Organisation Voice 2009/09 

 

2009/09/30 (水曜日)

Raid trek Qomolangma 2009

Date: 日程10日目 休息日

Destination: ツアンダ滞在

Notes: 休息日 ツアンダ 4000mで鋭気を養う。古格(クゲ)王国遺跡、トリンゴンバ(托林寺)などの撮影。高度順応は完璧になっている見込み。


2009/09/29 (火曜日)

Raid trek Qomolangma 2009

Date: 日程10日目 ETAP-5

Destination: ガル〜ツアンダ 350km

Notes: ガル−札達 この大会のハイライトのひとつグゲ王朝遺跡の町。札達郊外の土林の観光へ。ALT:3800m

カシュガルから1500キロ行程の半分近く、毎日5000mの峠を越えながら涙が出てくるくらいの人生の至福に、感動しながら走っています。今日はツァンダヘ向かうところです。世界一秘境の?遺跡を見てきます。

アリはこんな所です。 ツアンダはこんな所

2009/09/21 (月曜日)

「北京快晴。」

9月20日。予定通り北京に到着しました。昨年と決定的に違うのは天候。見事な秋空が広がっています。国慶節も近くビル群もイルミネーションを競っています。ウランバートルからのCAは大幅に遅れて未明にムッホはホテルに合流。フルスタッフが揃いました。

9月21日「北京−天津−北京」今日は、天津の公安局に臨時の運転免許証の交付
のために出かけました。午前中の予定でしたが乗っていったバスのエンジントラブルで、高速道路で1時間近く止まってしまった。公安局には午後にしていただくことにしてなんとか免許を手に入れることが出来た。北京に帰って北京ダックを食べてホテルに着くと9時を過ぎていた。食事を重ねるたびにチーム?メンバーは、良い感じに関係性が深まってきているように感じる。どうも良い旅が出来そうです。マシンたちも一足先にカシュガルに到着したという報告も入り、ボクたちも明日の朝の便でウルムチ経由で向かいます。ではまた明日。

2009/09/18 (金曜日)

「マスコミって。」

ホント!?大丈夫だろーか?日本のマスコミ。ボクはモンゴルに行ってたから知らないんだけど、その覚醒剤をやってたというタレント。そんなもの金かけて、公共財でもある電波をムダに使って報道するのって。ヘリまで飛ばして。ほっとけばいいのに。完全に無視して、あとは司法に任せてるのだから、判決でも出たら新聞の隅っこにチョコッと書けば良いいくらいのこと、それが正常なバランス感覚というものです。今の時代は伝わり方に齟齬が起きていることをご存じないのでしょうか?この報道は一方で薬物に対する興味(良くも悪くも)を喚起させるような気さえしてなりません。

また新政権の報道も然りです。これではなかなか仕事が手につかないのではないかというほどの過熱報道ぶり。もちろん国民の最大関心事だから大いにやればいいと思います。でもそこから透けて見えるのは「失言」などをはじめ、二重権力だ?人間関係だ!?とか、極端なまでの粗探し!ホントにマスコミの機能不全というか、もてるサガの悲しさのようなものを感じる毎日です。いやまあマスコミは国民を写す鏡。マスコミの姿は等しくわれわれ国民、そのものなのであります。

さていよいよ明日からチョモランマに向けて旅立ちます。来週は北京やカシュガルから、こちらにレポートを送る予定です。

きょうの一枚

今朝ISSに接続された日本製HTV(H型ロケットで運ばれるTransfer Vhicleだって。)思わずHIVかと思って「すごいネーミングするなあ!?」と思ったのはボクだけ??でもまあH2Bロケットもすごいし、なんかこうした報道には日本人はあまり興味がなくなった国民になってしまったなあ。もっとH2Bロケットのそのほかの使い方について評論家の皆さんが出てきて、言ってはいけない事、なんか言えば面白いのに。

写真はJAXAのサイトから。

2009/09/17 (木曜日)

「遠足前の園児のような毎日」

忘れていた感覚!このところ長い旅に行く前夜も、寝られない!なんてことはない。むしろ「起きていられない」ほど眠たいのだが・・・どーやらチョモランマ行きばかりは、いまや毎日が遠足前の状態・・・ところが!!予定されていたTV放送は、昨今のご時勢でドタキャン「キャーーーッ(悲鳴)!!」「バタン(失神)」許可を取るのが大変なエリアに1年近くかけて(金かけて?)取った珠玉の?許可だというのに・・・・・・・

