Organisation Voice 2010/02

 

2010/02/25 (木曜日)

「春一番がふいています。」

いそがしい中をすり抜けて、ギリギリのタイミングで免許の更新に。ああ、もうあとが無かったよ。フーッ。春霞にもやった今日の松山は、異常な暖かさ。ボクは薄いセーター!で出かけたのですが、「脱ごうかなあ」と考えるほど。

ところが!前の席には若者が分厚いダウンにフードには毛皮!もうボクの目の前でうっとおしい!!と思ってたら、隣に座った若者も、まったく同じようなフードの毛皮のついたダウンのコート、「おおおまいら、おそろか!?」
すぐ後ろのお姉さんもこれまた、同じような格好。こちらはモンクレール。
「えっと、ここはスキー場ですか?」

この暑いくらいの春の日に50人くらいの部屋に、こんな格好をした人たちがたくさん。大体松山ってのは南国ですぜ。

さらには、黒いカシミアのロングコートにマママフラー!のおっさんも!

「キャーッ」

これはいったい、ボクがおかしいのか?彼らの感覚がおかしいのか?まあそれで、待つこと待つこと。気が遠くなるほどの時間を待たされて、免許更新の儀式は無事終了。

いろいろ考えました。毎日そんな格好をしてるから、今日もそんな格好をしてるのかしら。周囲の変化に対応しなくても、まあ大して問題は無いのかも。さらに会場内を見回しても春っぽい格好をしてる人はまったく居ません。

「???」

やはり結論は、変化への対応速度が遅い保守的な松山の人たち!だということ。おそらく都会じゃ今日あたり半そでのTシャツ姿の若者がいたはずです。松山では、未だに会議に入ると暖房が頭から吹き降ろしてきます。

ひょっとしたら変化への対応、とか変化の兆しを見つけるとか。日々の生活を豊かに彩るのは、おそらくそういう季節の変化を知り楽しむという姿勢だろうと思います。

で落としどころはどこか?というと、それはTDR!あなた3月の20日から3日間。まだ桜の前の春の素晴らしい時間に、取って置きの「日本」を見つける旅に。

今申し込み締め切り直前で、おおっ!たくさんのエントリー用紙が届き始めましたがな。

atsunushi君は86.7kg・・・自家製あられ、食べ過ぎ。おいしいんですわ。はぁ。
U-nagiさんは82.9kg・・・差味噌煮込みうどんサイコー!〆は勿論、ご飯入れて雑炊(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

TDRで必見は経島。「ふみじま」といいます。ウミネコの居繁殖地で、もうこちら岸から手に届きそうな島です。灯台も日本灯台100選。まあこれは下から見ないと。まあ、そんなこんなで楽しいドライビングのTDRへお出かけください!締め切り直前!!

 
2010/02/22 (月曜日)

「やるがやきー」

夜に松山を出て、大阪にいます。ということは「龍馬伝」はNHK-ハイビジョンの18時からのを見ました。先週は河田小龍という江戸後期の絵師が登場。演技は大いに難ありでしたが、まあ僕の母は高知の出身で旧姓を河田といいます。でも出は安芸の近く田野村というところ。ちょうど安芸奉行所のあったあたりかと。ということはこの狩野派の絵師の末裔ではないらしいのですが・・・吉田東洋らと出会い、ジョン万次郎の漂流記?「漂巽記略」に描かれてる挿絵の素晴らしいこと。やー、やっぱり土佐の人は面白い。

このテレビドラマ、まったく斬新な映像手法で迫ります。ちょっと逆光使いが多く埃っぽい感じが否めませんが、それと高知をあまりにも南国に描きすぎてるようにも思いますが、ボクはとても強い郷愁を覚えて堪りません。とにかく言葉と映像が、今までになく日本人の心にというかボクの心にダイレクトに語りかけてきます。しょっちゅう出てくる食事のシーンも、ボクの幼かったころの母の実家での様子そのもの。

