Organisation Voice 2007/06

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2007/06/29 (金曜日)
待ちに待った西安行きのボクタチのマシンがもうすぐ到着の予定ですって。なんとかカルネ取得は間に合いそう。となれば、ツアラテックに何かとオーダーだぃ!!で、勢い余ってサポートカーと連絡を取るための無線を取り付けようということになったのでした。

でもあのヘルメットから伸びるコードはイヤ!で、ハシリのブルートゥースのユニットを着けると言い出したからたまりません、「まだこの秋!発売予定なので・・・」「かまわんよ」「まだ実証テスト中で・・・」「ボクがやってあげる」てな具合でまあ何でも新しいもの好き!なボクなののですが、調べてくと無線機も防水機能の高いバイク用なども出てるじゃないですか!「イツノマニ・・・」歩くモノマガジンと讃えられていた?時代も長かったボクとしては、なにかとブツヨクな今日この頃。周辺は警戒モードに入っています。

実は悩みの種はタイヤなのでございます

 

きょうの一枚・・・北海道より
「北海道4デイズ」の試走が大詰めを迎えていて、いろいろとレポートしたいことがあるにも関わらず、なかなかキーボードに向かう時間をとれないでいました。

今回は中頓別町をはじめ道北に広くルートをとっていますが、そのスケールの大きさ、距離感のズレに当初戸惑いました。あまりにも広いのです。日本ではメートル法が採られていますが、ここでは約1.6倍の"マイル"のほうがしっくりとくるんじゃないかと思いました。実際、十勝あたりを計測していると気がつくのですが、農地の区画は、一辺が1マイルとなっているところが多い。もちろんそれは開拓時代の度量換算の仕業なわけですが…。きっと参加者は、この北の島の大陸的な表情を毎日楽しむことができるだろうと思います。

試走中、毎日、たくさんの野生動物に出会います。エゾユキウサギ、エゾライチョウ、エゾシカ、キタキツネ。夕方にはたくさんのエゾシカが林道に出てきますし、夜になるとフクロウが横切ってぼくたちを驚かせます。特にラリーの先頭グループを走るライダーは、こんなにいるのか、と野生動物の多さに驚くでしょう。

北海道を基点、終点とする初めてのMCラリーは、通過地、開催地となる自治体、そして地元MCクラブの協力を得ての開催となります。過去の例がないこともあり、準備に手探りの部分が多かったというのが正直なところですが、みなさんの強いバックアップで、ルート設定も終わりを迎えます。

あとは、青空がみなさんを迎えてくれるように祈るばかりです。

芦別をスタートすると間もなく、残雪が美しい十勝連峰が眼前に広がります。

春木久史


2007/06/28 (木曜日)
「スガワラさんは、懲りてなかった?」

9月末、まだエジプトの砂漠は朝、晩にわずかに秋の気配を感じるようになる程度、そんな頃だ。砂漠のラリーにはまだほんの少しシーズンとしては早いのだ。その灼熱のサハラで、かつてフヌイユが立ち上げ、今はジャッキー・イクスに引き継がれたファラオラリーがある。スガワラサンはそのファラオにライノの進化版で挑むのだ。もう20年も前には軽トラックなどで挑戦していたこともあるのだが、こうしてここ数年にわたって取り掛かっていたライノをあきらめていない。写真に添えられたメールにはこんなことを書いていた。

「今晩は。今日は利根川でファラオ用のライノのテストに行ってきました。アメリカヤマハさんから新しいカウルが送られてきたので着てみました。エンジンは700ccにボアーアップをしています。ショックも別タン付きです。そちらはお忙しいのにゴメンナサイ。」だって。

西安−パリは、西安のスタートと、そしてファラオラリーのゴール後のカイロからパリへ飛んできて「酒盛り」をすることになっいている。ひょっとしたらこの酒盛り・・・モエ・エ・シャンドンまたはドンペリニオンの飲み放題になっているかもしれない・・・その答えは???また後日。

