天掘りの石炭を運ぶという役割だ。

この記事を見ながら考えた。
燃料は、その燃料を運んで最終製品になるまで燃料が必要だ。よく言われることだけど、果たして太陽電池のパネルは大量の電気が無くては生産できないとか。アルミニウムなんて電気の塊だとか。

タクラマカンにある彷徨える湖ロプノールは、1970年代に最後の水が確認されて以降というもの、水は無くなり巨大な塩の大地になっている。ここの塩はこののち数百年の間の全中国の塩が供給できるほどあるのだ、というからまあすごい量だ。

2007年には無人の広大な塩原だった。ところが2008年にはそこに2基の大型の発電施設(おそらく火力だと思うのだが。。。)水は無い場所だ。しかしロプノールの核実験場跡地付近ではある。周囲数百キロに集落は無い。

「なにをしているのか?」
ボクの勘では、リチウムだろうと思った。

そもそも電気自動車になったり燃料電池になったって、蓄電に必要なリチウムは必要で戦略物資でもあるのだ。

いかに石油から自由になっても、次は中国から石油に代わるリチウムを入手しないといけないのかもしれない。まあ現実にボリビアのウユニ塩湖が世界最大の埋蔵量といわれているが、供給に関しては中国が世界一だ。

日本はここで、やっぱり海水からリチウムを生産する技術開発に精力を傾けてはいかがかと、そう思う。

きょうの一枚

今度見に行ってみようかな?ハミの郊外にあるSLの最後の楽園。

2012/01/30 (月曜日)

「モータースポーツも30年後には・・」

無くなるのではないか!と書くだろうと思ったあなた「ブッブー」ボクの予言では30年後は国民的スポーツになっている!というものでした。

と言うのは登山。

ボクタチの子供のころ登山は空前のブーム。まあ未踏峰や未踏攀壁が残されていたのでした。ボクタチが上るようになった頃には「重箱の隅を」と自分たちで自分たちを卑下するような有様で、壁のルート開拓や、冬季の未登攀ルートを漁っている状態でした。

そのあと急速に山から人が姿を消します。あのハードでリスクの高い行為は批判され、
ボクタチも「なにをやっているんだ。」と言われるようになります。

その後、長い間。。。山には静寂が訪れていたものでした。そして近年は急速な中高年登山ブーム、
それに続いてさまざまな若い人々がさまざまなアプローチで山に入るようになりました。

そして日曜日にテレビを見ていて驚いたのは、グレートサミットとかNHKのエベ
レスト挑戦もそうなのですが、お笑いタレントが4度の山の経験のみでアコンカ
グアに挑むと言うゴールデンタイムの企画です。
「・・・・・」
あの眉毛の濃い変な女の子。
「山へのアプローチも、変わったものだ。」
なんて思うボクは古い人間でしょうか。
しかしこうして長い閑居を経て、山は再び脚光を浴び始めました。
となればモータースポーツだって。。。
と思うボクは。。。

きょうの一枚

ボクの当時の登山用具などが展示されている我が社の奥の部屋。現在は公開されていませんが。


2012/01/27 (金曜日)

「TDRって。」

TDRって、コンセプトはこれまでのSSER ORGANISATIONには無いものでした。どちらかといえば我々はストイックで、精神性を重視しまるで修行僧のよう、と言われて「さもありなん」と思い。厳冬の北壁に挑むような態度と姿勢を美しい!と思うような有様ではありました。

しかし考えてみれば厳冬の北壁に行こうとも、故郷の低山の山歩きも実に魅力的で、むしろ色彩に富み喜びに彩られている事がわかります。

もうすぐ菜の花が咲き始めるでしょう、山には蕗の薹が雪の間から顔をのぞかせ、繰り返す命の息吹に、豊かな人生を重ねあわすことが出来ます。

同じように過酷な旅とて、8000mの高峰への挑戦とて、海外のラリーへの挑戦も実は裏山のトレイルから続いていることがわかります。

まだ浅い春の日の山道が、どれほどの魅力的に輝くかは、その人の感性とこれまでの生き様にあるのではないかと思います。

そんな思いで、このTDRへ。
ぜひ参加してみてください。

きょうの一枚

とって置きのカレンダーは、まだ少し貰い手を待っています。1月末までにお申し込みいただいた方のみ、ということのようですよ。

 
2012/01/26 (木曜日)