小学校までこの土地で過ごしたボクは、なにかこのドラマの中で描かれてることに繋がる土佐の気風を肌で感じていました。

特にテレビの中では、「思い」が醸成されて行く様子が秀逸です。

atsunushi君は87.4kg・・・心当たりがありません。体重計が壊れたと思いたい。
U-nagiさんは83.0kg・・・差し入れのベーカリーパンが美味しくて…
a_kohno社長は83.5kg(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

その河田小龍「漂巽記略」に描かれたジョン万次郎。彼の渡米がなにか時代を変えたのだが。

2010/02/18 (水曜日)

「さて、TDRへあと1ヶ月。」

新しい試みというのは、なにか落ち着きません。1ヶ月を切ると強烈に準備モードに入らなければならないタイミングです。すでにエントリーいただいてる皆様には、3月5日に公式通知という形で受理書をお届けします。ルートブックもそろそろ印刷のタイミング、横断幕も作らなければ・・・と楽しい悲鳴なのですが、残念なことにエントリーはやや少なめです。

TBIも、北海道も、果てはモンゴルも。いったいSSERは何人の常勤スタッフでやっいているんでしょうか?!

とりあえず本日は松山。雪の道後平野。たおやかな白い峰も眼前に見えます。この四国山脈が、まあボクの人生の主舞台。

ボクの体重は94.7kg・・・久々の体重測定!緊張しました。
atsunushi君は86.3kg・・・増えるのは一瞬。減るのはゆっくり。
U-nagiさんは83.3kg・・・やはり休日は運動量が減って、体重がふえますね…(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

「SSERの山小屋ホテル」

事務所のホテル?は、いつのまにかコレクションが急増中!ボクの山の道具に、小鶴さんの山の道具が合流して、明日にも山行、って感じです。エーデルワイスのザイル、サレワの12本爪、ランプは渡辺さんから頂いたものを改造。

2010/02/18 (水曜日)

「TBI !  TBI !  」

さて、もうすぐ春。美しい四国を駆けるTBIの季節のおとづれ。

なぜか今年は四国が熱いそう。テレビでは、坂の上の雲、龍馬伝、ウエルかめ、ってこれは見たことが無かったのに、いまホテルの部屋で、ちょうど流れています。前後のストーリーは分からないのだけど、雑誌の編集部(タウン誌かな?)が、廃刊になるところ。テレビで聞こえてくるのは徳島弁。本当に土佐弁、伊予弁とこの地の言葉は四国山地で仕切られて独自に発展したのか、それぞれに特徴的です。あっ、番組終わりました。テレビはバンクーバーからの中継になりました。おおっ、スノーボードハーフパイプ予選です。あの変な服装でバッシングを受けた国母・・・なかなか頑張っています。それにもう一人のメダル候補として松山の青野令選手が登場しています。

青野選手は、ボクタチノ事務所のすぐ近くにある「アクロス」という屋内スノーボード場で育ったそうです。雪の無い南国でもオールシーズン滑れるのです。

このスノーボード場も、開けておけば赤字の蓄積だそうですが、こうした選手を輩出するにつけ「存続しなければ」という思いがあるのだそうです。何もかも縮小化していく時代には困ったものですが、トリノの時には、これもまた事務所の近くにある、アイススケート場の前が渋滞して、「なんで?」というほど。これは荒川静香選手の金メダルがきっかけですが、1年後にはいつものようにガラガラになってたようです。日本人って、こんなんです。いや世界中がそうなのか。

どうしてもスポーツは、こうしたオリンピックなどのように、つまりお茶の間でどれだけ紹介されるかにかかっているのです。スノーボードなんて、普段にどれだけ放送されるか?っていうと皆無でしょうが、オリンピックならねえ。

いま「パリダカ」って聞いても、知らない人が多いのだそう。昨晩も大勢で飲みながら、そんな話ばかりです。でもまあ、テレビに流れないのならとはじめるFREE DVD MAGAZINE。たぶんこれも厳しい存続の嵐の海を、どのくらい継続していけるものになるか?TBIもまもなく四半世紀の歴史を重ねますが、続けるということの大切さをしみじみと実感する早春の朝です。(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