先ほど松山にも「おおっ、集中豪雨か!?これで水不足も一気に解決だ!」と思うような雨。でもふっと気がつけば真夏の日差しが帰ってきている。水不足の解消にはなったのか??西安−パリの中国パートの試走隊が帰ってきた。いや帰ってきたといっても西安になのですが・・・先ほど電話がかかってきた。「ウン十年ぶりの雨が砂漠に降って、大変だったよ。9月は大丈夫と思うけどビックリしたよ。」雨は降るべきところに降らずに、降らなかったところに降るようになりました。楼蘭が湖がなくなって消滅したように、水がなくなれば都市機能もなくなる。黄河の水は取水量が多くなりすぎて、海にまで届かなくなると言われています。大量の淡水を流し込んで塩分濃度が下がり富栄養化が進む渤海も・・・どーなりますことやら。

北海道4デイズ・・・一足早く避暑の旅に出かけませんか??濃密なルートが出来つつあります。


2007/06/27 (水曜日)

北海道4デイズ・・・過酷な試走が繰り広げられています。もうすぐ試走が終わります。終わり次第ですがタイミングチャートとルートプロフィールの発表をいたします。お待たせしていて申し訳ありません。エントリー締め切りは6/29・・・もうすぐです!!

さて今日の一枚は、さまよえる湖ロプノールの真実はいかに・・・という話をしようと思ったら、とっくに結論はでていたのでした。だいたいこのさまよえる湖は、どこから話が始まったのかと言うと、やはり司馬遷の史記の記述、「楼蘭姑師、邑有城郭、臨塩沢」大宛列伝-2「史記」つまり、漢字から想像するとですね、楼蘭の城郭が塩湖を臨んで・・・となるのか。おそらくここらあたりで初めて「楼蘭」という都市が歴史に姿を出すのだろうと(スイマセン専門家の人いたら直してください)思います。

このシルクロードへの憧憬を掻き立ててやまない言葉の響きと漢字、そこにあった古代都市「楼蘭」は、敦煌から西へのびる古代のシルクロードが天山南路と西域南道の分岐点となっていたため、重要な補給路として栄えていただろうことがわかる。ヘディンや大谷探検隊の手で発見された、いやもっと最近発見されたいくつかの4000年も前の美女のミイラが白人だったことなども、ぼく達の憧憬を深めた。いや問題はロプノールと楼蘭の関係だ。砂漠を旅していると出会う塩湖は、みんな決まって薄味?だ。塩分を求めている身体にはなかなか丁度よかったりする。

6世紀以降つまり唐の時代には、楼蘭は打ち捨てられた。数世紀にわたって楼蘭がどこにあったのか?史記に表された塩沢・・・つまり塩湖こそが謎の湖「ロプノール」そしてそれを見下ろす謎の古代都市「楼蘭」という、世界的な謎が探検家たちの心を熱くした。続きはまた・・・・・。

図の解説
写真上 20世紀初頭の探検家は、このふたつの湖こそがロプノールだと考えたのだが、淡水湖だった。つまりタリム川のながれこむところだ。

写真下 ところが、その湖の北にロプノールはあった。しかし堆積物がたまるとタリム川は流れを変えて南の湖に流れ込み、そちらが堆積されると再びロプノールに流れ込むということを60年くらいの周期で繰り返している?そのくらいこれらの土地の高さは同じくらいなのだそうな。60年周期はともかく、ロプノールはいまや中国の核実験場である。地名にもない、また実際今は水のないロプノールを、わざわざ核実験場の名前を冠したあたりに中国のしたたかさ?を感じているのは、まあボクくらい・・・思い過ごしかもね。

写真上 (http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/06/o/01.jpgより)
写真下 (http://dsr.nii.ac.jp/rarebook/06/o/09.jpgより)


2007/06/26 (火曜日)
読もう読もう!と思っていて読むことにならなかった「蒼穹の昴」を試走の飛行機の中などを利用して読み終えた。どちらかというと苦手だった中国の近代史も良く分かったのだが、なによりも西大后が好きになった!?

そういえば昨年の冬、北京出張の際に某銀行の部長さん(あっ、いつものあの方ではありません)と2人で、朝の北京を歩き、故宮へ出かけた。途中では朝の支度の湯気の立つ胡同にわざとに迷い込んでみたり。そういえばその部長は、故宮の中で何か探しているようだった。

ボク「何か探してらっしゃいますね?」
「えっ、ええ。西大后に関するものを・・・」
「ふほーっ、さては蒼穹の昴読みましたね。」
「オオーッ、あなたも読みましたか」
「ウッ・・・ヨヨ、ヨミマシタ」

スイマセン、あの時ボクはウソをいいました。あわてて買ったのですが読み始めたのはなんと半年もあと。でもきっと部長は、もう「中原の虹」も読んで終わっているのかしら?