「コミュニティデザイン」

どうやら日本の貿易収支が赤字になったらしいですね。赤字はいけません。何事においても。オタクはいかがですか?まあ今や日本の企業の80%は赤字!というわけですから、赤字がダメ!というだけでは理解不能に陥りますよね。

まあ日本の貿易収支の赤字転落は31年ぶりだとか。それでも31年も黒字を続けていたのは偉いなあ・・・と。

日本は原材料を安く仕入れて加工して、付加価値(と思ってる)をつけた製品をまあ高く輸出する、とそれがいまの日本経済の基盤だと教えられてきました。もちろん2011は、震災の影響も大きかったでしょうし、円高もマイナス要因です。原発の停止による火力発電用の天然ガスの需要も膨らんだといいます。

きっと悲観論もかまびすしいでしょう。これだけ減速した日本経済にとっては、それを再確認させるようなニュースと取った向きも少なくは無いはずです。「ああ、もうこれで終わりだ。」「きっと単年度ではなく、しばらく続くのだ。」そういう悲観論がステキです。

でもまあ考えても見てください。そんなこと、何もたいした話ではありません。
S&Pの格付けみたいなものです。そうした指標は現実的にビジネスを展開していない人たちがいじくっいてるだけの事です。そもそも企業の多くは海外に生産拠点を移し、そこで生産したものを日本はじめ世界に売っているのが現実ですから、驚くほうがどうかしています。日本は、という立位置でものを見ては見誤ってしまう時代なのですね。

85年のプラザ合意で360円/$が一気に円高が進んだ!のでも黒字!自動車の日米貿易摩擦で橋本龍太郎が、竹刀を自分の喉もとに当てておどけてみせたのも・・まあ黒字は止め処なく続くのでありますな。いやあ、よき時代でしたなあ。

いまはもうあの頃からは未来!輝ける21世紀2012年。人々の暮らしも考え方も国のありようでさえ大きく変わり、買い物のために人ごみのアウトレットモールは、もうどうなったかは知りませんが、多くはネットに移りつつあります。木更津にも大きいのが出来るそうじゃないですか。。。

しかしまあ店舗を持たないという事によるアドバンテージは小さくなく、2010年には電子商取引の額は7.7兆円を超えました。(経産省統計)店舗は商品を確かめたりサイズを合わせる場所になってしまって来ました。お店で買い物していても「ああ、これ良いね。ネットで探せばもっと安いよね。」と、あなたもきっと数日の間に呟いた事はありませんか。
ただでさえコストのかかる店舗運営。なのにみんなときたら。。。

さてタイトルに掲げた「コミュニティ」とは、ネットコミュニティのお話と間違えられてしまいかねません。

そこでボクの持論のコミュニティデザインを!と思ったら、あまりに長いのでまたの機会に。おしまい。

きょうの一枚

壁紙復活プロジェクト進行中。。沢山の写真をこれからもどんどん公開していきたいなあと思っております。[壁紙コーナーはこちら] 


2012/01/25 (水曜日)

「TDRをよろしくね。」

3月にTDR!?と聞いたときに少しボクもたじろぎました。しかも京都から日本海へと言うではありませんか。

昨年3月10日には、ボクはその辺りに居ました。雪の多い年だったのは間違いありませんが、残雪というにはあまりに多い雪量で、琵琶湖の北の林道は封鎖されてるし、京都から伸びるサバ街道は真冬の風景でした。いやそれでも早春の風景は、なかなかに興趣を呼びました。

鯖寿司を買おう、と思いながら買いそびれて、気が付いたらもう琵琶湖畔の宿に着いていました。
翌日は琵琶湖の畔で東日本大震災のニュースを聞いて、あわてて四国にトンボ返しに帰ったことが、あまりにも鮮明にまるで数日前のことのようです。

そんな?京都の北にチャレンジするのですねえ。
ということでTDR2012は、スタート!!宿泊地は温泉。。。初めてのラリーに家族で参加!してみてください。菅原さんたちもお越しいただきます。

さて、そこでこのTDRのスポンサーより、ステキなカレンダーを(って制作はSSERですから、モンゴルの激しいやつ)プレゼント!!ポロシャツをセットで!でもその特典は1月末までの早期エントリー!だそうですよ。

今年は全イベントが快晴の予定のSSER。まずはTDRで占ってみてくださいな。

きょうの一枚

これがカレンダーの7/8月、11/12月!かなり人気のようですよ。部数はちょっとしかないのですよ。

 
2012/01/24 (火曜日)