Rally Mongolia 2009の編集中動画です。ご覧ください。


2010/02/17 (水曜日)

「FREE DVD MAGAZINE [FUTURE]がスタートします。」

先のConferenceで発表しましたが、SSER ORGANISATIONでは、フリーDVDマガジンを発行しようとただ今、積極的に活動を始めています。これまでのイベントの記録物はもちろん、チョモランマやモンゴルなど貴重な取材映像も、テレビでなかなか放送するということにはいたりません。ならば、さまざまな情報や告知などを満載した90分の無料のDVDを配布しようというものです。パートナーショップや、BIGTANK MAG.のリテイルショップなどで入手できるように進めています。皆様からの映像の提供なども、ぜひよろしくお願いいたします。

創刊号は4月20日の予定。「ラリーモンゴリア2009」前編、チョモランマ前編、TDRレポート、大阪産業大学ソーラーチャレンジなど、もう盛りだくさん。これからイベントごとの「DVDの申し込み」は不要です。その代わり、かなり常にカメラを意識したパフォーマンスを。インタビューにテキトーに答えてたら、全国に10000本もばら撒かれてしまうことも。

ともあれ SSER FREE DVD MAGAZINE 計画・・・オタノシミに!そしてあなたもデジタルハイビジョンカメラを買ってね!

atsunushi君は86.0kg・・・週末まで、増えないように維持。
U-nagiさんは83.0kg・・・始発便は通常運行に戻り、昼間に臨時便運行となっております。
a_kohno社長は83.8kg ・・・気を抜くといかんぜよ(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

これ、SONYのデジタルフルハイビジョンカメラ「ブロギー」26800円!ボクも予約中!


2010/02/16 (火曜日)

「まず、報告など」

朝、テレビではバンクーバーのスノーボードクロスの決勝の放送をしています。聞きながらPCに向かってると、MXなどのモータースポーツの用語と、かなりかぶっています。なかにはオフロード用のフルフェイスの選手もいます。観客席はギッシリ。なにかこう、競い合う以上、スポーツは類似していきますが、さまざまに変化をしていってるのが分かります。変わっていくことと、変わらないこと。

それぞれの競技の内容を垣根を越えて、展開していくこともまた時代の流れかとも思います。先のConferanceで発表したNPO-SSER、まずはSSER 2DAYS CLASSICSには、ステージ構成が変わり、ナイトステージが最終ステージになります。この最終ステージ120kmSS7ないし8本は、自転車部門が併設されます。

CATS-EYEから、強力なライティングユニットが無償レンタルされる予定でルート中には、バッテリー交換のためのサービスステーションやエイドステーションも設置される予定です。夜を徹して駆け抜ける、ほかに類を見ないきわめてハードなものになることは間違いありません。

さらに翌年3月の石鎚スカイライン冬季閉鎖中の最後に、ヒルクライムをいれた「ツールド四国」というステージレースも予定されています。こうしたイベントをSSER ORGANISATIONの運営技術が支えていこうと思います。許可関係や会場設営やら、バイクサポートなどさらには映像収録と。どんどん広がってきています。

NPOに興味のある方は、まもなく説明会を開催いたします。でもその前にTDRそしてTBIと、楽しいイベントが目白押し!

2010年のSSER ORGANISATION and NPO-SSERにご期待ください。

さらにSSER-PARTNER SHOPとともにFREE DVD MAGAZINE をスタートさせます。こちらも興味のある方はご連絡ください。

atsunushi君は86.2kg・・・パンが、おいしくて…。反省。
U-nagiさんは83.9kg・・・見事、社長の策略にはまりました…お腹が重い!(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

APIOの尾上さん!日曜日から自転車で江川崎、足摺、宇和島経由SSERに到着!元気です。

2010/02/15 (月曜日)

