Organisation Voice 2010/10

 

 


2010/10/29 (金曜日)

「ほぼリタイア」

なんか、すごい疲れが出て、胸は痛いし腰は痛い。ので半ばストライキ気味に休んだのはいいのですが、考えてみたら平日に休む!なんて習慣がないので、これは困ったことに。まあ7月に3週間も休んだようなものですが、あれはまた別で。

それで何をして過ごしたかというと、7月の連続休暇では1日1冊の本が読めたのに、今回は全く読めません。テレビ見ててもすぐ寝てしまうし(でも映画「ザビーチってのを観ました。デカプリオ主演の、面白かったんですが途中で寝てしまったので結局ナンノコッチャでした。)

これはかなり精神的にいってるかな?なんて心配したりしてたんですが、こっそり会社に来て仕事をしてみたら全部直ってしまいました。コレダカライカンノヨネ。

そんで、一瞬ですごい量の仕事したので疲れて帰ろうとしたら「OVゎはー?」と
か言われて、そういや書いてないので。。書くことに。。

だいたいボクが気に入らんのは「戦略的互恵関係」という言葉。本日ハノイで中外相会談が行われたはず。まあ今晩のTVニュースで・・・で、その、言われ続ける戦略的互恵関係の確認!!だそうですが、やめればいいのに。

ただの「互恵関係」じゃいかんのですか。「戦略的」とつけたら何が変るんですか???不都合な事は目をつぶって、いまを維持しようという考え方ではないんですか?「感情よりも勘定」という意味でしょうか?結果、禍根は未来に棚上げで、ってそんな事で良くなったものは何もなかったはずではありませんか?そもそも戦略とはそういう意味でしたか?

それに「事業仕分け」あれを見るのはボクはイヤです、あーいうパフォーマンス、胸が悪くなります。自分がやられたら、と思うと。

たとえば
「モンゴルでヘリコプターを飛ばすのは必要ですか?」
「はい。」
「では、その理由を言ってください。」
とかね。

そもそも人間は無駄なことをする生き物なのです。

無駄とは「遊び」ですが、遊びの重要性は学術的には確認されてはいますが、まああの蓮舫さんの怖いこと。なんか、ボクは人間嫌いになりそう。それに内田裕也とかが出てきて「レンホーチャンが・・・」うー、なんじゃこりゃ。それの仕分けは出来ないんすか?!いいんすか?あれで。

まあ世の中、無駄なことは山のようにあって、それを止めるのは良いとしましょう。でもその手法が、あまりにも醜い。日本的な美意識や惻隠の情にかけている、と思いませんか?ボクがいつも思うのは「攻撃は、必ず反撃にあう。強い攻撃ほど強い反撃にあう。」ということです。攻撃に強いが守備はどーすか?勝負の行方は守備力ですぞ。

お叱りを覚悟で言うと、公共工事もやってこそお金が循環し、無駄なお金といってもどぶに捨ててるわけではないので・・・経済的には必要なことかもしれませんが・・・。

それよか日銀の為替介入で使ったお金のほうがよっぽど無駄になってるんじゃないすか?それこそ仕分け、仕分け。

きょうの一枚

ハルヌール。ヘリのパイロットに「知ってる?」って聞くと、「あそこ、いいなあ!ってパイロット仲間で話してるんだよ。」だって。ラリーで知ったそーな。 

 (おまけ)


2010/10/26 (火曜日)

「リチウムをどうするか?」

ボクもいろいろな仕事をしているものだなあ、と思います。というのも今朝は某市役所に某大手メーカーの方と商談?に行きました。何を商談か?というとそれは「環境テクノロジー」のセールスであります。

何度もこのOVに書いていますが、お許し下さい。ボクの体験談から。

2007年にロプノールに行った時のことです。そこはただただ広大な干上がった塩の海でした。もう彷徨える湖ではなくて、ここに水を運ぶコルラ川は、途中で砂漠の中に消えるほどの、いわゆる中国の問題のひとつ断流、を起して久しいのです。もうロプノールに水が戻ることは人類が滅びるまでは無いでしょう。そこには採塩のわずかな労働者と、彼らを養う一軒の招待所と心細げなガソリンスタンドがありました。それらはきっとディーゼル発電で得られた電力で動いてるのでショウ、耳を澄ますと遠くで羽音のようなエンジン音が塩の大地を伝わって届きます。ここはまさにそのロプノールのほぼ中央部、100km四方に人がいるのはこの辺りに10数人程度でしょう。

