Organisation Voice 2013/08

 

 

2013/08/28 (水曜日)

「SSERが、ゴビマラソンに着手したわけ。」

まもなく、モンゴルでゴビデザートマラソンというステージレースが開催されます。
「えっ、SSERがなぜ?」と訝しがられる方も少なくないはず。
ですから少し、この機会に説明をしておきます。

「ふたつのSSER」
について。

SSER ORGANISATION は、その姉妹組織として「NPO SSER」を有しています。
モータースポーツはSSER ORGANISATION、そのほかのスポーツイベントや文化事業はNPO SSERというふうに仕分けられています。基本的に別組織です。

NPOでは開催されるイベントや事業ごとに、実行委員会組織を立ち上げ、それぞれ適材を実行委員長に置いています。
とくにこの7月末に行われた。久万高原ヒルクライムレース2013は美川エリアの活性化などを視野に入れたイベントとして、3回大会で500名を超える参加者を集めました。なんと黒字化したのです。その収益の半分!!といってもそれでも10万円くらいですが、先週末にあった、これもNPOSSER主催の野外ジャズライブ「久万高原JAZZ-PICNIC」のステージの幕間を利用して、久万高原町社会福祉協議会に寄付をいたしました。

実は今回のこのイベントは、東日本大震災時の私どもの石巻の緊急支援のあと、現地入りする愛媛トヨタに、わたしどもの手元に残った支援金の残額を活動寄付金とし、また石巻・女川社協への支援活動先をご紹介したものです。
それが今回の出演者メインボーカルの「奥土居美可さん」につながって行ったのです。

[Youtube]

支援活動がまさに輪のようになって繋がって行きます。そして石巻水産の社長もご来場され、石巻水産の缶詰も会場では販売されていました。

つまり、スポーツイベントなどが築いた人間力は、無限の可能性を得て繋がって行きます。
ラリーなど過酷なイベントを運営したり参加する人たちは、またまったく異なるカテゴリーのマラソンステージレースや自転車などのハードな競技の運営側に回ると、とても大きな力を発揮することができます。それは石巻の緊急支援活動でも強く実感したところです。

さまざまなアウトドア・イベントが機材や人的な支援連携を深めて行けば、新しい関係が生まれる。真剣にそう信じています。
将来に予見される激甚なる大震災などに備えるためにも、こうした超人的な能力を持つ人々の緩やかなネットワークをイベントを通じて構築したい、そう願っています。

その全てのスタートは、ひょっとしたら、四国の久万高原に30年ちかく前に播いた一粒の種がはじまりだったかもしれないと思う今日このごろです。

その夏、コース制作の帰り道に寄った久万の食堂のテレビで、みんなでニュースを見ていて日航機墜落の知らせを聞いたのが印象的で、たぶんですがそのことが、わたしたちのSSERのDNAに深く刻まれているのではないかと、そう思っています。

   

2013/08/26 (月曜日)

「夏が、終わった。」

地球がおかしい、とかって言うのはもうやめよう。
もうずっとおかしいんだから。
そして暑い夏も終わるように、振り子は糸が切れない限りは、
また反対にも大きく振る。
全ては糾える縄のごとしだ。

その今年の長く暑い夏も終わろうとしてるこの土曜日、モンゴルの草原のような?
キャンプ場に張られた赤松カメラマンのテントで過ごした。
いつものキャンプコット、に頼りないほど薄いダウンのシュラフに潜り込んだ頃には、
たくさんいたキャンパーたちも寝静まっていた。
「少し寒いかな」
この夏、モンゴル以外で初めて感じた肌寒さ感だった。

テントをたたく激しい雨音で目を覚ました時には、
不覚にも今どこにいるのかわからなかった。まるで脳震盪を起こした時のようだった。
モンゴルかな?と、ほんとうに俄かには信じがたいほどの、
自分の位置の不安感に襲われた。少し考えてテントの外に出て
「なーんだ。キャンプ場じゃんか。」
と。
たぶん長い意識不明から目覚めたときは、
こんなのだろうか?などと考えてみたりした。

その夕方、池田選手の意識が回復したという知らせを受けた。
今朝の不安な朝を思い出した。
激しい転倒で受けた無数の骨折の激痛から守られていて
意識レベルを下げていたのだろうと思ってた。
どんなふうに目覚めたかは聞いていないが、
いずれ本人と話ができる日が来るだろうと思う。