「Coferance、大変ありがとうございました。」

土曜日に開催しました「SSER Conferance」とてもたくさんの皆様にご参加いただきまして、大変ありがとうございました。わたしどもSSERにおいても25年間で、初めての機会となりました。いくつかの問題を抱えながらも、次の10年に向けた新しく確実な再スタートを切ったように思います。1部では菅原義正さん、2部では菅原照仁さん、尾上茂さんにそれぞれ、少し時間は短めでしたが基調となる講演を頂きました。また3部、つまり懇親会でしたが、1部のスタートから12時間を越え、耐久戦の様相を見せましたが、菅原さんは貫禄の完走!ボクは一度ダウンして、再び参戦するも長い出張の疲れなどあって、いや1部の会議の疲れもあってどうも夜の部は・・・。それでも日曜日には倉敷でAPIOの河野社長のご実家「神戸屋」でカレーを頂きました。そして夜のうちには大阪に入り、眠い目をこすって現場に行っています。

今回のConfarenceで決定した事項や、採択された「宣言」・・・って言うほどのものは無かったのですが、さまざまに発表された内容は、逐次こちらのサイトからご案内申し上げてまいります。

皆様の厚い信任に、心から敬意を表し、ともども新しい次の10年に向かう決意でございます。

2010/02/12 (金曜日)

「きょうの一枚」

深夜に走って帰って、今日は松山で1日デスクワーク。明日の会議の準備や溜りに溜まってることを、やっつけなければなりません。しかしまあ何故にこうも考えることがあるのかね?というほどの脳内の多忙ぶり。

一緒に松山入りした杉ちゃんは、お昼ご飯を食べてるときに「パンツと靴下を買ってくる。」と席をはずしたら5分後には、大きなランドローバーのラジコンを2個も抱えて帰ってきた。少年のように目を輝かせて「これ、3000円やった。」と。でも1台じゃだめなんだろーか。きっと2台じゃないと競争が出来ないからだろうか。ともかく事務所に帰るとステッカーチューン!「忙しいんじゃなかったっけ?」と、ボクは昼までにやる!と宣言した企画書も、日が暮れてもまだ取り掛かれてない!いずれにしてもたぶん今日のコラムは2台のランドローバーの写真なんかアップしてるに違いありませんぞ。

さて明日のConference、予想を超える多くの方にご参加いただくことになりました。第1部は別会場で行います。菅原さんの基調講演のあと、かなり問題な現在のモータースポーツの環境、SSERのこれからなど真剣なお話です。

第2部では、事務所に帰り、かなり狭いですが基調講演の第2部は、菅原照仁さんの「優勝報告」そしてそのあとは、映像も交えてSSERのこの先の挑戦などについてお話をします。そしてそのあとの第3部は「懇親会」です。

これまでに無い新しい試み、主催者と参加者、オフィシャルとパートナーショップなど、SSERを支えるさまざまな立場で、話をし夢とロマンを「未だに」語りつくしたいと思います。APIOの尾上会長、河野社長もお見えになる予定です。

体重は94.5kg。水を飲んでも太る!?大阪の連日の労働も、食い倒れの街のおかげで・・・・・!
atsunushi君は86.5kg・・・連夜の宴で、この有様…。この週末も体重増加?
U-nagiさんは82.8kg・・・本日の始発便は、不調により運休しております。

(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

立松和平さんの訃報。パリダカでよくお目にかかった。1991年(だったと思う?)湾岸戦争さなかのパリダカ。良く顔を合わして、軽い会釈をして通り過ぎた。特に話はしなかったのだが。立松さんのHPから、彼の1枚の写真をお借りしてきました。それに添えられた文章も。

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まだ早朝に、私はパリのパン屋を訪ねたことがある。路地は暗い。パン屋の表側も灯が消されて暗いのだが、地下の竈(かまど)にはあかあかと火が燃えていた。

パン屋の竈は一晩中眠らない。パン焼き職人は二十四時間交代で、パンツひとつになり、パンを焼きつづけているのだ。こうしてパリの市民の胃袋を満たしつづけているのである。

地下室におりる階段は粉だらけで、もちろん地下も粉で真っ白である。パンは粉でつくられるということを今さらながらに知る。

もちろんいいにおいが立ち込めている。パンの焼けるにおいと、木の燃えるにおいである。燃料は木っ端だ。製材所あたりからもらってくるに違いない。時々木っ端を竈にほうり込み火のかげんを調節している職人を見ていると、火をたくこともパンを焼く重要な要素であることがわかる。