翌年同じ頃、再びロプノールに行きました。そこまでの1年前には知った怪しい道は見つけられずに、困難な行程となりました。それでもそこにガソリンスタンドはありました、がなんと目の前に聳えるのは、3基の揚水炉?型発電所。スリーマイル島みたいな風景。なぜこんなところに100万人くらいの都市に電力を供給できるほどの発電施設が・・・しかもたった1年で。

軍が制止します。ボクは一瞬、拘束される危機を感じました。それでも前進するという仲間がいて、ボクは兵隊と押し問答するのは避けることにしました。

はてこの施設はなんでしょうか?その電力は何のために供給されるのか?答えはそう多くはありません。ボクはやはり塩からリチウムの精製をするために必用な電気なのではないかと推測しました。それなら押し問答やカメラを向けるなどの愚挙は慎まなければなりません。

今日も打ち合わせの話題のいくつかは、リチウムです。佐賀大学が玄界灘に海水からリチウムやウランを採取するための実証プラントを作ったという報道を見てから1年近くなります。

自動車や多くの産業機器が、電気やハイブリッドになっていく道すがら、石油の呪縛から逃れつつ、今度はリチウムの呪縛にとらわれてしまっています。

事務所に帰ると亀石さんからメールが届いていました。亀石さんはシルクロード2回、昨年のチョモランマ、そして今年は何もしない僕たちとは別に南米に行っていました。添付された写真を見てビックリ。それは、現在のところリチウムの生産量の世界一を誇るボリビアのウユニ塩湖。水が薄くたまって星が映って幻想的な美しさだというテレビ番組を見たことがあります。

妙な偶然の一致に、リチウムについてもっと深く勉強しようと思った午後でした。

 

 (おまけ)

 
2010/10/25 (月曜日)

「たまるか。」

夕べの龍馬伝、観た?龍馬が中岡慎太郎に「船中八策」を見せる。中岡は感激して「涙が出そう」になるが、

「こんなものを世に出したら、命を狙われるぞ」
と龍馬に忠告。龍馬は

「命を狙われるくらいの事をせんと、世の中は変えられん。」
と。それを聞いた中岡は

「たまるか。」
とひと言。

中岡の言った「たまるか」は実は、土佐弁です。
もちろん標準語でも「たまらん」「たまるか」の意味は伝わりますが、土佐弁はこれに深い意味が込められています。

「命を・・・」に続くものですから、死んでたまるか。の「たまるか」という意味のようにも感じますが、そうではありません。

ボクの親しい梼原の友人も良く「たまるか!」を使ってました。モンゴルのラリーへも応援に来ました。その直後

「恐竜の谷へテレビ番組の撮影があるけど。行かんかね。」と誘いました。
すると返事は
「そりゃ、たまるか」

中岡が使った「たまるか」に非常に良く似ていますが、まあ事はそう難しい話ではありませんから・・・
しかしその返事に込められた意味は、土佐弁を解さない者には不明ですろう。

つまり「うれしくて、たまらん」とか「びっくりした」とかの意を持つ、非常に好意的な回答なのです。

「今日は、すしでも食べに行くかね?」
「おー、そりゃたまらんね。」

という風に使ってつかあさい。

今の龍馬伝で描かれる坂本龍馬が、仮にそのままの人物だとしたら日本史上の最大の傑物だと言えるでしょう。あまりにも今の日本の政治家に対する批判のような番組表現にもなってしまっていますしねえ。

きょうの一枚

ゾーモットの夕暮れ。シルエットはおそらくだけど三好礼子さんと若林葉子さんか?荘厳な天球の色彩変化に、やはり神の存在を思う。

(おまけ)

2010/10/22 (金曜日)

「冒険の旅」

まあ人生は、冒険の旅の如しと感じます。その冒険の旅を標榜してきたSSER ORGANISATION・・・まだまだ冒険は続いていきます。終わることは無く。芭蕉のように。

秋が深まると、その芭蕉の見た夢の風景が僕の脳裏にも広がります。フランス人も日本人も、その「もの悲しさ」を耽美するかのよう。その芭蕉の辞世の句。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

中学生の時に居眠りする授業中に聞いて「ふーむ」と思ったものでした。

芭蕉が世を去ったのは、1694年10月14日。陰暦ですが実際は11月28日。実はこれは辞世の句じゃないらしいんですね。ただしく辞世の句は

この道やゆく人なしに秋の暮れ

これは実に秀逸。

ふり向けば誰もいないわが道を行く・・・これはボクの句

芭蕉の言うこの道とは、歩んできた人生なのか自らが貫いた俳諧の道なのかは不明です、まあ同じかもしれませんが。

しかし良く考えると「この道」とは我が人生というのはやや傲慢な感じがします。つまり、なにかこう

自分が引き継ぎ後輩たちに伝えるべき道に、その後輩たるものがいない悲しさ。というような雰囲気に見て取れます。

いまの時代の感覚に似ています。この道を例えば冒険の旅とします、するともうそんなところに若い人たちは興味を持っていませんよ。それは消え入りそうな秋の夕暮れの間隔です。