さて、いよいよ暑くなってきました。今年の暑さもとんでもないことだろうと思います。なんとかこの暑さを蓄積しておいて冬になれば、それを部屋に転がしておくだけで1日じゅう暖かい!なんて道具で出来ませんかねえ??おまけに冬の冷気も缶詰にしておいて、1缶で24時間涼しいとか・・・。

今日久しぶりにバイク乗りました。本当に久しぶりに。今度はもうすぐ届く複数台のGS-ADVの慣らしをしないといけません。「あーいやだいやだ。忙しいのに慣らしなんて!!だいたい何時行くんだっちゅーの?」とブーツやパンツを並べているボクって、いったい??

きょうの一枚
さて、TBI総合優勝の余勢を駆れるかマエダッチ・・・横浜の車検会場にて。


2007/06/25 (月曜日)
土曜日の横浜・・・お疲れ様でした。この日だけ運よく晴れたのはいいのですが「暑い・・・」こと。途中で差し入れを頂いた氷漬けのブラックチェリー・・・差し入れのものの中では群を抜いたセンスの良さに脱帽でした。I田さん・・・ありがとうございました。

大黒埠頭には日本からウランバートルへ向かうマシンと機材たち、さらにはBMW-Motorradの企画で、ウラジオストックへ向かう6台のバイクと2台の4輪・・・今日の一枚参照・・・まさにユーラシア大陸を存分に走り回り、果たしてゴールの地でともにモエ・シャンドンのマグナムボトルを振る時が来るでしょうか?あっ、伴にと書いたのは、X-challengeの3台のマシンとCross the Borderのマシンたちのことです。あっクロス繋がりだったんだ・・・ちなみにボクはいまだに「エックスチャレンジ」と言っては「クロスチャレンジ!!何度いったらわかるんすか!」と叱られています。おっ、つまりクロスチャレンジとクロスザボーダー・・・・クロスなんだあ・・・。

きょうの一枚
そんなウラジオストックへ向かうのは、この6台のアドベンチャー・・・後ろに見える大きなピックアップはSSERのニューカマー・・・パリまで走ります。


2007/06/21 (木曜日)
いよいよBTOUの船積みに出かけます。今回カミオンバレイの新機材タンドラも・・・でもとてもオフロードマシンじゃない!!リアのホーシングはまあ細く、リーフもリーフのシートもUボルトだって、「これで大丈夫なの?」と、まあ考えてみればこのクルマ、大きいだけがとり得のアメリカンピックアップby TOYOTAなわけで、オフロードをガンガン行くためには、リーフ増しをしたりですね、せにゃならんです。しかもこのマシン、西安−パリのサポートに使おうと考えていたので、慌ててモンゴルで?ダートマシンに改造することになりそうです。それにしてもどうしていまだこんな設計思想なんでしょう?

でもボクの最近の思いは、アメ車の復活。世界中がヨーロッパのクルマと、それを模した日本などのクルマと、エキゾチックカーばかりになりそうな勢い。

日本が金利引き上げになった時には、世界へ逃げていた円が買い戻されて当然円高。ユーロ高も続く。アメ車は、今必死で経済性の積み込みとデザインの洗い直しで、再生中。それで、いいかげんヨーロッパに飽きたマーケットは、ワイルドでマッチョなアメリカに注目をする!というもの。

もちろんボクはアメ車になんか乗ろうとは思わないけど・・・アメリカンサイズのピックアップでクロスカントリーラリーを走るのも面白そうだなあ・・・と思ったりしています。

きょうの一枚
北京−パリモーターチャレンジの一枚。100年前自動車のホイールは木から始まったのでした。まあ当たり前といえばそれまでか!?