職人は無口だった。言葉が通じないということもあるが、そばにる私にお愛想をいうわけでもない。まるで百年前からここでパンを焼きつづけてきたとでもいうように、黙々と作業をつづけているばかりだった。

うまそうなパンであった。焼き上がったばかりは、熱くて触れることもできないであろう。パンをぜひ食べてみたかったのだが、私は職人に頼むことはできなかった。パンなら店が開いてから買えといわれそうな気がしたからだ。

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こればかりの文章にさえ、彼の人柄がにじみ出て心打たれます。心からご冥福をお祈り申し上げます。


2010/02/10 (水曜日)

「3Dテレビ、買う?」

朝からインターネットで、最新の映像技術情報?のお勉強をしていました。一緒に大阪にやってきてる大工のマコチャンって、朝が早いし。

特にBDA・・・ブルーレイ・ディスク・アソシエーション、まあ協会のようなものですが、彼らは何を考えてるのかなあ?などと。そしてPPV(ペイパービュー)BD(ブルーレイ)なんてテクノロジーも日本の企業が。そしてその企業もBDAのメンバー。早速そこらあたりも勉強勉強。ところで、最近気になる3Dテレビ。もうすぐ発売のようです。映像技術の進化はものすごい勢いです。ラリーモンゴリアの創成期、メディアはまだデジタル化されていませんでした。スチールにしても膨大な量のフィルムを携えて行ったものです。空撮中のフィルムの交換など、危なっかしくて見てられません。たった36枚のたびに、カメラの裏蓋を開けるというリスクを侵して・・・。その直後からですから96年とか97年でしょうか、はじまったデジタル化は、私たちの仕事もエンターテイメントも、まったく変革してしまいました。まさに大きな産業形態の革命の第2章、だったと言えます。

モンゴルが始まったころから買い揃えていった、NIKONもSONYも、とうの昔に置き去りにされた過去のツールになってしまいました。たった10年も同じものが使えない現代には、ちょっとついていけません。

しかし、今度は3D映像のようです。

今の現場には大型のモニターを置く予定で、予定してた機種があるのはあるのですが、「50インチで46万円くらい」と、どこかの電機メーカーの広報担当者のテレビインタビューに、「うー、3Dも視野に入れようかなあ」と思いつつも、あっという間にまた安くなって行くのだろうなあ、なんて思ってデフレの原因は、きっとそんなところにあるのかしら、と思うのであります。

とまれSSERは、映像コンテンツ事業を本格化させる予定でありますが、その真実はまたいずれ。

atsunushi君は85.2kg・・・3日前のレベルには戻しました。
U-nagiさんは82.8kg・・・朝の儀式は通常に戻りました。
a_kohno社長は83.3 kg ・・・シングルモルト山崎とナッツ類がカロリーオーバーか?

(おまけ - 参加者大募集中)

2010/02/08 (月曜日)

「夢中になれる、いくつかの仕事」

もちろん本業はラリーディレクターですが・・・と、こう言うようにしました。そして、その合間を縫ってデザインなどをします。といっても幅は広くて、特に最近は建築にまつわるデザインが目白押し。そんなこんなでただいま大阪の現場で、まあ息抜きにも似た仕事をしています。ラリーのことを考えたりしながらもデザインやレイアウトを考えてるときの幸せな感じは、どれもまったく同じなんだなあ。