「雪が積もると、ライフワークについて考える。」

雪が積もると土門拳の古寺巡礼にある室生寺雪の鎧坂金堂の写真がすぐに頭をよぎる。70年代半ば、ボクは京都のあるお寺で雪の中で撮影をしていた老カメラマンに出会った。出会ったというのは正しくなくて、ボクは遠くから車椅子に座って古刹を眺めていた老人を眺めていただけだ。数人の助手たちがいて甲斐甲斐しく動いていたのできっと、かなりの人物だろうと言うことは推測できた。

そのあと土門拳の「古寺巡礼」という、膨大な解説文の素晴らしい写真集を見つた。恐ろしく高かったので、そのころは買えなかったが、いつの間にかボクの家にはその写真集があった。父が買ったのだろう。

土門拳という、名前も質実なカメラマンに、見かけたという思いもあって急に心惹かれていった。
それ以来、その京都の古刹で雪の中にいた老人こそは土門だったのだと思い込むようになった。合っているかもしれないけど間違っているかもしれない。
でもそれでいいのだと思うことにした。

それはその寺を取った写真を探したが、雪の中のその寺のものは見つからなかったからだ。しかしそのころのボクが興味を持った土門拳は知れば知るほどに、あまりにも魅力的な人物だった。

そして不自由な体を押して撮り書いたその膨大な量の、写真集というよりも祈りの書のようなものに、人間の恐るべきパワーとライフワークという言葉を身に沁みて感じるようになった。

そのころから「ライフワーク」という未知なる領域のコトバの具体を求めて歩き始めたような気がする。
そして雪が積もると、必ずあの情景を思い出し、必ず自身のライフワークは健全か?好奇心はなくなっていないか?」と自問し、少し焦る。

話は変わるが、菅原義正さん。
ボクが彼の事務所をはじめて訪ねたのは1987年の春だったから、やはり4半世紀のお付き合いをいただいている。ボクが32歳で菅原さんはまだヤンチャ盛りの?47歳くらいだったろうか。。

ここでもボクは人のライフワークを現実に見てゆくことになる。パリダカはちょうど翌年が10回大会だから、このあと20数年間の菅原さんの挑戦を見てきたことになる。何度かは同行し、パリ北京のときは、ほんとうに二人でなんだかんだと言いながら楽しいラリーの日々を過した。

人生は過酷だと思う。それは、思いの醸成と体力の低下の反比例による。
それでも、ライフワークがあるからこそ、豊かな人生だと感じられることもある。

とまれ菅原さんの30年に、心から祝福を送ろう。

きょうの一枚

ラリーモンゴリア2011 ETAP7、草付きのデューンの頂上でルートを読む菅原さんジムニー。


2012/01/20 (金曜日)

「時間、普遍的なボクのテーマ」

「時間」とWikipediaを引いてみると、あまりものボリウムで書き込まれているのにびっくりする。誰が書いたかは知る由もないが、哲学者かもしれない。

冒頭はこうだ。「時間(じかん)は、できごとや変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった理解のしかたがある。」

古代宗教別の時間の概念などにも言及している。

自然の時間と人間の健康なんて見出しもある。
こんな中身だ。

「(略)人間は普段意識している《時間の長さ》の心理的な影響を受けることが知られている。また聞かされる音(環境音)の周期・リズムから心理的・生理的に影響を受けることも多くの実験で明らかになっている。さらに自分自身のその時々の脈拍をリアルタイムで聞いていると心地よい(心地よく感じていることを示す脳波が多く出る)ことも実験によってわかっている。もしも仮に秒の長さが現在の設定よりもいくらか長く設定されていて、人間の脈拍よりも十分に長くなっていたなら、秒針の音は人をもっとゆったりとリラックスさせるものになっただろう、と指摘されることがある。

現代生活の人工的で短かすぎる時間による過剰なストレスに苦しめられている人は、自然の時間で生きる生活を送ると(たとえば人工的な時間を表示する時計類は身体から離して一切眼に入らぬようにし、自然の中で暮らし、夜は照明を用いず日没後すみやかに眠るようにし、日の出にあわせて起床し太陽光を浴びるようにすると)、やがてストレスから解放され治癒される傾向がある、ということが知られている。」