2007/06/20 (水曜日)
『安全への決意』

いよいよBTOU2007船積み&事前検査に向けての準備が山場を迎えています。近年の盗難車の海外への輸出を規制するために改正された法律で、ぼく達は昨年からトンデモナイ目に遭っています。

というのは、4輪の場合のみですが、カルネを使えない国に一時輸出する際は、登録を抹消しないといけません。でも僕たちの場合は帰国後再び国内を走行するのですから、抹消して輸出してしまうと帰ってきた場合には再輸入ではなく、新規の輸入と同じような扱いを受けることになりかねません。つまりガス検など予備車検や新規に登録する際の諸税などなどの恐れがあります。まあそんなこんなですったもんだです。法改正になっても、「さあ、知らない」とか「聞いてない」ということを公務員がおっしゃるという不思議さを感じますね。ボクタチも「そんな法律が変わったなんて聞いていません」で通らないことくらい子供のころに習ったはずです。

で、ご心配の向きには東京陸運局で、このイベントのために「輸出抹消」で国外に出ても、帰国後一時抹消と同じように再登録ができるというお話を頂いておりますので、お問い合わせください。

まあ世界中の空港のテロ対策の費用とかかる不快感・・・数人のテロリストのために数千人が迷惑をする・・・自動車窃盗犯のために、大勢が迷惑をする・・・のであります。

さて、モンゴルは最高の季節を迎えました。ラリーにとって最も優先されるべき安全対策。これは不退転の決意で望みます。セイフティファースト・・・地上を走るメディカルカーはM-1とZ-2の2台体制に。カミオンバレイの機動性を上げるためにピックアップ-タンドラを採用。さらにCPに2台のピックアップでスイープは、充実させて参ります。何よりもアクシデントの予防。起きてからの対策以上に「起こらないための対策」を、これからも一層検討して行こう、と考えています。そんなこんなから、熱い南ゴビのエリアを大幅に敬遠して、まあその代わりここのところ見たことのないような森と湖に出会い続けるということではあります。

きょうの一枚
試走中のワンカット・・・羊の群れの中に野生の羊?!紛れ込んだのか突然の遺伝子のいたずらか?見慣れてるはずのムッホもしきりに「見たことがない!」と・・・。


2007/06/18 (月曜日)
「モンゴルより無事帰還」

毎度のことでわかってはいた事だけど「暑い。」どーして日本はこんなに熱帯化してるんだろーか。MIAT機は成田に結構勢い良くドスーン!とかいって着陸。いつまでもたどり着かないほど遠いゲートまでノロノロ。滑走路にはあなたゴビ砂漠のような陽炎が立っている。

さて、ところで北京−パリ・モーターチャレンジ・・・いよいよモスクワにたどり着いた模様。このサイトでもひっそりと毎日のレポートの翻訳を掲載しているの気がついていました?コチラ。とにかく、ラリーレイドの真髄みたいなものがここにありますね。訳者もなかなかのもので・・・W林さんですが、彼によってさらに興味深いレポートになっています。

ぼくたちが試走で使うマシンでさえ、足回りの不安のためにやたらブレーキングの連続。現代の4×4マシンをもってしても、大きなリスクを感じながら走らなければならんのです。しかも窓は締め切ってもちエアコンガンガン・・・で車内はクーラー車外は雪が舞う!なんて事もありました。

さてそんなモンゴルも、MOTO部門にはベルギーから2人のライダー、フランスからはジャン・ブルーシーさん、カナダからはローレンスさんほか2名。などなど、そうだロシアも2人だ。ドイツ勢はどうも最終的に出場を断念した模様。でも今回は世界中から問い合わせが相次いで、SSERの窓口能力が試される羽目に。ちょっと実力不足か?

でもこれからこのラリーは確実にワールドワイド化するだろうと、やっとそんなところまでたどり着いたのかも、という思いがしますね。

きょうの一枚
いまや事務所の中は、ウランバートル行き機材はもちろんのこと、BMW Mottorad のこの夏のBIG-event「Cross the Border 2007」のためにウラジオストック行きの機材が山積みで、まさに足の踏み場もありません。で、ロシアの夜のキャンプを照らすランタン4個。ちょっと大きすぎませんか?


