Organisation Voice 2003/08

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2003/08/29 (金曜日) 

最後の大会となったラリーレイドモンゴル2002の北日本自動車工学専門学校チームが制作したビデオが届いていたので、観た。ナビを務めた斉木雅弘さんの手によるもので、主催者側の空撮などの映像の提供も受けているものの、多くは自分たちのカメラと、車載カメラの映像によるものだ。

良く出来ている。競技者の目で作られた自分たちの主催する映像作品を見るのは初めてだった。主催者が多くの人に向けて作られたものとはまったく違う。リアリティがある。僕たちが主催しているこのイベントが、こんなに素晴らしいもんだとは!なんて感想を抱いたくらいだ。

それほどに競技者の目と、そういう状態にあるがゆえの感受性はいいなあ、と思った。仲間内でカメラを向け合ってるから、当然に照れもあるのだが。ああ、こうしたラリーを主催してて良かった。そう思った。競技者であること、それと同じ重みがあることとして競技会を開催することがあるんだなあ。としみじみ。

きょうの一枚
フォレスター!このクルマがその北日本チーム。その奮闘振りは鮮やかです。


2003/08/27 (水曜日) 

 

「コンペティターでない自分。」
僕は、仕事が好きだ。仕事が好きだ、といっても正しくは自分のやりたいと思うことを好きだと言ってるので、たいして苦労はしていない。しかし、最近、衰えているものが増殖しているのが分かる。それは闘争心である。あの胸を焦がすような、獣の怒りの吐息に似たアドレナリンの分泌だ。最近海外のラリーに出る予定者から相談を受けた。熱い砂漠の匂いがよぎった。NAVIの10月号を見てると増岡浩が語ってる。「前夜、ナビゲーターに明日はアタックするぞとこっそり伝えた。いつもより念入りにロードブックをチェックしてくれと」

僕は、「競技のある人生を送りたい」と、ナントカ・コンペティションなんて名前の会社を作って、20年の歳月が流れた。会社の経営は実にコンペティティヴではあるのだが、どうしたことか、肉体は衰えていき「サイドラインの魔術師」(と誰も呼んでくれないので)自分でそう言っていたアメリカンフットボールのタイトエンド時代に築いた、人の2倍くらいあった背筋も、陸上競技選手のような足も、見る影もなくなってきた。プールに通っても続かず。自転車に乗ってもママチャリに抜かれ、なにかこう言いようのない不安を感じ始めたのである。信念を持って夢に突き進む、それによるリスクは覚悟してこそ人生であると、そう信じてきた自分のモチベーションをそぐのは、肉体だ。さて、新しいコンペティションの場に出ていこう。しばらくはこのテーマで、このコラムを続けるんだい。


2003/08/26 (火曜日) 

TDNが終わるやモンゴルに出かけていたもんで「今年は涼しい」という日本の夏だって、それは酷暑な毎日です。さてSSER!久万に帰っての久しぶりの開催です。準備に余念がないといったところです。今回は各SS毎やリエゾンのコースプロフィールを少しきっちり発表して、新しいルートに作戦が立てやすいようにしようと思っています。新しい林道もさすがに15年ぶりなら抜けていたり、古くからのコンペテイターには懐かしく、新たな参加者には新鮮なルートレイアウトで愉しんでいただこうと思っています。まだまだ締め切りには余裕ありですので、よろしくね。

きょうの一枚

こーんな林道がみなさまを待ってます。でもこんな林道だけぢゃないんですねぇ。まだまだ「この先が見てみたい!」とワクワクするような林道がたっくさんです!締切りは8月30日まで延長となりました。皆様のお越しを心よりお待ちしております!(み)


2003/08/20 (水曜日) 

 

ウランバートル便り−2回のツアーが終了!無事にゴールしました。昨年の8月17日ラリー中に事故で亡くなった米津さんの1周忌のお参りも、ご家族ご友人の皆さんとともに済ませることが出来ました。駐モンゴル日本大使にもご挨拶をしたり、捜索に協力いただいたモンゴルのライダーやスタッフたちとも賑やかなディナーのテーブルを囲み、暑かった1年前の夏の話しに花が咲きました。花が咲いたといえば、今回のルート上には今までには考えられないほどのお花畑!希少な高山植物たちの楽園!でしたね。

それにしても今年の寒さは、過去にない異常なもの、セーターにダウンジャケットという、日本の真冬並みではありませんか。毎日泊まる現地のゲルにも早々から薪がくべられて、夜通し火の番が欠かせないほどでした。