ところが、冒険やらラリーやら、もっと言えばモータースポーツが「この道」だと思ってたら、猟友会も10年後は熊の駆除のために出動してくれる人はいなくなるのだそうです。あらゆるシーンから若い人がいなくなりつつあって、まさに

さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ

これは芭蕉じゃなくて、もっと古い後拾遺集。とにかくこの寂寥感はもはや美学ですねえ。

ブログのほうに九州4デイズの簡単な概要を書きました。レギュレーションが無いから。さらにNEW TBI2011も発表!かなりNEWSな内容かも。高野山からはじまるのだね。

きょうの一枚

奥の細道ですねえ。旅といってもこの時代は冒険でしたねえ。 

(おまけ)

2010/10/21 (木曜日)

「レンジローバーへの憧憬」

確かにいまボクの手元には1台の2nd.レンジがあるのでございます。2000年モデルですぞ。エアサスはお約束の、保障期間切れの1ヵ月後に壊れました。これはあまた言われるように時限装置が着いてるとしか思えないのであります。このエアサス。実はとても気に入っていたのであります。ほかの何から乗り換えても、それは素晴らしく良く働き、優しく寛ぎをあたえてくれるのです。そんな時は「おお、さすが女王陛下のレンジローバーだわ。」と、ひとりごちたものでした。

それにしても長くボクの元にあります。乗らない時は忘れたのかと思うほど乗らないけど、たまに乗ると、これまたとても良い。でも、なにせトラブルの百貨店でしょ。なのに松山には販売店はないんすよ。

んで、サスは仕方なく数度の修理のあと、コイルに変えビルシュタインを入れちゃいました。エアコンも良く壊れるのであります。デスビも変えたし。内装もお約束の通り垂れ下がっちゃう始末。

壊れても構わないサンルーフなんて、絶対に壊れないし。

普通にしか乗らないのに、こんなによく壊れた車は実ははじめてです。神経質な日本人には無理です。そういう意味ではランクル60なんか、どこも壊れなかった。でも乗ったのは林道ばかりで、ボディはボコボコだったのに。こちらのほうも神経質な日本人には「???」だったようですが。

でも中古市場はとても大安売り!です。壊れるわ、燃費悪いは!エンジンやたら大きくて税金は高いは、なんにも良いところが無いクルマ!ってことが良く分かったからでしょう。だからファッションで乗ってた町のブティックのオーナーやら、バーのお兄さんが、みんな「やってられない!」と売っちゃったのであります。そもそも、目指すところが違ったのでありますな。

でも実は、ほんとうに欲しかったのは、いまで言うところのクラシックレンジです。常にネット上で、ああここに良い玉があるとか・・・1970年に生れたそれは、10年目くらいの時代の丸目(色は今日の一枚のこの色。)の、あの楚々とした後姿が良かったんです。

その80年ころに一度買おうとしたことがあったんですが。そのころ1000万はしたので、初めて日本の輸入障壁という言葉を知ったものでした。「こりゃ無理だわ」でかったのが、ランクル60もち丸目。

1988年、パリダカに行って衝撃を受けることに。キャメルのカラーリングの施されたマルコム・スミスらのレンジローバー。確か総合3位から5位までを独占したんだっけ。P-タンベイも確か乗ってた。

これが密かなるレンジの憧憬の導火線になったのであります。いま乗ってるのは誕生30年のモデル。そしていま40周年、ということは「えっ、ジムニーと同い年ジャン!!」ということで洋の東西の不思議な帰趨を感じてしまうボクでした。

きょうの一枚

その勝手にどこかのレンジ屋さんの中古の写真を拝借、そしてもう一枚は、ミニカー。この世界なら買えるかな。

(おまけ)


2010/10/20 (水曜日)

「相変わらず、そそらせるのが上手い。」

アバルト695トリビュート・フェラーリがリリース直前とのこと。なぜこうした魅力的なマーケティングが出来るんでしょうね?イタリアンって。これはフェラーリとのコラボレーションによるアバルト500の限定モデル。たぶんまた受注段階で売切れ!でしょうね。たまんないのはエンブレム。それとあっちこっちに配されたサソリのマーク。カーボンシェルのシートのハンドルにまでそのマークはいらないでしょ?それにシートのABARTHのロゴはいささか?でもシートのデザインも良いねえ。でもまあ残念なのはボクには小さいということかな。えっ、そんなことない?