2007/06/15 (金曜日)
こちらはまるで秋のような爽やかな好天。空は青く澄み、空気は最高に気持ちよくクルマに取り付けた気温計は結構30℃くらいを示していますが、湿度計ときたら20%台・・・街路の緑は濃く、ヤマナラシの枝が気持ちよさそうにそよいでいます。

ルート制作の旅も無事にウランバートルに帰りつきました。とにかく深く思惟して作り上げたルートは、ちょっぴり自信作です。

さていまウランバートルのホテルには、ひっきりなしに訪れる来客に悲鳴を上げています。パリダカについにエントリーしたモンゴル人ライダーたち・・・どうか無事にスタート台までたどり着きますように。そしてエントリー用紙を持って現れるモンゴル人参加者たち。いよいよ本番も近づいてきたなあ、という感じです。

今日の一枚
これが1907年製イターラです。完成度は100年前のものとは思えませんね。おそらく当時の清朝の高級官吏たちも驚いたことでしょうね。いや、それにしえもこれらが走ってるということは、素晴らしいことです。チンギスハーンホテルの近くで立ち往生してた(パンクですが)うちの通訳がパチリ。あと何点かあるのでまた近々。


2007/06/13 (水曜日)
試走も終盤。かつてフビライが造営した世界帝国のキャピタルタウン、ハラホリンに到着した。ここではBMW R1200GS ADV.を駆ってシベリアを旅してくる「CROSS THE BORDER」のメンバーと合流する。かつてのモンゴルの優勝者、三橋淳や第1回大会を走ったかつてのパリダカの戦友、松井勉、BMW-BIKESの永山編集長・・・もちろんBMWjapanのメンバーやドイツからの遠征組みにも会える!!

実は彼らの旅もラリーに負けず劣らずハードなものとなるだろう。そう、6月23日の横浜港での船積みには彼らのエクスペディションの装備とマシンも合流!!メンバーの顔もそろうかもしれない。ともにウランバートルを目指すラリーとクロスボーダープロジェクト、いまこの辺りは世界中のアドベンチャーライダーたちの注目の場所だ。

このハラホリンのキャンプは、先の北京−パリ・モーターチャレンジの一行もビバークしたそうな。130台280人が宿泊、朝は席が足りなくてみんな立って食べたそう。どこかの殿下も、富豪たちも、粗末なテントとモンゴルならではのトイレを楽しんだのだ。

残念ながらどこへ行っても1日違いで、その走るサザビーズと、驚くほどにスタイリッシュで当時を髣髴とさせる紳士淑女たちに会うことは叶わなかった。しかしいたるところでその存在感を身近に感じることができた。

この何もかもが不便な大地の持つ真の豊かさを、彼らは誰よりも感じただろう。そうした精神の運動こそが、彼らの趣味として崇めるヒストリックカーに通じる道なのだろうと思う。そう思えば、クロスカントリーラリーもなんとスノッブなものか、と思う。それは頼りなくか細いけれども、20世紀を駆け抜けた轍が記された。次の100年、自動車はどうなっているだろうか?


2007/06/11 (月曜日)
試走9日目。昨日は終日すさまじい風で、テントを岩場の影を探して設営。そういえば山に行ってる頃は、テントを吹き飛ばされそうになりながら設営したなあ!と昔を懐かしみながら、風にはちょっと弱いコールマンの3ポールタープを張りました。僕の理想はこのタイプのテントで土足のまま出入りできるのがよろしい。暑いときには4面ともメッシュになるので、快適快適。もちろん寝るのはキャンピングベッド。

さて、朝起きて夜のうちに下ごしらえを済ませてる簡単な朝飯を作る。そして流し込むと、次は夜まで走りづめ。ドライビンググローブは穴が開く。考えるのはただひたすらルートのこと、地図とのにらめっこ。GPSで現在地を丁寧にチェックし、RCPやCPの精鋭オフィシャルスタッフが、どのような困難に直面するかを想像するくらいのこと。そうしているとだんだん体も精神も研ぎ澄まされていく。