ラリー界はいくつかの衝撃的な事故によって、
ネックブレスなどプロテクター群が大きく進化している。
競技規則もそれを心待ちにしていた。
もちろん今回の事故も、いまだ予断を許さない段階でさまざまなことを言うのは
控えなければならないと思うが、一定の進化による生還劇だったと思う。
ボクは、右腕のビザバンドを外した。
終わらないものはないのは知っていたけど、終わった。
まず、これからのための第一歩を記したのだと思う。

きょうの一枚

砂丘の中のCP、ボルドバートル選手。

   

2013/08/23 (金曜日)

「終わらない夏、その2」

ボクの右手首には、オレンジ色のビザバンドがまだ巻かれたままだ。
おまじないのミサンガじゃないけど、ぼくの夏は終わっていない。
半そででの生活なので、やけに目立って仕方がない。
昨日の昼は県議会副議長室で数人で食べた。右手に持った箸が動くたびに、
やけに空気に似合わない色が動き回る。
いつもは大会が終わると誰よりも早く外す、このビザバンド。

今回は、ある日までは外さないようにしようと思ってる。まだ夢の中でモンゴルの草原や土漠やドライレイクを走ってるかもしれない一人のライダーに、敬意を表して主催者として立っていようと思っている。

現に、病院でお目にかかる約束をしたまだ見知らぬ彼の奥様も、
ボクの右手のビザバンドを見つけてそちらから声をかけて頂けた。
終わらない夏は、間もなく終わる。
まもなく、ボクの右手首のビザバンドは外れる。

さて話は変わって、日本。
この暑さには全く閉口する。
明日は、少し涼しい久万高原でモンゴルの草原をほんの少しだけ彷彿とさせる?
千本高原で屋外のジャズライブイベントがNPO-SSERの主催で行われる。
天気は怪しい。
どうも「雨」のSSER ORGANISATIONはNPO-SSERへと宿主を移したかのようだ。
それでも暑さがしのげれば良いのではないかと考えている。

「暑さ対策」それは紛れもなく標高の高いところに暮らすことだ。
ここまでなった温暖化対策は、もう頭を切り替えるしかないだろう。
まず温暖化によってもたらされる利益を考えてみよう。もう10年も前から愛媛の
段々畑では天然ゴムを育てれないか?なんて提言をしてきた。
世界の穀倉地帯も北に上がって広い大地の広がるエリアの
プロダクティヴィティが向上してる。

サマータイムも中途半端に導入せずに3時間くらい。つまり朝8時は、
いまの朝5時にすると午後5時は2時。ナイターもデイライトで可能だ。
さまざまなアクティヴィティも10時まで明るければ問題ない。
節電もこれでOK牧場。

さらに、夏休み。1か月は取る。8/1から8/31はお休み。大人も子供も。。。
そして避暑生活のために山の限界集落やら廃屋を再生させる。
そもそも日本は世界標準にないGWで、世界からあきれられている。
んで8月に仕事しても、やつらはバカンスだ。ワビサビがないのは、
どちらだ?って話。

ついでに首都機能も、夏は北海道芦別市に。冬は沖縄宜野湾市あたりに。
参勤交代みたいで活性化する。疲弊するという話も出るだろうが、、、
まあ基地でもなくなればベストなアイデアだ。立法府と行政府に距離を置かせる。
まあどちらも機能しなくなるので三権分立は絵に描いた餅だったという事がばれる。
けど、それがいい。

北海道は米のできない土地だったが、いまは違う。
日本最大の穀倉地帯として夏6月から9月までの日本の首都として
「日本の首都は食料自給率100%ですよ。」
とかTPPの交渉の席で言っちゃう。

さて夏の東京。ビル群。まさにアドベンチャーアクティヴィティの宝庫になる。
世界一過酷なレース皇居24時間マラソンは8月。
世界で最も過酷な自転車ステージレースは、都内を28日間走る。
世界から夥しい数の参加者が集まるがほとんどの企業や組織は夏のバカンスで誰もいない。
そもそもイベントの目的は何か?という事が問われる。

暑いので少し思考回路が変調をきたしていますのでご容赦ください。

きょうの一枚

今年投入されたSSERのヘリ。大活躍でした。

   

2013/08/22 (木曜日)