時間の向き 、なんていう項目も「時間は未来から過去へ流れている、とする時間観」として興味深い。

ユダヤ・キリスト教的な時間観の枠内だけで育った人には意外に思えるかも知れないが、その枠をとりはらって少し考えてみてみると分かるようになるという。以下のように解説されている。

現在は一瞬で過去になります。今、現在だったことはちょっと前の未来です。今現在やっていることが、1時間後には過去になります。つまり現在が過去になるのです。当たり前のことですよね。現在の行為が過去になるのです。つまり現在の結果が過去です。あなたのいる位置が現在とすると、あなたに向かって未来がどんどんとやってきては、過去へ消えていっているわけです。

一方で、過去から未来へと流れているとする時間観(一神教的な時間観)の記述も当然でしょう。

西欧人はキリスト教的な世界観・時間観にどっぷりと漬かって生きていることもあり、時間の流れに関しては固定観念を抱いていることが多い。たとえば“誰もが時間は一方向にしか流れないことに気づいている”などと、(学問的に見て明らかに不正確なことが)西欧では主張されることがある。

とまあ読み進んでいくうちに、だんだん訳がわからなくなりますが、時間をかけて?深く読んでいくと、こうしたもの(Wikipediaね)からも、得るべきものが小さくないことに感動します。

「時間」当たり前の概念も、実は切り刻んでみると、いかにわれわれの日々の中で本当に大切なものかがわかります。

最近時間が立つのが早くなった、とか「もう金曜日、もう週末」とお嘆きのあなた。子供のころのように、待ち遠しい週末になるにはどうしたら良いかの様なヒントが隠されているかもしれません。

きょうの一枚

映画「TIME」

チェック:テクノロジーの発展によって老化を克服し裕福な者は永遠に生きられる一方、貧しい者は寿命のために働き続けなければならない近未来を舞台にしたアクション・サスペンス。監督は『ガタカ』のアンドリュー・ニコルが務め、斬新な発想で時間に支配された究極の格差社会を描き出す。主演は、『ソーシャル・ネットワーク』のジャスティン・ティンバーレイク。共演には『マンマ・ミーア!』のアマンダ・セイフライド、『ダークナイト』のキリアン・マーフィら多彩な顔ぶれがそろう。

ストーリー:科学技術が進歩したことにより老化現象を解決した近未来、25歳で生体の成長が止まると余命はあと1年という社会が構築されていた。富裕層は寿命を気にしなくていい一方、貧しい人々は寿命を延ばすためにあくせく働き続けなければならなかった。貧しい青年のウィル(ジャスティン・ティンバーレイク)は、時間と引き換えに裕福な男性を殺した容疑を掛けられ、追われる身となってしまい……。

まあ先にご紹介した「男と女」と「男と女2」も20年という時間をテーマにしていたのですね。


2012/01/19 (木曜日)

「晴れれば春の兆し、降れば陰鬱な冬・・・に思う」

人の気持ちは、本当に不思議です。昨日は良く晴れていて実に気持ち良く、石鎚山の姿も見えて、少し歩けばそこここに春の兆しが。会議をしても何か楽しい感じ。バイクもエンジンをかけてみたりして、時間があれば走り出したかもしれません。

でも今日は一転、陰鬱な鈍色の空、雨、何もかもが嫌になってしまいそうな気配が漂います。会議でもしたら後ろ向きな発言しか出ません。

そうですその「後ろ向きな発言」ほど、立派に聞こえるものはないのです。学者なぞはこぞってネガティヴな発言をするもの。つまりネガティヴな発言は頭が良さそうでかつ良く勉強しているように思えます。一方で「やろうやろう」と盛り立てる係りは、どこか思慮に欠け、物事の道理が見えていないようにも思えます。そうあの花の応援団みたいなものです。

こうした賢人ぶった学者的な思考がいまの日本を覆いつくしてしまい、挙句はコンプライアンス型不況を生んだ構造の本質です。

「そんなことをして、失敗したらどうする!?」「誰が責任を取るのだ。」まあそんなことばかり唱えているうちに、何もしないで座して衰弱を待つのみ、という弱い体質になってしまいましたね。そして世の中はすべて「存続の危機」「絶滅の危惧」のオンパレードなわけです。