まあそれにしても最近は日本のプロダクツがデザイン的にも性能的にも行き詰まっている様だよね。常にマスマーケットばかりを相手にしてきた量の原則に憑依されてしまってて、小さなマーケットを無視してきたゆえの感性領域で敗退が続いてるねえ。

こんな1台のクルマに、日本の敗戦を見てしまう。同じ日のトヨタのリリースは、SaiとPriusにLEDバージョン投入!だって。

きょうの一枚

そんなこんなで、500ベースのアバルト/フェラーリのWネーム。うまいよね。

(おまけ)

2010/10/19 (火曜日)

「リスクを侵さなければ、なにも得られなかった時代。」

田原総一郎の記事を読んでて

「いま、コンプライアンスという言葉が、より無難で、チャレンジをしない、危ないことをしないという意味になっている。」と。

翻って昨日発表した日野自動車のパリダカール20年連続の挑戦。企業にとって求められるものは何か?という質問には、いかようにも回答が出来る。そういうことが企業コンサルティングのトレンドで語られ、どこの企業も似たり寄ったりの理念を掲げるに陥ってる。つまり個性のない企業が、自己資本比率の向上のみを目指している。

特に近年、日本の企業の金太郎飴的な理念に危惧を覚える、それは「環境貢献」「社会貢献」だろうか。そして冒頭の「コンプライアンスの遵守」だ。みんな同じだ。みんな何もしない。もう少し言えばサスティナビリティ。持続可能ななんたらかんたら。で、してるのはあくなきサスティナブルな利益追求のみで、言うところの「遊び」がなくなってしまった。

こんな時代は、仕方が無いとも言う。しかしこんな時代だからこそリスクを侵さなければいかんと思う。ボクはまあ、侵し過ぎだけど。コンプライアンスは、難しいぞー。何かをはじめれば、あまりもの規制の多さにワケが分からなくなる。専門家に相談すれば良いのだが、まあそんな余裕があるのは大きな企業ばかりか。

「嵐の時にこそ舫(もやい)を解け」つまりリスクのある海に漕ぎ出してこそ得られるものは大きいというわけだ。しかし嵐の中に漕ぎ出すのは、今の時代はコンプライアンス違反になるし、反社会的な行為とも言われるし、まあ乗組員のことを考えれば社会責任は、相当なものだろう。
まあ、それはたとえ話だけど。

もともと日本人はもっとアドベンチャーな人々だった。開拓精神と好奇心の塊だった。間宮林蔵も凄いし、日本の地図を作った伊能忠敬も凄かった。いやそんな2人だけではあるまい。嵐の海を渡った空海ら遣唐使も冒険家だったし、そこらには枚挙にいとまはあるまい。

そういえば坂本龍馬も、その時代に生きた人々の誰もが探検家だったろう。そうした探険家の歴史では世界に比肩しうる人材と偉業をなしえてる。

しかし現代はどうだろう。もうあの胸のすくような探検家冒険家は出てこないかもだ。チョコット急成長する企業ごときを「ベンチャー」と呼んでるようでは、
悲しいにもほどがある。
結局リスクは人に任せる。
でもリターンは欲しい。

まあ、あのリスクとリターンがある程度、見積もれた時代は良かったかも。

いまCOP10。発展途上国はリターンだけをを望んでいる。先進国は、そんな甘い人たちじゃない。とても不気味な時代になったものだ。

ごめんなさい。今日はややこしい仕事に取り掛かってたので、ヘンテコリンな頭の中になってしまいました。

きょうの一枚

Husqvarna・・・ここのところ元気なハスクバーナ。ボクがハスクバーナのプレート・・・肉を焼くヤツですが・・アンド、ジャケット。ポロシャツ、などを手に入れたのはMOTOWORKSさんのおかげ!!そんで今回九州4デイズ・・まあ本格的には来年からですが「特別協賛」頂くことになったとです。赤いロゴは火の国九州にこそふさわしいでごわっそ。

(おまけ)

2010/10/18 (月曜日)

「日野自、ダカールラリー参戦を発表 不況で撤退相次ぐ中、20回連続出場」

[ニュース記事]