「スポンサーが・・・」「予算が・・・」

という定型句の前に膝まづかされる!ボクですが、そんなことでくじけたことは1度もありません!!いや、いつもこの手の話にはくじけ続けて耐性が極度に高められた状態の人間になったのかもです。

ですから、こちらは準備万端(お金以外のね)しかも機材は「もう直ぐカシュガルにつくよー!」なんてタイミングだしー。何も考えることはないわけです。足りないものは死ぬ気で調達すれば宜しい。キッパリ。

本来ならまっ青!になっているはずなんですが、そこはやはりチョモランマ!憧憬ばかりが深くて、予算のことなんか!!でもあとで怒られるんだろーな?いろいろな人に。ということで急遽お電話をおかけして「助けてー!」と助けを求めた数人の皆様!スンマセンデシタ・・・元気で明るく行って来ますぅ!!

現地からレポートできるかどーかは、オタノシミニ。

きょうの一枚

北海道4デイズのDVD・・・やっと出来上がりました。ただいまプレス中!!写真はパッケージの表紙に採用した一枚。富良野にて。まもなく(月末までに・・・)お届けを始めます!!ホントお待たせいたしました。次はモンゴルんで2DAYSと編集待ちの素材が沢山!!

2009/09/16 (水曜日)

「さて、失われた時は戻ってくるのか?」

朝から打ち合わせは、2年後の企画のプレゼンの話・・・なのですが
「今日は鳩山政権が誕生するなあ」
「期待する?」
「いや、わからないなあ」
そんな話で仕事の打ち合わせが手につきません。
「20年間、日本は変わらなかった。」
と、誰かが言いました。

ボクはといえば劇的な20年でしたから・・・なにかこう追い続けて駆け回っていた20年ですから「そんなことはない、日本は変わった。」と言って、いやほんとうに変わったのだろうか、と。

20年前、ちょうど1989年9月16日と言えばボクは毎晩朝まで?パリダカのマシンを作っていました。ランクルはまだ60のころ。ラリーカーとサポートカーの2台が4柱のリフトに高々と上げられ、足回りは勿論、何もかにもに大幅に手が加えられていたころ。さらにカーボンボディを驕って、2度目のパリダカに向けてそれはもう夜も日もないまあ充実の毎日でした。ああ、あのころは元気だったなあ〜

しかし、それから20年。世界は劇的に変わったのだそうです。そう言えばそのすこしあとベルリンの壁が崩壊します。ヨーロッパが変わろうとする姿、その映像はパリで見ました。東西冷戦が終結した瞬間でした。12月にはいるとブッシュ(パパ)とゴルバチョフの会談が行われているのも、フラットテルというセーヌ川岸のホテルで眺めたものでした。窓の下にはセーヌのバトゥムーシュが光を放ちながら時折過ぎて行きます。パリの空の下で、なにかこう身震いするような世界を感じていました。

ぼんやりと世界の枠組みもイデオロギーも大きく様変わりして、国家感もこれまでと同じじゃあダメなんだろうなあ、と考えていたものです。

そんななかでも日本は何も変わらなかった・・・ような気がします。

ぼくはそんななかでパリダカに夢中でした。やがてイスラム圏内を走るこのラリーにも不穏な影が落ち始めます。湾岸戦争です。これは1991年のパリダカがその直撃を受けました。それ以降の世界観は、今さら言うことでもありません。

さて、日本は大きく、しかも正しく舵を切り始めるのでしょうか。

きょうの一枚

今年のモンゴルにコロンビアからやってきたグスタボさんからなにやら小さな包みが届いた。彼は実は大のTINTINファン・・・でボクもそうだと盛り上がること・・・そして彼はこの5月にベルギーにオープンしたエルジュ(タンタンの作者)のミュージアムへ寄って帰るといってました。「えっ!ボクも行きたいんだけど」なんて他愛もない話を覚えていてくれたのでしょう。お土産がコロンビアから届きましたというわけ。


2009/09/15 (火曜日)