さて、本日はガストン・ライエさんの5年目の命日です。5年経ったのが嘘のようで、昨晩電話がかかってきて、それはどう見ても外国の電話番号。とると突然「ヤマダサーン!」「・・・」「ハウアーユー」「ガガガ・・ガストン!?」「オー、ローレンス スピーキング」「ああ、ローレンスさん?!」もう死にそうなほど心臓がバクバク。それは松山に帰る深夜の高速道。なぜかというと「そういやここで、こんな時間にガストンと走ってて、覆面につかまったなあ・・・」なんてぼんやりと思い出していたところだったからなのです。タジタジのボクの英語はローレンスさんに伝わったかどうか。要は今年はカナダからたくさんのライダーがモンゴルに行くけん!というお話。ぼくは。うろたえながらも「ありがとう」を連発しつつ「メールね、お願い!」と電話を切ると、朝には長文のメールが到着。どうもダカールが悔しかったようで。1日目でマシントラブル?!だった模様。まあそんなこともあって、ボクはいまだにガストンさんと車を走らせてることに思いが残っていて、でも彼が残してくれたいくつかのことが、今もボクが夢中になれるいくつかの仕事なのだと、心からそう思っています。

atsunushi君は85.5kg・・・停滞中。内臓脂肪も減って体年齢は1歳若返ったけど。
U-nagiさんは83.4kg・・・あまりの寒さに、無闇に動き回ったおかげかな?
a_kohno社長は82.8kg

(おまけ - 参加者大募集中)

 
2010/02/05 (金曜日)

「マスコミの品格」

というタイトルで書こう!と思ってキーボードに向かったのですが、当然のことバカバカしくなって。でもほんの数行。国家の品格だあ、男の品格だあ、横綱の品格だ!と「品格」のない人たちがこぞって品格を語ります。その際たるものがマスコミでしょうね。朝青龍も、まあマスコミが追い詰めておいて、一転「引退」となると「衝撃の!」とかって号外配ったりしてるし、押しかけては「怒らせるようなこと」を言って、怒らせておいて「怒った」の「品格がない」のと、本当に品が悪いのはどちらでしょうかという話を、山のように書こうと思ったけど、まあ「そんなこと書く人ほど品格がないのでは」という結論にしかなりそうにないのでやめ!!

さてピッケル。届きました。

シャフトにつけられたボクの傷は、無かったからおそらく同一のものではないようです。でもものは同じシャルレスーパーコンタ、このモデルは1と2があってそれぞれヘッドサイドに小さく数字が彫られていたのですが、40年前のボクのにはその数字が彫られていませんでした。「それって1なの?」とたびたび聞かれましたがヘッドサイズは1のようですが・・・・で、届いたそのスーパーコンタにもその数字が無い。さらに調べるとボクが買った1970年か71年。9200円。当時の大卒初任給くらいの金額!!今思うと買って帰った日は、布団の中に入れて寝たような記憶が。それほど山というよりも道具にあこがれてるのでしょうかボクって。このあと山に登る道具として、バイクが登場するのであります。えと、このピッケルは弊社2階の山小屋ホテル?に展示しています。

ボクの体重は94.5kg・・・疲れ気味ですが、順調です。
atsunushi君は85.7kg・・・軽量化。筋トレ2日サボると筋肉が減り軽くなる(アカンがな)
U-nagiさんは83.2kg・・・休み明けは増えるみたい…
a_kohno社長は82.8kg(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

コンタとはこの人、シャモニーのガイド、アンドレ・コンタミヌ(〜1985)カラビナホールの空いた美しいシルエットのピッケルは、今ボクが手にしてるのと同じもの。このあとウッドシャフトのピッケルは、メタルシャフトや先鋭的なクライミング用具に化していくのに時の移ろいを感じた少年時代でした。

 
2010/02/04 (木曜日)

「寒さもピークながら」

あちこちに早い春の兆しも見られます。ここにきてモンゴルは海外からの問い合わせも多くなって、夏のゴビの陽炎に思いをめぐらせております。美しいモンゴルや壮麗なチベットなど、大量にあるSSERの映像などを組み合わせて、新しい試みをスタートさせつつあります。近々に詳細をお知らせすることが出来るかもです。

さて一方ニューカマーのTDRがまもなくですが、スギチャン作画の子供マップも進んでいます。こどもたちにも楽しんでもらう!というのは実はボクには苦手ですが、まあそんな風景もばっちりハイビジョン映像で、そのほかの話題とあわせて皆様にお届けできることとなります。そう今年からSSERの各イベントを収録したDVDは、無料で皆様のお手元にお届けできるように頑張っているのであります。