ACPの横田さんの著書「パリ・ダカールの真実」(ちがってたらスイマセン)では、俳優のクロード・ブラッソー・・・ラ・ブームでソフィー・マルソー(デビューの頃でそれはかわいかった)の父親役などで著名。当時ジャッキー・イクスのナビをしていた(と記憶している)・・・になぜパリダカにくるのか?と問われると「砂漠は血液を浄化してくれる。酒とバラの日々、タキシードを脱いで、年に一回ここにくるのだ。」と答えるというのだ。記憶があいまいなので、多少覚え違いがあるけど、今回の僕もいつものように4日目くらいの疲労困憊の跡に、血液が神経の隅々まで活発に送られ始めるのを感じる。もちろん僕は酒とバラの日々ではなく・・・まあこの部分は皆さんと同じですが・・・そんなアクセルペダルを踏む右足の親指の付け根辺りなどは、誰の命令でもなくリニアに反応しているようだ。神経の繋がりがいつもと違ってくるのだ。フライバイワイヤになったというか・・・。

前を見ると地平線まで延びる美しいピスト。砂煙の二つみつが見えるとなおよろしいのだが・・・体中に野生の意識が取って代わり、ウイルダネスに居るというのと、戦うという精神作用が体内の血管を広げ、加速ポンプが取り付けられたような心臓から、必要十分な血液が隅々に送り続けられる。「このときのために、生きてる。」そんな風にも思えるから幸せだ。

普通ではないと思う。もう9日も風呂に入ってないし、体のメンテナンスなんてまったくしてない。
今年のルートも、そんなコンセントレーションの中から生み出されている。西に向かう旅は、夕陽を追いかけた。そして今、夕陽を背に東へ向かっている。
とにかく、今年のルートも最高傑作だと思っている。
ではまた。


2007/06/09 (土曜日)
試走はこれまでになく順調です。今日はヒャルガス湖のほとりでビバーク。100kmくらい走ってもこの湖から離れることがなく「四国よりも大きい?!」のですが、とにかくここも周囲から生活排水の一滴も注がれることがありません。刻々と変化する湖面の色、自然の造形にため息をつく見事な砂州。

こうしていると、地球はまだまだ大丈夫なのだ、と思わざるを得ません。第一この美しい巨大な湖のほとりにいる僕たちの周囲に、人工物もなければ人間の気配もありません。

今日は残雪のある山の中に、少しナビと走行の困難なルートを100kmあまり、走りながら「そーいや昨日書いた「ギニアって、ギアナの間違いじゃなかったっけ?」と言う思いが頭から離れなくて・・・高い山の上に上ると、そこは広々とした平原。落ちていた木にコーステープをくくりつけて、通称「バリース」を作って周囲を見渡してみると、遠くの山の頂の平原には、なにやら山小屋とおぼしきものがいくつか。ふっと今ここはどこなのだろうか?という概念に取り付かれてグリンデルワルドあたりの景観を思い出したり、していました。というのも遠くには、ヨーロッパアルプスを思わせるような、雪の険しい山々が・・・さて、もう寝ます。


2007/06/08 (金曜日)
毎日が素晴らしい発見の連続です。今日は東経91度台に突入しました。100km続く砂のピストは、補給用燃料満タンのプロシードには少々厳しく、何度か勢いをつけ直したりピストをはずしながらアタックしたり、ムッホもずいぶん運転がうまくなったようです。もちろんノースタック!!この100km続く砂の連続は北緯50度を超えた辺りにあって、こんな高緯度にある砂丘地帯は、北半球ではここだけじゃないかと思うほどですが、手元に資料がないのでなんとも言えません。こうしてエタップ3まで出来上がったのですが、この日は前半戦の山場になることは明々白々、風景のめまぐるしく変わるさまや、同じくピストの変化も、とにかく圧巻!!これぞモンゴル!を堪能できる素晴らしいステージでしょう。ルートインフォメーション的には「アーティフルインプレッション100ポイント!!」としておきましょうか?今夜はハルヒラ―という氷河のある、モンゴルの最高峰の麓から遠くに東に巨大なウブス湖を見下ろしてキャンプです。明日の朝日が湖面を染める様が楽しみの一つです。

世界遺産ウブス低地は、広大なユーラシアのモンゴル高原のなかで、ボツンと低く下がったため、ギニア高地などと逆に、生態系が固有の進化を遂げているのです。ここではヘリの観光フライトの予定でしたが、ちょっといろいろな思いが交錯して、新たなアレンジメントを計画中!!お楽しみに!!