今日のサンケイニュースから

日野自動車は18日、来年1月に南米で開催される世界最高峰のクロスカントリーラリー「ダカールラリー」の参戦体制を発表した。世界的な不況で昨年から日本の自動車メーカーが相次いでモータースポーツ界から撤退する中、日野は同ラリーのトラック部門に1991年以来、参戦し続けている。今回で20回連続の参戦となることについて近藤詔治会長は「(日野にとって)ひとつの目標としてやらなければいけない」と話した。

今年のダカールラリーは南米・アルゼンチンとチリの山岳・砂漠地帯が舞台で総走行距離は約1万キロメートル、14日間にわたって行われる。日野は中型トラック「レンジャー」2台で参戦する。

日野は「技術力向上とものづくり文化の育成に加えて、海外でのブランド醸成も図れる」としており、現地メカニックにも全国の系列販社から3人が参戦する。

今回から新しいグラフィックとなった2台のレンジャーが、そろそろ南米に向けて船積みされます。あれ、1台はモンゴルに出てたはずじゃ?そうなんです。その1台はゴール後直ちに自走でロシアを抜けてウラジオストックから日本へ。あっという間に帰ってきてました。

それ以外の貨物は、やっと天津を出て間もなく日本到着です。大変遅くなっておりますが、間もなくです。日本の通関作業も時間がかかるようになって久しいのですが、今回からカルネですから、あっという間に出てくることを祈ります。

さて、11月27日にはSSER PRESENTATION 2011、これは菅原さんの出発前の時間に合わせました。こ菅原さんのミニ壮行会も兼ねて行う予定ですので、お時間の許す方はぜひ参加してください。特に二次会はすごいですよん!さて、その記事にあるとおり、HINOの20回連続出場の快挙にも拍手を送りましょう。

日本の企業というのは、こうした事業を継続させることが苦手です。ついつい削減とか撤退とか、後ろ向きのことを、まるで前向きのように報告して胸を張る人が、たくさんいます。止めてしまえば、そのあとの困難さは想像に難くありませんのにね。そしてほかの日本の自動車メーカーも、自動車の大好きな人の集団であってほしいと思います。

(おまけ)

2010/10/15 (金曜日)

「天孫降臨とはなんぞ。」

九州4デイズのテーマは、ボク的には「明治維新と、西南の役」だったのですが、どーも方向が変ってしまって、日本神話が色濃くなってきました。

「天孫降臨の地、高千穂」とは良く聞くフレーズです。日向の高千穂峰に天から雲間を縫って降りてくるのであります。

今でも日本人は群雲の間から差し込む光に、その天孫降臨のありがたみを会わせ見るという不思議なDNAを授かっているのではありますまいか。つまり天には神がいるという世界的な共通の概念でしょうか。

ボクはまあ降臨は天から降りてくるということですが、天孫の意味が分からないのであります。天とはここでは天照大神だとします。つまり彼女の孫ですから天孫ニニギノミコトが降りてくるわけです。

このあとに面白い物語があるのですが、まあそれはQ4に参加してのお楽しみに。

きょうの一枚

元M3乗りとして気になるM3コンペティション、うっなんかうちの会社の名前みたいだ。このオレンジのソリッドな限定色がそそるのはそそるのですが、2010年の今、世界の自動車事情はいったいどうなっているのか?という疑問符が突きつけられます。

もう一方の写真はAMG SLS、これを見て石原裕次郎を懐かしがるのは、もう相当なお年の人たちになりましたがSL350のデザインソースをそのままに、まさに天孫降臨の趣です。SLは息子たちの時代にはイマイチだったけど、孫の時代に世界統一、、、ってフビライハーン?

これらにとどまらず、世界はスーパーカーブーム(かなあ?)日本のエコカー減税やら、軽4やらは、世界は見向きもしていません・・・いやしてはいるのですが・・世界はガソリンの自動車を失う事に深い惜別の念を抱いてるのかもしれません。自動車とはなんぞや!?という深い思考の淵に身を委ねているように思います。

なにかこう迎合して生き延びるよりも、自らの本質を貫いて死に向かう、武士道のようなものをヨーロッパのメーカーに感じるのはボクだけ?結果そちらの方が生き延びたりしたりして。

(おまけ)

2010/10/13 (水曜日)

 

「早いもので2011」

今朝は赤松カメラマンと、モンゴルの写真集作成会議。といっても世間話が半分。でも発表会には間に合わなければなりません。

そして、もう1冊2011のマニュアルブックのようなものを作ろう!としています。年間計画やプレレギュレーションなどイベントごとのインフォメーションを写真集から分離する事によって、どちらも内容を際立たせたいというものです。

なにかこう、これまでは合併政策の方向ばかりを、分離していくということ。映像つまりこうスペクタクルはFUTUREで、画像は写真集で、そしてマニュアルはデータ重視で。そして2011カレンダーっても、本当のカレンダーも作成!!!!!!