いよいよシーズンもスタート!今年も楽しく愉快で、でもかなりハードな年にしたいと思っております。

atsunushi君は87.2kg・・・節分、恵方巻から始まる誘惑の数々。1kgも増えてるとは…
U-nagiさんは82.8kg・・・野菜のみの無限鍋で停滞は脱出?
a_kohno社長は82.8kg・・・ついに脚輪効果がではじめたか?(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

ゾーモット・・・ビバークの設営が終わり、選手の到着を待っている・・・本部隊にとって、つかの間の休息時間だろうね。

2010/02/02 (火曜日)

「明日から、大阪。」

寒い!日々が続きますが、ボクは明日から大阪!今月はかなりの頻度で大阪に行ったり滞在したりです。これまでほとんど東京ばっか!だったボクが、ここのところの大阪行き。SSER関係の皆様の協力!を得て、とあるビルの1フロアをデザインアンド施工!したりなんかします。オタノシミニ。

ところで高速。全面無料化は無理だとしても、あまりにも中途半端な民主党。「出来ない事は言わない、言った事はやる。」くらい男の子なら、あたりまえのこと。このままじゃ、嘘ついてもOK!な世の中になってしまいそうですね。さらに「甘い言葉には気をつけよう」ということも再認識。だめだわ、まったく。

まあこのようなご時世だからと諦めそうになるのですが、大阪の誰に電話しても「忙しい?」「ムチャ、忙しいですわ!」大阪辺りは景気回復中ですやろか?さて、お好み焼きでも食べにいきまひょか?

2月13日のカンファレンス。大勢の方のご参加をお待ちしています。

ボクの体重は94.7kg・・・一進一退!!
atsunushi君は86.0kg・・・うなぎさん追撃中。いつの間にか3kg以上の差が!
U-nagiさんは83.2kg・・・味噌鍋さいこー!(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

近所のねこ!事務所の中をうかがっています。中へ入りたいのかな?


2010/02/01 (月曜日)

「さあて、2月。さまざまなことが動き始めます。」

昨年末から1月いっぱいにかけて、新しい取り組みの準備に費やしてきました。SSERの2010年は、新しいこといっぱいに取り組むことになりそうです。その詳細は2月13日の「SSER Conference」で。パートナーショップのみなさまと、SSERのスタッフ&オフィシャルメンバーが、さまざまな話し合いを持ちます。現状の業界の問題や改善策など、新事業へのアライアンス。NPOへの参加の協力要請など、過去にない盛りだくさんの話し合いになることは間違いありません。まだ予定をご報告いただいていない方も、ぜひお越しください。

ボクの体重は94.7kg・・・体重は下がったけど、体脂肪率が上がってる!!
atsunushi君は86.6kg・・・食べまくり月間終了。今日からうなぎさんを追いかけます!(予定)
U-nagiさんは83.0kg・・・風邪引きの為、様々な野菜を入れた鍋を腹一杯食べて即寝しました。
a_kohno社長は83.8kg(おまけ - 参加者大募集中)

きょうの一枚

「ピッケル」

この写真はボクが16歳の冬ときのものですから、ちょうど40年も前のこと。このとき手にしてるピッケルはシャルレ・スーパーコンタというフランス製の名品。一月のアルバイト代をすべて投じて購入した忘れがたいもの。この日も滑落をとめてくれたのもこれ。当時の大きなオーバーパンツにアイゼンのツメを引っ掛けるという初心者(というか冬山初心者でした。)のようなアクシデントで、石鎚の斜面をご来光の滝に向かって・・・ああ今思い出しても・・そのピッケルは従兄弟の手に渡り「あれ、どうなった?」と数年後に聞くと彼も「後輩に請われて・・」と。いつかは手元に取り戻したいなあ、と思ってるところについに見つけました。もちろんそれが40年前の僕のものであるかはわかりません。もちろん確率的には希少でしょう。しかし、60年代の後半にわずかばかり日本に輸入されたそれ。もうすぐボクの手元に40年のときを経て戻ってきます。届いたらまたその写真を。