そして「それは、誰の責任か?」ということが問われています。最近流行の「国の責任」とはいったいなんでしょう。実は「国の責任」といった時点で、全国民の責任ということに置き換えられてしまっています。決して官僚や国政にあるものが「国」ではないのは事実出し仕方の無いことです。これは国の責任で1000億円の弁償します。といえば、ボクもあなたもまあ1000円は出さないといけないということになるわけです。

それを象徴するのは「いま崖っぷちに立たされているのは民主党ではなく日本であり国民なのです。」という首相の発言。それがジョークなのかアジテーションなのか、ひょっとしたら何も解かっていなかったのか・・・と、そういうことを考えさせられます。

まあ、せめて明るく温かな陽の光が降り注ぐ春を待ちわびることにしますか。

きょうの一枚

毅然とあること、孤高であること、変わらないこと。

2012/01/17 (火曜日)

「人はなぜ、山に登るのか」

誰だか知らないけど、ヒラリー卿に尋ねた言葉だ。たぶんイギリスの新聞社あたりの記者かもしれない。

「実にくだらない質問だ。」ということは解っているが、この哲学的な問いは、比喩され多くのヴァリエーションを伴って、いまも行為の根源的な動機を明確に 出来るかできないかということに作用しているように思う。

「どうして、こんなことしたの。」

小さいときに母親か誰かにそう言われて答えに窮したことは無いか。心の底からにじみ出る不可思議な挑戦という冒険的な行為は、ボクタチ現代人が、 サバイバルを生き抜いてきた500万年も続く人間の遺伝子の記憶なのではないかとも思う。

きょうの一枚

今日の一枚は、事務所から見た今日の石鎚山。この厳冬の山は、また魅力的でもある。おそらく山頂付近は夜来の雪でエビのシッポに太陽の光が輝いているだろう。夕陽の時間はなおさらだ。

見える北壁は、アイゼンの歯も立たないくらいに凍り付いているだろうか。子供のころから通った石鎚山は、今も見上げるとすぐ目の前に聳える。特にうちの事務所から見る形が良い。

南尖峰からズバッと切れ落ちた姿はなかなかのものだ。今年は何度か石鎚に行かなければならないだろう。

新しい試みと「なぜ。。。」と問うような、そんなことを始めるのだ。


2012/01/16 (月曜日)

「ダカール、ゴール。」

1979年にスタートした、ダカール、一度の直前の中止を含む34回の開催を無事に終えた。そして今回は初めてのゴール地ペルーの首都リマ。新しい地をゴールにするのは難しいが心踊ることだったろうと思う。いまや1000万人に近い人口を持つリマは、熱気を帯び歓喜の渦に市民も参加者も盛り上がってることだろう。スパニッシュコロニアルの、美しい建物やライティングがおそらく参加者たちの心を高揚させ浮揚させているに違いあるまい。こうしたラリーのゴールにはそうしたファクターも必要である。そういう意味でも南米はまた魅力的な土地といえる。

そして、こうしたクロスカントリーラリーの最大の魅力のひとつは未知の大陸、未知の文化への接触だということに、いまさら気づかされる。そういう意味でも南米開催の意義も小さくは無く、それを上手く演出しまた模索し続けた主催者に敬意を表さなければならないと思う。

ともすれば統制が利かなくなるほど規模が拡大し、さまざまなパートに分かれて事業が進んで行く。運営組織のありようも想像がつかないほど。しかしまあ中心となるのは競技だ。競い合うということは膨大な熱量を生む。参加者に厳しい条件を突きつけるほどに主催者は困難を身に纏う。
苦しいステージで最も苦しむのは、実は主催者なのだ。

ところで西アフリカはどうなのか。
いまや、最近情報が少なくなった。ニジェールやマリは、どうなったのだろう。

地球上で国境を越えるこのようなイベントが続くこともまた奇跡的なことではあるまいかと思う。

きょうの一枚

パリ・ダカールから。


2012/01/13 (金曜日)

「 ↑ 」

タクラマカンへのお誘い。
西安-パリ、北京-ローマ、レイドトレックチョモランマと続いてきたSSERの、レイドアドベンチャーのシリーズ。今年は、昨年急遽延期をせざるを得なかったタクラマカンへ行く。

長い休み。案外かかる費用とハードルは低くないが、自分のマシンを持ち込めるという魅力は大きい。そして、敦煌がベースキャンプとなりスタート前に1泊、ゴールも敦煌でゴール後1泊。だから、ちょっと自由な時間も少なくはない。