ウランバートルに帰り着くとうんざりするほどの交通渋滞。交通事情の悪さは先にも書きましたが、それにしても悪化の一途をたどっています。いま途上国の社会問題のひとつが交通渋滞と交通事故です。排ガス問題などまで思いが至るのはまだ先のようです。それでも中国はユーロ2という基準を採用します。

今世界を走ってる自動車の総数は約5億台。中国とインドの人口25億人が、モータリゼーションの結果、日本と同水準の2,5人に1台の時代が来ると、この2カ国だけで10億台。合計だと世界は15億台!!今の3倍です。しかも1台あたりの平均走行距離は、OECD加盟国の約2倍というデータさえあります。そのうえあの世界最大の国土を持つロシアも、空前の好景気で自動車の販売台数の伸びは、すさまじい勢い!です。もう世界の環境問題は自動車メーカーの「言ってることと、やってることの違い。」で実に深刻ではありませんか。次の一手、考えましょう。


2003/08/14 (木曜日) 

 

ウランバートル便り - IT技術は、世界を小さくしてしまった。ここにいてもヨーロッパの猛暑も心配だし、いまだに梅雨明けが宣言できないという東北地方の、今年の稲作も心配だ。先の台風は奄美から北海道にまで日本全国に被害を及ぼしたことも、すべて知っているわけだが、日本にいてはわからない情報も数多い。ロシアやヨーロッパのテレビもこの国では普通に見えるし、特に中国の放送には驚かされる。日中戦争で日本軍が何をしたのか、という思わず耳をふさぎたくなるような証言を、日本の老人が胸を張って堂々と話している。しかもTVで話すような単語ではない言葉を使ってる。真偽や是非の話をしようとは思わないが、情報というのは、いつも誰かの意志の力を持っているように思える。メディア・リテラシーについてもう一度考えなくては。

さて、あれから1年。再びKTM640の3タイプのマシンでモンゴルを走り始める。それは軽快でパワフルで、この国の大地にはジャストサイズだ。しかも今年は例年になく緑が濃く美しい。かつて世界帝国のメトロポリタン跡のハラホリンを中心に走るのだが、かつての世界帝国の首都は、ひっそりと草原に返っているというのに、世界中から研究者が発掘調査を始めている。そのコスモポリタン跡は未来にはどこの都市がそれに当たるのだろうか。モンゴルが世界帝国を築いたのは、侵略と略奪のモンゴル軍の圧倒的な戦力への恐怖が制圧しただけで、人の心によるものではなかったろう。そしてそれは、永遠ではない。世界はどうなるのか、この国にいると考えることが多くなる。


2003/08/11 (月曜日) 

ウランバートル発 - 今日はウランバートルの最近の交通事情についてお話します。近年日本のODAのおかげで信号機が充実し、発電施設も、まあ停電しなくなったのであの恐怖の交差点はなくなった。かと思うとそうでもありません。交差点ごとに不良みたいな雰囲気の交通警察官が立っています。歩行者は信号なんてまったく関係ないし、大通りは大渋滞、我先にルール無用の有様。

国際自動車工業会連合会の2003年のステートメントには、環境対策の促進の次に、途上国の交通事故問題が取り上げられています。自動車はこの国の交通環境や交通道徳をはるかに跳び越して簡単に160kmくらい出るクルマが氾濫しています。交通事故死者は急増して当然、田舎に行く道はこれも日本のおかげか舗装工事が進み、100kmくらいで走っていると、バンバン抜かれます。でも馬も羊もいて、遅いクルマや止まって修理してるクルマも少なくないのです。つまりたった数年でやってきたモータリゼーションに、人々が追いつかないのです。ところで仕事柄多くの自動車雑誌を読みます。多くは出版社から届くので買わなくてもいいのは役得なのですが、で3誌ほどの自動車雑誌を持ってきました。なんと世界はすごい新車ラッシュなのでしょうか。自動車産業はひと時のバブルの様相。これはいったいどうしたことでしょうか。世界の自動車メーカーは頭がおかしくなったのでしょうか。ベントレー・コンチネンタルGTなんてすごいですねえ。カイエンなんてSUVもすごいし、で思うのは以前も書いた次世代への過渡期のアンチテーゼではないかということ。もうすぐ知性的な人ほどFCEVなんかに乗らないといけなくなるから、今のうちにアクセル一踏みで、ガッツーンと脳天たたかれたような刺激をしっかり体に刻んでおこうって。そう思ってるに違いない、と疑ってる僕。いやあ実は僕もそうなんだぞい。