今日の制作の打ち合わせで、なんとなく2011年が良く見えてくるようになりました。2011のSSERはこうしたクオリティの追求に向かう事にしました。

さて、九州は準備が佳境ですが、その内容は「つぶやきブログ」で紹介していきます。レイド・トレック・タクラマカンも、例の問題にまけずに追求してます。

早くこの問題も書きたいなあ。

きょうの一枚

「棗」

ナツメと読みます。うちのタケチャンが自宅にある棗の実を持ってきました。「懐かしいねえ」と食べたのは老カメラマン。あとは「なにーこれ?」でした。棗といえば、ナツメヤシとは別物。実の形が似てるというだけでパリダカの頃モロッコやアルジェリアで見たナツメヤシとは違います。

乃木希典・・・乃木将軍ですが自邸(現乃木神社)に棗の木が在るそうです。これは以下の歌にある棗の木を持ち帰ったものだそうです。その乃木将軍は若くして西南の役に従軍しています。軍旗を西郷方に奪われたことが生涯の悔恨だと何かで呼んだことがあります。明治天皇の崩御に夫妻で殉死した理由もその軍旗を取られたことに遠因があるのだそうという説も。

まあ「棗」ひとつでここまで話を膨らませなくても。と思うでしょうが、これは中国東北部が原産で北洋艦隊ら清軍の水師営には必ず植えられていた薬草なのでありますね。昨日の敵は今日の友、と言うのもどうやらここから出て来ています。日中外交もこの調子でよろしく。まあこれは相手はロシアですが。

文部省唱歌「水師営の会見」
佐々木信綱作詞・岡野貞一作曲

旅順開城約成りて
敵の将軍ステッセル
乃木大将と会見の
所はいずこ水師営

庭に一本 棗の木
弾丸あともいちじるく
くずれ残れる民屋に
今ぞ相見る二将軍

乃木大将はおごそかに、
御めぐみ深き大君の
大みことのり伝うれば
彼かしこみて謝しまつる

昨日の敵は今日の友
語ることばもうちとけて
我はたたえつかの防備
かれは称えつわが武勇

かたち正して言い出でぬ
『此の方面の戦闘に
二子を失い給いつる
閣下の心如何にぞ』と

『二人の我が子それぞれに
死所を得たるを喜べり
これぞ武門の面目』と
大将答力あり

両将昼食共にして
なおもつきせぬ物語
『我に愛する良馬あり
今日の記念に献ずべし』

『厚意謝するに余りあり
軍のおきてに従いて
他日我が手に受領せば
ながくいたわり養わん』

『さらば』と握手ねんごろに
別れて行くや右左
砲音絶えし砲台に
ひらめき立てり 日の御旗

(おまけ)



2010/10/08 (金曜日)

「やっぱりね。」

なんか例の漁船の衝突のビデオは公表しないんだそうですね。「なーんだ、やっぱりね。」と思う人も少なくないのでは。「公開すべき」と思うのですが、さまざまに複雑に絡む問題は、いわゆる快刀乱麻とは行きません。しかしこれを公表したら国民が怒ると考えるのであれば、政府は国民を馬鹿にしてるし、中国の世論は「まあ改ざんするからね。それで公表が遅くなったんだ。やっぱ日本のSFXの技術は素晴らしい」と賞賛の嵐だろうしね。しかしネット上では面白い意見もあって「ぶっつけたのは日本側じゃないのか?」とかね。それならそれで頼もしい限りだけど。まあ今の時代に、これを公開しないわけには行きますまいて。そうこうしてるうちにYOUTUBEで見れるかもね。それはそれで問題だけど「やっぱりね。」って感じもしますね。

さあそんなことよりSSERは、2011のカレンダーと15th Rally Mongolia 拡大版の開催など発表会を11月27日東京・恵比寿「7 seven.」で開催予定。おそらく18時から(少し調整中)二次会を「チョモランマ酒場」でやりますかね?ここが旨くてボクはとっても気に入ってるのだ。

これから、Rally Mongolia 2010 の写真集の編集作業に突入!するのであります。なんか忙しくなってきたぞぉ。

きょうの一枚

チョモランマ酒場。前回は貸切でしたが、入りきれなくて店の外にビールケースを置いてやっいてましたね。

もう一枚は、その恵比寿の発表会場の地図。前回も入りきれなかったので、大きい会場に!と言う話もあったのですが、このミッシリ感が好き!なので。今回はちょっと演出に凝ろうかしら。お早めにご計画下さい。