「今年出来きれば、来年は出来なくてもいい」

「今年出来きれば、来年は出来なくてもいい」・・・そんな気持ちで毎年取り組んでいるのだ、とイチローは語りましたが、その言葉にはボクも大いに思い当たるところがあります。ここのところのRally Mongoliaそれがまさにその通りです。いや最初のころのSSER 2DAYSもそうだったし、TBIもそういえばそうだし。ここのところの西安−パリに始まる一連もそうです。極端に言えば難関にさし当たった時に「神様、これをなんとか出来ればもう他にはなにもいりません。次はなくてもいいですから・・・」とかと刹那的にそう考えてきました。そんな小さな積み重ねが、気がつけば高みにまで連れて行ってくれるのです・・・あっ、これもイチローの台詞でした。

ボクにとって最大の恐怖は、直前になって実施不能になること。この要素はあまりにも沢山あります。「出来ない言い訳は星の数」あれがこーだったから!あそこがどーしてもだめだったから!果てはおなかが痛かったから、頭が痛かったから!毎年のように、大会が近づいてくるほどに(どのイベントもですが)その恐怖にさいなまれます。胸がつかえて息苦しくなるほど。真剣に喉頭癌かと思って検診を受けに行くほどですから、どれ程のプレッシャーかは推して知るべしと申しましょうか?!

しかし不思議なことがあります。「今年出来きれば、来年は出来なくてもいい」そう思ったこともつかの間、今年が出来ればすぐさま「じゃあ来年はどうしよう、こうしよう」という思いに立ちますから不思議なものです。いやそれは今年が終わってからではなく、むしろラリーがスタートしてから思いはじめると言うのが正しいでしょう。いったいボクの性分とはどのようなものなのでしょうか?皆こんななのかしら?それともボクだけが特異なのかしら?悩むばかりです。

話は変わりますがチョモランマ!

高度順応のためにカシュガルから191km、カラコルムハイウエイをカラクリ湖3600mまでの1泊2日の旅の段取りが出来ました。9/22カシユガル到着は夜ですから、翌日9/23の午後に出発。約4時間で到着滞在。翌日9/24午前出発、正午ごろカシュガル帰着。午後は出発準備や整備+カシュガル観光。すごいバザールがあるのでゴザール!!

きょうの一枚

カシュガル旧市街。と1992年9月16日、カシュガルへ向かう天山山脈にある国境トルガルト峠を下るボク、撮影:内田正洋

ちなみにそのころののお話は「彼方へ」25話あたりに詳しい。つまり17年ぶりのカシュガルなのであります。ウルムチまではここんとこしょっちゅう来ているのに。彼方へ第25話

2009/09/14 (月曜日)

「間もなくTBI2010」

早いもので、事務所ではTBI2010のプレレギュレーションの準備が行われています。来年からは定員60名です。今年もそのくらいの人数でしたから、そんなにあわてなくてもたぶん大丈夫だろうとは思いますが、さてさて佳境に入ったTBIも、人気大復活の兆し。というか、ボクが気合充分で「そこまでしなくても・・・」というようなルート制作をしているから?だったら嬉しいのですが・・・北4の春木競技長兼コースディレクターに負けないようにと、今から気合充分!!

さて、今週末には出発する「チョモランマ」専門医の健康診断では全員が「要注意」また・・・」いずれにしても長くこき使った身体には何がしかの、疲労が溜まっているのではありました。備えを充分にしつつ(装備がすごい!!?)最後の高度順応をカシュガルで行おうという計画!カシュガルからカラコルムハイウエイ(ここのハイウエイは高速道の意味ではなく、標高が高いのハイウエイ!!)でパキスタンに向かうことに。といっても国境までは行きません。この道は玄奘三蔵も辿った道だとか・・カシュガルから190kmくらいにあるカラクリ湖(3600m)ムスターグ・アタ山7546mの麓へピクニックできないかと中国側に打診中!!湖畔にはレストハウスもある?そうで、この天空の湖をまずはマークしてみることに。ほとんどの行程が舗装路だから、まあ良い肩慣らしにもなるかもです。ではまた明日。

今日の一枚

すいませんweb上から借りてきました。カラクリ湖と後ろの山はムスターグ・アタではなくてコングール7719m。気持ちがいいかもですね。

 
2009/09/11 (金曜日)

昨日ある仕事先とお話をしていると「ボトルなどのディスペンサーのノズル部分が、調達が厳しい」のだそう。よくよくきくとまああの「シュコ、シュコ」ってするヤツです。そこで思い当たるのは、アルコール消毒のボトル。どこへ行っても置いている。ということは、ものすごく売れているのではないですか!?したがってまあ中身は増産しやすいしコストも本と数円のものでしょうが、ボトル+ディスペンサー部は生産が追いつかないでしょう。考えてみればシャンプーからCRCまで、缶やボトルモノはノズルが必ず必要なわけです。