あっ、SSER 2days!! 久しぶりにって15年ぶりに上浮穴郡に返ってきます。で来年は20周年!早いものですねえ。全国的に郡部の町村は合併問題で、さまざまに揺れ動いています。来年の開催地はなんと言う町名になっているのでしょうか。今年は昔ながらのルートを使い「クラシック」というサブタイトル。あのふるさと村で昔のイメージを再現して開催します。老眼で「日暮れ時には、目が見えんなったワイ」というお父さんも、久しぶりに一緒にやりませんか。心からお待ち申し上げております。


2003/08/09 (金曜日) 

ウランバートル便り - 8月8日モンゴル・アドべンチャー・ツアー第一陣は、昨夜無事にウランバートルにゴールしました。すばらしい天候と例年になく濃い緑の草原、参加された皆さんにはきっと感動的な旅だったでしょう。マシンもすべて新車のKTM640LC4、ノントラブルでラリーもかくやという道程を走りぬきました。いとう釣りの成果は次回に持ち越しですが、50〜60cm級のマスや1mの雷魚?などを川で湖で、次々とモノにしていました。

そんなこんなで、僕はモンゴル人の友人バイラーと道中ずっと「モンゴルでフィッシング&リゾート会社を作ろう!」という話で盛り上がっていました。彼のこれまでの記録は1m60cmのイトウ!!そんなバイラーが「ミンゾクってどういう意味ですか?」と僕に聞く。彼は独学で覚えたつたない日本語の中で、理解できなかった言葉を全部覚えていて、必ず僕に聞くのである。「民族かあ?」いや待てよ「民俗」のことかもしれない。「何で聞いたのその言葉?」「ミンゾクブヨーです。」やっぱりそうか。じゃあ民俗の事だなあ。「バイラー実は日本語でミンゾクってのは二つあって、よく似ているけど意味が少し違う言葉だよ。」と民族と民俗について分かりやすい日本語で説明した。

このモンゴルも多民族国家だ、民族ごとの習慣や慣わしが民俗であるわけで、話は東西冷戦の終結から今日に至るまでのナショナリズムの台頭、アメリカが一国でスーパーパワーを持つ危険性や、日本の戦前から戦後の態度のようなことまで話が盛り上がった。民族や人種などいまだに地球上のある意味では問題点が21世紀の今も解決が着かない。こうして異国の友と国家観などについて、少ないボキャブラリーで話すことは、窮屈だが意味深い。受けてきた教育の違いや、周りの大人たちの話を聞きながら大人になったわれわれの、人間としての態度のようなものが問われているように思った。


2003/08/01 (金曜日) 

ウランバートル、そこは小なりと言えども一国の首都。キャピタルタウンとしての誇りのようなものが感じられる。在外公館があり、大統領の車列は白バイ隊やパトカーに守られてけたたましいサイレンを鳴り響かせ無法に?走っているかと思えば、海外の賓客の姿も多い。あらゆる人種のビジネスマンや観光客が、イタリアンレストランではパスタを頬張りながら、なにやら熱心だ。夜ともなると彼ら異邦人は、キャピタルタウンの夜の誘惑に、微熱を覚えている。これこそが確かにキャピタルタウンである。善も悪も、富も貧も、すべてを飲み込みながら、どこにもない時間を重ねている。

この国に通うこと既に10年。ウランバートルは変わった。それは劇的といっていい。発展ではある、秩序ある発展かというと実は不安である。かつて列強が進出した際のプログラムに似ているのではないかとも思う。しかし、一歩足を郊外に踏み出せば、幾千年の悠久の普遍が待っている。それは最大の救いだし、それこそがわれわれが思い描く草原の国モンゴルなのである。その部分が国土の99%あるのだと思えば、ウランバートルの、何か紊乱な空気は、許せるというか却っていとおしいくらいにも思える。

さて、今年の夏は長雨で、おかげで緑は色濃いいが、先週は洪水でウランバートル市内でも10人の人が亡くなったという。そしていつもより涼しい夏である。地球環境の変化は、ひょっとして劇的なウランバートルの変化よりも、さらに激しいのではないのか。

この美しい国が、悠久の美を持ち続けるのは、困難なのだろうか。明日からKTMのツアーが始まる。