(おまけ)

2010/10/06 (水曜日)

「九州は火の国たい。」

富士山の裾野で遊んでいて、富士宮市に下りていったところに、これはなんとも由緒ありげな富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)がありました。時間が無かったので外から眺めるだけ。でも「ちょっと待て、ここはきっと火の神様を祭っているに違いない」とボク。そう、火の神様とはコノハナサクヤヒメ

ウイキイペディアのコピー

祭神  現在は浅間大神(あさまのおおかみ)と木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)を主祭神とし、夫神の天津日高日子番能邇邇芸命(あまつひこひこほのににぎのみこと)、父神の大山津見命(おおやまつみのみこと)を配祀する。元々の祭神は富士山の神霊「浅間大神」であるが、いつの時代からか、神話に登場する木花之佐久夜毘売命と同一視されるようになり江戸時代に定着した。現在でも一般的な認識では浅間大神と木花之佐久夜毘売命は明確に区別されてはおらずほぼ習合した状態である。

ここで注目は、「霧島神宮古宮址」最近パワースポットとして人気だそうですね。そして天孫降臨の火祭りは11月10日。ううーん、Q4とはちょいと合わないなあ。

まあ今日のタイトルは「九州は火の国たい」で、九州にはいったいどのくらいの火山があるのかなあ?と調べたところ「・・・」な火山がひとつ。その名も「池田・山川」って、そんなの聞いたことないなあ。

ちょっとどこかのサイトから

Q:池田・山川は、鹿児島県薩摩半島南部にある(   )、松ヶ窪、池底、鰻池、成川盆地、山川湾から成る火山群の総称。池田火山とも呼ばれる。

正解!

池田・山川は、鹿児島県薩摩半島南部にある池田湖、松ヶ窪、池底、鰻池、成川盆地、山川湾から成る火山群の総称。池田火山とも呼ばれる。 約5,500年前、まず現在の池田湖の北部にある池崎噴火口でマグマ水蒸気爆発が発生した。続いてスコリアや軽石を噴出する噴火が起こり、池田火砕流と呼ばれる火砕流が発生した。

どんな風景だろう。
そういえば池田湖といえばイッシー。と佳境の一枚にはそんな写真を集めてみました。今回のQ4の出題どころ・・・西南の役。火山。高千穂霧島。あとなんだろ。

(おまけ)

 
2010/10/05 (火曜日)

 

「TDR、楽しかったね。」

次に控えてるのは九州!です。久しぶりにボクが(スイマセン)気合を入れてやります。気合を入れてって、それじゃあ他は、まじめにやっていなかったのか!?と言うと、勿論そんなことはないのですが、まあ今年の夏のことが・・・でもこの夏のことは、これからじっくりと闘ってきます。「攻撃は必ず反撃を受ける。」ボクの持論です。でも反撃は、緩やかにしておおらかに闘おうという思いです。歯を剥いて闘ってるのは、あまりアズマシクナイですものね。・・・これスガワラさんに教わった北海道の言葉。アズマシイとは、真に言い得て妙ではありますが、風水でも東側にあるものは基本的に静かでクールというイメージのようです。

東京(江戸?たぶん明治以降の屯田兵の言葉なので東京で良いかな)のことをなぜ北海道の人はアズマつまり「東」と呼んだか。方角的には東京は南に位置するはずです。このアズマシイは本来は、西国へ落ちた落人らが京都のことを指す言葉ではなかったろうか?そして東風(こち)吹かば・・・と菅原道真に詠ませた東とはやはり京都のことで、つまり北の大地から見たアズマシイは方角的には整合しないのですが、やはり京都のことかもと。そんなささやかなひとつの言葉からも、ワケの分からないところまで思考を広げていくボクはいったいこの先どうなるのでしょう・・・・

なんて考えていて、ふと検索してみたら

アズマシイとは「我が妻といる時のように心静かなこと。」つまり吾妻と書くのが宜しいでしょう。アズマシイではなくアヅマシイが正しいのですね。でも、どうも僕の聞いた語感では、やはり「雅やかな風情」というのに近かったように記憶しておりますが北海道の皆さんいかがですか?

さて、話は九州に戻ります。北海道に話を持って行っておいて、次に九州に振るなんざあ、かなりこなれた話術ではありませんか?