風が吹けば桶屋が儲かるの通り、新型インフルエンザでノズル屋(あるのか?)が儲かっている!というお話。まあそれ以外にも今回の騒ぎで儲かっているところはあるでしょう。しかしまあ、新型インフルエンザのマイナス効果の前には、少々のプラス効果は、あって無きがごとしでしょうね。

そのアルコールの消毒容器、実は弊社では15年も前からトイレに置いています。そりゃあそこらの病医院よりも古いくらいです。

なぜかというとラリーなどの緊急時用に、手当てする者の手指の消毒用に持って行きます。するとほとんど使用することなく帰ってきます。開封してしまっているので早く使用しなければなりません。そんなこんなでいつも、欠かすことなくトイレにあるのですが、どうもあまり減らないようです。みんな手を洗っても消毒まではしないようですね。受付に置かなければ・・・ってそんなの無いけど。

新型インフルエンザ、ほんとうに笑い事ではありません。

今回のチョモランマ行きも、タミフル持って行っとこうかなあ?なんて考えています。体温計もね。

ちなみにボクも高度順応しなきゃだ。

2009/09/10 (木曜日)

「荷物が多い!」

チョモランマ行きの荷物をパッキングをはじめました。コンテナ輸送の時に乗せたかったのですが「昨年はクルマ以外の機材が多くて通関が難しかったので今回はダメです!」って言われてしまったのでした。

だからそれぞれの個人装備のほかに医療器材やら撮影機材やら、とにもかくにも大荷物。ボクの例でいうと、大きな黒いハードケース(とにかく大きいのです)には医療器材とガモフバッグ、医薬品やら非常食やらが満載。その他にもモンゴルでいうところの「20kgバッグ」が4個くらいになりそうな感じ。それにカメラバッグ。さらにこのあとはテレビ関係のカメラ機材がやってきます。

もう、荷物見ているだけでくたびれてきちゃいます。

どーして旅には荷物がこんなに多くなるんでしょう。パンツやTシャツは最低限。パンツなんて4枚!!洗ってローテーション。靴下も4足。靴は履いていくもののほかにはあと1足のみだっちゅうのに。でもモンゴルから参加するムッホは、きっと「そんだけ?」みたいな感じで来るんだろーな。

でもいつものラリーとはちょっと違うこの旅。お気に入りです。なんか命の洗濯っちゅうと、また違うんですが純粋な気持ちでアプローチが出来るんですねえ。

では週末はJAZZ-Picnicで。


2009/09/09 (水曜日)

「子供のころはいつも山登り」

チョモランマつまり英語名エヴェレストですが、1970年日本人初登頂(松浦輝夫・35歳)から今日まで165名の日本人が頂に立っています。勿論サポート隊員としてそれぞれのエクスペディションに加わった方もたくさんいるでしょうから、チョモランマ登山の歴史を単純に165名の日本人登頂者で語るのは、はばかられるところです。

ところで1970年。ボクは山に夢中でした。読む本のほとんどは山の本ばかり。学校の帰りには近くの御幸寺山のゲレンデで日が暮れるまで、ロッククライミングをしていました。隣ではケービング部の皆さんが良くトレーニングをしていましたっけねえ。あちらは長い縄梯子?っていうんですかねえ、あれで上り下りも結構違う苦労があって・・・でもボクはまだ10代半ば、体は柔らかくしなやかで、遠くのホールドまで良く手が伸びて、そんなこんなで初めての石鎚山の北壁もボクがトップを務めるということに。

あれから40年。一時はヨーロッパアルプスやヒマラヤに憧憬していたボクも、いつのまにか違う遊びに夢中になり、一時は地元NHKの番組「石鎚山・・・」で、旅人役を演じたりしましたが、そのうち山へ行く回数は減っていき、最後は小雪(アラスカンマラミュート)と数人で瓶が森や石鎚山頂に立ったのが、もう10年近くも前のこと。そういえばそのころカメラマンの冶武クンとアイゼンなしで冬の瓶が森山頂に上ったなあ・・・などとシミジミ。

あのころ、つまり70年ころですが、やがては自分もヨーロッパの3大北壁や、そしてヒマラヤへ続く道を歩むと思っていたのですが・・・夢は違うカタチになっても山に登っていた時の経験はささやかながら、今ものこっています。