「モンゴルからの報告」

熱い闘いが繰り広げられたラリーモンゴリア2013も静かに幕を閉じました。この数年間悩まされた雨も、今年は穏やかで一部には増水した川も無いではありませんでしたが天候はおおむね良好でした。

そして全行程予定のすべてのルート、すべてのSSが実施されて例年よりも2ユニットも少ないフィールドをオフィシャルスタッフは、まさに不眠不休で駆け抜けました。まことに、このオフィシャルスタッフの努力には感謝しても感謝しきれません。こうしたラリーへの愛情によってこの大会は支えられていると言えます。

大きな事故もありました。ETAP2で起きた池田選手のクラッシュ。わたしどもの持てる最善を尽くしました。事故現場での応急処置のあとのヘリでの緊急輸送。それも一気にウランバートルへ向かうリスクを計算し、途中の町で救急車に不足の医療器材を現地の医師に持ってこさせ、緊急着陸したヘリの中で追加的な処置が行われました。

そしてウランバートルの国立病院に収容後に検査とさらに追加処置が施され夜にはSOSアシスタンスによるアンビュランスジェットによる日本への緊急輸送が実現しました。
それでも事故から1週間たったいまもまだ意識不明の状態が続いているのが現状です。
ほんとうに心よりお見舞い申し上げます。

閉会式では多くの関係者参加者の皆様からのお見舞金をお預かりいたしております。持って帰ろうとしたのですが早朝便。募金の多くが現地通貨で日本では両替ができないために、次の便で持ち帰り池田選手のお手元にお届けいたします。

SSERでは今後も池田選手の一日も早い全快に、出来る限りの支援を展開してまいります。どうぞ皆様もよろしくお願いいたします。

大変シリアスな事故が起きましたが、ネックブレスや胸部や脊椎部の一定以上の能力のあるプロテクタ―の使用は、こうした事故での決定的なダメージからライダーを守っています。

安全面への配慮と検討は「これでいい」とすることなどありません。どうぞ皆様も日頃のライディングなどを含め、十分に厚く対策をしていただくことを心より希望いたします。

モンゴル高原は、何もなかったかのように静かに秋を深めています。

 
 

2013/08/08 (火曜日)

「ラリーモンゴリア2013、スタート直前」

ウランバートルは、やっと天候が落ち着いてきました。日本の秋のような爽やかさです。ラリーの参加者も続々とウランバートル入りしているようです。ときおりラリーマシンと思しき独特の乾いたサウンドがホテルの部屋にも届きます。

数日前のこと、ウランバートルから西へ300キロばかり走った草原で、ふと見るとエーデルワイスの群生の上に立っていました。とにかく見渡す限りエーデルワイス。。

こんな希少な種が、ここでは普通に咲き誇っています。とはいえここはピストを大きく外した少し誰でもが走るところではないので、お花畑を形成しているのでしょう。産毛に着いた小さな水滴がダイヤモンドのようで花弁なのかガクなのかはわかりませんが、星状の姿もデザインされつくしたような美しさでプラチナのよう。
つまるところ、小さなダイヤを載せたプラチナのリングのごときでした。

本番がこの近くを通るのですが、少しルートをずらしてここに踏み跡など残さないようにしようかと策を講じたりしています。

かつてボクは本格的にパリダカールに参戦して約10年間あまり寝ても覚めてもラリーのことばかり考え、ひたすら翌年に向けた資金調達とマシンやチームの体制づくりに没頭していました。。結果うまくいかなかったことのほうが多いのですが、あれほど人生の中で充実していた時間というものはありませんでした。それを自身の30代に費やせたことが、今振り返るほどに「いい人生だった」と思わせる少なくない要素を占めています。
上手くいかなかったほうが90%なのにですよ。

ティエリーのいうライフスクールは難しくて、うまくいったと思えば必ず大きな陥穽にはまり、途方に暮れていれば思わず助け舟が現れたり。

つまり人生もこのようで、これはうまくいった。などということはそうはないのです。だからといって悲観していても時間ばかりが過ぎていきます。

さてラリーの期間中にボクは、そして参加者一人一人は、24時間X8日間の短い時間にどれほど多くの知らなかった自分自身に出会うでしょうか?

それらの自分を生涯の良き友として、また次のラリーかまたは過酷な現実に果敢に挑み続けてほしいと、真にそう願います。また自身もそうであろうと心に誓います。

きょうの一枚

エーデルワイスの群生。アップも撮ってるのでまた今度。