ボクは先週、Amazonで1冊の文庫本を買いました。470円。

城山三郎「指揮官たちの特攻」

これは、かなり前から読もうと思って、読めてなかった一冊。

神風特別攻撃隊第一号に選ばれてレイテ沖で特攻をした関行男大尉は実は愛媛県西条市出身です。国道11号線を通るたびに関行男大尉の墓標の案内看板が見えます。まあ今週末読む本ですね。そして、事務所に変な本を発見。

模範 大全科学習書 尋常六年後期とあります。発行は昭和15年。こんな本がなぜこんなところに、と開けてみるといきなり

少しこの教科書を読んでみましょうか?

「西南の役」

----眼のつけ所

明治維新の大業もあらかた基礎が定まり、これから国運が盛んにならうとする時、はしなくも朝鮮の問題から、いまはしい大乱を引起すに至った。明治維新の大忠臣、大功臣の西郷隆盛がどうして賊軍となったのでせう。また西南の役に於ける人々の功績や皇室の御めぐみや博愛の事業はどうであつたらうか。か。

-----学習の道すじ

(1) 征韓論→朝鮮が我が好意をしりぞけ、無礼を加へたので、西郷隆盛等が朝鮮を伐たうと主張し、其の論が破れて辞職した。

(2) 西南の役→隆盛は弟子におし立てられて乱を起した。谷干城らが熊本城をよく守った。隆盛等は官軍のため、遂に城山で自殺した。

(3) 皇室の御めぐみ→天皇・皇后・皇太后三陛下の御仁徳。佐野常民等は官軍・賊軍の別なく傷病兵を治療した。これが我が国赤十字社の起。

-----研究

(後略)

昭和16年には国民学校令が敷かれ、尋常小学校はなくなるので、昭和15年後期というこの教科書は、まあ尋常小学校の歴史的に最後の1冊。えひめ町並み博2004の知り合いの出してた骨董屋で、この本とか婦人画報とあと古いライティングビ ューローを手に入れて事務所に置いていたのでありました。

この本を見てるとなにかこうその持ち主の勉強への情念のようなものが感じられ て、すこし身震いをしました。まあ当時の小学6年生の方が良く勉強が出来たのでしょう。今西南の役を中学生はどのように語るでしょうね?そのうえ教育勅語 なんかも当然書かれていて、教育を受ける意義とそのありがたさなども学ぶのであります。

なんか話がとっちらかってしまいましたが、ボクはそのラストサムライの故郷へ旅をしに行くのでごわす。そしてその古い教科書には、傷みも少なく落書きはないのですが、尋六 中東達観 と名前が書いてあります。名前を検索してみたが、当然のこと中東さんという名前は見当たりませんでした。昭和15年で12歳としたら、ボクの父母の世代ではあります。。

(おまけ)

2010/10/04 (月曜日)

「2つのソーラーカープロジェクト」

まずは篠塚さん!率いる東海大。南アフリカを4000km!!走行し10月2日 プレトリアにゴール!!総合優勝を果たしました。パチパチパチ。。ということで篠塚さんは「行きたいよ」と言っていた秋のTDRには参加できませんでした。ということで、メデタシメデタシ。[記事リンク]

一方で、大阪産業大学OSUソーラーカープロジェクト。オルタナティヴエネルギー・カップ、ドリームカップ鈴鹿ソーラーカーレース!!今年でこのタイトルでの開催は最後・・・つまりドリームカップ=ホンダがスポンサーを降りるというわけです。来年からはフォーマットを変えて、今は予選+4時間x2日間の本格的な日程でに開催。来年からは半分くらいになっちゃうのだそう。そして大阪産業大学はこの大会を2連覇。この模様は10月20日号のFUTUREにも収録いたしました。

OSUに来年はボクタチが目指すタクラマカンの沙漠公路の横断をお誘いしてあります。タクラマカンの巨大デューンの間の、舗装路800kmの横断を含む、タリム盆地1周チャレンジ!!西域南道をソーラーカーが走れば、良いなあ。と夢は膨らむのであります。乞うご期待。

さて、こうした一連の話も実はきっかけはTDRとFUTUREです。いずれも「無謀」な試みです。それが証拠にこうしたことは前例がない!のでありますな。前例がない?ならばやってみよう!というのが男の子の心意気。いや、いまごろはSSERにやってくる女の子の心意気の方が勝っているとも思いますが。

とにかく盛況だった富士山でのTDR。お天気までもが後押しをしてくれました。またこうした新しい企画を進めていくのと11月の九州・・・そのためにボクは今週と来週はそれのプロデュースに没頭する予定であります。

 きょうの一枚

東海大学がおそらくケープタウンのテーブルマウンテンを背景に走ってるところでしょうか?

こちらは大阪産業大学。4輪のこのての車両はめずらしく鈴鹿などのテクニカルなコースを走るのに適しています。

(おまけ)