途中のレストディはトルファンだけだが、どの行程も昼過ぎには到着するような設定(途中でマシントラブルなど無ければね)そして、今回はチョモランマのように大型カミオンがスィーパーにつく。

チョモランマで苦しめられた高山病も心配ない程度だし、愉快な仲間で楽しく走る、そんな旅に出かけようと思う。

上のサイトから情報を見てみて資料請求を下さいな。

「上のサイト」タクラマカン2012サイトはこちら

きょうの一枚

おーい、トルファンにおいでー。


2012/01/12 (木曜日)

「存続の危機」

平家物語や方丈記を持ち出すまでもなく、諸行は無常であり同じものがあり続けることはない。内はないのだが、ボクはどうもここのところ、特にサスティナブルだとか持続可能な社会だとか言い出したころから「存続の危機の時代」が本格的に到来していたことを、たくさんこのOVにも書き散らした気がする。

事務所を出て市内に向かう道すがら、中央商店街の中を歩きながら、昔よく行った飲み屋を訪ねながら、感じるのは皆さんも同じ。

やっとなじみの店に行くと1月いっぱいで閉めるとか、かかってくる電話は「工場閉めるので、もう仕事が出来ません。」とか、あまたの組織もお店も会社も行政機関も。または病院も、ありとあらゆるものが「存続の危機」にさらされている。

難しい仕事は出来ないとか、リスクがあるとか、採算が取れないからとか、止めるための理由ばかり探していると思う。

「では、止めたいのか?」
と聞くと
「そうではない」と言う。

つまりリスクがなくて、簡単で人手が要らなくて沢山儲かる仕事以外は出来ないというのだ。
いつから日本人は、こんなに腰抜けになったのだろうか。
本当にそう思う。

難しいことや困難なこと、大きなリスクが伴うこと、そういうものに挑んで築いてきたのが日本の経済だったとボクは思う。

「昔は良かった。」
それは体が自由で朝まで仕事が出来たから、ということ意外ではそう良かったことなんて実はなかったろうと思う。
在るとすれば「多くのことがチエックが甘くて、割と許されて、案外儲けさせてもらった。」ということならお門違いだ。

「存続の危機」VS「持続可能な社会の実現」とは、なにも相対することではないと思う。持続可能な社会は、さまざまなものが無くなっても再び生まれることの出来る環境があるか否かだと思う。

いやしかし地球のリサイクルで、失ったと思うものも再び再生することもあると思う。今存続の危機に瀕しているのは、割と甘く、割とおいしかったものが無くなっているという事だろうと思う。

きょうの一枚

平家納経。。。
それにしても平家物語が、心にしみますね。


2012/01/10 (火曜日)

「時間は加速する。」

まるで1月は、時間が渦を巻いて過ぎ去っていく。
これをなぜかと考えたら、やはり相対性理論かもしれない。
そもそも1月は「今年はこれをやるぞ。」「年が明けたら立ち上げるぞ。」「とにかく1年のために1月は頑張るぞ。」という勤勉な日本人の持つ「やる気」が、空回りするからに他ならない。それは、あまりにも多い休日などで。。。気がつけば「あっ」という間に過ぎ去り日々、と相成るわけだ。

2月はその反省から余計にあせり、3月になるともう南の島からのバカンス帰りの飛行機のようにあっという間に時間が過ぎる。

考えてみれば、楽しいところへいくときは行く道中は長く、帰り道は短く感じるのも同じようなものだ。

それに1月は「ダカール」のニュースが追い討ちをかけるのが良くない。気がつけばゴール(まだしてないけど・・)気がつけばもう彼らは帰国している。という按配。

とまれダカールはみな健闘中。寺田君の転倒リタイヤは残念だったけどプッシュすればそんなこともある。次へのバネにしてもらいたいものだ。

ということで、時間の消費は「心次第」だと言うことがわかった。

ラリーでもそうだろう。追いかけるときは時間が足りない。しかしその時間でも逃げるときには、とんでもなくたくさんの時間に感じる。

昨日の高校サッカーの決勝も、後半の時間の流れは四日市工業の応援席と市立船橋の応援席では全く違ったものだったろうと思う。

そこでボクはこの心の流れを利用した新しいビジネスモデルを立ち上げることにした。(ゴゾゴゾ、、胸のポケットを探る音)チャラララーーン。時間銀行!!ボクは初代頭取。あなたのいやな気の遠くなるような時間を当行にお預けいただきますと、3年で1%の利息が付いて海外旅行などに行くときにご利用いただけま
す。