さあ、そして今月の末には自分の足ではないのですが、ヒマラヤのパノラマの中にいます。どのような旅になるのかはぜひお楽しみに。

きょうの一枚

ひさしぶりの小雪。よく山などに行きました。10年以上も前のお話・・・

2009/09/08 (火曜日)

「頭痛の種は、高山病」

チョモランマの最終計画がまとまりました。チベットもこの8月は大雨だった模様。そんなこんなでルートも少し変更を余儀なくされましたが、それがまあよりハードになる方向に振る羽目になって。そしてボクの目下の頭痛の種は高山病対策。なにせボクを筆頭に「問題ない」と診断されたのはたった一人!を除き「難アリ!!」のオンパレード。日頃の不摂生をいまごろ嘆いても。今日から突然ジムに通ってもなあ・・・

まあどちらにしても長く生きていたら、多少あちこちに悪いところもあるって話ですよ。ほとんどパーツ無交換で、ここまで動かしてきたわけですから。

そこで、ガモフバッグを買おうと思っていたら、レンタルであるのです(写真)これを速攻(フルッ)でオーダー・・・2000mほど下山した効果があるとか?足踏み式で加圧するので、ポンプを踏んでいる人が、高山病になるとか?まあ、ゆっくりと動いて無理をしないことが肝要のようです。

きょうの一枚

そのガモフバックです。ご意見やご要望!応援メッセージなどをお寄せください。じゃね。

2009/09/07 (月曜日)

「高度順応?」

週末は「teamAPIO」の報告会兼専門医の診断のため東京におりました。とはいえ宿泊は流行の「P-can」そう高速のPAで車中泊であります。しかもその数の多いこと。ちょっと前まではトラックばかりだったのですが土曜日の夜はなんと乗用車ばかり。一度でも高速道を降りるとまた1000円!?かかるので、目的地まで降りないのでしょうか??こうしてボクまでもが節約家になっていく姿が?今の日本の象徴!!

しかしそれにしても土日の高速道、あれはいけません。若い頃から東京出張はクルマで!と決めていて、夜通しで高速道を走りクルマ選びも「それに最適なもの」としていました。ところが久しぶりに、いや実は「土日1000円でしょ?ならば飛行機で行くよりも・・・」という理由ですが。

このところは!追い越し車線は100キロ!走行車線は80キロ!軽などをはじめミニバン&ワンボックスの長い長い列が延々と続きます。

「トラックがいない?!」
「遅い」

追い越し車線で遅いクルマは普通追いつかれたら走行車線に戻るのが普通でしょ!と思っていたボクは、何度も急ブレーキを踏む羽目に。これでは田舎の高速を笑えません。きっと無料化になったら、軽トラのおじさんが40km/hで走りまわりますよ、きっと。しかも逆走も多発。第一最近の通勤路でも軽4に2車線ブロックされて怒り心頭!な毎朝なのに・・・

さてそんな日曜日の朝、ふと車の中で目を覚ますと、なんだか朝もやの中。これはきっと良い天気の前兆ではありませんか、だんだん明けていく夜が朝に変わる瞬間。さあ帰ろう!と勢い良くSAを飛び出すと、時折右手の富士山が朝もやの中から姿を現します。

もっと早く決めればよかったのに、あわてて富士ICで飛び降りて「高度順応!」とかって叫んで、表富士スカイラインを新5合目に向けてひた走ります。それでも目的地まではICから38キロ程度。

「これならこれからもちょくちょく来られるなあ?」

なんて気分です。ぐんぐん高度を上げていく感じがたまりません。35年ぶりくらいの富士山です。ついに到着!2400m。ところがクルマを置くスペースがありません。そういえば数キロ下から下り車線にぽつぽつと駐車車両があって「危ないなあ!」と走ってきたものです。新5合目は落石死亡事故の箇所は土嚢が積まれていて駐車スペースを大きくスポイルしていましたが、それにしてもこの人気振りにはビックリ!!

でもまあ考えてみれば、モンゴルでも3000mの峠で過ごしたし、だいいち与圧のないヘリで平均標高2100mくらいのラリーコースの上を飛んでるんだし。

まあこのチョモランマの高山病のお話は、現地から毎日レポートできるはずです?