2007/06/07 (木曜日)
今日は劇的な一日となりました。というのも、西へ向かうショートカットで踏み込んだ山岳路は、シベリアのタイガの裾を思わせ、色とりどりのお花畑の森、というグリム童話の世界を思わせるような、そんな驚きに満ちたルート。そう驚きに満ちたといえば二つ。ひとつは空中浮遊する電柱!さらにモンゴル中を張り巡らされた光ファイバーのケーブル。今僕たちがビバークしている草原の足元にも光ケーブルが「うそ!?」いやどうもヨーロッパとアジアを結ぶ・・・のですが、秒速20万キロの光ファイバーの上で、はるかインド上の衛星を探してるんですから。

さて西へ向かう旅も東経93度に突入。勢い日が長くなりました。今北緯は50度に近く、まあユーラシアの最奥の地ですね。明日にもウブス湖に到着の見込みです。ではまた。


2007/06/06 (水曜日)
試走はすでに東経97度に突入。西へ西へとひたすら進んでいます。ロシア国境も近く大きな湖が連続するのでカモメの姿に既成概念を覆されます。風景の美しさは、もう語らないようにしようと思いますが・・・さて、冒険の旅人が増えています。ものすごい高速で正面から接近してくるマシンは、すれ違いざまですが 「おっKTM950ADV」2台連れ。高速のライダーは金髪の長髪がヘルメットから覗いてました。

奥地に向かう道では、R1200GSADV.のソロツーリストとすれ違いました。その姿はあまりにも印象的で、ひたすら地平線の先を見据えて、ストイイズムに裏打ちされたダイナミズムを感じずにはいられません。まさに旅人であり、そこには哲学的にとしか形容できない存在をモーターサイクルに見ることが出来ます。

ところで北京パリモーターチャレンジにはまだ接触できていないのですが、数十台のマシンが立ち往生しているというニュースがモンゴル中に・・・交通警察の隊長は大興奮・・・そーでしょうね。今バヤンホンゴルやアルタイあたりには、オークションで億の単位のマシンたちが砂まみれで・・・・・試走のもう一つの楽しみは、違う意味での不安に変わりました。なんて言ってるくらいだから、まあうちの試走は順調!というところですよ。


2007/06/01 (木曜日)
「さあ6月!スイッチ、オン!!」

なんのカンのといっても、時間は流れて行きます。試走もあさってスタート!超厳しいスケジュールで、夜明けとともに走り出して、日没とともにストップしてビバーク!・・・そうしても帰国便に間に合うかどうか?!というのであります。そんでもって、興味の尽きない例の「北京−パリ モーターチャレンジ」は毎日のレポートをW林さんにお願いしておきましたので、こちらのHPでオタノシミ・・・西安−巴黎も、そろそろファイルクローズ・・・レンタルADV.もありますので、ここはひとつキヨミズノブタイカラ・・・で行っちゃいましょうよ!と言うようなことも本日6月1日より一部更新されたこちらのHPでご覧くださいね。NEWSも掲載しています。

さてモンゴル、どーも池町−池田包囲網が。ルート設定ではこの最近のハイスピードピストのボリウムが大幅にダウン・・・テクニカルな部分が増えますよ!これがどんな風に影響を及ぼすかがミドコロ!!

北海道4デイズは、エントリー60台で締め切りました。お問い合わせはたくさん頂いたのですが、休みが取りにくいタイミング!だったのと、やはりコストが・・・ですが、いま北海道の試走も展開中!!こちらもオタノシミニ、そしてお見逃しなく!!

きょうの一枚
なぜか万里の長城。世界のオーガナイザーたちの目は、今中国に注がれています。恐ろしいばかりのモータリゼーションで、モータースポーツも一気に加速。各国のメーカーも、草木がなびくように中国を目指したのは、もう過去のこと?そして、さまざまな問題を醸しながら世界経済に極めて大きな影響力を持ち、人類の未来の命運を握る大きな存在になっていることは周知。今の時代に生きる人間の欲望では、次ぎは「国滅びても山河なし・・・」なほどの破壊力です。世界遺産の宝庫中国はまた英知の宝庫でもあるのですが。