また時間が足りないときはお安くお貸しいたします。
そうだ、そんな映画があるぞ。
てなことにはならないだろうなあ。
ドラエモン誕生まであと100年。

きょうの一枚

映画「TIME]

21世紀末、人口増加を抑制するため人類は遺伝子操作により26歳以後は時間を買わなければ生き続けられない社会が舞台。金持ちは悠然と生き、貧しき者は奴隷 の如く働き続けなければ若くして絶命する。時間格差社会で起こる出来事を描いた近未来アクション・サスペンス。だそう。つまり「時は金なり」ということだ が、まあ大なり小なりそうなってしまいつつある。だからボクはそれを止めたい。[予告編はこちら]

2012/01/05 (木曜日)

「年頭所感」

ってタイトルは大層なことだが、まあ正月のあいだ考えたボクの思いの一端をぶちまけようと言うことだ。

政治が悪い、ユーロ危機、アメリカがどーの。
もうね、自分で考えて自分でやるしかない。
ボクはやる。(ことにした)
今年から。
いや、今までもやらなかったわけではないだが、やり方を変えようと思う。

なんかアメリカ大統領選の共和党候補者選びでロン・ポール候補が在外駐留米軍の全撤退を公約にした。
「自国のことを考えろ」
と言い放つ。

何かこの一言で、ボクも目が覚めた感じがした。
彼が大統領になるとかならないとかではなくて、日本も真の独立を成し遂げるときが近づいてきていると言うことを示唆しているのだ。

普天間問題など、両国の間に刺さった魚の小骨ほどのこともなくなる。
その時には、いまさら基地がなくなったら困る、なんて論調は止めよう。
しかしそのとき、日本は、なにをどう考えるのか。
どんな思考回路が残されるのか。
「そんな事態にはならないはず」
と考える向きも多いかもしれない、まだ。

いやボクがやるとか、やらないとか言っているのはこんな話ではなく、景気が悪いとか政治が悪いとか、今やっても無駄だとか・・・出来ない理由ばかり、他者の責任のように片付けてきたことばかり。それを止めることにしたということだ。
やるのは、これまで以上のチャレンジ。
やらなければ、何も得られない。
やらなければ、たとえば失敗も得られないし、失敗しないことを望んで座していれたのはもう公務員だけだ。

その公務員がどーの、とか言うのも止めよう。彼らにもその時期が迫っているわけで自ら変えられないのなら、座して枯渇を待つのみだ気がつき始めている。

ボクはやる。今年は、全く新しい課題に向けて新しい一歩を踏み出す。

きょうの一枚

目的地は遠いほうが良い。はるかな距離を時間で埋めることが旅なのだと思う。パリまで4500kmもあるし、中国・広州だろうかGuangzhouからは5367kmもやって来た。人生もまあ、このようなものだ。政治なんて道路で良い。良い道路でも悪い道路でも、良く走るバイクがあればどちらでも良いことだ。旅は、目的地までが旅ではないと思う。目的地の積み重ねが旅で、それが人生だと思う。


2012/01/01 (日曜日)

「謹賀新年」

いよいよ2012年。迎えました新しい本年こそは「希望」に満ちた輝かしいものでありますよう。

それにしても2011年は、あまりにも多くの胸を塞ぐ出来事が起きました。列挙するのもはばかられます。

さて2012年、わたしたちSSERも、皆様と同じくふたたび、「希望」に満ちた新しい年を歩み始めます。その「希望」とは見失いそうになる「夢」の具体です。

いまだ弛まず抱き続ける遠く未知なる大地への憧憬、砂漠や広大なる草原の連なるユーラシアに、大いなる冒険の轍を残す。そんなささやかで、しかし偉大な夢です。それを実現することもまた日々にある冒険です。たとえば、まず健康であること、家族や仕事など周囲が安定していることも必須。それらを実現する道筋こそ困難に満ちていると言えます。また国際情勢の機微も大切な観点です。ひとくちに冒険の旅と言いますが、その実現には真に自身のありようと社会性まで問われるのです。ラリーモンゴリアやタクラマカンはもちろん、本年も皆様方の大いなるご指導を頂きたゆまぬ歩みを記してまいります。

どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。

2012年元旦

SSER ORGANISATION
山田徹