2009/09/03 (木曜日)

「北海道4デイズDVD、まもなく完成」

実はボクが悪いんです。撮影・編集チームをそのままモンゴルに引っ張り出し、あまつさえSSER 2DAYSには未曾有の?3カメ体制・・・なんと忙しい彼らの夏だったことでしょう。それでほぼ出来上がってきた「北海道4デイズ」のDVD・・・いやあ、なかなかの出来です。TBIに続く第2作目とは思えぬほどの出来。それにしても映像の中の皆さん!!とにかく笑顔笑顔笑顔笑顔笑顔。。。勝っても笑顔、3秒差が悔しい!といっても笑顔、これほど笑顔のはじけた大会も珍しいことです。おお、でもだれかさんは閉会式で涙声!!アップで収まっていますよー!

早くみたいでしょ?!もうしばらくお待ちください。

土曜日には恵比寿でチームAPIOのモンゴル報告会開催!!でボクも長躯参加予定!!まあこれにあわせてチョモランマの健康診断をセットしたのではありますが・・・

篠塚さんは、この週末「全日本ラリー第6戦 久万高原ラリー」に0カードライバーでオフィシャル参加!でAPIOの発表会にはこられません、しかもボクとも入れ違いです。このイベントの主催者はモンゴルでもオフィシャルを務めていた、かつての全日本ラリードライバー竹下俊博氏が主催・・・まあ見に行ってください本部テントやスタートランプはSSER 2DAYSと酷似していますから・・・いずれにしても先週のSSER 2DAYSのあたりで、激しいターマックのラリー。

さらにその翌週!久万高原JAZZ-Picnic・・・キャンプとjazzの野外コンサート。3年目です。こちらの主催者はTBIでもおなじみの白いプラドのオーナーで、長年というか25年近くSSERのオフィシャルをオツトメの山崎氏!!ソウ、ヤマチャンです。http://www.kumajazzpicnic.jp/・・・イベントのロゴマークのイラストはヤマダ画伯・・・どこかで見た絵だなあ?と思ったら、TBI2006辺りの大会シンボルマークに良く似ていますがな。

お時間の許す方は、オートキャンプがてらにお出かけください。ついでに近くの林道もお楽しみいただけます。

きょうの一枚

ということで恥ずかしながら、ボクのイラストのイベントタイトル。これはでも古岩屋の岩山と三坂峠・・・まあこの間に会場があるわけで・・・

 
2009/09/02 (水曜日)

「さあ、シャングリラへ。」

熱かった?夏、もひと段落。ハラホリンでひどい寒さを経験したことも、緊急輸送で保険会社と国際長電話バトルをした夜も、終わってみれば甘い夏の夜の夢。楽しいことばかりだったよーな。そして今はチョモランマへ!向けて最後の追い込み。厳しいルートを選んだもので、いきなり高度順応のないままカシュガルから4200mの高地のビバーク(といっても招待所だけど)、グーグルアースで見ても辺鄙なところ。そして500m級の峠越えが続くのであります。

送った車両はすでに天津に到着。9日にはカシュガルに向けて先発隊がトラック輸送にかかります。中国製のガスとストーブ、テント、食糧を積み込んで厳しくも楽しいまさに夢にまで見た、そのときが現実になるのです。思えば2007年の西安-パリ、2008年の北京-ローマに続くおじさんたちの「子供のころからの夢の実現」の旅です。先日このルートをこの夏に走破した加曽利さんと電話で話をしました。高山病に苦しんだようですが、無事に走りきったというお話に勇気が湧いてきました。

加曽利さんもモンスーン期なのに良く晴れて巨峰群を手に取るように見られた!とのこと。大変だったでしょうが、大変おめでとうございます!!人の旅ながら、とても嬉しくなりました。

そんなこんなでボクタチはこの週末に東京恵比寿にある高山病の専門医のところで受診+食事会の予定。その参加者の一人はただいま富士山頂で2泊の高度順応中!!みんなやる気満々です。

それにしても今回の目玉の一つは、尾上さんのサイドカーでの挑戦!!ご本人のブログはこの通り。http://plaza.rakuten.co.jp/so1947/

さらに長谷見昌弘さんや松野竹己さん。カオルサンや北海道のヤマグチサン!とまあ、この旅は楽しそうだなあ!!と誰もが垂涎の・・・と行くかどうかは、高山病次第。きっとモバイルなんていっている環境じゃあ無いでしょうねきっと。